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荒川弘版『アルスラーン戦記』第68章『シャフリスターン狩猟祭』感想(ネタバレ有)

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エトワール……第一章で一度ルシタニア捕虜としてアルスラーンに会った少年。この出来事はアルスラーンに異国の文化や世界の広さを知らせる思い出深いものとなった。

 

恐らく、次回には判明することと思いますが、この欄外に記されたキャラクタープロフィールには重大な事実誤認があります。勿論、本編では一度も触れられていないうえ、編集さんも判ってやっていると思いますが、本作で初めてアル戦に触れた読者諸兄には、アナスイやホットパンツ的なトラップと思えなくもありません。或いは原作やアニメと異なり、本作ではガチで上記の設定を貫く可能性も微レ存。実際、最終巻まで読むと『それでも別に問題なかったよな』という扱いではありましたので。そんな今回のポイントは3つ。

 

 

1.小さい男

 

ザラーヴァント「俺は大きな鹿を獲ったぞ! この勝負、俺の勝ちだな!」

イスファーン「いつ、おぬしとの勝負になったのだ」

 

イスファーンが何かと因縁や恩義のある狼を見逃したことも知らず、鹿を仕留めて御満悦なザラーヴァントさん。遠景のみの描写なので、正確なことは判りませんが、他の獲物と比べても自慢する程の大きさではないように思えてしまうのは気のせいでしょうか。イスファーンに対するドヤ顔といい、微妙な戦果といい、何気に他人をイラッとさせることに定評があるようです。ザラーヴァントさんは武勇と共に土木工事の指揮統率に秀でるという、パルスの加藤清正とも評すべき人物になるのですが、現時点では統率者としての才幹は開花していない模様。まぁ、今後の話になりますが、ザラーヴァントさんはパルス首脳部では珍しく、何度も死の瀬戸際に立たされたり、家族がロクな目に遭わなかったり、地味に活躍の場面が少なかったりと、貧乏籤を引く役回りが多いので、そうした経験を糧に人間的に成長してゆくのでしょう、多分。基本的にダリューンやキシュワードを目立たせるためのジョバーなんだよな、コイツ。同じ時期に加入したとはいえ、イスファーンはイケメン補正があるし、トゥースはムッツリ(スケベ)補正があるけど、ザラーヴァントには何もないから、ちょっと可哀想。

 

 

2.ド迫力

 

パルス軍ルシタニア軍「「敵だ!」」

 

前頁までのほのぼの狩猟モードが一転。二頁見開きで不期遭遇戦の緊張感が描かれていました。頁を捲ると場面の空気が変わるという漫画の技法の御手本のような場面ですね。偵察任務の途中でアリサの駆るシャーマンと出くわしてしまったアヒルさんチームのよう。原作では意外とウヤムヤに始まり、ウヤムヤに終わってしまう今回の戦いですが、漫画版では緊張感が半端なかった。

この場面のツボは自分がアルスラーンの護衛であることを失念していたジャスワント。敵兵からアルスラーンを逃がすという判断は間違っていませんが、SPが保護対象に付き添わず、逃げるに任せるという雑な仕事っぷり。これは確かにダリューンとナルサスとファランギースに寄ってたかって絞め殺されても文句のいえないレベルの大失態でした。まぁ、ジャスワントは今まで潜入工作や間諜活動がメインでしたので、慣れない護衛役でイッパイイッパイになっていたのかも知れません。その意味では多少は同情の余地アリ?

 

 

3.エクスキューズ

 

ナルサス「偶然の遭遇か……さすがにそこまでは、この俺でも読めん!」

 

ルシタニア軍との不期遭遇戦の報せに珍しく、驚愕と焦燥の表情を浮かべた未来の宮廷画家殿。確かに偶然の遭遇まではナルサスの知力の及ぶところではありませんが、わざわざ口に出していうと、何やら偶然だからノーカンと言い訳をしている印象も拭えません。何処となく、語尾にキリッがついていそう。退場するまで『静流さんに投げられたのは稽古だからノーカン』と言い張ったケンちゃんに近いようにも思えます。思えない?

