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徒然日記 ~2018/10/23~

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先日放送された『西郷どんスペシャル』第3弾。敢えて固有名詞は伏せますが、司会の芸人二人に番組を進行する気がさらさらなかったのか、本編と全く関係のないクッソ寒いネタを連発するばかりの不愉快極まりない内容であったため、開始五分でHDDから永久に削除しました。何が恐ろしいって、台風による放送繰り下げがなければ、この番組が本来の大河ドラマの時間枠で放送されていたかも知れないという事実です。これを見て、

 

「キャー! これは『西郷どん』の明治編も楽しみだわッ! 逆に考えるんだ! もうあげちゃってもいいさ! あたしのパンティー!」

 

と視聴者が狂喜乱舞すると考える人間が制作に携わっているのですから、本編のクオリティの低さも宜なるかな。一応、今週は大河本編と『西郷どんSP3』の感想二本立ての予定でしたが、上記のように『SP』が余りにも甘利な内容であったため、感想日記に変更。話題は2つ。当初は『グリッドマン』の感想も書くつもりでしたが、執筆途中でBSの一部チャンネルが映らなくなるという異常事態が発生。それこそ、週末に『グリッドマン』を見るためにも、明日は早目に対応しなくちゃいけなくなったため、日記も短目に切り上げます、悪しからず。

 

まずは今週の『西郷どん』の感想から。

 

岩倉具視「大村益次郎が殺されてからというもん、外へ出るのも怖うて怖うて……」

大久保利通「何をやっても怨まれ、憎まれる……新しい国づくりに多少の叛乱はつきものですよ」

 

【悲報】大村益次郎さん、ナレ死どころかキャラ同士の会話で退場させられる【絶許】

 

大した見せ場もなく、こぶ平をキャスティングした意味も判然としないまま、ひっそりと退場を余儀なくされた火吹き達磨さんカワイソス。まぁ、この件は深く突っ込むと海江田の暗躍に行きついてしまうので、西郷どんの周辺に都合の悪い逸話を敢えてスルーしたという邪推も成立しそうですが、そこまで歴史的事象に思いを馳せることが出来る制作陣でしたら、先週の放送で庄内藩仕置きを描いている筈から、これは贔屓の引き倒しというものでしょう。純粋に何も考えていないものと思われます。やんなるね。そもそも、明治編の初回にも拘わらず、新政府パートが5分しかない段階で色々と終わっているのですが、制作陣は『戊辰戦争の回も戦争シーン5分なかったからセーフ』とかいうガバガバ判定で自己肯定していそうです。ホント、やんなるね。

やんなるといえば、イトサァの『島から呼んだ菊次郎のためにも東京に行かずに傍に居て欲しい』というこの時点でちょっと何を言っているのか判らない頼みを受けて悩む西郷どん(これも色々とおかしい)に、菊次郎のほうから『自分のことは気にせずに東京に行って欲しい』と言わせる場面は本当に胸糞悪かった。『GO』や『ぼんくら官兵衛』のように、主人公をキレイキレイな人物像にしておくのに都合の悪い事象を子供のほうから率先して『やって欲しい』といわせるのはクソ大河に共通する悪癖の一つですね。まぁ、西郷をマイホームパパに描こうとしている時点で詰んでいるのですが、遂に本作も『GO』や『ぼんくら官兵衛』のポジションに堕ちたかという確証を得ることが出来ました。それにしても、時代や題材は違うのにクソ大河は何故、同じ過ちを繰り返してしまうのか……。

唯一の救いは西田さんが演じる後年の菊次郎パート。流石は大河時空で輪廻転生を繰り返している名誉大河俳優さん。存在感が違いましたわ。逆にいうと西田さんパートがなかったら、本当に何の見せ場もなかったな。第一話の冒頭もこのシーンでよかったろ?

 

続いては、これ。

 

 

 

 

多分、本放送時は裏番組の録画を優先したため、見逃していた作品。それでも、途中途中を何度か見ていて『面白そうだなぁ』とは思っていた(奥さんに『はるたん』の正体がバレるシーンとか)ので、地元局で再放送するとのニュースを知り、テンション爆超で喜びのツィートを投稿したところ、古い友人から、

 

「『おっらぶ』見るの!? BLをあんなに嫌がってたのに?」

 

とのリツイートを頂きました。確かに昔はBL系苦手だったんだよなぁ……今でも特に好きな訳じゃあないけれども、私の中で潮目が変わった要因は『平清盛』でしょう。悪左府の闇は深い(確信)。あ、いや、BL描写目当てで『おっらぶ』を見た訳ではなく、本放送時の摘まみ見の印象で『面白そうなコメディ』という印象を抱いていたためです、念のため。一応、ノンケですから。

実際、本編を見た感想は『普通のラブコメをBLに置き換えた』以上のものではなく、登場人物がガチ恋愛の様相を呈してからはトレンディドラマと大差なかったかなぁ。真面目なBLを求めている視聴者層には向かない内容ではないかと思います。逆にいうと主人公が色々な意味で目覚める前、第4話までは文句なく面白かった! 部長と牧が『はるたんのいいところ&悪いところを10個言い合う』場面とか、ベッタベタなラブコメ要素も構成要員が全員男性だと、ここまで面白くなるのかと思いました。ただ、登場人物が総じてクズ揃いで、誰にも感情移入出来なかったため、今年のベスト10入りはなさそうです。残念。

 

 

 


『相棒17』第2回『ボディ~二重の罠~』感想(ネタバレ有)

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「このドラマはフィクションです。アライグマをペットとして飼うことは、法律で禁止されています」

 

EDテロップで外来生物法に基づく視聴者への注意喚起が流れた今週の『相棒』。アライグマの飼育禁止は意外と知られていないので、確かに必要な文言かも知れませんが、今回の真犯人は外来生物法違反よりも重い殺人死体遺棄をやらかしているのに、そちらを禁ずるテロップは流さなくていいのかという素朴な疑問が脳裏を掠めました。今季夏の某アニメで毎回冒頭に流された、

 

 

この画像を思い浮かべた方もおられるのではないでしょうか。このテの『何かあった時のエクスキューズ感丸出しのテロップ』って見ていて萎えるんですよね。もう少し、視聴者を信用して欲しいのですが……まぁ、実際にクレーム対応する立場になってみると仕方ないのかも知れません。私も過去に経験があるので判りますが、世の中にはガチの季語違いとしか思えないクレームを入れてくる連中がいるからね、仕方ないね。

 

さて、前回の感想で予想したようにPD3へのオマージュ感満載の展開となった遺体の隠し場所でしたが、そこで事件が終わらなかったのは予想外でした。これは前後編に分けた意義があったと思います。2時間枠の中盤で遺体が出ても、そこから更に一波乱あるのがミエミエバレバレですからね。その点、後編の序盤で遺体が発見されてかーらーのー! まさかのボンクラ亭主による捨て身の反撃&谷村さんが真犯人というオチ! まぁ、キャスティング的に谷村さんがラスボスの可能性は想定していましたが、それでも、充分に捻りの効いた構成であったと思います。先季最終回に続き、今回も徒に政治的陰謀劇に頼らず、小技と捻りの効いたエピソードでSP枠を埋めたのは好印象。次回の相棒版船を編む的な話への期待度高まりました。

尤も、アライグマは反則ですよね。冠城君は『遺体に無用の傷を残したくなかった』と推理していましたが、普通に本人の血液を抜いたほうが合理的。況してや、真犯人は看護婦経験者であり、元々は身辺看護という名目で屋敷に入ったのですから、治療や介護の名目で本人の血液を抜くのが最も自然な帰結でしょう。ここは製作者が杉下に死因の偽装を看破させるために犯人にワザと隙のあるトリックをやらせたように見えてしまい、萎えました。改善の余地アリ。あと、後編は青木君の出番が少なくて残念。特命係の回線からでは事件の捜査状況や証拠映像にアクセスしにくいのかも知れません。

 

 

残りは雑感。

 

大河内春樹「手続きに瑕疵はなく、捜査は適正であったと認識しております(キリッ

 

ラムネさんによる記者会見。マスコミに言葉尻を取らせない見事な対応ぶりでした。私としては俺たちのテルオによる御涙頂戴アカデミー賞ものの会見も見たかったですが、テルオの場合、ツボにハマればマスコミの同情を得られるものの、会見で何度かやらかしちゃっているのも事実なので、ここは手堅くラムネさんが起用されたのでしょう。そもそも、テルオにも杉下を庇うモチベーションは皆無でしょうから、演技にも熱が入らないでしょうからね。

 

 

杉下右京「犯行現場である大広間はリフォームされてしまい、血痕のある絨毯も割れた縄文土器も何もかも残っていませんから、貴女の供述を裏付けるものは証拠も……」

三上冨貴江「……リフォーム言い出したの、私なの。自分で自分の首絞めたようなものね」

 

『身から出た錆』という言葉の総天然色見本と評すべき状況に追い込まれた三上女史……ですが、如何に遺体が発見された&三上女史の証言と死因に食い違いがあるとはいえ、彼女に自らの無罪を証明する義務はありません。被害者の殺害状況を立証する義務を負うのは警察と検察の仕事です。それにも拘わらず、自身の証言の正しさを証明出来ないとヤバイかのように追い込んでいく杉下マジ鬼畜の極み。今回のテーマは近年、マスコミやネットを中心に猛威を振っている悪魔の証明に対する警鐘なのかも知れません。立証責任は検察側にある。これ、法治社会の大原則な。

 

 

甲斐峯秋「僕はね、しくじりに対してどんどん寛容になっている。それこそ、前はしくじる人間は許せなかった。失敗する奴はそれまで……そこで終わり。やり直せるなんて思っちゃいなかったんだよ……勝手なもんだね、人間なんて」

 

カイト君復帰ルートあるで、これ。

 

勿論、正式に相棒に戻れるとは思いませんが、何かの事件で顔を出す可能性は出てきた感じです。カイト君本人は難しくても、悦子さんの『その後』はキチンとやって欲しい。あれで退場なんて尻切れトンボにも程があるやろ。

それはさて置き、今回のもう一つのテーマと思しきダークカイトパパの御言葉。これも昨今の社会には一度にしくじりで社会的に抹殺されてしまう風潮がありますが、失敗しない人間なんかいないのも確かなので、なるべく、自他の過ちには寛容でいたいものです。他人から何度も警告を受けていたのに忠告をガン無視して二度三度同じ過ちを繰り返す輩は論外ですが。誰とは言わんが、取り敢えず、大河ドラマの脚本家に二人程心当たりがある。

 

 

 

 

 

 

『西郷どん』第四十話『波乱の新政府』超々簡易感想

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やさぐれチベットスナギツネ。キャスティングを知らない人には、テロップの影響で明治政府の腐敗に絶望した江藤がヤケ酒を呷っているシーンのように見えるかもですが、中の人は戦国のセコムなので、恐らく、山縣有朋の山城屋和助事件前後の乱痴気騒ぎでしょう。尤も、上記のように全然楽しそうに見えず、むしろ、ヤケ酒を呷っているようなオーラを漂わせています。この時の山縣の心の奥底に分け入ってみよう(CV:松重豊)

 

① 山城屋和助事件で辞任を強いられた

② 木戸孝允に参議入りを妨害された

③ 白井小助が自宅に押し掛けて来た

④ 御屋形様の尻拭いに疲れ果てた

⑤ また真田が従属を申し入れて来た

⑥ 目玉焼きが上手に焼けなかった

⑦ わしはこんな大河に出とうはなかった

 

個人的には③―⑥の連複に花京院の魂を賭けます。白井は長州人の山の神だからね。仕方ないね。ちなみに先日、隣の市で開催された村上新悟さんのファンミーティングでは御手製の唐揚げが振舞われた模様。『スタパ』では卵の声を聴き落とした村上さんですが、鶏肉の声は届いたのか、なかなかに美味そうな出来栄えでした。汚名返上。少なくとも、見た目からしてヤバい時があるピストル大泉よりはマシのようです。何れにせよ、前回の西田さん登場といい、今回のチベスナ見参といい、明治編以降の次回予告のヒキの強さは及第点ですね。これで本編の内容が伴えば申し分ないのですが、これも如何せん『西郷どん』のことだからね。仕方ないね。

 

それでも、今までに比べて、政治パートもちょびっとばかりは比重多めで構成されていたのは素直に評価します。特に廃藩置県のために御親兵を創設する~廃藩置県に反発する国元の叛乱は必須~叛乱を鎮めるには御親兵創設以上に金銭が掛かる~金銭を稼ぐには産業振興が急務~産業振興には司法投資の税金が必要~税金を取り立てるには廃藩置県が急務~廃藩置県のために御親兵を創設する……という当時の明治政府が陥っていた無限ループの説明は判りやすかったと思う。政府首脳部の安っぽい成り上がり御大尽っぷりもこれでもかという程に描写されましたが、これも概ね史実通りなので、ある程度は仕方ないね。次回の主軸と思われる山城屋和助事件もですが、同時期に発生している尾去沢銅山事件とか、ほんとクソ。これには聞多贔屓の私もドン引きです。

ただ、清貧な西郷が正義で、俗物の大久保以下明治政府の面々が悪という構図にしてしまうと征韓論はどうなるのかとの危惧は禁じ得ません。実際、征韓論には今回の放送で大久保や岩公と共に十羽一絡げでゲスな俗物認定された江藤や板垣も与しているのですから、そんな連中と手を組む西郷どんは果たして正義なのかというウブな疑問を抱く視聴者も出てくるのではないでしょうか。明治政府の内情を政策や権力闘争ではなく、道徳論や感情論で描こうとするから、こういう矛盾を避けられないのに……西郷と大久保の争点を食べ物でしか描けないのでしたら、薩摩大河をやるなよと言いたい。だいたい、今回の西郷の言い分は何ですか?

 

『贅沢はやめましょう』&『仲良く話し合いましょう』

 

小学生かな? それこそ、今回の主題である廃藩置県は初期の明治政府の『断ち切りたいのに断ち切れない無限ループから如何に脱出するか』の問題で、首脳部の質素倹約やグダグダとした話し合いで解決することじゃない。版籍奉還や御親兵創設といった瀬踏みの政策で時宜を図りつつ、一気呵成のゴリ押しで強行突破を図るしかなかった訳で、そのタイミングを見極めた西郷と大久保と木戸の力量が賞賛に値するのですが、何故か本編では西郷がミンナデナカヨクオハナシシマショウと説くことで丸く収まるとか……しかも、ゴリ押し決定のあとでね。決まったあとに話し合いの必要なんかないでしょう? 本作は『史実』と『キャラクターのいっていること』と『キャラクターのやっていること』のベクトルが全部バラバラなんですよ。何もかもがポヤ~ンとしていて、何とな~く西郷さんはいい人ですよっていうメッセージしか伝わってこないから、どこに焦点合わせて見ていいか判らなってしまうのでしょう。

 

あと、蛇足ながら、質素倹約を説いていた西郷が大久保と旨そうに握り飯を食うシーンがありましたが、ほぼ同時期に握り飯どころかオカラを買い占めただけで藩士から猛烈な反発を食らって、謝罪会見に追い込まれた山川浩のことも思い出して下さい。

 

 

 

 

 

 

オフ会の最終案内 for スナコさん&『西郷どん』第41話&『八重の桜』総集編第一話感想

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まずはオフ会の件でスナコさんに御連絡です。

 

オフ会の大まかな流れは先日お伝えした通りですが、変更や追加事項が幾つか。

まず、一次会の予算は4000円前後の予定でしたが、こちらが4500円+税となりました。当初予定していたコースにはモツ鍋がありまして、苦手な方もおられるかもと思いまして……予算があがってしまい、誠に申し訳ありませんが、何卒、御了承下さいませ。

次に当日の私の出で立ちは黒の上下にネクタイ、手に黒のバッグを持っている予定です。集合の目印にして下さい。また、今回も一次会の冒頭で軽めの自己紹介とネタを御披露頂けたらと思います。ネタの御題は、

 

2021年大河ドラマの題材ガチ予想(≠希望題材)

 

でお願いします。『何となく来るんじゃあないかな』という軽めの理由から、レジュメ持参の本格予想まで、どちらも大歓迎です。

尚、参加の御都合があわなくなった場合はオフ会の3日前、11月7日までにコメント欄かメッセージでキャンセルの御連絡を下さいますようお願い致します。質問や確認事項も同様に御問い合わせ下さい。当方も何かありましたら、このブログに記事という形で掲載する予定です。

気温の変化の激しい時節ですので、御風邪を召さないよう御自愛下さいませ。当日、再会できるのを楽しみにしております。

 

さて、今週の更新ですが、上記のようなことを書いておきながら、実は若干体調を崩している今日この頃。特に舌の裏の口内炎が酷くて眠れない&メシもロクに喉を通らない。オフ会までにキッチリと調整するためにも今夜は早目に休みたいので、記事も短め。

記事が短めになる理由はもう一つありまして、こちらのほうが大きな要因ですが、本編に全く内容がなかったため。うん、まぁ、今更『西郷どん』に何も期待しちゃあいませんけれども、薩摩大河で残り5回で征韓論争にも辿り着いていないのに『菊次郎が留学する or しない』で本編の三分の一を費やされたら、リアクションに困るのが普通ではないでしょうか。同じ時期に山川捨松も海外留学していますが、あちらは身も蓋もないいい方をすると口減らし同然の措置であったことを思うと、清貧や質素を自称する作中の西郷一家が、父親のコネで留学するとかしないとか随分と贅沢なことで悩んでおられるようで……と次元の低いイヤミの一つも言いたくなりますね。それと、序盤の子役時代から登場していたにも拘わらず、

 

未だに村田新八と桐野利秋と川路利良の見分けがつかない

 

んだけれども、これはリアルで相貌失認のケがある俺が悪いのかな? 更につけ加えるとナレーションのスタンスがブレブレで、場面ごとに菊次郎視点と西田さん視点(?)がミックスダブルハーフ&ハーフブレンドになっているから、どの位置で物語を俯瞰しているのかサッパリ判らん。西田さんが悪い訳ではありません、念のため。

 

そんな訳で今週も辛口の雑感になってしまいました。勿論、本編の出来が悪いのが最大の要因ですが、BSで再放送された『八重の桜』を見た所為もあるのかなぁ。総評でも述べたように『八重の桜』の真骨頂は丁寧なフラグ立てと律儀な回収にあるので、総集編には向かない作品なのに、想定以上に胸に来ましたよ。パッと思い浮かぶだけでも、

 

食事パートの家督順の席次が象徴する折り目正しさ。

(いい意味で)インテリヤクザにしか見えない象山先生。

(いい意味で)綾瀬さんの会津弁がエゲツナイ。

ストーリーと関係なしに見入ってしまう兄つぁまの前鋸筋。

容保の『大君の義』の一言で家臣全員が一斉に畏まる。

孝明帝に拝謁した時の容保の瞳のウルウル感。

禁門の変で援軍に駆けつけたモニカ西郷の頼もしさ。

『兄つぁまが大砲を撃ち込んだんだ!』と狂喜するヒロイン。

 

とか……特に最後の二項目は禁門の変での西郷に似非平和主義演説ネイマールアピールしか見せ場を与えなかった今年の大河ドラマとは雲泥の差。総集編ということで気づいた点を挙げると季節感があることでしょうか。近年の大河ドラマって題材や時代や地域に拘わらず、全編通じてマリネラ王国と見紛うくらいに何となく過ごし易そうな雰囲気しか感じないのですが、今回の視聴で桜や雪といった春夏秋冬の移ろいがキチンと描かれていたことに今更思い至りました。

『八重の桜』は思い出補正で美化されているかも知れないと考えたこともありましたが、そんなことはなかった。勿論、欠点も多いけれども、それ以上に美点もある。上記のようにフラグドラマなので、総集編を見て興味を抱いた方は是非、本編を見て欲しい。絶対に総集編よりも面白いから!

あと、八重ちゃんが鉄砲の修練を始めた時に兄つぁまが口にした、

 

山本覚馬「始めると決めたら、極めるまで退くことは許さねぇ! 弱音吐くことも許さねぇ! 極めたところで誰が褒めてくれる訳でもねぇ! 覚悟はいいな?」

 

これって当時の女性が鉄砲の道を極めることと同じくらいに現代のヲタク道にも通ずるものがあるように思いました。

 

 

 

 

 

 

『西郷どん』第四十二話『両雄激突』感想(激突してない)

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先週の土曜日、無事にオフ会を開催することができました。御参加頂いた皆様、本当にありがとうございました。今回も主催者としての基本的なミスがボロボロと露呈してしまい、今考えても赤面&汗顔の至りですが、それでも、皆様と過ごした時間は本当に楽しかった。本来でしたら、なるべく早目に当日の様子を記事にUPするべきであり、私自身もそのつもりでいました……が、帰宅後に見た今週の『西郷どん』が余りにもオソマツ過ぎて、録画を視聴しながら何度も、

 

 

自分のオフ会での不手際を棚にあげてブチギレそうになりました。今回は禁門の変レベルの見過ごせない内容でしたので、楽しいことの前に嫌なことを先に片づけましょうという両親の教えに従い、大河の感想記事を書くことに致します。オフ会に御参加頂いた皆様、何卒御理解の程、宜しくお願い申しあげます。恐らく、本作でもワースト3に入るクオリティとなった今回のポイントは5つ。久しぶりにガッツリと触れます。

 

 

1.アクセル・RO

 

市来琴「宗介がメリケンへ行ったまま帰ってこれんごなったら、どげんすっとな!」

 

相変わらず、何処に需要があるか判らないピントボケボケのホームドラマパートの乱れ撃ちから始まった本編。正直、NHKにはデータ放送とか4Kとか8Kとかよりも本作のホームドラマパートをスキップ出来る機能の開発に力を注いで欲しいですが、そこをカットしたら深夜に放送している『5分で判る西郷どん』との区別がつかなくなってしまうので、多分、実装されることはないでしょう。やんなるね。

最近、西郷に対するヘイト要員と化している琴さん。彼女は長男を戊辰戦争で失っているので、西郷に対する含みのある言動は仕方ないと思えなくもありませんが、何故か本編では長男の存在自体が【なかったこと】にされているので、琴さんの塩対応が如何なる動機に基づいているのか、視聴者にはサッパリ伝わりません。ホントやんなるね。

菊次郎にメリケンの農業を学んで来いと諭す西郷曰く、

 

西郷隆盛「メリケンっちゅう国にはのう、豊かな大百姓が大勢おる。そいは作物や牛馬の育て方っちゅうもんが学問として成り立っちょるからじゃ。国の土台は農業じゃ。国が富むっちゅうことは皆が腹一杯飯を食えるっちゅうことじゃ。そげんなれば皆が前を向く。国は自然とまとまる」

 

その豊かな大百姓を支えたのは南部の奴隷制度であり、それが南北戦争の(全てではないにせよ)一因になったことはスルーなのかな? まぁ、西郷がアメリカの実情を何処まで把握していたかは判りませんが、少なくとも、一八〇〇年代のアメリカを引き合いにして『大百姓が沢山いる国は皆が幸せに暮らしている』という短絡的で非論理的な台詞を用いるべきではないと思います。他国の歴史には慎重さと敬意を以て接しましょう(自戒)

 

 

2.小さな親切

 

西郷隆盛「これ以上、何もせんのは民への裏切りじゃ!」

 

土肥勢力を抱き込む(或いは乗っ取られる)形で留守政府を動かすことを決意した西郷。ホームドラマパートと同じように乱発される民のためというワードには辟易しますね。だって、ここで西郷が推し進めたとされる政策は地租改正とか太陽暦の導入とか徴兵令の施行とか、どう考えても当時の民衆への負担を強いる政策ばかりじゃあないですか。それを何の躊躇いもなく、

 

西郷隆盛「全てが国と民にとってよりよくなる政策じゃ!」

 

とドヤ顔で押しつけられても、

 

 

としかいえません。

この辺、誤解がないようにキチンと説明しておきたいんですけれども、私は穏健的佐幕派ですが、明治政府否定派ではありません。今回、西郷が施行した政策は政体はどうあれ誰もやりたくはないけれども何時かはやらなくちゃあいけない事柄であったと考えています。それが本作の西郷がいうところの民のための政策であったかは議論が分かれるかも知れませんが、欧米列強の帝国主義に対抗する富国強兵策の大本であったことは否定出来ないでしょう。

しかし、そうであるからこそ、西郷は己の理想と政策の内容と当時の政情のズレに懊悩した筈です。地租改正は彼が慈しむべき民草の膏血を絞ることとなり、徴兵令は平民の不安と士族の誇りを同時に刺激し、太陽暦の導入は三郎を始めとする保守層の反発を招きました。その程度のことに気づかない西郷ではありません。この時に感じた苦衷や矛盾、自分が苦しい時に外遊に出掛けて、しかも、大した功績をあげられなかった岩倉や大久保への失望、そして、自らが主導した徴兵令に代表される政策で足切りされた人々への哀憐の情が、のちの西郷の悲劇に繋がると思うのですが、それを、

 

ナレーション「父の留守政府はのちの世に繋がる大きな成果をあげていったのです」

 

の一言で片づけるなんて、西田さんの無駄使いという言葉しか出てきません。これで征韓論や西南戦争の描写に期待出来る訳がない!