この場面では、

 

ナルサス「おぬしと話していると深刻さを忘れるな」

アルフリード「……深刻なんだね?」

ナルサス「全くの想定外だ」

 

の遣り取りが、アルフリードのオリジナル台詞でナルサスの焦りを判りやすい形で補完してくれて実に嬉しい。原作では意外とサラッと流されていましたが、漫画版ではナルサスの表情や行動から非常にヤバイ状況という雰囲気がヒシヒシと伝わってきました。原作に一言二言添えることで、当時読んでいて気づかなかったことに改めて気づかされます。ホント、荒川センセは凄いわ。

 

 

 

 

 


『いだてん~東京オリムピック噺~』第七話『おかしな二人』感想(ネタバレ有)

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嘉納治五郎「金栗君が自費でオリンピックに行きたいと言い出してね」

三島弥彦「そうですか……(疑惑の目)

 

 

 

 

アバンタイトルの時点で無茶振り理不尽ホラ吹きおじさんの本領を発揮した嘉納治五郎センセ。初っ端から色々と飛ばし過ぎだろ。純朴な四三君には情に訴える&口車に乗せる手口を用いる一方、プライドの高い三島天狗には『国内最強を自負しても世界記録には届かんだろ? 第一、選手登録されていなかった奴の記録なんかアテにならんわ』との抗議メールを見せつけることで、負けん気を焚きつけて、オリンピックへの参加を促すテクニシャンぶりを披露。三島天狗も十中八九、ブラフ&挑発と承知していたに違いありませんが、最終的には自宅で土下座と見せかけてのクラウチングスタートという完堕ちぶりでした。『くっ! 嘉納天狗の口車には屈しないッ!』からの『んほぉ~オリンピックたまんねぇ~!』の流れは対魔忍級の即堕ち様式美です。そもそも、治五郎おじさんが見せた抗議メールも、三島天狗のハートに火をつけるために自作自演で用意した偽手紙の可能性さえありそうです。自前の偽手紙で相手を手玉に取るヤリクチは『真田丸』のスズムシと同じですね。そんな治五郎おじさんの本性も知らず、

 

金栗四三「厳格な! いや、崇高な! いや、偉大な! いや、と、と、と、とつけむにゃあ人です! その嘉納先生が『往け』と仰る! もう断る理由はなかです!」

 

と休学&借金&未来の人間国宝が裸体を晒してまで、オリンピックを目指す四三君。憧れは理解から最も遠い感情。はっきりわかんだね。まぁ、今週の中盤で四三君も治五郎おじさんの本性を垣間見るシーンがありましたが、可児さんの日頃の苦労に比べたら微々たるものでしょう。そんな今回のポイントは3つ。

 

 

1.契約は契約だ

 

嘉納治五郎「よし! これで君たちはオリンピックの日本代表だ! 金栗君! 三島君! 勝てとは言わん! 精一杯戦ってきてくれ給え!」

 

そんな治五郎おじさんに騙されての口車に乗って、まんまとオリンピックのエントリーシートに署名をした(してしまった)四三君&三島天狗。普通の物語でしたら、遂にオリンピックへの扉が開いた感動的なシーンに見える筈ですが、如何せん、嘉納治五郎とかいう無茶振り理不尽ホラ吹きおじさんの所為で、何処となくメフィストフェレスの口車に乗って魂を差し出す契約を結んでしまったファウストのように思えてしまいます。思えない?

さて、サブタイの『おかしな二人』というフレーズ通り、様々な場面で対比が成された金栗四三と三島弥彦。悪魔の契約書エントリーシートにサインするまでは『行きたいのに金銭がない四三』と『金銭があるの行かない三島』と評されましたが、実際に交遊が始まってからも『遠く離れているのに家族と心は繋がっている四三』と『近くで暮らしているのに家族に応援してもらえない弥彦』といった具合に、様々な意味で対照的に描かれていました。相変わらず、キャラの立て方が抜群に巧い。特に三島天狗は足でピアノ弾いてもおかしくないくらいのブッ飛びキャラなのに、食事のマナー講習にも拘わらず、何も喉を通らなかった四三に握り飯を包んでやる心遣いが素晴らしい。真に貴族的というのはこういうことですね。マナーに不慣れな者を公衆の面前で面罵したり、嘲ったりする輩は如何に尊い血統と豊かな才能と深い教養を有していようとも、その性根は下衆と評するしかありません。その意味でも三島弥彦は痛快男児であり、そうであるからこそ、自室に己の半裸写真を飾るというナルシストぶりとのギャップが最高に面白く感じられるのでしょう。ホンマにシリアスシーンでの三島天狗の半裸写真やめろ。あんなん卑怯やん。絶対に笑うやん。毎回、治五郎おじさんの校長室で微妙に見切れて映る山川の肖像画と同じくらい笑ってしまいますわ。