 

 

3.元祖あんパンマン

 

ナレーション「天子様は無事に避難されましたが、約三時間燃え続けたこの火事で宮殿は消失。明治六年五月五日未明のことでした」

 

山岡鉄舟「待って! 今の火事で誰か重要な人物をスルーしていませんか?」

 

と突っ込むのは野暮なんだろうな。何のために藤本さんをキャスティングしたのやら。

 

 

4.慶喜ルート確定

 

大久保利通(西欧文明の凄さは)見た者でなければ判らん! 判らんから江藤も後藤も板垣もオイを蔑ろにできっとじゃ! 吉之助サァ、今からでよか、オイのいう通りにしてくいやい! まずはあん参議連中を皆、辞めさすっとじゃ! 岩倉様たちがお戻りになったら、急ぎ政府を立て直す! オイたちの手で欧米に負けん日本を作っとじゃ! 吉之助サァ、オイを信じてくれやい!」

 

ナヨ久保が何を言っているかわからない件。

 

江藤に『新政府にオメーの席ねーから!』とハブられたショックから、西郷に向かって訳の判らないことを言い出すナヨ久保。ホント、この場面でナヨ久保の言っていることがメチャクチャ過ぎて草も生えない。留守政府が復古主義的保守反動な政権としたら話は判るのですが、少なくとも、作中ではのちの世に繋がる大きな成果を挙げたと自画自賛する進歩的な政策を施行していたのに、何でナヨ久保は江藤や後藤や板垣のことを西洋文明の凄さを知らないカッペ呼ばわりしているの? 百歩譲って征韓論の段階でこれをいうなら判るよ? でも、そうじゃなかったよね? 具体的に江藤や後藤や板垣の何がダメなのか一言もいわずに、

 

大久保利通「オイにも譲れん理想があっとじゃ!」

 

とかいわれても一ミクロンも感情移入出来ません。もう最初からナヨ久保を話の判らない馬鹿扱いする気マンマンでしょ。ヒー様と同じく、西郷と敵対する段になったから、それまでの主人公との仲良し設定とかガン無視して、マトモな対立軸もなしにノリとイキオイでナヨ久保を悪人に仕立てあげただけでしょ。今回のナヨ久保の悪落ちは腕の悪いカメラマンの微速度撮影映像を見ている気分でしたわ。

 

対立者の露骨なsage設定でしか主人公をageられないようなら大河ドラマの脚本なんか辞めちまえ!

 

まぁ、全部が全部脚本や制作の所為ではないですけれどもね。それらと同等の割合で今回は俳優の演技にも疑問を感じましたよ。ラストシーンの、

 

大久保利通「西郷参議の朝鮮派遣のこと、私は今一度考え直すべきだと思います。私は断固承服しかねます、西郷参議」

 

の場面のネチャアッとした表情。アレは何? 純粋に不愉快なんですけれども。どう贔屓目に見てもパンピーにインネンつけるヤンキーにしか思えませんでした。ほぼ全話登板のメインキャストが第4クールに入っても役柄を理解していないように見えるって相当ですよ。いや、制作陣がナヨ久保を貶めたいという意図を抱いているとしたら、ある意味でキチンと役柄を理解しているのかも知れませんが、そこは抵抗しろよ。ヒー様の中の人は抵抗したらしいじゃん。知らんけど。

 

 

5.だし「せやろか?」

 

おゆう「相変わらず、まっすぐな御方ですね。西郷はんは……それに引き換え、うちの人は……」

 

この作品が好きになれない要素のうち、結構な割合を占める理由として好きな女性キャラがいないことが挙げられます。出てくる女性キャラ全員が全員、存在が空気でなければ、西郷信者しかいないんですよ。本当に気持ち悪い。フキちゃんといい、おゆうといい、自分の男よりも西郷に肩入れする姿勢には心底反吐が出る。うぬらは誰の女だ。いや、勿論、社交辞令として、面と向かって客人を批判するのは論外ですが、西郷が帰ったあとはキチンと旦那をフォローしろよ。

 

嫁が息子と一緒に旦那の友人と聞こえよがしにキャッキャウフフするとか、NTR属性でもないかぎり、亭主の精神歪むに決まっているだろ。

 

旦那のためにはハッキングどころか殺しさえも辞さず、文字通り『櫓櫂の及ぶかぎり』追跡を続けたアスナさんのほうがよっぽど大河向きだわ。でも、流石に心音盗聴アプリはやり過ぎだと思う。ちなシノン派。

 

 

 

 

 

 

 

徒然上京日記 ~2018・秋~

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さる十一月十日にオフ会を開催致しました。御参加頂いた皆さま、本当にありがとうございました。今回もオフ会の様子を中心に一泊二日の東京紀行を記事に致します。

尚、今週の『西郷どん』の感想はありません。単純に西郷ageのための脈絡のない大久保sageがどうとかいう以前に、山城屋事件や尾去沢銅山事件のような汚職や疑獄がボコボコ発生していた(しかも、本編でもやっていた)にも拘わらず、

 

三条実美「岩倉はんらが帰ってくるまでの政府はよかった……天子様と政府と日本の民がホンマの扇みたいに綺麗に繋がっているようでなぁ」

 

などと留守政権を無条件にマンセーする台詞は地上の楽園とかアジア的優しさとか優しいヨシフおじさんとか美しい国とかに通ずる薄気味悪い言葉にしか聞こえませんでした。第一、西郷が『今、国内では廃藩で行き場を失った士族たちの政府に対する憎悪が滾っちょる!』と内政の不安の解決策を外征に求めている段階で、既に留守政府は綺麗でも何でもないと思うのですが……しかも、そんな描写は今まで1ミクロンもなかったからね。見事なまでの幻の味噌汁。

 

 

そのうえ、西郷と大久保の激突も対立軸が全く見えない、タダの痴話喧嘩。何というか、ルールの判らないスポーツの練習(≠試合)を延々と見せられていた気分に陥りましたよ。痴話喧嘩の感想うあ未知の競技の解説を書ける程に私はエモーショナルでもロジカルでもないので、今回は戦略的放置の立場を取ることにします。悪しからず。

それでは『徒然上京日記~二〇一八・秋~』に移ります。

 

1. 二体の像と一対のレリーフ

 

まずは一日目。

午前中の新幹線で東京へ向かう前に、上越妙高駅で撮影した写真がこちら。

 

 

久しぶりの上京の緊張を解すべく、関東管領の威光に肖ろうとスマホに収めたものの、設置当初から抱いていた何で頭巾だけが金箔なのかとの疑問を思い出してしまい、徒にモヤッとした気分を抱え込んだ出陣式と相成りました。

往路の新幹線の御供は、

 

 

0次会を中心に銀英伝の話題が多くなると踏んで、シリーズで一番読み直し易い一冊をチョイス。学生時代、帰省時には必ず持ち歩いていたものです。正午前に東京着。一次会の前にホテルへチェックインする予定でしたが、時間帯が早過ぎたため、断念。これがのちのトンデモない失態に繋がろうとは、神ならぬ髪の薄い身には知る由もなかったのでございます……(『武田信玄』ナレ風)

さて、0次会の集合場所はこちら。

 

 

『水曜どうでしょう』へのリスペクトを込めて、吉之助サァのバックショット。0次会の会場が上野駅近郊であると同時に、今回のオフ会の裏コンセプトが史実の西郷どんを慰める会ということで、敢えて会場ではなく、此処を指定した次第です。

0次会に御参加頂いたのは江馬さん、穂積さん、踊るひつじさん、装鉄城さん、ハカセさん、軒しのぶさん。ひつじさんとは『丸会』以来、二年振りの再会でしたが、花の女子大生となった現在も、タフでエネルギッシュなハンサムウーマンぶりは御健在。0次会の会場と大学は指呼の距離とはいえ、一人では入りにくかったとのことでしたので、今回お誘い出来てよかった。その会場はこちら。

 

 

御存知『銀河英雄伝説』の期間限定コラボカフェ。ラインハルトとヤンが対峙するレリーフ上の絶妙な位置に『博多道場』の看板があるので、銀河の存亡をかけたゴチバトル食わず嫌い王決定戦でも始まりそうな雰囲気ではあります。そういや、カフェのメニューにラインハルトの苦手なチシャのサラダはあったかな? 『ドーソンのじゃがいもフライド』のインパクトに気を取られて、確認しそびれました。

予約が二名単位ということで、全員同じ席に座れるか直前まで不安でしたが、無事に大テーブルを確保。『フレデリカのサンドウィッチ』や『ロシアンティーを一杯、ジャムでもなく、マーマレードでもなく、蜂蜜で』や『歩く小言ムライのオススメ』や『民主主義に乾杯ウィスキー』といった原作ファンであれば、誰もがニヤリとさせられるメニューに全員、興奮気味。私を含め、一次会・二次会が控えているメンバーもガンガン料理を注文しておりました。私のお気に入りはカクテル『独裁者~ルドルフ・フォン・ゴールデンバウム』。口当たりのよさと、あとから酔いが回って来るアルコールの強さが何となく独裁者ルドルフらしい……気がする。

自己紹介を兼ねた『銀英伝』推しキャラ紹介はヤンやシェーンコップといった王道選択と同じくらいの比率で、メルカッツ、ビュコック、チュンウー・チェンといった熟年キャラが人気。意外と帝国キャラは少なかった。また、結婚したキャラ(同性可)という質問にはキャゼルヌやフレデリカさんに混じってコーネリア・ウィンザーという渋いチョイスも飛び出しました。好青年で女性受けしそうなミュラーは意外と人気なし。『夕食何にする?』と聞いても『何でもいいよ』と笑顔で答えそうな雰囲気が、逆に夫としては扱いに困るらしい。この結婚ネタからは『アイゼナッハは嫁さんに寝癖を指摘して貰えない精神的DVを受けている疑惑』にまで発展。帝国軍首脳部の家庭環境、闇深過ぎない?

一番盛りあがったのはドリンクごとについてくるコースター。旧版・新版のキャラクターがプリントされており、誰かが一枚引くごとに贔屓キャラを当てた歓声や、自分のコースターとのトレード交渉がテーブル上を乱舞。私も負けじと一枚引いた!

 

 

誰だぁコイツぁ!(魂の叫び)

 

いや、知っているよ! レムラーさんでしょ? しかも新編の? フォン・ラーケン(仮)のIDに異常がないことを確認しつつも、ワザと『認証しないぞ』と揺さぶりをかけるという、新編オリジナルの有能描写があった人でしょ? 新編でも一、二を争う優遇キャラでしょ? でも、同じ新編優遇キャラでしたら、せめてホーウッドさんが欲しかった……。

新編関連ではメルカッツを演じた石塚運昇さんの訃報も話題になりました。『メルカッツの後任は誰になるのか?』の議論では山路和弘さんを推しましたが、

 

踊るひつじさん「山路様は来年、色々と御忙しそうなんですよねぇ」

 

とのこと。他の誰でもない踊るひつじさん情報ですから、確度高そうだなぁ。

 

 

上野駅でひつじさんとお別れして、山手線で新宿の一次会会場へ。ここで早くも私のアンチ・ナビゲーションシステムが発動。早い話が迷子スキルです。駅構内や一次会会場への移動でモタついてしまいました。軒さんの御助力がなかったら、時間に間に合ったか妖しいところでした。猛省。会場のビル前でスナコさんと合流。今回は目印なしでの待ち合わせでしたが、無事に御会いすることが出来ました。

一次会の会場は『幕末個室龍馬の空 別邸』。江馬さんとスナコさんが初対面になるので、ここでも自己紹介を兼ねたネタを事前に御用意頂いておりました。ズバリ、

 

2021年大河ドラマガチ予想(≠希望題材)

 

『何となく来るんじゃあないかなぁ』というユルユル予想から、レジュメ持参のガチ予想までウェルカムとお伝えしておいたところ、

 

「レジュメ持ってきました」

「私も」

「私もです」

「自分のブログにあげようとしたら、文字数制限でUP出来ませんでした」

 

半数以上の方がガチレジュメ持参&結果的に主催の私が一番ユルユル予想という罠。何せ、私の予想ときたら、

 

与力「あっ、ハイ。多分ですけど加藤清正が来るんじゃあないかと。戦国は鉄板だし、前年の『麒麟がくる』とは少ししか被らないし……あと、八重ちゃんの時みたいに震災復興大河の企画が申請されていたとしたら、時期的に今くらいに認可おりそうな感じっぽい……あ、終わりです、スミマセン」

 

ガバガバッ……圧倒的ガバガバッ……!

 

ホント、すみません。生きててすみません。ちなみに御参加頂いた皆様の予想は以下の通りです。当日メモを取り、後日確認の御連絡も致しましたが、間違いがありましたら、御一報頂けると幸いです。

 

江馬さん……持統天皇、立花誾千代、大石りく(&四十七士の妻たち)、陸奥亮子。

三年連続男性主人公が来ているので、次は女性主人公との予想。誾千代視点でしたら、色々とマズそうな文禄の役もスルー出来そう。ちなみに大石りくは近年の大河の悪癖である『女性視点の~』という誰も喜ばない方向性にNHKが企画を振り切った場合とのネタ予想でした。会場では大ウケでしたが、皆、途中から笑顔を引き攣らせて本心から否定出来なかったのがちょっとしたホラー。マジで今のNHKはやりかねないんだよなぁ。

 

穂積さん……世阿弥・観阿弥。

呉座センセの『応仁の乱』で人気に火のついた室町時代が可能性高い。ただし、足利義満は色々とマズイらしいとの噂があるので、2020年東京五輪の開会式・閉会式の総合プランニングチームに名を連ねている野村萬斎氏絡みで、能楽師の視点から見た足利義満という切り口でいくのではないかとのことでした。世阿弥はヤマコーで義満は藤原竜也さん推し。藤原さんは『精霊の守り人』でガチクズ帝を演じているので、いけそうやん! 穂積さんの資料では女性視点や女性主人公やオリキャラやホームドラマが悪いのではなく、その扱い方が悪いことが問題との御指摘もありました。納得。

 

装鉄城さん……伊藤博文。

幕末大河は数多いが、一方で『獅子の時代』や『春の波濤』を除くと本格的な明治大河は意外と少ない。近年の大河ドラマの明治維新推し路線からして、最もオーソドックスに維新~明治を描くとしたら、俊輔が最も適しているのではないかとのことでした。ただし、俊輔の下半身ネタを何処まで描くかが最大のネックとも分析しておられました。よし、松方や西園寺の出番を増やして、視聴者の批判を分散しよう(名提案)。ちなみに次点としては伊能忠敬推し。

 

スナコさん……榎本武揚、北条政子。

幕末大河は二連続で討幕派サイドなので、佐幕派として、我らが総裁の登場があるのではないかとの予想。確かに幕末大河って基本的に倒幕視点なんですよね。慶喜は既にモッ君がやっているし……あと、榎本の場合は明治編をキッチリ作れるのも大きなアドバンテージだと思います。最近ラジオドラマでやったのも、ひょっとすると大河にする前の瀬踏みなのかも? 北条政子は『清盛』の続編的な視点を御希望でした。勿論、主演は杏さんとのこと。あれ、ハマリ過ぎだよなぁ。中盤以降の政治の鬼もキチンと演じられそうですし。あと、今回のオフ会参加者の中で何気にスナコさんが一番『西郷どん』への怒りをぶつけておられました。『丸会』で初めてお会いした時には勝手に温厚なイメージを抱いていましたので、凄く意外! 情熱的!

 

明石のタコさん……田沼意次。

全作の時代区分・主人公の性別・視聴経験の有無までを分析したレジュメ御持参。特に時代区分は大河ドラマが如何に戦国と幕末に偏っているかが一目瞭然でした。意外と平安中期以前が健闘しているんですね。田沼意次というチョイスは現代という時代の閉塞感を打破する観点、及び、上記の偏重した時代の空白を埋めるもの、そして、今年元日の『風雲児たち』は、そのためのパイロット版ではないかとの分析でした。

明石のタコさんは大河以外でも、私の内野聖陽さんには劉邦を演じて欲しいというツイッターの発言から、何と大河ドラマ『項羽と劉邦』のキャスティングも御用意下さいました! ありがとうございました! 張良・韓信・蕭何の三傑を始め、イメージ通りの面々の中でも会場で満場一致で指示されたのが浅利陽介さんの胡亥。流石は終身名誉金吾やでぇ。

 

軒しのぶさん……伊勢新九郎、伊能忠敬

呉座さんの『応仁の乱』&ゆうきまさみさんの『新九郎、奔る!』のヒットもあり、今、大河フリークの間で室町がアツイことを再認識させられた軒さんの新九郎推し。漫画とのタイアップ的大河となるとMUSASHIの悪夢が脳裏を過る方もおられるかも知れませんが、アレは色々な意味で異次元の作品でしたので、単純に比較するのはマチガイでしょう。そして、装鉄城さんと共に推された伊能忠敬! この題材は海岸沿いの都道府県は概ね大河観光特需に預かることが出来るというのも大きい。勿論、単に日本地図作成に留まらず、蘭学事始から蛮社の獄までミッチリやるべしとのこと。ホント、大河では一度、キチンと幕末前夜をやって貰わないとなぁ。

 

尚、穂積さんの他にもガチ予想ではなく、希望として足利義満を挙げる方が多かった。義満人気あるやん。人間的にはアレだけど。ちなみに江馬さんの大河予想のレジュメは御自身のブログで公開しておられるので、興味を抱いた方は是非、御覧下さい!

 

 

こちらが一次会の記念撮影です。装鉄城さん、御協力ありがとうございました。

 

スナコさんとお別れして、二次会会場へ。想定外のゲリラ豪雨の残り雨の中、向かった先は『丸会』の会場となった『戦国武勇伝』。こちらでは0次会会場で押さえていたネタバレ込みの銀英伝ネタがメインとなりました。いや、別に『イゼルローンフォートレス』がネタバレ会話禁止の店ではないのですが、もしも、臨席のお客さんがノイエ版のアニメまでしか見ていない場合、ネタバレ会話はイヤな思いをさせてしまいますので、心持ち自粛。その分、二次会の会場では、

 

『一人だけ生き返らせるとしたら誰がいい?』

 

とか結構なヤバ目のネタが主題になりました。印象に残ったのは穂積さんの『どうしても3人救いたいから、そのために誰を生き返らせればいいかを考える』という逆転の発想と、明石のタコさんの『生き返らせるかというのとは少し違うけれども、あのタイミングでフリードリヒ四世が死ななかったらどうなるかを考えると面白そう』という御意見。確かにフリードリヒ四世はあれより早く死んでも遅く死んでもラインハルトの覇業に支障を来したよなぁ。後世の歴史家がラインハルトやオーベルシュタインによる暗殺説・陰謀説を唱えても不思議じゃないレベルのバッドニュース&グッドタイミング。明石のタコさん、今回のメンツで銀英伝歴が誰よりも若いのに視点が凄くシャープ。

あとは穂積さんの『作戦名ラグナロックとか帝国軍のネーミングセンスの厨二臭さはどうにかならんのか?』との愚痴に対する、

 

「あれは作戦名をいちいち問い質したミュラーが悪い。多分、ラインハルトは作戦名なんて考えていなかったけれども、臣下に聞かれた以上、何か気の利いたことを言わなくてはいけないと慌てて答えたからああなった」

 

という江馬さんの説が最高にツボでした。0次会といい、二次会といい、穏健で誠実で有能な軍人という評価が一般的なミュラーの株がストップ安。少なくとも、私の中では天然系ド畜生キャラとしての印象が確定しました。他にも軒さんがお持ちになった『Fate』と銀英伝のクロスオーバー同人誌とか、ユリアン不人気の原因を探る(成功した姜維は魅力がない)とか、アンネローゼの配偶者に相応しいのは誰か(ビッテンとアッテンが有力)とか、キルヒアイスへの大公位追贈はある種の冥婚ではないかとか、色々と盛りあがりましたが、ここで読者の皆様は私が重大なことを忘れているのにお気づきであろうか?

 

そう! 私はまだホテルにチェックインしていなかったのである!

 

しかも、宿泊先は秋葉原という二次会の会場である新宿とは山手線のほぼほぼ反対側。思い出した瞬間にカクテル3杯分は醒めたね。慌ててホテルに連絡して、何とか本日中のチェックインに間に合わせるべく、今回のオフ会を御開きとさせて頂きました。本当に申し訳ございませんでした。しかも、駅への帰り道でもアンチ・ナビゲーションシステムが再起動。東口で飲んでいた筈なのに辿り着いたのは新宿西口……ホンマ、エェ加減にせぇよ、俺。ホテルにチェックインしてから、物凄い自己嫌悪に浸りつつ、一日目が終了。オフ会に御参加頂いた皆さま、改めてありがとうございました。そして、諸々の不手際をお許し下さいませ。

 

 

2.渋谷の中心でナビに叫ぶ

 

昨晩の諸々の失態に魘されながら目覚めた二日目の東京。それでも、

 

「駄目だ! 今さら過去を悔やんだところでどうしようもない! 新しい歴史を作ることは出来るが……歴史を変えることは不可能なんだ! 大切なのは過去を振り返ることじゃない、現在と未来だ! 今からできることをやろう!」

 

というもこっちの台詞で自らを奮い立たせて、向かった先は渋谷。与力と渋谷という我ながら何だかデタラメ過ぎて頭が混乱する組み合わせですが、目的地は此処。

 

 

昨年の下半期ベスト10の堂々二位にランキングした作品。最新刊のコミックスの帯に原画展がオフ会の当日から開催されていると知り、これはもう見に行くしかない。東京ではフェルメールにムンクにルーベンスにボナールという錚々たる面々の展覧会が開かれていましたが、これらは『ぶらぶら美術館』で放送すると思い(実際、帰宅した翌々日にフェルメール特集やってくれました)、こちら一本にスケジュールを絞り込みました。それでも、事前予約では当日の午後五時からの一時間の部しか空いていなかった……人気あるなぁ。

レイトプランでホテルを出たのは午後二時近く。腹もペコちゃんでしたが、特に食事も取らずにあちこちブラブラしながら3時半には渋谷駅に到着。上記のように原画展の予約時間は5時からですが、会場は渋谷駅から徒歩10分ということで、

 

与力「ヤーシブのカフェテラスで遅目のランチとかシャレオツでいいじゃあないか! クロワッサンにコーヒーのブランチなんて、まーハイカラやね!」

 

とか考えながら、まずは会場の位置を確認してから、食事処を探すことに。

 

~~~ 一時間後 ~~~

 

与力「助けて下さい……誰か助けて下さい!」(ヒートミーヲトージテーキーミーヲエガークヨー)

 

案の定、この日もアンチ・ナビゲーションシステムが作動。徒歩10分の会場に一時間経っても到達出来ず、食事どころか、自分が何処に居るのかも判らない状況に陥りました。いや、ちゃんとスマホのナビ通りに動こうとしたよ? したけども、

 

「20メートル先、地下へ降りるエレベーターに乗って下さい」

 

とか初期のペイズリー・パークみたいな、こっちの田舎に住んでいたら、絶対に聞かない案内がボロボロ出てきて、何だか判らないうちに完全に自分の位置を見失っていました。結果的に時間ギリッギリで会場に到着出来ましたけれども、正直、自分がどの道を通ったのか全然覚えていない。ちなみに帰りはスンナリと渋谷駅に戻れました。アンチ・ナビゲーションシステムが起動していないと普通に動けるんだよなぁ。

さて、原画展は写真撮影OKなので、諸々写メに収めてきましたが、これは是非、漫画を読んでから実際に足を運んで鑑賞して欲しい。この漫画は画で読ませる作品なので、単純に原画を眺めているだけでも楽しいですが、やはり、原稿に残る修正の跡の意味などはストーリーが頭に入っているといないとでは理解度が格段に違ってくるので。『漫勉』の悪影響でしょうか、私は何が描いてあるかよりも何を修正したのかが気になるのよね。白浜さんの場合は背景やポーズよりも表情の修正がメイン。ココのように目標がハッキリしているキャラクターよりも、アガットやタータといった悩みや鬱屈を抱えているキャラクターの修正が多かった。やはり、フクザツな心情のキャラクターの内面を描くのは難しいようです。それでも、修正自体が驚くほどに少ないのも確か。画だけで魅せられる希少な作家さんといえるでしょう。

それでも、敢えて一枚だけ挙げるとしたらこちら。

 

 

このコマ割りの連続性の凄さといったら……尚、お土産は本日もコースター。

 

 

前日のレムラーの悪夢を思うと、自分でキチンと選んで買えるのは本当に有難いですね。

 

これにて全行程終了。帰路の新幹線の御伴は、

 

 

前日、江馬さんがお持ちになっていた自立する新書こと『室町幕府全将軍・管領列伝』。これで『新九郎、奔る!』の登場人物の理解度も高まりそうです。

 

反省点ばかりを思い出してしまいますが、それでも、充実した二日間でした。改めまして、オフ会に御参加下さった皆様に篤く御礼申し上げます。

 

 

 

 

瞳をとじて瞳をとじて
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時代はずれ時代はずれ
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『西郷どん』第四十四話『士族たちの動乱』感想(サブタイ詐欺)

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オフ会が終わり、師走も近づいているということで、そろそろ、年末恒例の下半期ベスト10に取り掛かる時期。オフ会で穂積さんから御紹介頂いた『江戸は燃えているか』が、上半期ツートップの『風雲児たち』『よりもい』の牙城に迫る勢いです。物語の中盤、松岡君が羽織を宙に投げて着込むモーションで『平次って居残り左平次のオマージュキャラじゃね?』と思っていたところ、事実、三谷さんは『幕末太陽伝』を意識していたとのことでした。ラストシーンではなく、この場面で気づいた自分を褒めてやりたい。ただ、これを入れると三谷作品がトップ3の過半数を占めてしまうのが難点かなぁ。『新九郎、奔る!』や『SSSS. GRIDMAN』もあるし……書きたい作品が多過ぎて、記事をまとめられるか不安。

そして、もう一つの年末企画である大河総評も書きたいことが多過ぎて、年内にUP出来るか否か微妙なところを迎えております。勿論、こちらは悪い意味でね。いや、総評全体の構想は既に決まっているのですが、本作は毎週毎週必ず何かおやらかしあそばすので、放送の都度、書き足さねばならないことが増える一方なのよ。大抵の大河は残り一カ月を切れば、善かれ悪しかれクオリティに落ち着きが見えるものですが、本作は中身がスッカスカのクセに尻あがりに突っ込みどころが増えてゆくレアケースといえるでしょう。そんな今回のポイントは3つ。嗚呼、これでまた総評記事の分量が増えてゆく……ナイアガラ瀑布の崖の上に独りで立って、自分の帽子で落下してくる大濁流を必死で掬いあげようとしているW・C・デュラントのような気分だぜ(栄光なき天才たち感)

尚、肝心要の士族の叛乱の動機が全く描かれなかったことについては、録画実況開始前に、

 

 

で片づけられると予想していたので、特に衝撃はありません。許さんけどな。サブタイにまで掲げた不平士族の叛乱の原因の全てが新政府と大久保が悪いで済ませるとか、控え目にいって頭おかしいだろ。

 

 

1.ヘルシェイク西郷

 

別府晋介「オイたちは皆、先生に取り立てて頂いたとでございもす!」

篠原国幹「じゃっどん、そん先生を大久保は騙し討ちにして追い出した!」

辺見十郎太「先生はオイたちに、そん大久保の下で働けち申されるとでございもすか?」

桐野利秋「そげな政府は、また腐敗するに決まっちょりもす! 先生、東京に戻ってくいやんせ!」

 

西郷留守政権時代から既に汚職は発生していたのですが、それは。

 

井上や山縣が『よし、ワイらは許されたな』と胸を撫で下ろしているに違いない、残念な薩摩武士団による新政府dis。山城屋和助事件や尾去沢鉱山事件が発生した西郷留守政権が腐敗していなかったかのように語る本作スタッフのスルースキルの高さは、ある意味で尊敬に値します。先週の条公の留守政府は美しい国発言のように、本作の『直近の内容さえマトモに反映されない』構成は異常。第一部の篤姫プッシュ&第二部の愛加那プッシュを回収出来ない時点で、ロングスパンの伏線描写を期待するのは間違いと気づいていましたが、まさか、第四部限定でも矛盾する内容を平気で垂れ流すとは……スタッフは脳ミソに充分な伸びしろがあるか、顔面の精神的皮下脂肪が豊潤かのどちらかでしょう。特に今週は、

 

 

からの、

 

 

という半年単位の超ロングスパン伏線回収を見たばかりでしたので、余計に『西郷どん』のアラが目立ちました。まさか、あの台詞で感動出来る日が来ようとは……えみルーは貴い。

 

 

2.限界突破

 

木戸孝允「これを機に叛乱の火の手が一気に燃え広がる……そねなことも大いに考えられます。佐賀よりも警戒すべきは鹿児島じゃないんかな、大久保君?(キリッ

ナヨ久保利通「心配御無用、西郷が起つことは断じてない(ネチャア~

 

もう玉鉄が大久保でいいだろ。

 

如何見ても玉鉄のほうが遥かに大物の雰囲気あるわ。俳優に関するダメ出しは極力控えるのが当ブログの方針ですが、本作の大久保はミスキャストとか演技プランの是非とか演出の方針という以前に、純粋に大久保ファンに不快感を与える要素しかないので仕方ありません。チャカポンや慶喜や三郎や調所のように、本作で主人公ageのために不当にsageられた人物は何人もいますが、そちらに対しては『大変難しい役をキチンと演じておられる』という感想を普通に抱けるのよ。しかし、ナヨ久保にはそういう感想を全く抱くことが出来ない(岩公も結構OUTですね)のは、やはり、何かあるのでしょう。あのネッチャリとした薄ら笑い&台詞回しから、生涯の盟友と決別した大久保の苦悩を感じ取れというのはハードルが高過ぎます。百歩譲って悪く描くのは構わんが、下衆な小物に貶めるのは許さん。大久保といったら西郷の最高の盟友にして、最後の宿敵じゃあないですか。銀英伝でいうとキルヒアイスとヤンの双方を兼ねるキャラクターなのに、キルヒアイスの代わりにフレーゲル男爵がいて、ヤンのポジションにフォーク准将がいたら、誰でも怒るでしょう。そういうことだぞ。本作の所為で大久保贔屓の私が、この一年で大久保嫌いに転向してしまいましたよ。こんなことは『天地人』の偽善者かねたん以来でしょうか。勿論、史実と創作と俳優を混同するのは野暮の極みと存じていますが、感情は始末出来ない。まぁ、そこで西郷に行かずに三郎サイコーとなってしまうのが、我ながら、いい塩梅に捻くれているとは思いますが、それは兎も角、玉鉄の演技力や雰囲気を差し引いても、薩摩大河で長州のリーダーが大久保よりも優遇されるって、色々と異常事態だよね。基本的に本作は西郷に敵対する存在は徹底的に貶められるのがセオリーですが、唯一の例外が長州の桂。大久保でさえ逃れられなかったヒールターンを桂が免れ得た理由が奈辺にあるのか、実に興味深いです。

 

 

3.おっと会話が成り立たないアホがひとり登場

 

桐野利秋「オイたちは一生懸命考えもした! やっぱり、西郷先生しかおりもはん!」

 

イト(駄目だコイツ……早く何とかしないと……)

 

序盤、新政府を大量辞職してきた桐野たちに対してそうした事態を予測出来なかった旦那の責任を棚上げして、物凄く上から目線で説教を垂れた所為で、今回も順当に視聴者の株を落としたイトサァでしたが、この場面は流石にイトサァに同情してしまいました。何時までも宿ン主の尻を追いかけ回すのはやめろというイトサァの言葉を受けた桐野が、丸々一話かけて導き出した回答がこれ。

 

 

薩摩人同士なので薩摩弁だから通じないという幕末劇あるあるネタの筈もなく……この45分間は一体何であったのか。現実社会で同じような答え方をされたらブチギレる自信あるわ。そのうえ、

 

桐野利秋「銃や大砲には弾丸がいる。弾丸が尽きれば剣で戦うしかなか! 戦場で最期まで生き残るっとは剣の強き者じゃ!」

 

と思いっきり頭の悪い台詞と共に唐突に語られる人斬り半次郎伝説……今週の幻の味噌汁入りました。『るろ剣』的なライフルぶった斬るシーンとかいらないから、これまでの本編でキチンと人斬りらしいシーンを描いておけ。ハッキリいって、冒頭で触れた『江戸は燃えているか』の桐野(当時は半次郎)のほうが遥かにカッコよくて、可愛くて、頼りになったわ。西郷本人や西郷の周辺の人々が動くたびに、キチンと護衛(≒抜刀)に適したポジショニングをキープしているんだよ。コメディであれ、大河ドラマであれ、歴史を舞台にした物語を描くってそういうことだぞ。

 

 

 

 

 

『西郷どん』第四十五話『西郷立つ』愚痴(ネタバレ有)

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先日の『英雄たちの選択スペシャル』を見て改めて考えたのですが、結局のところ、西南戦争における西郷軍の敗因は、熊本城や田原坂の攻防云々以前に鹿児島を新政府の海軍にみすみす奪われたという一点に尽きます。本拠地を失い、物資や兵員の補給路を絶たれた遠征軍が如何なる苦境に陥るか、その典型事案が西南戦争といえるでしょう。西郷軍は養成であれ、強奪であれ、新政府軍の海軍力を凌ぐ戦力を保有し得るまで動くべきではなかった。

それで、ここがちょっと考えさせられる点なのですが、そもそも、幕末の動乱の原点は『日本は強大な海軍を保有する相手には何処からでも攻撃される』という黒船ショックに始まっています。『八重の桜』の序盤で奥田=ゴッドファーザー=象山が『日本のぐるりは海だ。全ての海岸に砲台を備えるのはナンセンス』と述べたように、どんなに陸の防備を固めていようとも、海から攻める側はアタックポイントを自在に選べる訳です。幕末は『何処からでも攻め込んでくる黒船を如何に撃退するか』という方法論に端を発して、様々な思想論や技術論や経済論、果ては政体論を経て倒幕論に至るのですが、その倒幕最大の元勲である西郷が、西南戦争では本拠地の鹿児島を敵の海軍に奪われるという黒船ショックの教訓を失念していたとしか思えない戦略ミスを犯す。革命の英雄が革命理論の大本となった教訓に足元を掬われるという構図は、古今東西の革命史の中でも特異な存在ではないかと思うのですが、これは西郷が薩英戦争時に遠島で鹿児島におらず、当時の海軍の存在意義を肌で感じる機会が少なかったことが原因かも知れません……とまぁ、頼まれもしないのにwikiコピペレベルの歴史語りをしてしまいましたが、少なくとも、歴史番組とは内容を見て自分なりの解釈や仮説や妄想や願望を考えたり語ったりする気になれるものだと思うのですね。その意味で、

 

本編を見ても何一つ歴史語りをしたいとは思えない『西郷どん』

 

は歴史番組の名に値しないのでないかと今更ながら愚考仕る次第でございます。今回の『廃刀令』とか『秩禄処分』とかも、

 

1 何故、そのような政策が打ち出されたのか

2 何故、その政策に反発する動きがあったのか

3 具体的に如何なる反応があったのか

4 結果的に歴史に如何なる影響を与えたのか

 

 

のどれ一つ取っても満足に描かれていないのですよ。いや、一つ二つ抜けるのはやむを得ないとしても、それらを殆どスルーしたうえ、単にナヨ久保による士族虐め&暴発を誘引する手段に矮小化しておきながら、西郷決起と聞くや、

 

ナヨ久保利通ウソダドンドコドーン!

 

とか慌てふためくとか、訳が判らねぇ。ナヨ久保の立ち位置ブレ過ぎだろ。本作はキャラクター造型が、

 

西郷……よい子

大久保……悪い子

イト……普通の子

桐野……馬鹿

 

みたいな『欽ドン』や『セイヤング』のネタレベルで留まっているのに、その単純化したキャラクターでさえ、思考回路が支離滅裂で、何を考えているのかサッパリ伝わらないという矛盾……成程! これが大西郷という矛盾の人の描写ですか! こののびしろ脳が! 大体、以前の感想記事で書いたように、西郷ageの絶好の機会であった庄内藩始末も完全スルーした挙句、今回のアバンで申し訳程度に、

 

伴兼之「西郷先生は敗れた庄内を寛大にお許し下さった」

 

という完全無欠の幻の味噌汁&『紀行』で補完したつもりになっているクソ舐めた態度、ホントクソ。丁寧に史実を拾っていけば、キチンと器量人として描けるのに、何故、それをスルーして、しょうもないホームドラマパートでいい人アピールを繰り返してしまうのか。

本作も@2回でオシマイですけれども、このままだと最終回拡大SPでもないかぎり、

 

日テレ版『田原坂』よりも西南戦争の尺が短い

 

という異常事態に陥りそうな予感がヒシヒシとします。尚、政治劇や合戦シーンを削ってまでゴリ押しした本作のホームドラマパート方面も、イトと菊次郎の継母・継子の確執をキチンと描いた『田原坂』のほうが上の模様。ホント、色々と終わっているな……何より、本作が一番終わっていると思ったのは、私のような筋金入りのクドカン作品食わず嫌い王暫定日本チャンプ(当社調べ)でさえ、先日放送された『いだてん』のメイキング番組見て『何かイケそうやん!』と期待を抱いてしまったことでしょう。大河ドラマというよりも朝ドラ系坂の上の雲みたいな、今まで見たことのない方向性に戸惑いつつも、ちょっと面白そうと思ってしまいました。メイキングの段階で脚本の善し悪しは判らないとはいえ、ストックホルムロケの本気度が尋常じゃあないのは感じ取れましたよ。まぁ、そんなことをいっても、

 

私が初期段階で『イケるんじゃね?』と思った大河は大抵コケる

 

というジンクスを外ならぬ『西郷どん』が立証してしまっているので、全く油断は出来ませんが。

 

 

 

 

 

 

 

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『西郷どん』第四十六話『西南戦争』感想(ネタバレ有)

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【悲報】田原坂の戦い、10分で終わる【知ってた】

 

 

尚、新政府側の対応や三郎無双のシーンを除くと、実質5分前後の模様。年末時代劇と比べても圧倒的に短い田原坂の戦いでした。よかった……連隊旗を奪われた乃木希典はいなかったんだね……。禁門の変の前に長州が都を逐われていた理由を完全スルーといい、主人公と敵対するキャラクターは幼馴染でも鬼畜外道に落とされる本作で、何故かsage描写なしで退場した木戸さんといい、そこはかとない長州への斟酌を読み取ってしまうのは、私の心が本作のナヨ久保並みにダークサイド堕ちしているからでしょう。

さて、深夜の録画実況にも拘わらず、ツッコミどころが多過ぎるためにTwitterの更新通知が追いつかない&鳴りやまないというネットツールの限界に挑戦する内容となった今週の『西郷どん』。ぶっちゃけると『八重の桜』の『西南戦争』を再放送したほうがマシに思えるレベル。第一部は兎も角、第二部は色々とアレな八重ちゃんのほうがマシって大変なことやと思うよ。今週も『西郷どん』総評の執筆が控えているので、軽目の感想。具体的な期日は未定ですが、放送終了から越年した挙句、一月近くもかかった『直虎』総評の悲劇は避けられそうです。その代わりに下半期ベスト10の記事がヤバいかも。上半期の第二位に選んだ『宇宙よりも遠い場所』が、何とニューヨーク・タイムズのベストTV 2018 インターナショナル部門に選出されたという今年一番の驚きのニュースもあるので、何とかキチンと記事にしたいのですが。今回のポイントは3つ。

 

 

1.犯罪係数300オーバーの戦い

 

西郷従道「兄が起ったのは間違いありません……しかし、何故起ったのか、理由は判りません」

 

何言ってんだコイツ(AA略

 

先週、廃刀令や秩禄処分を本来の目的も描かずに恰も士族を弾圧するための政策であるかのように強調しておきながら、それで薩摩士族が決起した途端、何で叛乱を起こしたのか判らないとか、コイツら、マジモンのバカかサイコパスだろ。一方的にボコボコに殴りかかっておきながら、相手が反撃した途端、何で抵抗するのか理解に苦しむとか、発想がフレーゲル男爵かライオス三等爵のそれ。

尤も、薩摩軍も万単位の兵を率いて熊本城に開城を迫っておきながら夜襲を仕掛けられた途端に被害者ヅラするとか、こっちもこっちでホームラン級のバカ揃い。結局、新政府側も薩摩軍側も、何故政策を押し通したのか&何故叛乱に至ったのかの過程が全く描けていないから、

 

バカとサイコパスが田原坂で出会い頭にごっつんこ

 

したようにしか見えないのですよね。こんな交通事故みたいな田原坂の戦いは嫌だ。

 

 

2.西郷「や、山縣ちゃん、田原坂攻めないで!」山縣「うるさいですね……」

 

西郷「あ、あぁ~ッ!」チャンチャンバラバラチャンチャンバラバラ(抜刀隊突撃の音)

 

山縣「はい、今回の田原坂は終わり。お疲れさまでした」

 

西郷「うぅ……あ、ありがとうございもした……」

 

数週間前、想定外の士族決起を果たしたが、熊本城なんぞ、この青竹でひと叩きごわすという桐野の方針もあり、その結果、戦略的に意味のない熊本城を全軍で包囲するようになった。しかし、チンダイの谷干城は何だか薩摩軍がキライみたいで、天守や城下町に自ら火を放って、住民アツイアツイなのだった(以下略

 

改編の途中で完成を諦めたごちうさコピペレべルのことしか描かれなかった本作の田原坂の戦い。誰か続きを書いてくれたら嬉しいです。抜刀隊というとうっかり官兵衛さんや悪即斬さんが有名ですが、その多くが薩摩士族で構成されていたことは『英雄たちの選択SP』で紹介されていました……というか、そこに至る事情を本編でしっかれやれ&紀行やSP番組で補完した気になるな定期。まぁ、今更唐突にうっかり官兵衛さん出しても新たなる幻の味噌汁の具になるだけですけれどもねぇ……ちなみにうっかり官兵衛さんは人望『は』高かったようで『会津の西郷隆盛』との異名がありました。多分、本人は嬉しくない。

 

 

3.アジア的偉大なる優しさおじさん

 

村人女性「薩摩の西郷様っちゅう方は、それは偉い御方だと聞いちょります」

 

どう偉いのか論理的に描け定期。

 

本作の欠点が露骨に出た当該シーン。徴兵令の時もそうでしたが、何か西郷の政治的・軍事的に不味いことがあると、実在したかどうか疑わしいオリジナル庶民を出して、主人公を賛美させることでしか、主人公の魅力を描けない&それも出来ない時には西郷の敵対する者を極悪人にするしかないという、致命的な引き出しの少なさ。このため、どんなに作中のキャラクターが西郷様は素晴らしい御方と熱弁を奮っても、その具体的なよさが全く伝わらないので、視聴者は独裁国家のマスゲームを見ている時に似た薄気味悪さしか覚えないのですよ。意図的に大久保を貶める一方で西郷をも貶める。うーん、この誰も得をしない逆win-win仕様。

今週のラストシーンで、

 

西郷イト「私の望みは一つだけ……旦那サァが西郷隆盛じゃなかったら、どんなによかったか……」

 

と感歎しておりましたが、視聴者的には、

 

視聴者「我等の望みは一つだけ……今年の大河が『西郷どん』じゃなかったら、どんなによかったか……」

 

と思わざるを得ません。最終回は一時間SPらしいですが、今更、尺を15分延ばしたところで視聴者的には拷問の時間が長引くだけという以上の結果にはならないと思います。

 

 

 

 

 

 

『西郷どん』総評 ~ワンモア『田原坂』・ワンモア『翔ぶが如く』~

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冒頭から総評とは全く関係ない話で恐縮ですが、本作の第二部を『ナディア』に擬えて島編と呼び始めたのは私が最初ではないかと思うのですが、どうでしょう? え? そもそも島編と呼んでいたのは私だけ? そらそうか。

さて、毎年恒例の大河ドラマ総評記事ですが、今年は、

 

『江~姫たちの戦国~』総評

『軍師官兵衛』総評

『花燃ゆ』総評

 

こちらをお読みのうえ、固有名詞を『西郷どん』仕様にテキトーに脳内変換して頂けたら、いいたいことの六割七分くらいは伝わるんじゃあないかと思いますので、これにて終了!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、やっぱり、ダメ? うーん、いいアイデアと思ったんですけどねぇ……ぶっちゃけると似たような内容のダメ出し長文を書くのはキツイのよ。『平清盛』や『直虎』のように、それなりのオリジナリティを出してくれると駄目出しでも書き甲斐があるのですが、同じ過ちを何度も何度も繰り返されると、それを批評するためにタダでさえ貧弱な私の語彙が更にカツカツになる自己嫌悪に陥って、作品のクオリティも相俟って、どんどんやる気が削がれていくという、まさに負のスパイラル。同じ主人公マンセー路線で何回しくじれば気が済むねん。まぁ、@数日で鬼が笑わなくなるとはいえ、心置きなく来年の大河に集中するためにも、上記のリンク先では伝えきれない残りの三割三分をお届けするべく、今年の大河ドラマを総括することに致します。宜しくお願い申しあげます。え? 最終回の感想? ねーよそんなもん!

 

 

さて、今年も何から語るべきか頭を悩ませましたが、ここは困った時のキャラクターランキングから入りましょう。勿論、ベストではなく、ワーストのほう。尤も、後述するようにキャスティング自体は近年稀に見るハイレベルな選出であったうえ、俳優さんの熱演も相俟って、作品のクオリティの割に嫌いなキャラクターは意外と少なかった。その意味で以下に述べる三名は本作の欠点を凝縮した存在といえるかも知れません。それでは、

 

『西郷どん』キャラクターワースト3

 

を発表致します。ランキングは順不同で以下の通り。

 

 

キャラクターワースト3 一人目……フキ

 

まずは『西郷どん』視聴者にとってのワーストキャラクターの最大公約数的存在と思われるフキちゃんが順当にランクイン。選出理由は二つ。一つ目は登場しなくてもストーリーの展開に何も影響しないキャラクターであったこと。こんな架空のキャラクターに費やす尺があったら、他に描くべきことが幾らでも存在した筈である。もう一つは無駄に尺を費やしてまで描かれたフキちゃんの言動が、ピンポイントで視聴者の不快感を刺激したこと。自分を苦界から救った慶喜よりも、自分を苦界に沈めた側に属していた西郷への盲目的な狂信ぶり。慶喜の側女でありながら、幕府の内情(それも伝聞に基づく不確定な憶測)を西郷に垂れ流す卑劣な背信行為。そして、その結果、西郷に『慶喜は異国に国土を売り払おうとしている売国奴』という勘違いを植えつけて、戊辰戦争の火蓋を切ったことへの自覚の欠如。極めつきは大政奉還で幕府の失政の責任を取り、鳥羽伏見で錦旗に逆らうことなく部下を置き去りにして大阪城から撤退して、戦意がないことを示している慶喜に対して、

 

フキ「謝ればいいではありませんか? あの方は心根のお優しい方です! 貴方が心から悔い改め謝れば、必ず許して下さいます!」

 

と具体的に何を謝ればいいかも説明せず(実際、作中の慶喜には西郷に謝らなければならないことは何一つしていないので、説明出来ないのは当然なのだが)、立場を弁えずに前将軍へ謝罪をゴリ押しする増上慢ぶり。うぬは何様だ。そして誰の女だ。『上様が朝敵になろうとも、妾は何処までも御伴致します』くらいの台詞を言ってみやがれ。