笑うといったら、今回一番ウケたのは、

 

大森安仁子「何モ聞コエナカッタ(威圧

可児徳「」

永井道明「」

 

これは二、三人殺っている目だ。

 

 

2.ホラ吹きの系譜

 

嘉納治五郎「私が海を渡って、欧米視察に行ったのは二十九の齢だ。その際、餞にと或る人がこれを譲ってくれた。誰だと思う? 勝! 海舟だよ!(ドヤァッ

 

成程、治五郎おじさんのホラ吹きは勝の影響か。すげー納得だわ。

 

キャラクター的には抜群に面白いけれども、その源泉が何処にあるのかが微妙に伝わりにくかった嘉納治五郎の無茶振り理不尽ホラ吹きおじさん設定でしたが、上記の遣り取りで全てに納得出来ました。今までの治五郎おじさんの言動が言葉ではなく、心で理解出来た瞬間。手足が吹き飛んでもスタンドを発動し続けた兄貴の姿を見て、一皮剥けたペッシの心境に近いでしょうか。勝と嘉納治五郎の親交自体は知っていた筈なのに、そこに気づかなかったとは不覚。そりゃあ、勝の洗脳……じゃない、薫陶を受けたら、龍馬みたいな舌先三寸の人間が育つわな。実際、この場面でも、

 

嘉納治五郎「験を担いで、ここ一番の勝負には必ず、これを着ることにしている。フランス大使館に出向いて、オリンピック出場を決めたのも、この服だ!」

 

とか、如何にも物事考えていそうな御託を並べていますけれども、第一話から見ていた視聴者は治五郎おじさんが最初はオリンピック出場を辞退しようとしていたことを忘れていません。四三君には耳障りのいい言葉であると同時に、視聴者には一発で嘘と判る重層的な台詞になっています。それでいて、

 

金栗四三「質に入れるとですか?」

嘉納治五郎「勝負の時にしか着んからね。何しろ、勝海舟の刺繍入りだ。値打ちが下がらん。これは体協からではなく、私個人からの餞だ」

 

と四三のハートをガッチリと掴んでしまう描写も巧い。実際、単なる無茶振り理不尽ホラ吹きおじさんでしたら、誰も嘉納治五郎に金なんて貸さない訳ですよ。でも、こういうふうに要所要所で相手の心を掴む人誑しの才能と魅力を備えているからこそ、彼の恩義や理念に報いようと借金に応じる人がいる。この辺の人物の掘り下げも巧い。

更にいうと勝から贈られた服を質に入れてまで、四三君の洋服代を出した治五郎おじさんは一見すると立派に思えますが、参加費用を四三君に私弁させる方針自体は何ら変わらない訳で、目先の美談に釣られて朝三暮四&朝令暮改を繰り返した挙句、返上を余儀なくされた幻の東京五輪の伏線になっているのかも知れません。

 

 

3.ニアミス&エンカウント

 

美濃部孝蔵「『おい、お前さん、何だってそんなに走るんだい?』」

金栗四三「?」

美濃部孝蔵「『火事なんだよ、火事!』」

 

今回一番唸らされた、四三君と孝蔵の初めて会話と見せかけて、実は落語の稽古というテクニカルなオチ。食わず嫌い暫定日本王者の私がいうのも変ですが、これがクドカンの味でしょうか。嫌いな人は嫌いでしょうけれども、好きな人にはトコトン好かれるのも理解出来ます。

その美濃部孝蔵。

 

古今亭志ん生「断っておきますが、今日、あたくし、あんまり出番がないんです。この間、ちょっと頑張り過ぎちゃったんで、調整日になっております」

 

とのメタ発言通り、今回は出番少な目……というか、全体的に大衆紙のネガキャン記事で叩かれた要素が概ね意地の悪い形で取り入れられた内容に思えました。具体的には志ん生パートのセーブとか、勝や乃木といった有名人の登場とかね。まぁ、記事が出た時点で今回の撮影は終わっていたでしょうから、流石に偶然と思いますが、そうしたネガキャンの要望通りに作劇したら面白くなったかといえば、そんなことは全くなかったのも確かです。