上記のように『本作はクオリティの割に嫌いなキャラクターは少なかった』と述べたが、例外は女性キャラクター全般。フキちゃんにかぎらず、本作の女性陣は御由羅を除くと薄気味悪いほどに西郷LOVE女しかいなかった所為で(嫌いとまではいかないまでも)誰一人好きになれなかったことも特筆しておきたい。大久保の内縁の妻もそう。嫁が息子と一緒に旦那の友人と聞こえよがしにキャッキャウフフするとか、NTR属性でもないかぎり、亭主の精神歪むに決まっているだろ。直後に大久保が大した理由もなく、唐突に悪堕ちするのだが、恐らく原因はそれだと思う。

 

 

キャラクターワースト3 二人目……桂小五郎(木戸孝允)

 

当ブログを御愛読頂いている方々の殆どがお前は何をいっているんだとお思いになったに違いない、二人目のワーストキャラクター。勿論、玉山鉄二さんには何の不満もありません、念のため。玉鉄は『八重の桜』で山川を演じた記憶も新しく、当初は佐幕派から討幕派へのジョブチェンジに違和感を覚えるのではないかとの懸念も抱いたが、終わってみれば、今世紀の大河ドラマでもトップクラスの桂となった。桂と木戸。この『同一人物でありながら微妙にイメージの異なるキャラクター』を大河で違和感なく演じた俳優はケーナさん以来ではあるまいか。

しかし、否、そうであるからこそ、本作以外のもっとキチンとした幕末大河で玉鉄が演じる桂を見たかったとの思いを抱いてしまう。大河ドラマにかぎらず、同じ俳優が同じ役柄を演じるケースは決して多くないことを考えると、本作はキャスティングが完璧であればあるほどに絶望感を覚える作品であった。鈴木さんの西郷を筆頭にエンケンさんの勝や松田翔太さんのラストタイクーン、ナベケン斉彬に青木三郎といった神キャスティングを、斯くも無残な脚本で消費してしまった本作の罪は極めて重い。それを最も判りやすい形で御伝えするため、敢えて挙げた次第である。

更につけ加えると、本作の桂は『西郷どん』では珍しく、言動にブレや矛盾が少ないマトモなキャラクターであったことも逆に違和感を覚えた。勿論、玉鉄の演技力や存在感が第一義であるが、西郷大河で大久保よりも桂が優遇されるのは異常でもある。禁門の変に際して、長州が御所を逐われていた理由を描かなかった件を筆頭に、主人公と敵対する人物をとことん下衆く描くことに定評のある本作にしては不自然なほどに長州sage描写が少なかったことについて、一部の視聴者が特定の勢力に対する斟酌と受け取ったのもやむを得ない仕儀であろう。私自身は上記の推測には同意しかねるが、作品のクオリティが低い所為で痛くもない腹を探られたのも確かなので、弁護や反論は差し控えたい。

 

 

キャラクターワースト3 三人目……大久保利通

 

ワーストキャラクターの項目で書くのも矛盾しているが、大河ドラマのメインキャストは意外とミスキャストが少ない。まず、大河ドラマというネームバリューゆえの事前審査の厳しさ。次に一年スパンに渡って視聴者に見て貰う分、ミスキャストの場合のダメージの大きさを慮るのか、選出には思いきりのよさよりも手堅さが求められること。そして、新人が抜擢された場合でも、長期に渡って同じ役を演じるため、俳優も視聴者もキャラクターに入り込む時間的猶予があること。その他諸々の理由から、序盤は違和感を抱くキャスティングでも、最終回近くでは見慣れてしまうケースが殆どである。

それにも拘わらず、本作の大久保は初登場から退場に至る全ての場面で違和感しか覚えなかった。江口信長や東出玄瑞やシンゴママ勇をも凌駕するレベルのミスキャスト。個人的にはデーブ・スペクターが織田信長を演じるくらいのムリ筋。殊に明治編以降の、

 

粘着性の高い下卑た含み笑い

 

は内臓にサブイボが立つレベルの生理的嫌悪感すら抱いた。大久保は悪く描いてもいい。恐ろしく演じてもいい。俗物設定や西郷へのヤンデレ気質も大いに結構。しかし、下衆な負け犬じみた描写や芝居は断じて認められない。

俳優は監督や演出の意向を尊重しなければならない。それは承知しているが、同じように本作で西郷ageのために徒に貶められたチャカポンや御由羅や三郎やヒー様や会津中将や江藤の中の人には素直に労いの気持ちを抱けたことに比べると、そうした感情を毛の先程も感じることが出来なかった本作の大久保には、やはり、キャスティングに致命的な欠点があったと思わざるを得ない。つけ加えると本作では中の人が嘗て演じた小松帯刀が登場して、しかも、今回のほうが(圧倒的に出番が少ないにも拘わらず)作中の扱いといい、俳優の存在感といい、遥かに『篤姫』のナヨゴローを凌駕していたのも減点材料となった。自分でサラッと書いておいて何だけど、大河で『篤姫』以下って大変なことやと思うよ。これは教育やろうなぁ……。

 

 

以上が『西郷どん』キャラクターワースト3です(次点は岩公&桐野)。この三名を除くと……といっても、逆説的な意味でランキングした桂も含めて、純粋にキャスティング面では『真田丸』にも匹敵する神憑り的な大河ドラマであったと思います。逆にいうとこれほどの魅力的なキャスティングを以てしても駄作と化したところに、本作の救い難さがあるといえるかも知れません。毎年恒例の採点は10点。脚本と演出でマイナス200点。キャスティングで210点。ただしナヨ久保、テメーはダメだ。

 

 

では、具体的に何がいけなかったのか? うーん、これは悩むなぁ。いや、欠点が見つからないのではなく、逆に、

 

 

と玉鉄のツッコミを喰らいそうなレベルに沢山あり過ぎて、いちいち解説していたら容量オーバーで記事をUP出来なさそうなのですよ。それこそ、冒頭で記したように『江』や『軍師官兵衛』や『花燃ゆ』の総評の固有名詞を脳内変換して頂くのが、最も判りやすいのではないかと思います。一例を挙げると『サスガカンベージャ!』⇒『サスガセゴドンジャ!』や『タイヘーノヨノタメ!』⇒『タミノタメノクニヅクリ!』とかね。

それでも、パッと思いついたツッコミどころを箇条書きにしてみると、

 

・必要最低限の歴史描写がない。

・その代わりに挿入されたホームドラマが絶望的につまらない。

・意味もなく何度もブチ込まれる謎のウナギノルマ。

・土俵や温泉などの何処に需要があるか判らない謎のセット推し。

・大切なことはすべて『紀行』が教えてくれた。

・幕末大河のメインテーマが『好きな者同士が結婚できる世になったらいい』。

・四部のナレーションが菊次郎視点と脚本家視点の間でブレブレ。

・第一部の篤姫プッシュをロングスパンで回収出来ない。

・第二部の島編プッシュをロングスパンで回収出来ない。

・第三部の龍馬プッシュをロングスパンで回収出来ない。

・第四部の菊次郎プッシュをショートスパンでも回収出来ない。

・主人公が寺田屋事件直後に愛加那とイチャラブ南国バケーションを満喫。

・主人公が善悪を超越して穢れを生まずにいられる稀有な存在。さすロゼ。

・主人公が弟のツケを支払うだけでモテモテ。尚、支払いの出所は奄美黒糖地獄。

・主人公が戦災に見舞われた民の横で犬の生存に満腔の笑みを浮かべるサイコパス。

・主人公がよりにもよってあの慶喜に『お前は何を言っているんだ?』と問われる。

・主人公の説得コマンドが土下座と戦争の二種類しかないクソゲー仕様。

・敵も味方もド低能腐れ脳ミソで、何かというと『腹を割って話そう!』。

・幕末薩摩大河で薩英戦争完全スルー。

・特番で歴史監修担当者がこれまでの西郷どんはタダのいい人とぶっちゃける。

・信用出来るかどうか判らない政治犯をアポなしで政権VIPに会わせる。

・何時の間にか長州が京を追われている⇒その説明を完全スルー。

・西郷「幕府は既に腐りきっている」⇒その説明も完全スルー。

・西郷「誰も幕府のいうことを聞かない」⇒その説明も完全スルー。

・全ての説明をスルーされたのに何故か納得してしまうパークス。

慶喜が生きていたら民が苦しむ。だからまずは江戸市中に火をかけろ。

・戊辰戦争の直接の動機は慶喜に対する主人公の早とちりと勘違い。

・西郷「民を蔑ろにする政治では国は立ち行かない!」⇒つ『奄美黒糖地獄』

・西郷「日本国の行く末を担う者の生命を多く救いたい!」⇒戦やめろよ。

・薩摩隼人のBLを描くといったな。あれは嘘だ。

・赤報隊のエピソードをやるといったな。あれも嘘だ。

・西郷と篤姫の絆が江戸無血開城に繋がるといったな。あれも嘘だ。

・林家正蔵六、特に見せ場もないのに登場&退場。

・男・勝海舟、上野に西郷の銅像が立つと予言。

・第四部になっても桐野と村田と川路の見分けがつかない。

・西郷頼母の妹と恋仲になった土方が自害の場に駆けつけて『ジュテーム』って絶叫。

・また髪の話してる……(AA略)

・条公「留守政府は美しい国!」⇒つ『山城屋事件&尾去沢銅山事件』

・『西郷先生は敗れた庄内を寛大にお許し下さった』等の幻の味噌汁の大盤振る舞い。

・薩摩言葉の方言指導の俳優さんに佐賀の江藤を演じさせる謎采配。

・イケボのチベスナに殆ど台詞を喋らせない。

・士族を追い込む政策 ⇒ 西郷決起 ⇒ 新政府「何で西郷は叛乱を起こした?」

・万単位の兵で城を囲む ⇒ 守備側の夜襲 ⇒ 西郷軍「汚いな流石クソチン汚い」

・一年スパンの大河ドラマで田原坂の戦いが正味5分。

・紀尾井坂の変に希望に溢れたBGMを被せる(主人公の盟友が死んでんねんで?)

 

うーん、この三軍まで打線組めそうなラインナップ。

 

正直、これでも書き足りないくらいで、一つ一つの項目に解説を加えていたら、年を越えてしまうのが確定的に明らかなので、やはり、過去記事を踏まえて脳内変換して頂けたらと思います。それと一つだけ別作品の感想が混ざっているけれども、まぁ、そんなに大した問題じゃないよね、うん。

寸評をつけ加えると幕末男性主人公史上最悪大河ということでしょうか。

戦国男性主人公史上最悪大河が『天地人』。

戦国女性主人公史上最悪大河が『江』。

幕末女性主人公史上最悪大河が『花燃ゆ』。

そして、幕末男性主人公史上最悪大河が『西郷どん』。

これで戦国・幕末&男性・女性主人公の最悪大河四天王が揃ったことになります。これ以上、クソ大河を増やすのはやめて欲しいですが、四天王なのに五人いるのは鉄板ネタなので、制作陣が現在の姿勢を改めないかぎりは五人目の四天王が登場するのも遠い未来の話ではないでしょう。やんなるね。

 

尤も、本作に同情の余地が全くないかといわれると、必ずしもなきにしもあらずやといえなくもない気がしないでもない……と奥歯にチシャの葉が挟まったような表現になりますが、全くのゼロではないと思います。具体的にいうと、

 

題材に恵まれなかった

 

ことでしょう。『西郷どん』は同じ近年の幕末大河と比較すると『八重の桜』よりも描きにくい題材であったと考えます。西郷隆盛よりも新島八重のほうが恵まれた題材とか馬鹿にターボがかかってきたのかとお思いかも知れませんが、もう少しお付き合い下さい。

まずは西郷という人物の難しさ。これは以前の感想記事でも述べたように、西郷の『ネームバリューと反比例する判りにくさ』が原因です。政略、軍略、智謀、外交、見識、武勇、実務、ストレス耐性といった数値化可能なパラメータでは同時代人で西郷よりも優れていた人物は数多存在しました。西郷は何か突出した才幹で歴史に名を遺した人物ではない。しかしながら、それでも、維新最大の元勲は誰かとの問いには大久保でも木戸でも龍馬でもなく、万人が西郷の名を挙げるでしょう。それほどに西郷は判りにくい。あの司馬さんでさえ、研究に研究を重ねて、長編十巻にも及ぶ作品を書きあげたうえで、

 

「これもう(実際に会ってみないと)わかんねぇな」

 

と結論づけたほどですから、西郷は日本史上最も難解な題材といえます。日本史で西郷に並ぶ人気者というと義経、三英傑、竜馬が挙げられると思いますが、西郷を主人公にしたTVドラマは彼らに比べると圧倒的に少ないことも、その傍証でしょう。本作への批判の一つに『西郷隆盛という恵まれた題材で、この程度の物語しか描けないのか』との意見を目にしたことがありますが、その意見に私は与しません。

次に主人公サイドの政治劇・謀略劇を描いた大河ドラマが近年にはなかったこと。少なくとも、二〇一〇年代の作品で政治劇・謀略劇をメインに据えた作品は皆無です。『真田丸』も策謀シーンの多くはスズムシのC調キャラに基づいたコメディに昇華するケースが殆どでした。また、同じ幕末劇の『八重の桜』は一生懸命誠心誠意を尽くして頑張ったけれどもダメでした……というか、主人公サイドが謀略を好まなかったから、アレな結末を迎えてしまったという主張の作品なので、会津サイドの政治劇・謀略劇を掘り下げなくても何とかなる題材でした。しかし、西郷が主人公の物語はそうはいかない。何せ、明治維新という生き馬の目を抉る世界の勝利者ですから、政治劇・謀略劇をメインに描かないといけない。でも、それをキチンと描く『基礎体力』が現在の大河にあるか、描けたとしても視聴者にウケるかのデータが十年来存在しないので、そこに踏み込むのを躊躇ったとしても、その責任を本作にのみ負わせるのは酷ではないかと思います。これが八重ちゃんよりも西郷のほうが現在の大河に向かない最大の理由です。

そして、一定の視聴者層の反感や敵意や敬遠。私自身、穏健的佐幕論と段階的解幕論の間で首鼠両端している人間なので、幕府サイドの理屈で物語を眺めてしまう傾向があるのですが、本作に関しては、ネットを中心に私よりも遥かに熱烈な佐幕愛に基づいて本作を語る方が結構おられました。また、私の友人にも、

 

「幕末ものは現代と地続き感が残る生臭い時代だから『西郷どん』は見ません」

 

という方が幾人もおられたように、幕末劇は常に一定の視聴者層に敬遠される、或いはイデオロギー論に発展しかねない、そういう事情は汲むべきではないかと思います。

 

まぁ、そういう事情があったとしても、私は、

 

 

松平定敬「この匂いは!」

松平容保「おお、待っておったぞ!」
板倉勝静「上様、ウナギが参りました!」

 

 

会津中将に下衆なウナギノルマを課した本作を永遠に許さないと固く心に誓っていますけれどもね。

 

会津を下衆に描いたことが許せないのではありません。何の論拠も必然性もなく、主人公ageのために敵対陣営をsageるのがダメなのです。『西郷が主人公のドラマだから、会津がワリを食うのは仕方ない』という理屈は成立しません。『八重の桜』はモニカ西郷といい、ミッチー小五郎といい、コータロー慶喜といい、会津とは立場は異なれども、否、異なるからこそ、魅力的な存在として描かれていたじゃあないですか。討幕派と佐幕派、立場が真逆なだけで同じ時代の物語で同じことが出来ない訳がない。でも、地獄の使者はやり過ぎ。

これは昨年の『おんな城主直虎』も同様です。井伊直虎は資料や知名度の点で、西郷とは別のベクトルで難易度の高い題材であり、脚本家が大河初登板という点でも今年と共通していました。昨年の総評でも述べたように『直虎』は必ずしも万人受けしたとは言い難い作品でしたが、それでも、頭から批判する記事にならなかったのは、主人公がロクでもないことを企んだ際にはしっぺ返しを食らい、作中大正義の小野但馬を死に追いやった眉毛にさえ、彼なりの道理があることを描いていたからです。少なくとも、主人公をイイコイイコするために敵対者を下衆に描いてオシマイという安直な作劇とは無縁でした。でも、ヒロインの槍ドンはやり過ぎ。

それに引き換え、本作は登場人物の多く(特に女性キャラクター)が何の取り柄もない主人公を然したる理由もなくチヤホヤチヤホヤと褒めまくり、主人公の予言者じみた未来視点の発言に敵対する人間を徹底して貶めたうえ、それでも、史実的に絶対に『いい人』フォロー出来ない場面(徴兵令とか西南戦争とか)では、実在したかどうかも疑わしい庶民キャラクターを登場させて、強引に主人公を賛美させるテイタラク。勿論、この主人公賛美は具体的な中身が全く伴っていないので、口では『民のため! 新しい日本のため!』といいながら、民の生活を踏み躙り、国を危うくする戦を引き起こす筋金入りのサイコパス主人公を、オリジナル庶民キャラクターが『西郷様は素晴らしい御方!』と絶賛する様は、恰も某国のマスゲームに似た薄気味悪さがありました。こうした主人公無双型・全肯定型の大河ドラマをスィーツ大河と称しますが、今までの『篤姫』や『天地人』や『江』や『軍師官兵衛』や『花燃ゆ』と異なり、主人公が近代の、それも、革命政権で事実上の首班を務めた人物で同様の作劇をすると、スィーツどころか恐ろしく生臭くなることが判りました。判りたくもありませんでしたが。

この際なので、ハッキリと宣言しておきましょう。

 

俺は日曜夜八時にカルト教団のPVや全体主義国家のプロパガンダ映像を見たい訳じゃあねぇんだよ。

 

先述のように幕末劇は常に一定の視聴者層に敬遠される、或いはイデオロギー論に発展しかねない事情があります。ハッキリいって難しい題材です。しかし、否、そうであるからこそ、骨太で精緻な政治劇・謀略劇で視聴者を説得・魅了する自信がないのであれば、せめて、登場人物の描写には公正を志すべきでした(『八重の桜』のようにね)。図らずも、ヒー様の中の人が『この時代は全員が正しいからこそ面白い』と語っておられたように、様々な思想や理念がぶつかりあうことが幕末の魅力です。そして、同じ人物や組織も状況に応じて、思想や政策が目まぐるしく変容する時代です。それなのに、本作の製作陣には視聴者を納得させ得る政治劇・謀略劇を描く能力がないばかりか個々の思想や政策の違いや変遷が描けていないうえ、更に題材に対する公正なスタンスを取る気もなかったため、その場その場で主人公が何を考えて行動しているか判らず、ヒー様やナヨ久保といった主人公の盟友として登場した人物も、史実で主人公と対立する段になるや、唐突に敵に回ったように見えてしまった。そして、主人公を絶対正義として扱うから、必然的に敵に回ったキャラクターは下衆な悪役と化したうえ、主人公は主人公で内実を伴わないのに支持率ばかりが異常に高い薄気味の悪い政治指導者になってしまった。本来の幕末劇で描くべきことを描かず、毎回毎回ダラダラと退屈なホームドラマパートやウナギノルマといった描かざるべきことを描いてきた結果、終盤の西南戦争が双方の陣営が何を考えて、何故戦っているかが全く伝わらないという視聴者的バッドエンドに至ったのは理の当然というべきでしょう。

終盤のハイスパット展開に関しては、NHKの『働き方改革』による話数の削減(50⇒47話に変更)報道や、西南戦争に五話は使いたいという脚本家と何とか一話に収めてくれという制作者の話し合いの結果、二話分の尺となった影響という噂もありましたが、仮に通常の放送枠が確保出来たとしても、

 

「その三話があったところでおめぇに何が出来るんだよ!」

 

というのが率直な感想です。退屈なホームドラマパートやウナギノルマ(大事なことなので二回書きました)を削っていけば、必要最低限の尺は確保出来た&その時間で必要な歴史描写を盛り込むことが出来たのに、それをやらずにギリギリになって時間が足りなかったとか八月三十一日に夏休みの宿題が多過ぎると泣きを入れるビューティーさん以外のスマイルプリキュア勢と何が違うのでしょうか。喩え@三話あったところで、退屈なホームドラマパートやウナギノルマ(大事なことなので三回書きました)に費やされたであろうことは間違いありません。

 

随分と話が縒れましたが、要するに今年の大河ドラマがアレになった理由は、

 

① 明治維新150周年とかいう安直な理由で、身の程知らずにも日本史上、最も難解な題材に手を出した

② 幕末の思想や政策の要素を排した結果、何と『八重の桜』の総集編よりも薩摩の動静が判らなくなった

③ 内外の諸要因から来るスケジュール管理の甘さで内容がぷるんぷるんして万策尽きた

 

ということではないかと思います。我ながら、この結論はやっつけ仕事感が半端ないですが、本編自体がやっつけ仕事なのですから、評論もやっつけ仕事になるのも仕方ないということにしておいて頂けると幸いです。

 

 

最後にキャラクターランキングと共に毎年の恒例となった今年の大河ドラマを食べ物に喩える企画で〆るとしましょう。尤も、これに関しては本作の謎のウナギノルマを踏まえて、ウナギをキーワードにすることを早期に想定していたので、かなり楽に決まりました。扱いの難しさ。高い人気と深い味わい。そして、隠し持つ毒気。ウナギという食材は何気に西郷隆盛に通じるものがあるのも確かですからね。毎回ゴリ押し気味に挿入された本作のウナギノルマも、或いは西郷のメタファーのつもりであったのかも知れません。全然本編で活かせていませんでしたが。最初は最高級・最難関の食材であるウナギを歴史劇に不慣れな料理人が雑に扱っているため、

 

 

このシーンを踏まえて未熟な職人が都市ガスで焼いた作り置きのウナギの蒲焼大河とか考えていましたが、単純に名前が長過ぎるのでボツ。幻の味噌汁が乱発された後半の展開から幻のウナギの味噌汁大河というのも思いついたものの、これは字ヅラだけ見ると普通に美味しそうなので、却下。生臭さという点で某メシマズキングダムが誇るウナギのゼリー寄せ大河も候補に挙がりましたが、流石に他所様の国の料理を『西郷どん』の比喩に用いるのは失礼と思い、これも断念。斯くて最終的に選んだのは題材といい、キャスティングといい、セットといい、南国ロケといい、見た目(だけ)は非の打ちどころがない作品である点を考慮して、

 

ウナギの蒲焼の食品サンプル大河

 

です。唯一にして、最大の欠点は……その先は言う必要ないですよね?(某人事担当風)

 

これにて『西郷どん』の総評は終了! 毎年凝りもせずに同じ言葉を繰り返している自覚はありますが、今年が一番キツかった! 昨年よりも書きたいこと(主に批判)は多かったのですが、流石に二年連続で総評記事を越年出来ないというプレッシャーがあった分、精神的には厳しかったかも。自分なりの『ここがヘンだよ西郷どん』という箇所を絞り込むことが出来なかったのも敗因かなぁ。

 

さて、来年の大河ドラマ『いだてん』ですが……これはホント、現時点では全く想像がつかないです。生来のクドカン作品食わず嫌い王に加えて、時代的にも題材的にも今までの大河ドラマの中で比較可能な材料が皆無なので、どう転がるか見当もつかない。メイキング番組を見るかぎりは『朝ドラ風坂の上の雲』というイメージですが、私は朝ドラ見ない人間ですからねぇ。それでも、敢えて! 敢えて私的大河ドラマの経験値で一番近い心境を挙げるとしたら、

 

上杉謙信役にGAKCTが抜擢

 

のニュースを聞いた時かなぁ。聞いた瞬間に『これは当たれば逆転満塁サヨナラ場外ホームランになるけれども、九分九厘アカンやろうなぁ』という感じ。まぁ、ガックン謙信は大当たりしたので、是非『いだてん』も私の予想を覆して欲しいと切に願います。

 

 

 

 

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『~literacy Bar~』特選・2018年ベスト5+α(ネタバレ有)

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今年、管理人が触れた書籍、漫画、アニメ、映画、ドラマ、ゲーム、バラエティ、ドキュメンタリーなどからベスト5を選ぶ年末恒例企画。今回は6月に選出した上半期ベスト5を踏まえた2018年完全版である。第7位~10位は以下の通り。

 

第10位『SAOオルタナティブ ガンゲイル・オンライン』(TVアニメ・上半期第4位)

 

第9位『アンナチュラル』(TVドラマ)

 

第8位『宝塚版ルパン三世~王妃の首飾りを追え!~』(舞台・上半期第3位)

 

第7位『色づく世界の明日から』(TVアニメ)

 

 

余談ながら、今年は音楽方面でも収穫の多い一年であった。特に、

 

『Isle Of Hope, Isle Of Tears』(Celtic Woman ver.)

『クラスノ・ソンツェ』(Origa)

『17才』(ハルカトミユキ)

『花鳥風月』(Aimer)

『満天』(Kalafina)

 

この5作品は軽く見積もっても私的全音楽ランキングのベスト200は固い。ちなみに『17才』は第7位の『色づく世界の明日から』のEDでもある。こーゆー素直な曲に年甲斐もなく、心揺さぶられてしまったのは私の心が若いのか、それとも、単に子供っぽいのか。心は何時も十五歳の管理人がお届けする2018年ベスト5記事。

第5位は同率で二作品がランクイン。

 

第5位① 『ファイヤープロレスリングワールド』(ゲーム)

 

ケニー・オメガ「リングの上で待っているぜ!」

 

昨年の上半期ベストから度々、本ブログでも話題にしていた『ファイプロ』最新作が遂にランクイン……とはいえ、世間的には散々な評価の作品であることも承知している。ロード時間が異様に長い&タイミングが生命線のゲームで頻繁にラグる&今年中の配信を予告していたDLCが未だに実装されない&ストーリーモードが全く盛りあがらない&エディットで顔と髪型がマッチしないとレスラーの頭グラに風穴が空く等々……幾つかパッチで改善した点もあるが、控え目に評しても有料デバックゲームとの誹りは免れ得ないであろう。