四三と乃木のエンカウントも『あり得ないことではない』にせよ、かなり、条件は厳しいと思うのですよね。先日、友人に創作の参考資料として、明治期の山川の動向について知りたいとの相談を受けて、ブログに歴史記事を書いただけの私如きが何を語る資格があるかとの畏れ多さに苛まれつつ、それでも、精一杯調べてお答えしたのですが、一番喜ばれたのが何年何月頃に何処で何をしていたかという記録でした。例えば、明治二十一年四月二十八日には学事巡視として近畿、四国への出張を命じられていると御伝えしたところ、

 

「そういうの、もっと下さい!」

 

と『トクサツガガガ』の吉田さんみたいなことをいわれました。勿論、創作では『あり得なくはない』と『アリ』はほぼほぼ同義語と承知していますが、近現代史は具体的な行動の記録が多数残っているので、一歩間違えるとフィクションとしても成立しなくなる危険があるのですよ。あと、可児さんが透明人間という比喩を使っていましたが、ウェルズの名著は既に世に出ているとはいえ、日本語に翻訳されたのは大正二年なので、この時点の日本で日常会話に用いられる程に浸透していたかは謎です。

普段でしたら、こういう野暮なツッコミはしないのが私の流儀ですが、今回は妙にそういうところが気に掛かってしまったのですね。多分、前回の治五郎おじさんパートがハチャメチャ過ぎた&志ん生のメタ発言通り、全体的に抑え目の内容で、ノリとイキオイでスルー出来なかったのかも知れません。あくまでも偶然とはいえ、ネガキャン記事通りに作劇したら、逆に盛りあがらなかった訳で、結論としては、そうした周囲の雑音に惑わされることなく、当初の姿勢を貫いて欲しいと改めて思った次第です。

 

 

 

 

 

 

山川浩山川浩
13,820円
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まず目の前の邪魔なハ〇を叩き潰さんとな!

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『再放送情報 大河ドラマアンコール「葵 徳川三代」 2019年4月7日(日)より 全49回 毎週日曜日 朝6時から6時45分まで』

 

 

 

 

 

『太平記』『翔ぶが如く』『黄金の日日』と共に私的推薦作品四天王の一角がチョイスされたBSの大河ドラマ再放送枠。今年の大河ガチャは当たりだな。まぁ、昨年は本編が『西郷どん』で再放送枠が『軍師官兵衛』という、どんなに課金しようとも爆死確定のラインナップでしたので、今年は確率に多少の偏りが出ても許されるべきでしょう。『いだてん』もクオリティの善し悪しは別として、オールド層の大河ドラマフリーク(主に私の母親とか)に拒否反応が出ている作品であるのは否めないので、俗に最後の本格大河ドラマと評される本作が選ばれたのはバランス的にも丁度よいのではないでしょうか。それに本作を見ていれば、今年の大河ドラマのメタ発言に対する批判も少しは沈静化するかも知れないからね。

唯一の疑問点は早朝六時という謎の放送時間設定。ニチアサキッズタイムよりも二時間以上も早く、津川家康や西田秀忠や魔熟女浅井三姉妹を見せられるとは……再放送枠で視聴率を取り過ぎると本編がまたぞろ叩かれるから、早朝枠でひっそり流そうというBSさんサイドの温情なのかな? 何れにせよ朝っぱらからこんなもん見れる奴おっかしいよというミスターさんの呪詛の声が聞こえてきそう。

そうそう、ミスターで思い出しましたが、来週の『いだてん』予告が完全にシベリア鉄道版サイコロの旅を思わせる内容で草不回避。

 

三島弥彦「寝れないんだよぉ! シベリア鉄道でもう寝れないんだよぉ、俺たち!」

金栗四三「これ、編集されて、モスクワで降りて、ストックホルムのマラソンが本番みたいになるんだよ! 違うんだよぉ! 本番は寝てる時なんだよぉ! 寝れないんだよぉ!」

 

という三島天狗と韋駄天によるハルビンレポートを楽しみにしましょう。しかし、シベリア鉄道に揺られること二週間……本当に毎晩ケツの肉が取れる夢を見そう。

 

さて、話を『葵~徳川三代~』に戻しますが、以前も記事で触れたように本作は多くの大河ドラマフリークに徳川家康=津川雅彦さんというイメージを決定づけた作品です。私も津川さんの至高の歴史キャラは『五稜郭』の勝海舟と思いつつも、津川さん以上の家康は思い浮かばないのも事実。しかしながら、放送当時は『篤実で重厚な天下人』という家康の従来のイメージと正反対の演技や演出に結構なクレームも来たようで、特に家康がセカセカと爪を噛むシーンを見た視聴者の、

 

「津川が家康を演じながら、さかんに唾を吐いてる。食事時には、いかがなものか」

 

という投書が読売新聞に掲載された際、NHKが津川さんに『爪を噛むのやめてもらえませんか?』と要請した逸話が有名です。これに対して津川さんは、

 

「爪を噛んで、懐紙に吐くのは史実にある家康の癖だ。脚本家も書いてる」

 

と反論したそうで、後日、朝日系の報道機関が『あれは唾じゃない。家康の史実にもある爪だ。無料といえどもドラマはちゃんと観なさい。更に食事しながらテレビを観るな。行儀が悪い』とぐうの音も出ない正論でフォロー(?)してくれたそうですが、この騒動以降、作中で爪を噛んで吐き出すシーンが少なくなったのは、中盤以降での家康退場を前提に出番が減ったことと因果関係があるのかないのか、意見の分かれるところでしょう。

 

それで、ここからが今回の本題ですが、先日『受動喫煙撲滅機構』なる公益社団法人が『いだてん』の過剰な喫煙シーン・受動喫煙発生に抗議の申し入れを行ったというニュースを読みました。この申し入れの趣旨は受動喫煙撲滅機構のHPで読むことが出来ますが、ハッキリいって、読んで気分のよくなる内容ではありません。

 

 

『近年のテレビ・映画などにおいては、過去の時代の再現においても、当時では日常的であったが、現代では、職業・身体・民族等への差別などと受けとられる語句・表現は、使用されなくなり、別の表現に置き換えられるようになっています(例:「目が不自由」「ホームレス」など、当時はなかった表現にまで)。これは過去作品の再放送においてもその場面の音声を削除するなど、かなり徹底された自主規制がなされております』(公式HPより)

 

と『自主規制はするのが当たり前』的な発想が既に私とは相容れない訳で、こういう方々は時代劇や歴史劇でも、或る種の職業を自営巡回ゴミ漁り(Ⓒ木島ジン)という名称に置き換えないと気が済まないのでしょうけれども、最もドス黒いと感じたのは、

 

 

『もし、“時代を表すため”という理由でしたら、前述の差別表現や、当時は多くあった街のゴミ・犬の糞・立小便、はてはハラスメントまで表現しなくては、釣り合いが取れません。しかし、それらの表現がなくても、ドラマは成立するはずです』(公式HPより)

 

の一文ですね。御承知のように現在の創作作品における表現規制やポリティカル・コレクトネスは明らかに昔よりも厳しい……というかマト外れな方向に暴走しているのですが、その原因として、作品における時代性や必要性を度外視して、シーンや単語のみをパッチワークして差別とか不適切とか騒ぎ立てる連中がいることは、先述した津川家康の爪噛みクレームの逸話でも明らかです。このテの理性と常識と見境のないクレームや抗議が積み重なった果てに現在の過剰な表現規制の問題があるのですが、今回のクレームは上記した諸々の経緯をガン無視して、

 

「当時の価値観を表現するためなら、ウコやシンベンも映せよ? 何でやらないの? それをやらないってことは受動喫煙を世間に容認させて、未成年者や禁煙治療中の人たちへ悪影響を与えても構わないという、作り手サイドの疚しい心があるってことじゃあないのか?」

 