しかし、私的には充分満足……とはいかないまでも、納得のいくゲームである。世間ではネット対戦時のラグが最も不評らしいが、見も知らないレスラーの技を敢えて受けるメリットや、相手がこちらの技を受けてくれる保証もない試合への興味を欠片も見いだせない、まさに鎖国時代の馬場イズムの後継者を自認する私には全く関係のない話だ。それよりも、前作から十年以上も悶々と脳内で温めてきたオリジナルレスラー&団体&ベルト&レフェリーを遂に具現化出来た喜びが遥かに勝った。現時点で正規軍6名、非正規軍6名、外国人軍団6名の3ユニットから成るオリジナル団体の興行を打つ喜びに浸れるのは間違いなく、本作の御蔭である。出来れば、各ユニットに@2名ずつ、若手レスラーを追加したいので、今後も定期的なアップデートと新技の配信を期待したい。取り敢えず、ランニング式ダイナマイトニーリフトとバック大技のスウィングスリーパーと仰向け頭からの胴締めフロントネックロックとうつ伏せ頭からのキャトルミューティレーションを宜しく!

 

 

 

第5位② 『あそびあそばせ』(TVアニメ)

 

本田華子「アポクリン汗腺!」

 

今年の作品で最もいい意味で事前の期待を裏切られたのがこれ。タイトルといい、キャラクターデザインといい、主題歌といい、普通は『日常系ゆる百合アニメ』と思うじゃん? でも、そんな淡い期待は第一話のオリヴィアビンタ&華子の変顔を見た瞬間、鼻汁と共に一気に吹き飛びましたよ。流石は多発する表紙詐欺漫画のアニメ化作品である。否、原作よりもアニメのほうがギャグのテンポはいいかも知れない。『華子のハレンチ裁判』の『茶色いものといえば?』⇒『ウコ!』と畳み掛ける流れはアニメのほうが圧倒的にリズミカルであった。声優さんの演技もテンションが高過ぎる所為か、微妙に台詞が聞き取りにくい箇所があるものの、それも込みでギャグとして成立しているように思えたから無問題。

本作は『はたらく細胞』や『色づく世界の明日から』でも脚本&シリーズ構成を担当した柿原優子さんの名を(遅ればせながら)知る契機になったのも嬉しかった。来年以降も御活躍を期待致します。唯一の瑕瑾はデッキの不調で最終回を録画しそこねたこと。直前まで追っかけ再生していた『おにぎりあたためますか』の途中でフリーズしやがった。大泉ェェェェェ!

 

 

 

第4位『江戸は燃えているか』(舞台)

 

村上俊五郎「天璋院篤姫さまでございます!」

 

オフ会で穂積さんから御紹介頂いた作品。新政府軍による江戸城総攻撃を間近に控え、しみったれた俗物根性で西郷との会談を渋る勝の身代わりを仕立てて、どうにか戦争を回避しようと試みる人々の右往左往&七転八倒&抱腹絶倒の幕末群像コメディ。笑いの要素もさることながら、本作は改めて、

 

三谷さんの歪んだ歴史愛

 

を感じずにはいられなかった。シンプルなコメディリリーフに思えて、実は西郷や西郷の周辺人物が動く都度、常に護衛しやすい&刀を抜きやすいポジションをキープするシリアスさを見せる中村半次郎。最終的に勝の真贋を見極めるために用いられた史実に基づく或る下ネタ。何よりも唸らされたのは『新撰組!』で山南と刃傷沙汰になりかけたうえ、土方から『ソイツを斬ったら空いた宿泊枠にこちらの過剰人員を回すから教えろ』とボロクソに貶された村上俊五郎を、本作では重要なポジションで登場させたうえ、様々な意味で人斬り半次郎と五分に渡りあうキャラクターとして描ききったことなど、歴史と自身の作品への歪んだ愛情に満ち満ちていた。主人公の両親であろうと、心酔する主君であろうと、志を共にした同志であろうと、一度作中で退場させたら誰一人思い出すことなく、最初から【なかったこと】同然に使い捨てられた今年の大河ドラマとの根本的な違いが此処にはある。舞いあげた紋付をファサッと羽織るモーションで平次が居残り佐平次へのオマージュキャラクターであることに早い段階で気づいていたため、感想サイトで意見が真っ二つに分れている本作のラストも『まさか』よりは『やはり』との思いで受け止めることが出来た。

MVPは西郷&デクを演じた藤本さん。ハイテンションウォーキングモーションがガチンコでキショい(最大級の賛辞)。また、錚々たるメンツに囲まれながら、本作のトリックスターを演じた松岡茉優さんにも心から拍手。春ちゃん可愛いよ春ちゃん。満足度では『レディプレイヤー1』を凌駕する下半期随一の作品であるが、これを選ぶと三谷作品がベスト3の過半数を占めてしまうバランスの悪さと、同じ三谷作品の舞台でも『巌流島』や『笑の大学』に比べると若干まとまりに欠ける印象があったため、惜しくもこの順位。でも、春ちゃん可愛いよ春ちゃん。

 

 

 

ここからはトップ3の発表。今季は二〇一三年以来、五年振りに三作品が同率一位という快挙となった。

 

第1位①『風雲児たち~蘭学革命篇~』(SPドラマ・上半期第1位)

 

ナレーション「これは大河ドラマではない。よって、時代考証は大ざっぱである。ただし、二百五十年前、こんな感じのちょっと変わった男たちがいたことだけは、紛れもない事実である」

 

まずは上半期第一位の『風雲児たち』が首位をキープしたまま、ノーエネミーでフィニッシュです。元日から一年間、一度もトップの座を明け渡すことなく、先行逃げ切りを果たすというサイレンススズカも落鉄のままで逃げ出すであろうレース展開は、空前にして絶後と思われる。作品の詳細&感想は迎春日記&上半期ベスト5で触れたので省略。

 

 

 

第1位②『宇宙よりも遠い場所』(TVアニメ・上半期第2位)

 

高橋めぐみ「残念だったな。私は今【ネタバレ厳禁です】だ」

 

上半期のランカーが軒並み順位を下げる中、唯一、順位をあげたのが『よりもい』。年末に飛び込んで来た『ニューヨーク・タイムズ・ベストTV2018 インターナショナル部門選出』という驚きの末脚で『風雲児たち』とのハナ差を詰めて、堂々の同着一位である。こーゆー表現は決して私好みではないが、本作はリアルタイムで視聴したことを誇りに思えるアニメであった。未視聴の方は出来れば一気見ではなく、本放送と同じように一週間に一話ずつの間隔で楽しんで頂きたい。こちらも作品の詳細や感想は以前述べたので割愛。

 

 

 

第1位 ③『新九郎、奔る!』(漫画)

 

伊都「次回もサービスサービスぅ!」

 

CV:三石琴乃さんですね判ります。

 

本作を御存知ない方に解説すると、この漫画は北条早雲の一代記(になる予定)である。中世の日本を舞台にした歴史漫画にも拘わらず、冒頭の伊都の台詞に代表される英語・現代語・セルフツッコミ・オーパーツ・アイスラッガーが毎回のように描かれているが、それらが歴史劇としての完成度を損なうことなく、寧ろ、難解極まる作中の時代背景を読者に判りやすく伝えるツールとして機能している稀有な作品といえよう。

このブログで何度か記事にしているように、歴史劇に必要なのはリアリティであって、リアルではない。史実的な正確性よりも、その時代の雰囲気を如何に読者や視聴者に伝えるかが重要であるが、本作はそのテのリアリティを絶対視していないと思われる。試みに本作の頁をランダムに捲って頂きたい。歴史劇・時代劇にありがちなござる言葉は殆ど使われていない筈である。それにも拘わらず、歴史劇としての完成度の高さが評価されるのは、通俗的な素浪人・北条早雲像ではなく、将軍家側近くに侍る伊勢家の御曹司という設定に代表される『最新の学説や研究』に基づいたリアルな伊勢新九郎像&室町時代を提示しているためである。つまり、

 

『リアリティ』よりも『リアル』を重視する歴史漫画

 

といえよう。取り敢えず、何かあるとすぐに脱ぐ・抱く・殺す・叫ぶといった劇画的キャラクター像で現在との時代性の違いを強調してきた従来型の歴史漫画とは異なり、地道な研究や学説の積み重ねを重んずるという新境地を開拓した作品。或いは過去にも同じような作風にトライした作品はあったかも知れないが、本作のようにリアリティ=雰囲気よりもリアル=史実を重視する漫画ファン層、歴史ファン層が形成されたことも大きいと思われる。少なくとも、10年前に同じ内容の作品が発表されても、これほどの支持を受けたとは考えにくい。呉座センセに代表される地道な中世日本史の再点検活動が、本作を受け入れる素地を形成したのではなかろうか。漫画って内容と同じ割合で時代とのマッチングも大事だよね。

 

 

 

さて、恒例のラジー賞は上半期と同じく、二作品がノミネート。今回のキーワードは連続であろうか。まずは一作品目。

 

ラジー賞① 『はじめの一歩』(漫画)

 

幕ノ内一歩「自首してきます」

 

拙ブログのラジー賞史上、初の二年連続受賞の栄誉に輝いた『はじめの一歩』。奇しくも平成という時代と共に始まった本作であるが、平成最後の年に生きる私が平成元年の自分に、

 

「一歩、パンドラでボクサーやめてセコンドになって素人にビンタ見舞って自首したってよ」

 

と教えたところで近所の可哀想なおっさん扱いされるのがオチであろう。特に後半。どう考えても、こんな展開を思いつく&望んでいる地球人が存在するとは到底思えない。まぁ、辛うじてフォロー出来る点を挙げるとしたら、今のほうがウォーリー戦よりはまだしも面白いことであろうか。ウォーリーとかいう劣化ハリマオの試合、ホントクソ。そもそも、本家のハリマオも【略】。それは兎も角、本作は掛け値なしに日本で一番面白い漫画だった時期があったことを思うと本当に残念である。昨年、本作と共にラジー賞にノミネートしたアル戦も大概な内容であったが、あれは完結しないよりマシという一点においてのみ、評価出来たからなぁ。

 

 

 

ラジー賞② 『西郷どん』(大河ドラマ)

 

西郷菊次郎「西郷どん! チェスト! 気張れ!」

 

こちらは上半期下半期の二期連続受賞という『はじめの一歩』とは異なる快挙。内容に関しては、総評で燃え尽きた身としては、

 

今更何か語る必要ある?

 

としか言いようがないので、省略。上記の台詞にしても、菊次郎が実父にチェストとか気張れとか言っていたとか考えると、本当に本作は何もかもがいい加減であったことが判る。そういや、菊次郎(西田さんバージョン)も第四部冒頭で思わせぶりに登場したのに最終回にも登場しなかったなぁ。普通、あの流れからしたら、菊次郎の語りで〆るでしょ? まぁ、弥太郎みたいに最終回でナレーターを頓死させるのもどうかと思うけどね。

 

 

 

これにて、二〇一八年のランキングは終了。『色づく世界の明日から』は最終回が控えているので、その出来次第で若干の変動はあるかも知れない。

来年の候補作品は漸く第二弾の公開が決まった『ガルパン最終章』第二話。昨年まで五年連続で拙ブログのランキングベストにノミネートされていたが、流石に今年はランクインならず。まぁ、作品自体公開されなかったからね。多少はね。また、現在公開中&先日BSで冒頭23分が放送された『ガンダムNT』も期待度高し。年内は都合つかないけれども、年が明けたら、NG市に足を運んで見てみようかな。

尚、今回『ファイプロ』がノミネートされたゲーム系の作品では、オフ会の流れで穂積さん&装鉄城さんの御二人と、何故か『バイオハザード』を部屋の明かりを消す&ヘッドホン&ハードモードでプレイすることを約束してしまっている……こんなの漏らすに決まっているだろ。次回のオフ会でクリーニング代を徴収させて頂きます(漏らすこと前提)

 

 

 

 

来し方行く末 ~2018~

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この年末年始は何年かぶりに『ガキ使SP』と『相棒SP』の双方をリアルタイムで視聴出来る与力です。年の瀬に他人の不幸を喜ぶのは誠に恥ずべきことなれども、ここ数年間、会社の年末年始のプロジェクトを丸投げしてきた連中が、今年は私抜きで一切合切をやることになったと知って、一足早い初笑い気分。彼らには是非、初日の出まで残業して、同じ日の昼過ぎに出勤するという、一昨年の私のように充実した年末年始を過ごして欲しいものです。何かあっても呼び出されずに済むよう、大晦日と元日は用事を済ませたら即、酒を飲んでおくつもり。

ここ数年、愚痴で〆ることが常態化していた『来し方行く末』ですが、今年は非人道的&非道徳的な動機とはいえ、笑って記事を書くことが出来るのは喜ばしいかぎり。他人の不幸はハニーワインの味。はっきりわかんだね。今年最後の記事の題材は三つ。軽目に今年の出来事を回顧する&来年の展望を語ってみます。ちなみに先日の2018年ランキングで最終回の内容待ちとなっていた『色づく世界の明日から』は順位に変動なし。いい意味で想定内の落着点でした。時にはベタに徹することも大事。でも、EDロールの、

 

special thanks 色づく世界の明日からファンの皆様

 

の一文は反則やろ。何がサンキューだよ! こっちがサンキューっていいたいよ!

 

 

1.今年一番驚いたこと

 

あれはキン肉マンゼブラがマリキータマンに惨敗した夜のこと。帰宅途上の運転中、前を走っていた車が急停止。何とか衝突は回避しましたが、今度は後方に回った当該車が接触スレスレの距離で執拗に追尾して参りました。取り敢えず、近くの飲食店の駐車場に入り、何とかやり過ごそうとしたものの、当該車は私の退路を塞ぐように停止。車から降りてきたドライバーは開口一番、

 

DQN「煽り運転しているんじゃあねーぞ、ゴラァ!」

 

与力「( ゚д゚)ポカーン」

 

 

 

 

思わず、この画像が脳裏を掠めた私でしたが、職務上、このテの生物は決して人語を解さないことを承知していたため、対応を迷わなかったのは不幸中の幸い。ドアのロックを念入りに確認して、決して車を降りることなく、殊更にスマホの画面をアピールしながら110番通報する様子を見せると、相手は電話が繋がる前に踵を返して車に乗り込み、早々に姿を消しました。人語を解さない割には桜田門に介入されるとマズイと理解出来る程度の知能は有していたようです。或いは動物的本能でしょうか。何れにせよ、当該車が周辺にいないか用心しながら駐車場を出て、後をつけられないように普段と違う道で帰宅して、ドラレコの記録をキチンと保存して、

 

与力「俺の身に何かあったら、この映像を警察に届けなさい」

 

と家族に伝えておきました。幸いなことに現時点では何事も起きていませんが、もしも、今後、唐突にブログの更新が途絶えたら【お察し下さい】

それにしても、普段は道に迷ったくらいで簡単にテンパる私が、緊急避難先に人目のある駐車場を選んだことといい、この時は異様な程に落ち着いて対処出来たのは、やはり、一部始終をドラレコで記録している安心感が基底にあったからでしょう。個人レベルで『やった』 『やらない』のナンクセやインネンに対応出来るようになった技術の日進月歩は誠にありがたいことですが、一方で類似の事件や裁判が連日のように巷を騒がせているにも拘わらず、同じ手口で他人を脅して無事に済むと考える知能しかない生物でも、容易に鋼鉄製の高速移動装置を操縦出来てしまう科学の利便性に関しては、何やらフランケンシュタインの誘惑に似たジレンマの果てに海原雄山の名言を口にしてしまいそうな今日この頃です。

尚、この話題は年の瀬に何かと騒ぎになっているお隣さんとのアレコレとは何の関係もありません、念のため。

 

 

2.今年の泣き納め

 

刑事「死者二百四十六名、重軽傷者五百七十二名! 昨日の犠牲者の数だよ! 二度とこんな大惨事は起こって欲しくないものですな」

クリス「戦わなければ、もっと多くの人が死んでいた筈です! 仕方がなかったんです……」

刑事「いいたいことは判るがね、死んでも仕方のない人間なんてのは一人だっていないんだ。数の問題じゃないよ」

 

クリスマスの夜に見たい作品は人それぞれあると思いますが、私の場合は、

 

『涼宮ハルヒの消失』

『容疑者Xの献身』

『機動戦士ガンダム0080 ~ポケットの中の戦争~』

 

の三択。『容疑者X~』はクリスマスが主題の物語ではありません(原作では犯行時期も異なります)が、劇中で石神の自首を知った湯川と『荒野の果てに』を謳う聖歌隊がすれ違うシーンが、何処となく聖夜に相応しく思えるので、個人的にノミネートしています。毎年、聖夜は共に過ごす相手もいないので三作品から一本を選んで自室で一人寂しく鑑賞。今年は辻谷さんへの追悼の思いも込めて『0080』をチョイスしました。嘘だと言ってよバーニィ……。

さて、久しぶりに全六話をぶっ通しで鑑賞しましたが、改めて『よく出来ているよな、この作品は』との思いを新たにしました。墜落したバーニィのザクが主人公以外の誰にも見つからないとか、かなり無理のあるシチュエーションも散見するものの、ストーリー的には物凄く完成度高い。特に、

 

登場人物の善意や勇気が面白いように事態を悪い方向へ転がしてゆく

 

ことが印象に残りましたよ。本作がああいう結末になっちゃったのは、ジオンの潜入工作員が『新兵を巻き込むまい』との温情から、コロニーに危機が迫っていることを伝えたにも拘わらず、幾つかの紆余曲折を経て、バーニィがムダにやる気を出してしまったからで、実際はガンダムと戦う必要は欠片もなかったことが判明しちゃう訳ですが、連邦側のクリスもクリスで上記した刑事の苦言がなければ、周辺被害の少ない山岳地帯に誘い込まれることもなく、アレックスとザクの機体性能を考えると、撃墜せずに鹵獲することも可能であったでしょう。その刑事の苦言もイヤミとか毒舌とかではなく、実に堂々たる正論ですが、結果として、

 

11歳の子供が親にも教師にも友達にも初恋の女性にも言えない残酷な真実を一人で抱え込んだ

 

かと思うと本当にやりきれない。おとなになるってかなしいことなの。更にいうと、これ程の悲劇を起こしておきながら、作中で十年も経たないうちに人類は再び、しかも、今度は軍閥同士の内乱とかいう一年戦争よりも低劣な動機でドンパチをおっ始めるうえ、その一方を指揮したキャラクターを演じたのが刑事の中の人というメタ極まる皮肉。人は同じ過ちを繰り返すんやね。

そんな訳で作中作外の諸要素で今回もボロ泣きした『0080』。これは是非、クリスマスに一本ものに編集して地上波で放送して欲しい。夏に『火垂るの墓』をやるのでしたら、冬にこれをやってもええやろ。絶対に実況は盛りあがると思う。でも、第5話まではモノクロで統一されていたエンディングの映像に最終回で色がつく=過程や結果はどうあれ、暗い戦争が終わったことを表す演出は一本ものに編集すると伝わらないかなぁ……と思っていたら一月からBS11で放送する模様。やるじゃん。

 

 

3 来年の展望

 

まずは四年前の年末記事の抜粋を御覧頂きたい。

 

来年の大河ドラマ『花燃ゆ』は主人公が政治的業績のない人物ということで非常に危ぶまれていますが、実は一番難しいのはそこではありません。最大の難所はズバリ、

 

攘夷思想を如何に描くか

 

です。だって、これ、現代人からすると完全に間違っていると判りきっている思想じゃないですか。~中略~こうした攘夷思想の解釈と解説がどの程度、視聴者の理解と共感を呼べるかが、来年の大河ドラマのクオリティを量る計器と思われます。逆にいうと、これがうまくいくのであれば、主人公が誰であろうと問題はありません。

 

この結果に関しては、今更語る気も起きないどころか、四年後に同様の過ちを繰り返した今年の『西郷どん』との間に幕末駄作大河の薩長同盟が締結されるという事態に至った訳ですが、実のところ、今年も似たような危惧を抱きながらの年越しです。勿論、来年の大河ドラマ『いだてん』の話。いや、流石に『いだてん』に攘夷思想は出てこないとは承知していますが、私がいいたいのは当時の思想背景や世界情勢が何処まで掘り下げられるかという話です。事前のメイキング番組やキャスティングからは尋常ではない力の入りようを感じるものの、現時点で発表されている登場人物が第一部限定とはいえ、主人公二人の周囲に限定されており、政治劇の臭いが欠片も漂ってこないのも確かなのよ。

そもそも、一九四〇年東京五輪招致の発端は、当時の東京都知事の永田秀次郎の『皇紀二六〇〇年の記念行事として、東京でオリンピックを開きたい』という、現代視点では随分と生々しい動機が一因として挙げられます。いい悪いという話ではありません。当時はそういう時代であったというだけのことですが、そこを避けて通ることは許されないのも確かです。更に東京が選出されたのはイタリアやドイツといった、のちの第二次大戦の同盟国同士の間で、候補地選出が合従連衡のカードに利用されたという背景があることも否定出来ないうえ、最終的に東京が開催を返上した理由の一つに満州国や中華民国の選手を如何に扱うかの問題があったという具合に、ガチンコで描こうとしたらシュールストレミングがシネルの香水に思えるレベルの生臭い話題を避けて通れない訳ですが、そうした要素を一切合切排除して、主人公やスポーツを愛する人々は平和と友好を目指して招致に頑張ったけれども、政治家や軍部の暴走で全部ダメになりました的な展開になったら、私は凄くガッカリすると思います。だいたい、候補地の決戦投票時にメインの競技場を何処にするか決まっていなかった時点で、当時のオリンピック招聘委員会も『野放図に戦線を拡大した挙句、自滅同然の敗北を喫した』旧日本軍と同じ体質であったことは疑いようがありません。この辺の事情を総スルーして、徒に庶民視点&スポーツマン視点&現代視点で物語が推移するとしたら、それは尊王攘夷思想の何たるかを描かない幕末劇と同じく、炭酸の抜けたヌルいコラ同然の、ただただベタベタと甘いだけのシロモノになると思います。流石に本格的な政治外交劇をやれとはいいませんが、その要素は常に忘れないで欲しい。まぁ、この問題を深く掘り下げていくと、

 

物語の題材が一九四〇年のことか二〇二〇年のことか判らなくなる

 

という危険性もあるけどね。取り敢えず、新年一発目の記事は『相棒SP』と『いだてん』第一話の感想を予定しております。

 

それでは、よいお年をお迎え下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

徒然迎春日記 ~2019/01/07~

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明けましておめでとうございます。

二〇一八年は残り三時間を切ってから、三十年来の友人の息子が『西郷どん』に出演していたという衝撃の事実を知った与力です。感想記事でボロクソ書いて、正直スマンかった。二〇一八年から二〇一九年の年越しは家族や友人との飲み会を挟みつつ、自室で『宇宙よりも遠い場所』の一気見をしながら過ごした与力です。これは年越しの習慣になりそうな予感。二〇一九年は天海祐希さんに仕事のダメ出しを食らう初夢を見た与力です。これは近年稀に見る御褒美初夢。皆さまは平成最後の年を如何にお迎えになったでしょうか。今年一発目の記事は新年の福袋的な意味も込めて、分量多目の徒然日記。ただし、内容が伴うとはいっていない。話題は4つ。今年も拙ブログを宜しくお願い申しあげます。

 

 

1.『相棒17』元日SP『ディーバ』感想(ネタバレ有)

 

神崎瞳子「『私は告発します。八月に亡くなった三雲生命保険の社員、天野弘さんの死は自殺ではなく……殺されたのです』」

杉下右京「…………」

 

真顔の杉下(ベルボーイ装束)がジワジワ来る。

 

一晩遅れの笑ってはいけない相棒24時で始まった元日SP。相棒のメンバーで『笑ってはいけない』ネタをやるとしたら、誰が選ばれるのでしょうか。流石に杉下の尻をシバくのは色々とマズイので、亀山、神戸、カイト、冠城の四人が妥当かも知れませんが、カイト君は服役中なので、イタミンと芹沢君が代役にされそうです。杉下は藤原ポジで嫁イジリOKの亀山は浜田ポジ、マッチョ冠城が松本ポジ、芹沢君が遠藤ポジ、イタミンが田中ポジ。シバかれた時のリアクションが面白そうな神戸は方正ポジ。そうなると蝶野ポジはラムネさんか。陣川君はジミーちゃんですね。間違いない。

余談はさておき、肝心の内容ですが……うーん、今までの元日SPで一番ビミョー。基本的にリリカルでエモい脚本をメインウェポンにしている太田愛さんが、無理に大規模サスペンスをやろうとしたのが裏目に出た感じです。太田さんは弱者に目を向けた回では緻密で繊細な作風が光るのですが、その矛先が強者や知能犯に向かった場合はグダるケースが多い。昨年の『サクラ』も上条君に対する杉下の言葉はジンワリと胸に染みる一方、有馬や安田の描写は類型的な悪役以上ではなかったからなぁ。

まず、犯人サイドの計画が綱渡りにも程がありました。悪い意味で綿密過ぎる。あれ、どこかで誰かが少しでもしくじったら、即、詰みじゃあないですか。実際、冒頭の記者会見の件も、告発文を運んでいた敦盛代議士は非常階段でへばってしまっていたので、杉下と冠城がプライベート(笑)でロビーに居合わせなかったら、全ての計画の起点となる告発文が公になることはなかったでしょう。

次に今回の主題の一つは一昨年の流行語大賞ネタであると思われますが、題材のタイムリーさや切り口の観点で新鮮味に欠けたのは否定出来ません。昨年の『アンナチュラル』でも同じ題材をやっていましたが、内容の出来不出来は別として、その時点で既にネタとしては古かった。社会派サスペンスは現実社会と同じ視点や速度で題材を描いていてはいけないのですよ。問題になる前に取りあげる、或いは同じ題材でも異なる角度から深く斬り込まなくては面白くない。『相棒』では『過渡期』(9-4)が好例ですね。時効制度の撤廃で起こり得るかも知れない証拠品の還付請求を巡るトラブルという、如何にも『相棒』らしいヒネリの効いた物語でした。或いは『ボーダーライン』(9-8)のように視聴者がドン引きするレベルの掘り起こしがあればよかったのですが、今回のストーリーは製作者が何を言いたいのか白々しい程にミエミエで興醒めしてしまいました。

そして、何よりも残念なのは青木君のサイバー課復帰の一件。青木君好きの私の目でも、正直、制作陣が彼を持て余している感は拭えなかったので、頃合いなのかも知れませんが、一度くらいは杉下の正義とド正面からやりあうストーリーを見たかった。キャラクターを持て余したといえば、今回、久々の本編登場となった神戸君も、彼に似合わない荒事に駆り出されていましたので、その辺も減点材料。

逆に『よかった点』は誘拐された(?)樹ちゃんの居所。何処かへ連れ出されたように見せかけて、実は最初の建物から出ていないというトリックは好きでした。幸せの青い鳥は自分の家の中に居るものなんやね。これを中核に据えたリリカル人情ミステリで推してくれたほうがよかったかも知れません。

 

 

2.『いだてん~東京オリムピック噺~』第一話『夜明け前』感想(ネタバレ有)

 

吉岡信敬「嘉納治五郎じゃん! 背負い投げ! 背負い投げかけてくれよ!」

 

猪木にビンタをせがむプヲタかよ!

 

正直、物語の中盤まで、何処に焦点を絞っていいのか判らなかった第一話でしたが、この場面で漸く登場人物(TNG)に感情移入出来ました。取り敢えず、何かあると(なくても)脱いで脱いで脱ぎまくる明治のぐらんぶるが楽しいです。それにしても、

 

三島弥彦「我等はスポーツを愛し、スポーツに愛され、ただ、純粋にスポーツを楽しむために活動する元気の権化! T・N・G! 天狗倶楽部!」

 

何というサンシャイン池崎感。

 

『嘉納治五郎さん! 今が(ストックホルムオリンピック参加の)チャンスです! 開催は1912年! 『行く人に』って覚えて下さぁぁぁい! イェェェェェイ! ジャァァァスティィィス!』と言い出しても全く違和感ありませんでした。 よく、こんなネタとしか思えない史実を引っ張ってきたなぁ。感心。

ストーリー的には嘉納治五郎が『オラ、オリンピックと聞いただけでワクワクすっぞ』という、スポーツ平和主義的な人物に描かれているのはアレですが、それに対して『可哀想なのは選手だ。国の期待を背負い、精神的に追い込まれ、場合によっては死人が出ますよ』と競技スポーツの弊害を明確に言及したのはよかった。ブルドッグ佐藤、円谷幸吉……あれ、目から汗が(カァーゴォーノォートォーリィー!)。上記の嘉納治五郎の言動に代表される『情熱があれば何とかなるだろ』的な希望的観測論も、のちの東京五輪返上に至る最大の敗因として、回収してくれるのではないでしょうか(というのも希望的観測か?)

ただ、第一話の時点で『好きか嫌いか』と問われたら『苦手』と答えるしかなのも事実。原因はまだ分析出来ていませんが、本作は歴史ドラマというよりも凄く贅沢でクオリティの高い歴史バラエティの再現ドラマパートに近い印象を受けます。大河ドラマ的な要素はハナから期待していませんでしたが、普通の歴史ドラマとしても何か一つ足りない。ノリきれない。本作はタダでさえ、歴史劇では馴染みの薄い時代なのに、その物語が二つの時代の間を行ったり来たりしている所為で、見ている私としては何処に基準点を置いていいのか判らなくなっているのかも知れません。これ、成功したら面白くなるでしょうけれども、非常にテクニカルな作劇を要求されると思いますよ。その辺が現時点での最大の不安要素でしょうか。まぁ、昨年の記事でも書いたように私が初回でイケると思った大河ドラマは大抵コケるというジンクスがあるので、絶賛型の感想記事にならなかったのは逆にいいことかも知れません。

 

 

3.SPドラマ『Aではない君と』感想(ネタバレ注意!)

 

瀬戸調査官「彼が四年生の時に御二人は離婚されていますね。原因は何でしょう?」

吉永圭一「性格と……価値観の不一致です」

瀬戸調査官「性格や価値観が同じ人間などいないと思いますが?」

吉永圭一「親の喧嘩を見せるよりは、別れるほうが翼のためになると考えました」

瀬戸調査官「親の勝手な理屈ですね。離婚が子供に与える苦痛は大変なものです。自分の居場所を失い、混乱し、捨てられたと感じることもあります」

吉永圭一「今度の事件が起きるまで、東村山に引っ越したことも知りませんでした。遅くに出来た子なので、以前から周りの若い親たちと積極的に話をする気にもなれなくて……」

瀬戸調査官「そんな言い訳を聞かせて、私にどうしろと? 成程、これでは彼が『自分は親に関心を持たれていない』と思ったとしても不思議はありませんね」

吉永圭一「」

 

ヤスケン無慈悲過ぎwwワロタww

 

大泉のエビチリで洒落にならない病気に罹り、小岩井農場でリットル単位の牛乳を大地に還していたonちゃんの中の人が、嘗ての芹沢鴨をぐうの音も出ない程の正論でやり込める役柄を演じようとは……芹沢といえば、本作でも佐藤浩市さんはヤマコー土方に騙される役回りでした。この懲りない騙されぶりは大泉といい勝負かも知れません。

さて、今回の年末年始は事前に楽しみにしていた番組は殆どなく、辛うじて期待値の高かったドラマやバラエティも押し並べてアレなクオリティで終わりましたが、殆ど唯一の例外が本作。元々は昨年の秋に『テレ東開局五十五周年特別企画』で制作されたドラマですが、純粋に見てよかったと思えました。離婚の際に妻に引き取られていた十四歳の息子が、殺人事件の容疑者として逮捕されたことを知った父親の苦悩と当惑を中心に描かれるヒューマンドラマ&社会派サスペンス。息子は本当に人を殺したのか? 未成年者犯罪の報道は如何にあるべきか? 罪の意識、贖罪とは何か? こうした容易に解答の出ない問題に真摯に向き合った佳作。兎に角、登場人物の誰一人、完璧な人間はおらず、それでいて、決して心の奥底からの下衆でもない。小さな、本当に小さな過ちやスレ違いが幾度も積み重なった果てに取り返しのつかない事件に至ってしまうのよ。特に下衆描写のクオリティは極めて高く、息子の逮捕を知った主人公が、ネットで息子の名前と自分の名前を同時に検索して、ヒットしなかったことを安堵するシーンとか、

 

「気持ちは判るが、本当に下衆いなコイツ」

 

と思ってしまいました。あと、主人公と密かに交際していた女性が、息子の住所変更のハガキを隠していた&交際相手の息子が殺人の容疑者と知るや、何やかやと理屈を捏ねて別れを切り出す件は、

 

「気持ちは判るが、本当に下衆いなコイツ」

 

と思ってしまいました(大事なことなので二回書きました)。一方、ラストシーンで被害者遺族(コイツも実は結構な胸糞キャラクターです)が犯人をボロクソに罵りながらも、一言だけ、相手の心の重荷を取り除くことを許す台詞を絞り出すのはグッと来た。登場人物全員に胸糞エピソードが用意されていたにも拘わらず、心の底から嫌うことは出来なかった。全体の構成もGOOD。ラストシーンを親子でチャーハンを食べるシーンでも、主人公が弁護士に『心を殺すことと身体を殺すことはどちらが罪深いか』の結論を語る場面でもなく、敢えて被害者遺族にボロクソに罵られる場面で〆ることで、本作をストーリーに都合のいい加害者ポルノで終わらせないという決意を感じましたよ。調べてみたら、監督とプロデューサーが『アンナチュラル』の人。何かスゲー納得。

本作に関する私の唯一の失策は、

 

休日の〆に山本むつみ脚本作品を見てはいけない

 

という『八重の桜』で味わった貴重な教訓を完全に忘れていたこと。クオリティの高さと引き換えに、数年ぶりの大晦日&元日の休暇を満喫したテンションがダダ下がりでしたよ、ハイ。取り敢えず、今年のベスト10ランキング暫定一位。流石に昨年の『風雲児たち』のように一年間先行逃げ切りにはならないと思いますが、上半期のベスト10入りは固いんじゃあないかなぁ。

 

 

4.『忠臣蔵』あれこれ

 

荻生徂徠「大学殿は某が血も涙もない法制論者のように思うておられるかも知れませんが、我とて赤穂の者どもを惜しむ気持ちは同じでござる」

林大学頭「ならば、何故に処罰せよと主張されるや?」

荻生徂徠「彼らの忠誠心を惜しめばこそでござる。彼らも人の子。徒に生命を永らえて生き恥を晒すよりは、美しい花は美しく散ってこその花ではござらんか?」

林大学頭「詭弁でござる!」

荻生徂徠「詭弁ではない! 惜しみて余りある忠義の者共なれど、あの日の雪の如き純白の忠誠心を世俗の垢に汚しとうはない! 今ここで法に従い、生命を捨ててこそ、彼らの忠誠心は未来永劫絶えることなく、永遠にこの国の人々に語り継がれてゆくことでございましょう。大学殿はそうはお思いになりませぬか?」

林大学頭「…………思わん! 思いとうはござらん!」

 

 二代目黄門vs三代目黄門、ファィッツ! 

 

基本的に忠臣蔵が好きではない私ですが、昨年末は『日テレ版忠臣蔵』と『徹底調査忠臣蔵』の二作品を鑑賞。尤も、後者は忠臣蔵番組のナレーションに林原めぐみさんという組み合わせが何だかデタラメすぎて、内容が入ってきませんでした。ちなみに林原さんに演じて欲しいキャラクターNo.1は『海皇記』のマリシーユ・ビゼン。異論は認めない。

そんな訳で必然的に記憶に残ったのは『日テレ版忠臣蔵』のほう。見る度に思うのですが、忠臣蔵って赤穂浪士よりも彼らを取り巻く人々のほうが美味しいのよ。浅野内匠頭に『乱心のほうが家臣に類は及ばないよ』とさり気なく忠告する多門伝八郎とか、内蔵助の正体を看破しつつも敢えて見逃す垣見五郎兵衛とか、自分の屋敷に逃げ込む者は敵味方問わず撃ち殺すという理屈で提灯を掲げて浪士をバックアップした土屋主税とか、岡野金右衛門に『見るなよ! 絶対に吉良の屋敷の画図面を見るなよ!』と入念な前フリをかかせない大工とかのほうが赤穂浪士の面々よりも遥かに印象に残ります。上記した林大学頭と荻生徂徠の赤穂浪士の処遇を巡る議論も好き。『仇討ちは天晴やけど、ヘタに生き永らえるとスキャンダルを起こして名誉を汚す奴が出んともかぎらんから、花は美しいままに刈り取るのが情けなんやで』というロジック、狂おしくすこ。某国民栄誉賞とかいうガバガバ選考も見習うべき。

一方で大石内蔵助を筆頭に、赤穂浪士サイドには殆ど感情移入出来ないという状況は変わらず。今回、視聴して改めて思ったのですが、

 

忠臣蔵の正義って大石にしかない

 

のよね。最大の敵役に仕立てあげられたキッラは元より、主君の浅野内匠頭も大石に迷惑を掛けるだけの存在でしかなく、生死を共にする浪士でさえ、大石よりも急進的な奴は計画性のない過激派扱いで、大石よりも慎重論を唱えると生命を惜しむ因循姑息野郎扱い。『南部坂雪の別れ』の遥泉院も大石の苦衷と芝居を察せられないKY女にしか見えないしさぁ。この『物語の全ての理非善悪の判断基準が主人公の胸先三寸』という作風が、主人公の言動を全肯定する類の聳え立つクソ大河の構図と同じに思えてしまうのですよ。いや、流石に『忠臣蔵』とクソ大河を同列に並べる気はありませんが、この題材を数時間単位のドラマにまとめようとしたら、大石を絶対正義として描くしかないのも確かなうえ、肝心の大石の正義=仇討ちが私的には全く理解も同意も出来ないので、色々な意味で『忠臣蔵』とは相性が合わないのではないかと改めて思い至った次第です。勿論、史実や原作の大石&『忠臣蔵』への批判ではありません、念のため。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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荒川弘版『アルスラーン戦記』第64&65&66&67章感想(ネタバレ有)

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田中芳樹「去年は一年で三冊、本を出すことが出来ました。今年も頑張ります」(巻末コメント)

 

内容はさて置き、昨年の数字的な実績に基づいた原作者の新年の抱負。確かに田中センセにしては驚異的な生産量といえなくもないですが、嘗て、御自身の作品で、

 

竜堂続「小説を書く作家もいる、とか、試合に出るプロ野球選手もいる、とかいう表現をしますか。しやしませんよ。当然の職業上の義務ですからね」

 

という振り被ったブーメランが後頭部に突き刺さるレベルの発言をしておられるので、些か説得力に欠けるのは否めません。加えて『白魔のクリスマス』と『新・水滸後伝』の上・下巻を『二作品』ではなく『三冊』とカウントする微妙なセコさは十五月三十六日の誕生日が来るまで俺は二十代の若者という某撃墜王に通じるものがあります。創作の影響力を侮るなよ。一番影響を受けるのは作者だからな。

尤も、私自身もオフ会やら年末業務やら大河の総評やらで4カ月も感想の更新を滞らせていたので、あまり、原作者をドーダコーダいう資格はないとの自覚はあります。或いは創作の影響力が読者に及んでいる可能性も微レ存。そんな今回のポイントは4つ。

 

1.ON OFF

 

ギーヴ「あの万騎長シャプールか」

イスファーン「兄をご存知か?」

ギーヴ「ご存知も何も、エクバターナでとどめを刺したのは、この俺だ」

イスファーン「武人として、敵にも敬意を払えと兄に教えられたので名乗らせてやる。名を言え! そして、俺と戦え!」

 

サンジェ打倒に協力していた両名ですが、ギーヴの告白に一瞬で兄の仇ブッ殺すマンへの変身スイッチがONになった『ファルハーディン』。パルスのキレる若者代表、イスファーンさん。直前まで『御存知か』と敬語でギーヴに話しかけていたとは思えない豹変ぶりです。のちに判明したように、このギーヴの発言は仲間割れによる逐電と見せかけて、隠密裏の探索任務に従事させるためにナルサスが仕組んだ芝居でしたが、それにしても、一言か二言で簡単に殺し合いの幕が開くとは挑発したギーヴも想定外であったに違いありません。彼のプライド上、決して表情に出すことはなかったものの、内心、イスファーンの唐突な変貌ぶりには『この人、頭おかしい』と、自分のことを遠い棚にあげてドン引きであったと思われます。

ちなみに、この両名の諍いは意外と尾を引き、物語の終焉まで完全なる和解には至りませんでした。イスファーンにとっては尊敬する兄の仇とはいえ、ギーヴ本人が煽り半分で述べたようにシャプールを苦痛から救うための一矢であったのも事実なので、傍目には『そこまで根に持たなくても』と思わないでもありません。個人的には食堂で身体がぶつかった&反射的にビンタを見舞ったことくらいで、ワールドユース編まで遺恨を引き摺った日向君と松山君の関係に近いと思います。ちな松山派。

 


2.聞いているか富樫

 

荒川弘「先月はページ数少なくてすみませんでした」(翌月号あとがき)

 

 

『え? 何処が?』といいたくなるくらい、ガッツリと描かれたギーヴVSイスファーンの一騎討ち。荒川先生、御謙遜。特にイスファーンによる攻撃の多彩さは原作以上でした。『孤月』の裏でギーヴを地べたに叩きつける&肘と膝の交差法で剣をもぎ取る&その流れで目つきを食らわすなど、剣技よりも格闘技のほうが印象に残った。ひょっとして、イスファーンは武器がないほうが強い? ノーウェポン&ノールールで戦ったら、作中で五指に入るかも。

一方、自らが得意としている足技を逆に食らうといった具合に些か精彩を欠いたギーヴ。ガチンコで殺しにかかってきたイスファーンと異なり、ギーヴのほうは適当なところで戦闘をきりあげて逐電する予定であった筈なので、或いは本気ではなかったのかも知れませんが、ところどころで冷や汗を浮かべているシーンもあったので、マジモンの苦戦であった可能性も充分あり得ます。実際、アルスラーンとファランギースが来たからいいものの、誰も仲裁に現れなかったら、どの辺できりあげるつもりであったのかしら。

 

 

3.リトルフィンガー「せやな」

 

ギスカール「全く、どいつもこいつも俺一人に難題を持ちかけてきおる! 俺は今、非常に忙しいというのに!」

 

ナニに忙しいんですかねぇ(ゲス顔)

 

オリジナル描写が多かった先述のギーヴVSイスファーンに反して、こちらは原作通りにパルス、マルヤム、ルシタニアの三カ国の美女との【チョメチョメ】に勤しんでおられた王弟殿下。そういや、コイツは最終巻でも五、六人の美女との入浴を楽しんでいました。王弟殿下は複数プレイが好み。不潔。汚らわしい。えっちなのはいけないと思います。

尤も、スタンド能力に代表されるように、人間の才能という奴は往々にして、物欲や性欲といった当人の根源的な欲求が反映されるケースが多いので、ナルサスの『敢えて兵力を寡少に号する詐略』に引っ掛かることなく、初手から十万の軍勢を投入しようとする王弟殿下の物量主義は複数の女性を同時に御せるという自信が無意識レベルで政戦両略の場面でも発露された可能性がなきにしも非ず。純粋な才能という点ではギスカールを凌駕していそうなヒルメスの活動範囲や戦略規模が、常に地域限定的なものに留まったのも、一度に一人の女性しか愛せない彼の不器用さが根底にあったのかも知れません。

 

 

4.時々月光ポジ

 

クレマンス「パルスの遥か南方……たしか、ナバタイ国に伝わる鉄鎖術とやらの話を聞いたことがある。鎖に繋がれた黒人奴隷(ザンジ)が編みだしたそうな」

 

し、知っているのかクレマンス?

 

『魁! 男塾』の雷電ポジを思わせる博識ぶりを披露したクレマンス将軍。実際、ザラーヴァントやイスファーンといった新生パルス軍をいいようにあしらった彼の才幹は非常に高いものと推察出来ます。結果的に彼は策略をパルス軍に見破られたうえ、一騎討ちで敢えない最期を遂げてしまうのですが、見破った相手がナルサスで討ち取った相手がダリューンというあらゆる意味で人外の化生的存在なので、この敗戦は実質ノーカンと評してよいでしょう。ボードワン将軍はクレマンスを『城に籠って時間を稼がなかったド阿房』と罵っていましたが、遠征の緒に出た軍の出鼻を挫くのも立派な軍略です。繰り返すように相手が悪かっただけで、ボードワン将軍の言いようはナルサスの画力で描いた結果論でしかないと思います。寧ろ、これ程の人材の奮戦に後詰めを送る間もなく、みすみす、パルス軍の各個撃破を招いたボードワン、モンフェラート両将軍の手際の悪さが批判されて然るべきではないでしょうか。

尤も、作中では描かれませんでしたが、このクレマンス将軍は、

 

「善良な異教徒は死んだ異教徒だけだ」

 

というフィリップ・シェリダンと旨い酒が呑めそうな性格の持ち主なので、ルシタニア首脳部では有能ではあるものの御しにくい要注意人物と見做されていた可能性も高い。そういや、パッと見は『ゴールデンカムイ』の鶴見中尉に似ているな、コイツ。対パルスの最前線に放り込まれたのも、有能さを見込まれたというよりは、ボダンと誼を通じそうな有力人物を中央から遠ざけたいという王弟殿下の思惑があったのかも知れません。

 

 

 

 

 

 

 

『いだてん~東京オリムピック噺~』第二話『坊っちゃん』感想(ネタバレ有)

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     ~~~~~第一話鑑賞前~~~~~

 

 

与力「うへーっ、これが二〇一九年の大河ドラマ『いだてん』かぁ。舞台が近現代だ……近現代で東京オリンピック……しかもクドカン脚本……ちょっと無理があるんじゃないのか? あーゆークドカンが脚本を担当している作品てさぁ、どれもみんなストーリーがペトペトしている感じして、ヤなのよねェ」

 

 

     ~~~~~第二話視聴後~~~~~

 

 

与力「うわ……何だ、この作品。気忙しくて男の裸祭りで……まるで大河臭さがしないが……悪くない、決して悪くないぞ! ああ、悪くない、何だか懐かしい作品だ……そうだ、これは若い頃キライだった作風だ! うーん、どれもくやしいけど悪くない。しかし、45分では全然物足りんぞ! スイマセーン! 追加で金栗と天狗倶楽部の裸映像下さい! 大急ぎでね!」

 

 

 

 

 

 

『真田丸』でさえ、HDDの容量の都合で感想書き終えると直ぐに削除していたのに、未だに『いだてん』第一話を消せない自分に驚いている今日この頃です。既に天狗倶楽部が懐かしくて堪らない。そもそも、第一話視聴以降、何かあると『T・N・G』コールの脳内再生がとまらない時点で色々とヤバイです。クセになりそうです。リズムネタは『掴みにもってこい』というお笑いの鉄則が活かされています。ただし、リズムネタは視聴者に飽きられるのも早い諸刃の剣なので、油断は禁物です。その辺の危険性に留意しつつ、現時点では単純に純粋に物語を楽しもうと思います。

今週は実質的には第一話に相当する内容でしたが、これを初回に放送してもクオリティの割に微妙に盛りあがらなかった(少なくとも天狗倶楽部ほどのインパクトはなかった)のは確実なので、二回目に持ってきたのは英断ではないかと思います。カサレリア編をスッ飛ばして、第一話から主人公機を登場させた『Vガンダム』に近いものがあります。今回は劇場版『銀魂』に勝るとも劣らない(らしい)勘九郎さんの全裸シーン&『坂の上の雲』のチンダイさん大暴れを彷彿とさせる絶妙に股間を映さないテクニカルなカメラワークが光りましたが、これを初回でやっていたら、視聴率狙いの裸ノルマとの誹りを免れ得なかったかも知れません。しかし、本作は第一話で史実に即した、

 

天狗倶楽部という明治のぐらんぶる

 

を登場させることで、登場人物が矢鱈と脱ぐ物語であると既に提示していたので、全くあざとさを感じさせませんでした。逆に『初回よりも裸要素が足りないじゃん! もっと見せろよ!』という気分にさえさせられたくらいです。構成もキチンと考えられています。

惜しむらくはナレーションが導入部と本編で入れ替わる&ナレーションへの依存度が高いことでしょうか。ストーリーの進行に必要ないこともペラペラと喋っちゃっているので、ドラマに集中しにくいのよね。これが純粋なドラマというよりも歴史バラエティの再現ドラマを見ている気分にさせられる要因かも知れません。でも、総体としては充分楽しめた今回のポイントは3つ。

 

 

1.アベ&アベベ

 

第一話『夜明け前』

第二話『坊っちゃん』

第三話『冒険世界』

 

現時点まで、本作のサブタイは何れも近現代の名著や雑誌から引用されています。恐らくは今後も同じでしょう。このテのサブタイ遊びは『おんな城主直虎』を思い出しますが、あちらはドラマの内容は兎も角、サブタイのセンスが毎回致命的にズレていたのに対して、本作は本編の内容とキチンとリンクしているのが好印象です。今回も主人公の幼年期の物語であること&作中で漱石らしい人と接触することで『坊っちゃん』というチョイスに納得出来ました。サブタイがスベらない。これが『直虎』との最大の違いでしょう。

OP映像も好き嫌いがハッキリ分かれている(本編は好きでもOPが苦手という方もおられる)ようですが、私的には毎週アベベの力走が見られる時点でお釣りが来ます。年齢的に絶対リアルタイムでレースを見たことはない筈ですけれども、私の中で最高のマラソンランナーはアベベなんだよなぁ。あと、阿部サダヲさんの水泳も嫌いじゃない。アベ&アベベの二人の存在が本作へのハードルを下げてくれたのは間違いありません。それとOPテロップ見直して気づいたのですが、本作の熊本弁指導は志水正義さんなのですね……あれ、今週も目から汗が……合掌。

 

 

2.ニアミス万歳

 

金栗信彦「嘉納先生にだっこばしてもろたけん、もう大丈夫タイ!」

ナレーション「父が嘘をついた……しかし、家族の笑顔に囲まれ、何も言えない四三でした」

 

素晴らしい。実に素晴らしい。

 

主人公とトメクレの二人がニアミスで終わるとか……何という近年大河へのアンチテーゼ描写! いや、最近の大河ってさぁ、登場人物の出自や立場や居住空間をガン無視して、何かというと幼少期に『子供だから別にええやろ』的なノリでトメクレ級のキャラクターと接点持たせようとするじゃん? あれって何もしていない頃の主人公の特別感を出すには便利だけれども、それ以上にガッツリとリアリティが削られるのよね。人間、そうそう簡単に接点は生まれないよ。況してや、今よりも身分や交通手段の制限が厳しい時代は特にそうだよ。これは『八重の桜』さえやってしまっていましたからね。まぁ、八重ちゃんの場合はヒロインの特別性ではなく、容保公の人間的優しさアピール(≒政治的欠点アピール)になっていたから、アリっちゃあアリなんですが。それは兎も角、ここでのニアミスがあったからこそ、先回ラストの四三と治五郎の抱擁は実に運命的に見えてくる。伏線の逆回収といいますか。時系列が前後していることで成立している伏線なので、あとあと第一話を見返した時にグッと来る構図になっているといいますか。繰り返しの視聴に耐え得る作品を心掛けているのかも知れません。ちなみに実次兄貴は微妙に勘づいていそうでした。うっかり官兵衛の頃に比べると色々と察しがよくなったな。逆にイマイチと思えたのがナレーション。少なくとも『父が嘘をついた』以降の文章はいらんやろ。そんなもん、映像を見たら判るわ。

 

 

3.ばってん八重ちゃん

 

春野スヤ「たーったひとめーでよかばってーん♪」

 

何だ、ただの天使か。

 

鉄砲から短槍を経て、自転車という平和でハイカラな文明の利器と共にNHKへ戻って来た綾瀬さん。うっかり官兵衛の弟の藤堂平助がはいからさんスタイルの八重ちゃんとフォーリンラブという配役がデタラメ過ぎて面白い。ちなみに、この時点で新島八重は存命中です……というか、金栗が参加したストックホルムオリンピックから二十年後のロサンゼルスオリンピックの直前まで御存命でした。しゅごい。あと、多分、咲さんも生きていると思う。

それはさて置き、今回一番唸らされたのが当該シーン。あ、いや、登場シーンではなく、四三が海軍兵学校の入試で不合格になったと聞かされた時の返答です。

 

春野スヤ「将来、四三さんの奥様になんなはる方は喜びなさるとじゃなかね? 軍人さんは戦争になったら、御国のために戦わにゃいかん。ばってん、戦争にならんにゃ手柄も立てられんで、出世は難しか。どっちにしたっちゃ、奥様は報われんもんね」

 

このロジック、当時としてもちょっと変わっているなという印象を受けますが、決して現代視点ではないのですね。現代視点でもちょっと変わっているなというイメージになっています。それでいて、当時の価値観とも現代視点とも決して相容れない内容ではない。

 

『成程! そういう考え方もあるのか!』

 

という、絶妙なポジションに落とし込んでいる。実際、この当時は軍人になれないと鉢巻に懐中電灯を二本ブチ込んでドンパチやらかす程に人格を歪めてしまう程の同調圧力が後年よりは強くなかったので、純粋に『変わった子だな』というホワッとした印象で着地させている。これは書いている人間が自分の頭を使わないと出てこない台詞です。単純に現代視点、或いは当時の価値観のみを当て嵌めている訳ではないことが伝わってきました。

映像的にもスヤは自然に四三の内面に入ってきますね。スヤの制服を見た四山が『お嬢様学校タイ』といったあとで、スヤは制服が濡れるのも構わず、四三と共に川に入って来るのですが、その場面を殊更に強調しない。何時の間にか、一緒に川の中にいる。普通は川に踏み入れる一歩目をアップにしてもおかしくないですが、そういうベタな感動を取ろうとしない姿勢はすこ。見れば判るようになっているのが嬉しい。

尤も、それと相反するように四三の心情をナレーションで説明するのはどうにかならないものか。

 

ナレーション「何故、この人は時々、将来の嫁の気持ちを代弁するのだろう?」

 

好きってことだよ。

いわせんな恥ずかしい。

 

まぁ、色々と文句はあっても、結構楽しめた第二話でした。取り敢えず、次回は1クールのアニメでも一年間の大河ドラマでも共通の節目ともいうべき第三話。ここで今後の方向性なりクオリティなりが確定するのではないかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『いだてん~東京オリムピック噺~』第三話『冒険世界』 & 『トクサツガガガ』感想(ネタバレ有)

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『トクサツガガガ』からの『いだてん』というNHKの本気コンボに気持ちよーくKOされた今週は両作品の感想記事。書きたいことが沢山あるので、前置きなしで本編に入ります。まずは『いだてん』から。

 

 

1.『いだてん~東京オリムピック噺~』第三話『冒険世界』感想(ネタバレ有)

 

『イヤダッコハイマサラ』

『ペ』

『キミノニイサンドウカシテルゼ』

『カンジワカッテンジャン』

『ギャンイッテギャーンイッテギャーンイイヨルバッテンギャーンギャーンギャーン』

『ボクノジャナイデスカナクリクンデス』

 

 

与力「あれ? 何だか一話二話よりも更に面白い? きてる? 何故だ? 一話二話よりドッカンドッカンきてるぞ! あれれっ? 何だ、おい……何だ何だ? 去年まではクドカン作品なんて全然ツボに入らなかった筈なのに、どうしちまった? い、いかん! あんな小賢しい記事を書いちまったあとでバカウケしましたなんて、恥ずかしくていえるか! こうなればもう、大河ブロガーの意地として絶対に笑わん!」

 

 

『シソーサンオタッシャデー!

『オクサマツエガムキミデゴザイマス!

TNG!TNG!

『レンコンノアナカラセカイハミエンバイ!

『コレウテバイイノネ? ハイバーン!

『メンドクセーノヒッカケチャッタナ!

 

 

与力「……ううっ! だ、ダメだ! もう耐えられん! 考えてみれば、日曜夜八時に面白い作品が放送されるのを待ち望んでいたのは俺だ! 腐っても『GO』とか『かんべえ』とか『花燃ゆ』とか『西郷どん』とかの総評を書いてきた大河ブロガーの端くれだからな! だ、だから! だからこの……だからこの……何も考えずにスタッフがテキトーに撮ったシーンでも、必要以上に深読みしてバカウケしてしまうのだ!」

 

スタッフ「テキトーには撮っていない!」

 

 

 

 

1クールのアニメでも一年間の大河ドラマでも共通の最初の節目ともいうべき第三話。今後の方向性やクオリティが確定する重要な回なので、放送前は可能なかぎり、冷静な視点で物語を分析しようと試みましたが、そんな決意は対魔忍級の即落ちで崩れ去ってしまいました……本気のクドカンには勝てなかったよ……何も考えずに純粋に45分間たっぷりと楽しんでしまった。不覚。第一話の東京編と第二話の熊本編のリンクが単純な足し算ではなく、掛け算になっているのか、面白さの倍率ドン、更に倍。今回は単体でも充分面白いのに、第一話から見ていた視聴者的にはカノちゃんペとか、三島家の人々のブッ飛び具合とか、永井道明の鬼舎監ぶりとか、僅か三話というショートスパンでもキッチリと伏線をすることでキャラクターを立ててくれていることが嬉しい。これが面白さ倍増の秘密かも。第三話の時点でかなりの登場人物が出てくるのに、既に概ね見分けがつくのが凄い。第四クールに入っても桐野と川路と村田の区別がつかない、口に上せるのも不吉という意味で敢えて名を秘する某大河ドラマとは大違いです。現時点では上手く機能していない戦後パートも、将来的にはキチンと本編とリンクしてくるのかも知れません。唯一の不安は、このノリとペース配分で幻の東京五輪とかいう生臭イベントを描くことが出来るか否か。可能性としては、

 

①意外とソツなく政治劇もこなしてくれる。

②政治劇ガン無視する代わりにエンタメ路線でカバーする。

③政治劇からは逃れられずに失速する。現実は非情である。

 

この三択。勿論、大前提は①を希望しますが、今回までのノリとイキオイを最終回まで持続出来るのでしたら②も許容範囲。ただ、このクオリティとテンションを中盤以降も維持するのは難しそうなので③も充分あり得そう。『負け惜しみ』との自覚は都合よく棚にあげて、まだまだ慎重に見極めていきたい。

残りは雑感。

 

 

 

美川秀信「いっちゃなんだが、金栗氏、君の兄さんどうかしているぜ」

 

見送りにきた金栗家の鼻汁祭りにドンびきする前髪クネ男。確かに傍目には色々とヤヴァイ集団にしか見えませんが、彼らが入学する学校との因縁浅からぬ中の人の前世の兄貴のことを考えるとコイツにだけはいわれたくないとの思いを禁じ得ません。最前線から辛うじて生還した弟に『ふーん、じゃあ死ねばいいよ』と吐き捨てた兄貴、ホント鬼。『死ね』という言葉を口にした時にはスデに行動が終わっているプロシュート兄貴に比べれば、辛うじて常識人に思えなくもないというレベルです。尤も、弟は弟で永井道明に『冒険世界』でシバかれた途端、

 

美川秀信「僕のじゃないです。金栗君のです」

 

と平気で仲間を売る辺り、余人であれば、人格歪むレベルの前世での厳格な教育の記憶は引き継がれなかった模様。更に吉原通い&門限破りの罰として肋木吊るしの刑に処されるとか……健次郎が公衆の面前でM字開脚とは……何だこれは……たまげたなぁ。

真面目な話をすると、美川君の熊本disが凄かったですね。一応、主人公の地元なのに、

 

美川秀信「僕ぁウンザリだね! あぎゃん田舎でレンコンの穴から阿蘇ば眺めて、レンコンの穴にカラシば詰めて……レンコンの穴からは世界は見えんばい!」

 

という一歩間違えたらからし蓮根への熱い風評被害になりかねない台詞をブチ込む度胸は恐れ入った。そして、四三の幼少期~少年期の熊本パートがキチンと描けているから、視聴者も上記の台詞をギャグとして受け取ることが出来たのでしょう。このシーンが何気に一番印象に残りました。

 

 

 

シマ(漢字わかってんじゃん)

 

杉咲花さんという若手最有望株の贅沢過ぎる使い方。彼女の置かれたシチュエーションとリアクションだけで三島家のヤヴァさがヒシヒシと伝わってきました。仕込み杖はガチだからね。流石に野球のボールを居合宜しくズンバラリしたのはフィクションだと思いますが、天狗倶楽部といい、三島和歌子といい、存在自体がヘタな創作を凌駕している連中ばかりなので、迂闊な断定は禁物。溜めなしでスタートのライフルをブッ放した三島弥彦がまだしも常識人に思えるレベル。こういうファンタジーを感じさせる創作は大歓迎です。

今回、ストーリーの一翼を担った『不如帰』騒動。これは『八重の桜』でも描かれたように『あの』徳富蘆花が自らの失恋と私怨を筆に叩きつけた結果、比類なきベストセラーを生み出したことに端を発しています。この逸話と取りあげたのは史実と創作をゴッチャにして批判しないようにという『いだてん』制作陣の予防線と思えなくもありません。尚、作品の風評被害を受けた人々に対する原作者のコメントは、

 

 徳富盧花「『不如帰』の小説は姑と継母を悪人にしなければ、人の涙をそゝることが出来ぬから誇張して書いてある。お気の毒にたえない」 

 

うーん、この世界のヘイポーも裸足で逃げ出すエクストリーム謝罪文。『物事をに挟めるか挟めないかで考える安いダチワイフ面』とか『寄せては返すアラいいですねぇの波』とかに匹敵する、ハナから謝る気ゼロの文面ホントクズ。しかも、これ、捨松さんが亡くなる直前に漸く出した文章ですからね。あの兄弟、人間的におかしいだろ。誰が教育したんやろうなぁ(すっとぼけ)

 

 

 

春野スヤ「四三さぁ~ん、御達者で~!」シャカシャカシャカシャカ

 

自転車で汽車に並走するスヤさん半端ないって!

 

一応、主人公とヒロインの別れの場面ですが、悲恋とか感動とかよりも笑いが先に立つのが凄い。もう、スヤさんをオリンピックの代表選手に選んだほうがいいんじゃあないかと思えました。ちなみに『いだてん』スタッフのツイッターによると『列車と並走するシーンは、リハーサルなしの一発撮り。時速はおよそ30キロ』とのこと。カメラワークによるフォローを差し引いても、キャラクターだけでなく、中の人も色々とおかしい。自転車で汽車に並走するなんてシーン、綾瀬さん以外では想像つかないなぁ。まぁ、綾瀬さんでもギャグ要素強めでしたけど。ここまで来ると、無理を承知で綾瀬さんに人見絹枝を演じて欲しくなってしまいます。大河でダブルロールもたまにはええやろ。

 

 

 

紀行ナレーション「(天狗倶楽部は)スタートからゴールまで川があろうが家があろうが、ひたすらまっすぐ進むレースを企てました」

 

男塾名物『直進行軍』かな?

 

八十年代ジャンプの読者層であれば、誰もが同じ連想したであろう、天狗倶楽部のドンびきエピソード。ここ数年は本編よりも内容が充実していることが、時に批判の対象となることもあった『紀行』ですが、今回は『それを本編でやったら視聴者ドンびきだから紀行で許したるわ』と思えました。何年かぶりに『本編』と『紀行』の関係性が正常に戻った気がします。でも、私個人はドラマで見たかったかも。

 

 

 

2.『トクサツガガガ』第一話『トクサツジョシ』感想(ネタバレ有)

 

仲村叶「二人とも『好きな番組がゴルフで休みになる呪い』に五年くらいかかれ!」

 

NHKでニチアサキッズ視聴者にしか判らないネタやめーや。

 

ヲタク趣味のない視聴者には何をいっているのか絶対に伝わらないネタを平然とブチ込んでくる姿勢、嫌いじゃないぜ。あと、地味に駅伝&マラソン中継も忘れるなよ! まぁ、私の場合は特撮ではなく、プリキュアですが。

さて、こちらは『いだてん』放送後の番宣CMでビビッと来て、即刻録画予約を入れた作品でしたが、昨年の『やけ弁』と同じく、直感通りの面白さでした。ヲタク独特の心理や思考回路の解説&描写がいちいち面白い。特に仲間は欲しいがヲタバレしたくない心理を、信仰を明かせない隠れキリシタンのジレンマに擬える件が最高。私自身は特撮ヲタの傾向は殆どありませんが、

 

仲村叶「何で特撮のグッズはあんなに主張が激しいんだよ! カッコイイ! カッコイイんだけれども……こう、スッと買えないんだよ、スッと!」

 

というヒロインの心理は一昔前のプヲタに近いものを感じました。NWOがブレイクするまでのプロレスグッズの選択肢の狭さは異常でしたからねぇ。そして、ヲタバレしたくないとかいいつつも『KAGE-CHANG』の曲をチョイスしてしまうヒロインの心理も判る。ヲタってヲタバレはしたくないけれども自己主張はしたいんだよ! トップになって目立つのは嫌とかいいつつ、全ジャンルで3位を取り続けることで、己の優位性を密かに主張し続けた吉良吉影的な発想。究極の選択においても欲が勝ってしまうのも似ています。

ただ、本作で描かれるヲタの心理や描写や人物造型が若干古いというか……現在進行形のヲタというよりも、一昔前のヲタ層の印象を受けます。イクトゥス作戦のカギとなったスイングホルダーも、昔は出るまでガチャを回さなくちゃあいけませんでしたが、今は『ネットでポチればええんちゃうん?』と思ってしまいました。それと、私個人の経験でいうと、今の若い女の子はヲタ呼ばわりされるのを昔ほどは恐れていないですね。それこそ、昔のヲタといえば、世間からはバッタモンのフィギュアのような目で見られるどころか、性犯罪者予備軍という目で見られていましたけれども、今の子はフツーにアニメも漫画も特撮も見るのではないでしょうか。まぁ、私は特撮ヲタには詳しくないので、あまり断定的なことはいえないですけれども。それと心君の名前はダミアンのままでええんか?

それでも、一般的なヲタ心理は見事に描けているので、少しでもヲタの自覚のある方は見て損はありません。明日の深夜に第一話の再放送があるので、見逃した方は是非!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『いだてん~東京オリムピック噺~』第四話『小便小僧』 & 『トクサツガガガ』感想(ネタバレ有)

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美川秀信「人間は! 好き嫌いで働くものだ!」

 

ナレーション「ここぞとばかりに『坊っちゃん』の台詞を引用した美川君でしたが、悲しいかな、この場にいる誰一人として『坊っちゃん』を読んでいませんでした」

 

この『ヲタクあるある』ネタ!

 

会社や学校で好きなアニメや漫画や小説の台詞をドヤ顔で披露したのに、元ネタを知る人が一人もおらず、ダダ滑りに終わるという、ヲタクの誰もが一度は通る悪夢に見舞われた美川君。現在、絶賛放送中の『トクサツガガガ』とのコラボネタと思えなくもないシーンでした。ちなみに『トクサツガガガ』は第一話~第三話の一挙再放送が決まったとか……まだ第三話は放送していないのに色々とおかしくないですか? 寧ろ、放送前は結構な頻度で宣伝やメイキング特番が組まれていたのに、本編が始まって以降は意外とプッシュされない『いだてん』の扱いに疑問符。まぁ、視聴率が振るわないらしいからね。多少はね。

個人的には当該場面で美川君がカレーライスを食べているのがツボ。前世が日本で初めてカレーを食べた人なんだよなぁ。尚、洋食ばかりでコメに飢えていたからカレーをチョイスしただけで、肝心のルゥは残した模様。『寿司のシャリ残し』とかいう現代の忌むべき風習を明治に実行していたとはたまげたなぁ。しかし、如何に『小』の話題とはいえ、カレーライスを食べている人の横で排便の話をする四三君も大概ですね。

内容的には次回で第一話のエンディングに繋げるためのショートリリーフ的エピソードがメイン。この序盤の構成は『Vガンダム』方式、或いは大河ドラマ的に『葵~徳川三代~』方式と呼ぶべきでしょうか。なかなかに凝った手法ですが、慣れていない視聴者は戸惑っているかも知れません。この辺が視聴率の奮わない理由の一つと思われます。あとは何かというと登場人物が半裸になることに拒否反応を示す視聴者もいるかも? まぁ、私は逆に登場人物が服を着ていることに違和感を覚えるようにさえなっていますけれどもね。天狗じゃ! 天狗の仕業じゃ!(AA略)  そんな今回のポイントは3つ。まぁ、一つは『トクサツガガガ』の簡易感想だけどね。

 

 

1.山川「俺の来世の嫁キタ━━(゚∀゚)━━!!」

 

大森兵蔵「日本でオリンピックのクォリファイングラウンドを開催する日が来るとは」

大森安仁子「『予選』ネ」

大森兵蔵「ワールドレコードにレジストレーションするなら」

大森安仁子「『世界記録』ニ『登録』スルナラ」

大森兵蔵「ワールドスタンダードなスタジアムを造るべきです」

大森安仁子「『世界基準』ノ『競技場』ヲ造ルベキデス」

大森兵蔵「いちいち訳さなくていいよ、安仁子」

大森安仁子「ダッシュイット! ア、スミマセン……『クソッタレ』デス」

 

何で嫁が通訳しているんだよ。

 

クッソ、こんなので……腹筋が筋肉痛を起こすレベルで爆笑してしまった。クドカン食わず嫌い王&初心者の私には判らないのですが、これがクドカンの笑いの流儀でしょうか。教えて、偉い人。単純にギャグとして面白いだけでなく、初登場のキャラクターを一発で視聴者の脳裏に焼きつけるテクニックとしても優れています。感想記事で何度か書いていますけれども、本作は登場人物が多い割に『コイツ誰だっけ?』というキャラクターが殆どいないんですよね。モブがいないといってもいい。いや、流石に天狗倶楽部全員の名前と顔は一致しませんが、コイツらは裸の人たちと覚えておけば、特に問題なさそうなのでセーフにしておきましょう。少なくとも、OUTではないと思います。

 

 

2.嘉納治五郎「『韋駄天』はいまぁす!」

 

嘉納治五郎「返さなくてもいい借金もある……『正当な理由』があれば。それが私の持論だ。日本の体育……いや、日本人の教育のために金銭が必要なんだ。私が借りているんじゃあない。国が、日本が借りているんだ! 日本の利益のために! だから、返す必要なし!」

 

見事なまでのアクロバティック三段論法を披露した嘉納センセ。そもそも、最初の『正当な理由があれば借金は返さなくていい』の時点で既に間違っているのですが、二つ目の『日本の教育のために金銭が必要なんだ』と、三つ目の『つまり、これは国の借金で俺の借金ではないから、俺が返す必要はない』という論旨がそこそこ説得力あるので、全体的に正しいことをいっているように思えてしまいます。思えない?

 

『帝国軍とマトモに戦って勝つ見込みはない』

『ここでミスを犯しても、勝率が下がる訳でもない』

『つまり、今更何をやらかしても不都合はない』

 

という、回廊の戦い直前のアッテンボローの言い草に近いものがあります。この嘉納センセのアクロバティック三段論法は単純なコメディではなく、のちのち、これと同じノリで前後の見境なしに突っ走った挙句、予算やら期日やら政治上の問題やらで返上を余儀なくされた東京五輪に繋がるのでしょうね。クドカンの明るい筆調でどこまで幻の東京五輪の闇に迫れるかという不安がありましたが、まずはキチンと伏線を張ってくれたのは嬉しいかぎり。

その一方で三島弥彦による、

 

『これからはスポォツの時代が来る』

『スポォツには金銭が要る。富める国でなければ、スポォツは普及しない』

『将来、スポォツが国力を測る物差しになる』

 

からの『銀行家なら投資すべきではないか』という、こちらは真っ当な三段論法が却下されてしまう場面との対比も面白い。先項で触れた日本人の英語を外国人に通訳させる場面といい、こうした逆転の構図が今回の肝であったように思いました。

 

 

3.『トクサツガガガ』第二話『トライガーノキミ』感想(ネタバレ有)

 

吉田さん「あの時……私、ハッとしたんだ。『同期の子たちが子供に買うものを自分に買っているんだ』って……」

 

おい、やめろ……やめろ……。

 

買った訳ではないけれども……いや、買っていないからこそ、俺の手元にあるミラクルライトが胸に突き刺さるぜ。ところで、これ、電池交換したいんだけれども、どこから分解すればいいのかな?(末期症状)

そんな訳で第二話にして、既に幾度もヲタクの心を殺しにかかるガチシュートな作風が話題の『トクサツガガガ』。いや、ホント、本作のヲタク描写のリアリティは凄いよ。シシレオーのメインウェポンの話題で、

 

仲村叶「間髪入れず、獅子刀って返ってくる!」

吉田さん「間髪入れず、獅子刀って返してしまう……」

 

のやり取りは、ふるゆきさんと初めてお会いした際に『へうげもの』の話題での、

 

ふるゆきさん「有楽斎がサッと懐から取り出した銃がカッコいいんですよ!」

与力「あのフリントロック式の奴ですね! 判ります!」

ふるゆきさん「……間髪入れずに『フリントロック』って単語が出てくる時点でオカシイですよ!」

 

という流れを思い出してしまいました。ヲタクあるある。更に、

 

吉田さん「リアタイってことは三歳から六歳くらい? 私、エマージェイソンの時、中一だったんだけど……年齢が十近く違うってこと?」

 

と絶望する件も、オフで会う直前まで『五十から六十くらいのダンディなオジさんやろうなぁ』と思っていた相手が一回りも年下の妙齢の女性だったりして、チビりそうになった件とモロ被り。ちなみに現在でも『この人、私をオジさんだと思っていたんですよ!』とイジられます。もう許してクレメンス……。

それでいて、ヒロインがヒーローショーの写真を撮影する場面での、

 

吉田さん「ダメですよ、画面を見ていちゃ……」

 

の台詞は『判る判る! プロレス観戦でもカメラに収めたシーンは記憶に残らない! 肉眼で見たシーンこそ、最高の思い出なんだよ!』と思わせておいて、

 

仲村叶「ものゴッツイの出てきた!」

吉田さん「いいシーンを狙ってもダメです! 兎に角、ガシガシいかないと!」

 

と生半なヲタク視聴者ドンびきのシーンに繋げるとか、ホント、よく出来ている。視聴者のヘイト稼ぎまくりのチャラ彦も、結果的に主人公と吉田さんの連絡先の交換に貢献するといった具合に、単純なヲタク視点の価値観で終わらないのもイイ! 冒頭で書いたように現時点で放送していない分も含めた一挙再放送も決まっているので、見そびれた方は是非、この機会に御覧頂きたい。

 

『トクサツガガガ』はいいぞ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『いだてん~東京オリムピック噺~』第五話『雨ニモマケズ』感想(ネタバレ有)

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『歴代ワーストに並んだ「いだてん」 背景にクドカンへの“無茶ぶり”?』

 

ふーん、じゃあ篤姫と天地人をエンドレス再放送すればいいと思うよ。

 

内容は兎も角、視聴率的には大成功を収めたたぶちんと小松江里子(呼び捨て)の代表作を垂れ流しておけば、少なくとも数字に関する批判を受けずに済むでしょう。勿論、大河ファン的にとっては悪夢でしかありませんが。

尤も、記事自体は意外にもここ数年の大河批判の中では比較的マトモといいますか。

 

・クドカン脚本食わず嫌い層の存在

・時代や場面がコロコロ変わる

・近現代ものは大河でウケない

・志ん生(現代パート)のキャスティングミス

・主人公二人体制の不安定感

 

この辺は視聴率が伸び悩んでいる原因をキチンと分析していると思います。手前味噌で恐縮ですが、私も第一話の感想記事で同じようなことを書きましたからね。少なくとも、

 

・海が汚い

・会津弁が聞き取りにくい

・藤村志保さんのナレーションがおどろおどろしい

・吉田松陰は〒口リス卜

・きりカスうざ過ぎ粛清されるね

 

といった近年大河への批判記事に比べれば、物語の構造に踏み込んだ評価をしている分、筋が通っています。『江』と比べたら『天地人』のほうがマシというレベルの話ですが。

ただ、視聴率低迷の原因を探る段階で終わるのではなく、そうした欠点を孕みつつも、本編が面白いか面白くないかの領域まで踏み込んだ記事を書いてくれると嬉しいですね。それこそ、私のようにクドカン脚本食わず嫌い王暫定日本チャンプ(自称)でも、今では毎週の放送が楽しみで仕方がない視聴者も確実に存在するのですから。

そんな訳で今週も楽しませて頂いた『いだてん』。ゴール地点での念願の治五郎だっこを経て、今度はだっこする側に回った主人公とか、志ん生は志ん生で憧れの人のために走る=語り部と主人公のリンクするシーンとか、マラソン途中の食い逃げ睨みあいという創作のような史実描写とか、戦国大河で例えると合戦シーンに相当するマラソンシーンに一話の半分を費やした制作陣の覚悟とか、色々と見所は多かったですが、今回は一本に絞らせて頂きます。それくらい、ガツンと来たシーンでしたので。尚、MVPは永井道明。普段の鬼舎監ぶりと裏腹の誰よりも参加者たちのコンディションを慮る言動&泥酔した可児さんの煽りに浮かべた憤怒の笑顔が最高。そうなんだよ。『直虎』の感想で書きましたが、本当に怖い人は笑っている時が一番怖いんだよ。或いは『真田丸』の小日向秀吉のような無表情ね。怒りで怖さを表現するのは必ずしもベストの方法ではないと思う。

 

 

1.矛盾の人

 

シマ「奥様といい、弥太郎様といい、この家はどうかしています! 日本一ですよ! 新聞に御名前が載ったんですよ! 写真つきで! 何故、触れないのです? 何故、一言『よくやった』と労いの言葉をかけてあげないのです?」

三島弥彦「それが三島家の定めさ。僕が有名になろうが日本一になろうが、学生の道楽に変わりはない」

 

『天狗倶楽部』とかいう明治のぐらんぶるでバカ騒ぎにうつつを抜かしているように見えて、実は一族の中での自分の立場をキチンと弁えている三島天狗。このシーンを見た時、私は『コイツは意外と自己客観能力が物凄く高いキャラクターなのか』と思いました。これはこれで、普段のバカ騒ぎぶりとのギャップが際立つ名シーンなのですが、この場面の背景には、

 

弥彦が自分の部屋に自分の半裸写真を大パネルで飾ってある

 

のですね。つまり、自己客観能力の高さと同時に物凄いナルシストであるという、弥彦の矛盾した人間性を一つのシーンに詰め込んでいる訳ですよ。このシーンを見た時、思わず『どっちやねん!』と画面に突っ込みを入れてしまう程にウケてしまいました。ストーリーと関係なく、台詞と画のギャップでサラリと笑いを取るのは、ドラマというよりも漫画の技法に近い。これをドラマでやるのはメチャクチャ難易度が高いと思うのですが、ギャグの意図を前面に出していないのも好き。リアクションに定評のある杉咲さんも平常テンションで演技しているし、BGMも『世の中が変われば女子のスポォツも盛んになるかも知れない』という弥彦の台詞に沿った感動系に近い音調になっている。でも、私のように妙なところでツボる人間には堪らないギャグシーンとして成立している。これは脚本ではなく、現場の判断かなぁ。こういうギャグを台本にわざわざ描くのは無粋ですし。ここ数年、現場と脚本が微妙に噛み合わないのではないかと思える大河が続いていますが、今回のシーンを見るに、今年は現場も登場人物のキャラクターを把握しているっぽい。この辺は『あまちゃん』のスタッフ再登板というのがプラスに働いているのかも知れません。

 

ともあれ、これで初回ラストに合流した『いだてん』 。次回以降の構成も今までの『葵~徳川三代~』方式が引き継がれるのか、それとも、通常モードに切り替わるのか。次回予告を見ると嘉納治五郎おじさんの無茶苦茶ぶりにターボが掛かりそう。あと、史実を知らないので、ここからどうやって四三とスヤさんが結ばれるのかも興味津々。大河で登場人物の恋愛事情が気になるのは初めてかも。

あ、それと今週の『トクサツガガガ』も面白かった! 最初はツンツンする追加戦士という特撮&プリキュアの王道を踏まえた展開とか、素人をに引きずり込もうとする吉田さんの手口&企み顔がリアルのヲタ女性に丸被り過ぎて逆に笑えなかった(口調とか論旨とかそっくり過ぎるのよ)とか、特撮って俳優の黒歴史といわれた時の仲村さんの下瞼がピクッとなる演技の細かさとか、色々あったけれども、こちらも一つに絞るとしたら、

 

お母ちゃん(関智ボイス)「ほらぁ、見てみぃ。可愛いらしいやないの、叶ぉ。叶はかぁいいなぁ……」

 

こんなもん笑うに決まっているだろ。

 

若干、色っぽいのが逆にムカつくわ、全く。

 

 

 

 

全方位向けデンプシーロール的時事記事

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某御役所の不正調査や某アイドルグループのスキャンダルに関する対応の稚拙さが物議を醸している今日この頃。ここ数年で最もクオリティの高い謝罪会見を行ったのが弱冠二十歳の学生という時点で、日本は色々と手遅れかも知れないと思い始めている与力です。久しぶりの時事記事は特に題材も結論も決めずに筆の赴くままに書き殴ろうと思います。毒気&引用が極めて多し。生臭系の話題が苦手な方は御注意頂きますよう、宜しくお願い致します。

 

さて、少し前にツイッターで古典は本当に必要なのかというタグが話題になりまして、実に様々な意見が交わされましたが、これに関する私の考えは『YESでありNOである』といったところです。

YESの理由は単純に『知っていて損はないから』ですね。純粋な知識・教養というだけでなく、

 

「寺院の号、さらぬ万の物にも名を付くる事。昔の人は少しも求めず、たゞ、ありのまゝに、やすく付けけるなり。この比は深く案じ、才覚をあらはさんとしたるやうに聞ゆる。いとむつかし(寺の名をはじめとして、昔の人は何かに名前をつける際には少しも気負わず、ありのままの判りやすさを心掛けたものであるが、最近は僅かな知識をひけらかす意図がミエミエの凝ったネーミングばかりでウンザリする)

 

という『徒然草』の一文を知っていると『E電』とか『高輪ゲートウェイ駅』とか『たちあがれ日本』とか『国民の生活が第一』とかいうネーミングセンスの持ち主が、どの程度信用に値するかを事前に察することが出来ます。古文同様に漢文も、

 

「上礼はこれを為して、而してこれに応ずる莫ければ、則ち臂を攘ってこれを扔く。夫れ、礼なる者は忠信の薄きにして、而して乱の首なり(マナー好きは自分たちが正しいと思い込んでいるマナーを腕づくで他人に強制するというマナー違反を平気で犯す。そもそも、マナー好きは相手の誠意を信じないから下らない形式に拘るのであって、こういう連中が世の中の揉め事の種をせっせと作り出しているのだ)

 

という『老子』の一節を心得ていれば、マナー講師の『徳利の注ぎ口から注ぐのは無礼』とかいう戯言に乗せられずに済みます。ちなみに或るマナー講師によると特に由来や論拠がなくても相手が不快に思えばマナー違反らしいですね。正直、チンピラのインネンと何処が違うのかとの思いを抱くと共に、似たような論調を隣国との軍事・外交問題で耳にしたような気がしますが、本来の論旨から外れるのでスルーしましょう。まぁ、いい加減、ポリコレとマナー講師は自分たちの陣営で話し合いなり、バトルロワイアルなり、バルニバービの医師に頼んで全員の脳を分割&結合するなりして、正当な論拠に基づく統一見解を示して欲しいとは思います。それが成されるまでは、ポリコレとマナー講師の言い分は出典を明記しない歴史家の著作と同じレベルの信用度と見做して差し支えありません。

 

さて、逆にNOの理由は些か実用性重視の思考由来ですが、一つには日本の技術者の海外への人材流出に歯止めを掛けるために他の教科との優先順位をつけ直さなければならない段階に来ているからです。

 

アラン・ブレード「日本じゃ理系大学を出ると昇進も出世も難しい。技術を持った専門職を『浮き世離れしている』ととらえて、文系が『管理する』という構造があるからだ。日本の官僚に理系大学出身者がどのくらいいると思う? たったの3%だ。つまり、数学や物理、化学等の学問をおさめた人間は日本にいればバカを見るだけなんだ。日本は技術立国だなんてほざいちゃいるが、実態はこんなもんさ。実際に才能ある理系の研究者は日本を捨てて、どんどん海外に流れてる」

 

という、今から十五年以上も昔に放たれた災厄の男の箴言が、現代では少子高齢化社会と並んで、国全体が共有する危機感になっている現状を見過ごすことは出来ません。技術立国の地歩を維持するには、学校教育の段階から人材育成と確保に努める必要があります。

もう一つ、更に深刻な問題は、現場の教職員のやり甲斐搾取に依存した現行の教育制度は何時崩壊してもおかしくないからです。先日、或る教育機関に関連した実に痛ましい事件が発生したのは御存知でしょうが、全く以て、教育機関の対応は悪手の極みと断罪せざるを得ない一方、マトモな残業手当や休日手当も支給されず、モンペや近隣住民の対応に追われる教育現場の労働環境を実際に聖職に携わっている方から伺った身としては、斯くも過酷な状況下では何処かで悪手が出てしまうのはコーラを飲んだらゲップが出るくらいに確実ではないかと思ってしまいます。そうした背景を一切無視して、単純に悪手のみを切り貼りする報道の数々に、

 

田口章太郎「こうなるんだろうなぁって思っていたら、やっぱり、こうなるんだなぁ。皆さん、何『ああしろこうしろ、そっちが悪いんだろ』的なこと言っているんですか? 本気ですか? 冗談でしょ? これは『あなたたちの問題』だ! これはサインなんですよ! 学校が壊れかけているサイン! その壊れかけている学校に自分たちの子供を預けるんですよ? 不安じゃあないんですか?」

 

という台詞を思い出してしまいました。また話が脱線しかけましたが、要するに『中長期的な視野に立ち、同時に現場の教職員の負担を速やかに軽減する』という条件であれば、古典にかぎらず、一部教科のコマ数の増減案には賛成というのが私の意見です。

 

尤も、上記の意見と矛盾するようで恐縮ですが、削ったコマ数のうち、ホンの少しでいいから、力を入れて欲しい教科があるのですよね。それは思想哲学倫理です。『道徳』でも『修身』でもありません。『何が正しいか』を教えるのではなく、一つの事案に『どのようなアプローチの仕方があるか』を考える機会を学校で増やして欲しい。

ここでツイッターの話題に戻りますけれども、近頃、或る社長さんが一〇〇万単位の金銭をフォロワーにバラまくという実に景気のいいことをなさいました。これ自体は『それで経済が回るのなら有難い』と気にも留めなかったのですが、それに続く『RT1件ごとに心臓移植を待つ方への寄付を上乗せする』という企画には違和感を覚えたものです。

予め申しあげると、当該事案で寄付を募ることや、寄付に応じることには全く異存はありません。『孟子』も目の前で生命の危機に瀕している子供を助けたいと感じる心を惻隠の情と呼び、これを人間の最も基本的な善であると定義していますが、今回のケースは惻隠の情と同等レベルで、心臓移植に付随する生命倫理、即ち、他人の生命の在り様に介在する責任に留意しなければならなかったと思います。寄付も正しい。寄付を呼び掛けるのも正しい。しかしながら、心臓移植という誰かの確実な死を前提とする事案を、身銭を切らない=責任を負わない第三者の多数決に委ねるが如き行為が倫理的に正しいか否か、議論の余地があり過ぎるのではないでしょうか。

繰り返しますが、寄付は惻隠の情に基づく高貴な精神の発露です。今回のケースでも募金は寄付した金銭に相応する『他人の生命に介在する責任を負い、権利を購う』ことを意味します。金銭は誠意よりも確実で暴力よりも誠実な問題解決の手段です。これは疑いようがありません。ですが、その権利を持たず、同時に責任を負わずに済む人々に第三者の生死への関与を丸投げする行為は、些かなりとも倫理や哲学の素養を持ち、生命の尊厳に思いを馳せる教養を有する人であれば、決してやらないのではないかと思えます。

 

蜃海三郎「富によって精神的な豊かさを増す民族もいるが、残念ながら日本人はそうじゃないらしい。この成金民族がどこまで増長し、どこへ流れていくのか、いっそ見ものだな」

 

とまでは言いませんが、こういう方が億単位の金銭を動かしていることに不安を覚えるのも確かです。ちなみに私はドナー登録こそしておりませんが、運転免許証裏面の臓器提供意思表示欄には常に〇をつけています、念のため。

そうそう、免許証で思い出しました。先日、免許証の更新時期を迎えたのですが、今後は有効期限の表記が西暦と元号の併記になるそうですね。つまり、私の免許証には平成三十六年という『現実には存在しない時間』が表記されるようです。ちょっとしたSF作品の主人公っぽい心境ですが、それは兎も角、今回の改元は不敬や不遜や不謹慎という要素抜きで『元号のありよう』を議論するチャンスであったにも拘わらず、どうにも、その機会を逸した感は否めません。少なくとも、政治、経済、司法に関わる書類はグローバルスタンダードに統一したほうが合理的ではないかと思うのですが、どうでしょう。

 

取り敢えず、ここ数カ月で言いたかったことは書き切ったかな。世間ではインフルエンザが猛威を奮っているとのこと。何卒、御自愛下さいませ……っと、インフルエンザで思い出しました。往古の日本ではインフルエンザをタニカゼと呼んでいました。これは江戸時代……否、本邦角界の歴史でも屈指の大横綱である谷風梶之助に由来しています。谷風が生前、

 

「土俵上で俺を倒すことは不可能。俺が倒れているところを見たければ、風邪にかかった時に来い」

 

との豪語したことから、この当時に流行った風邪のことをタニカゼと呼ぶようになりました。この谷風を題材とした落語に『佐野山』があります。病気の母親を抱えた力士のために谷風が八百長で負けるという内容で、事実ではありませんが、美談として語り継がれるネタで、少なくとも、近現代以前の相撲興行において八百長は必ずしも忌むべきものではないと考えられていた証左といえるでしょう。

先日、あるスポーツのトップアスリートが成績不振を理由に引退を表明しました。その要因は諸々存在するにせよ、本来、ある程度の星の遣り取りを前提にしてきた競技が、ガチンコオンリーへの転向を余儀なくされたことによる、選手生命の短縮化という側面は拭えないでしょう。以前も記事にしたように私は当該競技における星の遣り取りを必ずしも否定しませんが、世間はガチンコでなければ気が済まないようですね。それはそれで別に構いませんけれども、その場合は当該競技を他のスポーツと同様に扱うのが筋ではないかと思います。具体的には階級制の導入ですね。時に50~100キロ近い体重差の選手に同等の条件でガチンコをやらせて喜んでいる方々は、

 

アイアン・マイケル「おまえは体重差がワカってない! ボクシングがなぜ、17階級もあるか考えてみろッ! ミドル級程度のオマエがマスターと打ち合うなど自殺行為なんだッ!」

 

という言葉を胸に刻む必要があるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

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『いだてん~東京オリムピック噺~』第六話『お江戸日本橋』感想(ネタバレ有)

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先週の険悪ツンツン関係から一転、同時に二人ものツイカセンシをGETした『トクサツガガガ』や、いい意味で一回こっきりの視聴に特化したおっぱいが宇宙を救うSFジュブナイルアニメ『ペンギンハイウェイ』。そして、見開き一杯の画面構成で不期遭遇戦の緊張感を見事に表現した『荒川版アル戦』など、本来は徒然日記の形式で諸々触れる予定でしたが、今週は『いだてん』のクオリティが高過ぎて、深夜録画実況のあとで密かにもう一度視聴した&余韻を壊したくなかったから、レンタルしてきたゲースロ七部(二回目)も録画しておいたプリキュアも見ないで寝たくらいなので、今回は大河ドラマの感想に集中致します。大河でここまで完璧なコメディに特化した回は見たことがない。それでいて、史実の事件やキャラクターの心情や現代パートとのリンクもキチンと描くという周到ぶり。純粋にしゅごい。

実は前回の羽田予選で物語が一段落したこともあって、今回はストーリー的には大人しくなるかなと予想していたのですが、全くそんなことはなかった……というか、ここまで放送された回は全部アタリですからね。普通はそろそろ、アタリ回とハズレ回がハッキリしてくる頃合いなのですが、今のところ、全話が70~90点(※主観的評価です)の範囲に収まっているという……六話放送して六話とも面白い大河ドラマなんて、滅多にないですよ。どうしちまったんだ、クドカンの奴……元々才能があったのか? 大河に順応し過ぎだ!

尤も、世間では低視聴率への批判に加えて『朝ドラでやれ』とか『チャンバラのない大河は無意味』とかいう意見もあるようですね。まぁ、私自身も大河ドラマの系譜に連ねていいのかの判断はつきかねていますが、本作は大河の充分条件には程遠いものの必要条件の何点かは満たしているとも思います。少なくとも、

 

1.主人公無双型・全肯定型の物語ではないこと

2.ムサ苦しいおっさんたちが角突き合わせる会議シーンがあること

 

この二点をクリアしている時点で、大河ドラマの必要条件の33%は満たしているのではないでしょうか。題材や時代や主人公が大河に向かないという意見もありますが、直江兼続や浅井三姉妹や黒田官兵衛や西郷隆盛といった中トロ・大トロ級の恵まれた題材から如何なる作品が濫発されたかという歴史的事実を鑑みれば、題材や時代の知名度を大河の判断基準にするのは、視聴率で作品の善し悪しを測るのと同レベルの発想でしかないでしょう(ただし、三歳児でも爆発物と認識し得る地雷を踏み抜いた『花燃ゆ』は除く)。本作スタッフは是非、現在の路線を貫いて欲しいと思います。そんな今回のポイントは4つ。

 

 

1.天狗じゃ! 天狗の仕業じゃ!(AA略

 

可児徳「天狗のビール代までこっちに回って来るとは……」

 

タダでさえ、予算不足の体協に羽田予選でのビール代を回す天狗倶楽部マジ天狗倶楽部。しかし、天狗倶楽部の首脳部は基本的にディレッタントな富裕層で構成されているので、予選会場の建設は兎も角、宴会の酒代レベルは自分たちで何とか出来た筈です。後述する安請け合い癖から想像するに、治五郎おじさんが酒の勢いで『今日の飲み代はウチの奢りだ!』とでも口走った可能性大。可児さんが側にいたら、何とか制止出来たかも知れませんが、可児さんは可児さんで酔いに任せて永井センセを壮絶にdisっている真っ最中でした。ある意味、因果応報と言えなくもありません。

それはさて置き、兎に角、日本にも体協にも金銭がないことを猛烈にアピールした今回の『いだてん』。そして、金銭がないという問題の自覚がありながらも、

 

嘉納治五郎「言えるか? 『金銭がないから連れていけない』と彼に! 私には言えない!(キリッ

 

と理想論・人情論・根性論にスリ変えてしまう治五郎おじさんマジ無責任の極み。『金銭がないからオリンピックには連れていけないなんて言えない』という治五郎おじさんのロジックは、後年の『食い物がないからといって退却してもいいのか』という牟田口の屁理屈に通じるものがあります。組織と予算という、オリンピックから先の大戦を経て、現代にも通じる問題をコメディというフィルターを用いて辛辣、且つ、軽妙に表現する本作の姿勢大好き。こういう方角から幻の東京五輪に迫るかぁ。成程ね。

他には可児さんが優勝カップに予算を注ぎ込んだと知った安仁子さんが問い質すシーンも好き。初登場時に亭主を罵ったシーンからも判るようにブチギレると英語になるのよね、この人。こういうキャラクター設定が面白く、掴みやすいから、登場人物がモブ化しないのでしょう。全員、何処かネジが外れている割に妙なリアリティがあります。

そして、そんな治五郎おじさんの熱意と裏腹に『オリンピックにはいきません!』と宣言してしまう四三君でアバンタイトル終了。アバンタイトルでこの内容の濃さ!

 

 

2.んほぉ~この世界記録たまんねぇ~

 

嘉納治五郎「平凡な記録なら私だってこんな大声張りあげやしないがね……何故、君は! 何故、世界記録なんか出したんだね!」

金栗四三「」

 

嘉納治五郎とかいう無茶振り理不尽おじさん。

 

うーん、この『じゃあなんで最初から【自主規制】ちゃんをヒロインにしなかったの!? 君のチョイスミスでしょ!?』とかいう某テイルズコピペに匹敵する理不尽発言。治五郎おじさんとしては、全国制覇を掲げておきながら不良の道に堕ちたミッチーへの『夢見させるようなこというな!』というメガネ君に近い気持ちであったのは想像に難くありませんが、肝心の四三君は楽しめればそれでいいという、ゴリにリフトアップスラムを食らった部員レベルの意識しかなかったからね、仕方ないね。お前とオリンピック参加するの息苦しいよ。しかも、治五郎おじさんは口では、

 

嘉納治五郎「言葉も文化も思想も違う国の若者が互いを認めあい、技を競いあうんだ!」

 

といいつつも、実は誰よりも記録に拘っている一方で四三君は、

 

金栗四三「国際大会など無理です! 自信のなかです! 行けば『勝ちたか』と思うし、また、勝たんと期待ばしてくれる国民が許してくれんでしょう! 生きて帰れんとです!」

 

と治五郎おじさんよりも競技スポーツの弊害を心得ていました。直後に治五郎おじさんがブチギレたのは、自分の下心を見透かされたように感じたからでしょう。このシーン唯一のツッコミどころは、

 

金栗四三「……裸で?」

嘉納治五郎「裸で走れというのではない!」

 

の遣り取り。君は先週まで普通に裸で登場していただろ! 治五郎おじさんとは別の意味で私も(裸がなくて)ガッカリだよ!

 

 

3.究極のキメラ

 

嘉納治五郎「学費については心配するな! 外務省に一時立て替えを交渉しよう。それでも無理なら、校長の私が全額負担しようではないか!」

可児徳(アカン)

 

もうやめて! 可児さんのライフと財布はとっくにゼロよ!

 

留学生の身の安全を最優先したとはいえ、エエカッコしいの動機が全くなかったとも言い切れない治五郎おじさん。ここまで来ると誰か無理にでも止めない奴がいないといけないのではないかと思いますが、何せ、治五郎おじさんは日本最強と評される講道館の総帥なので、力づくで捻じ伏せるのは難しそうです。しかし、よく、講道館もこんな嘉納治五郎の無茶振り理不尽おじさん設定にOK出したな。実に素晴らしい。今回の留学生への救済措置も(人道的には)いい話だけれども(経済的には)いい話じゃないという、なかなかに表現の難しいところであったと思いますが、そこをギャグに落とし込むとは。

勿論、タダの無茶振り理不尽おじさんではなく、日本人初のオリンピック参加に躊躇する四三に、勝やオグリンも同行した遣米使節団の故事を引いて、

 

嘉納治五郎「何事も最初はつらい。自信もなかろう。しかし、誰かがその任を負わねば革新の時は来ない」

 

ここまでコメディで引っ張っておいて、不意に名言みたいな台詞をブチ込んでくる構成は卑怯やろ。思わず、ウルッと来てしまったやないですか! これを見れば、嘉納治五郎という人物が単なる無茶振り理不尽おじさんではないことが伝わってくるから、講道館的にもOKなのかも知れません。尤も、その直後、オリンピックへの出場を決めた四三君に、

 

嘉納治五郎「渡航費と滞在費の件なんだが……これはあくまでも提案なんだが……君が出すってのはどうかな? わが体協が支弁するという前提だったが、考えてみれば、それが君を追い込んでいるのではないかね? 君が君の金銭でストックホルムにいって思う存分走るのであれば、勝とうが負けようが君の勝手。気楽なもんだ。国を背負うだの、負けたら切腹だのと頭を悩ませることはない……レースに集中出来る!」

 

さ……最低の発想だッ!

 

ものの見事に四三君を丸め込んでしまう治五郎おじさん。流石にジュードーマスターは精神的にも相手を抑え込む術を心得ているようですね。しかし、エエカッコしいの安請けあい&口から出まかせ出たとこ任せの人間性……何処かで見た記憶があると思ったら、あの『真田丸』の御屋形様とスズムシじゃあないですか。嘉納治五郎とかいう上杉景勝と真田昌幸のハイブリッド。傍迷惑(確信)

 

 

4.運命の挿入

 

勝蔵「カンチョー!」

金栗四三「アッ――――――!(ポトン

 

日本陸上競技の黎明の鐘を鳴らす手紙がカンチョーで入ってしまうとは……何だこれは、たまげたなぁ。

 

先述したように裸成分抑え目の今回でしたが、それを補うように挿入されたカンチョー描写。これはひどい。もっとやれ。ちなみに四三の渡航費用一八〇〇円は現代の貨幣価値に換算して約五五〇万円である(古谷徹ヴォイス)『これくらい国で払ってやれよ! 払ってやれって! 四三だって頑張ってんじゃねぇか!』と思ってしまうのは、やはり、現代的価値観なのでしょうね。

そして、オリンピックへの第一歩を踏み出した四三の心情に被せるように、戦後編の教科書の朗読を持ってくる&志ん生による『富久』のアレンジに四三と思しき人物を匂わせる&第一部の主人公と第二部の主人公と二人を繋ぐナレーションが日本橋で交錯するというラストが完璧。今回は連続ドラマの一話に留まらず、一つの単品作品としても綺麗に完結していた感がありました。戦後編との絡みを中心に情報量多めなのに、全く煩雑さがない。コクがあるのにキレがいという、某ビールのキャッチコピーを想起してしまいましたよ。繰り返すようですが、視聴率とかテコ入れとかに拘らず、現在の路線で突っ走って欲しい。本作に願うのはそれだけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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