と因縁をつけている訳です。史実に即した噛んだ爪を吐く演技にさえクレームがつく御時世にウコやシンベンを映せる訳ないでしょう? ヘタにウコとかシンベンとか出したら、アンタら以外の団体がクレームつけてくるのはキャンプファイヤーを見るよりも明らかじゃあないですか? 第一、そういう風潮を作ったのは誰ですか? あなた方のような人間ですよ! 自分たちで勝手にハードルをあげておきながら、それをクリアしないから不適切と決めつける姿勢はアンフェアも甚だしいと断じざるを得ません。そもそも、俺ら大河フリークはウコやシンベンやゴミやハラスメントやおっぱいや竹中直人の御稲荷さんが映ったって一向に構やしないんだよ! 逆に映して欲しいくらいだよ! 『独眼竜政宗』の喜多の『腹は借り物』発言や、成実の『得てして女子は思いつきで物を言う』発言は、現代の価値観では完全なハラスメント案件ですけれども、それに文句をつける大河フリークなんていませんよ。『いだてん』でも四三君が三島天狗の車に立小便するシーンがあったじゃあないですか。コイツらは何を見て作品にクレームをつけているのですか?

更にコイツらは、

 

 

一、『いだてん』において、受動喫煙のシーンは、今後絶対に出さないでください。二、『いだてん』で、受動喫煙場面が放映されたことについて、番組テロップなどで謝罪をしてください。 ※ご回答は本文書到着した後、1週間以内にお願いします。※ご回答内容は、公開の予定です。(公式HPより)

 

 

と一方的にクレームを捻じ込んだうえ、勝手に回答期限を切ったばかりか、相手方の許可もなく、返答内容を公開すると通告する辺り、人間として何かが終わっていると思ってしまうのは、私がフィクション上の喫煙シーンを許容する偏屈で保守的で差別的な為人であるからでしょう、多分。

一応、誤解のないように申しあげておくと、別に『いだてん』へのクレームだから反論している訳ではありません。仮令、クレームの対象が『江』や『花燃ゆ』や『西郷どん』であっても、作品への評価とは別として、このテのクレームには賛同しないことを宣言します。そして、現実の差別や受動喫煙には基本的に反対の姿勢であることも明言します。しかしながら、こうしたフィクションと現実の区別もつかないゆとり高学歴様(Ⓒ木島ジン)的な発想や発言は、現実に被害に遭っている方への世間的な反感を助長した挙句、逆に問題解決から遠ざけてしまうのではないかとの思いも抱いています。この辺、最近話題になったネット上の画像ダウンロード規制と同じで、作り手さんサイドでさえ誰もそんな規制望んでねーよと発言するレベルの規制やクレームのせいで、本来保護されるべき方が逆に迷惑を蒙る事案に似ていますね。

尚、受動喫煙撲滅機構の当該ページの追記は以下の通り。

 

 

☆たくさんのコメントをありがとうございます。TOPページの〈寄せられた被害者のコエ〉欄へのコメント掲載(自動転載)が多くなり、同欄の本来のテーマの投稿が読みにくくなってしまったため、このニュースへの投稿はいったん非公開にいたしました。良いコメントは、あらためて別の形で公開の予定です(公式HPより)。

 

 

おいおい、反対意見が投稿されたからって、自分たちに都合のいいコメントしか公開しないのは最高にカッコ悪いぞ。取り敢えず、この団体が『葵~徳川三代~』の再放送で登場人物が煙管を吸うシーンに、

 

『もし、“時代を表すため”という理由でしたら、前述の差別表現や、当時は多くあった街のゴミ・犬の糞・立小便、はてはハラスメントまで表現しなくては、釣り合いが取れません。しかし、それらの表現がなくても、ドラマは成立するはずです』(公式HPより)

 

という周回遅れのクレームを入れるかどうかが楽しみで仕方ないのは、私がフィクション上の喫煙シーンを許容する偏屈で保守的で差別的な為人であるからでしょう、多分(大事なことなので二回書きました)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『いだてんどうでしょう~初めてのオリンピック~』第二夜『シベリア鉄道完全制覇』感想(ネタバレ有)

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チャーン♪ チャチャチャチャチャラララーン♪

チャラララララーン♪ チャーン♪ ジャジャジャジャジャーン♪ 

ジャーン♪ ジャジャジャジャジャーン♪

 

 

三島弥彦「皆さん、こんばんは! 『いだてんどうでしょう』です。 大型海外企画第一弾『初めてのオリンピック』今夜はその第二夜! どうにか新橋を出発した我々でしたが、何と肝心の嘉納治五郎先生が駅のホームで足止めされるという事態が発生! 一体、嘉納先生に何があったのでしょうか? 一方、日本海を渡り、ストックホルムを目指す我々に早くもシベリア鉄道の洗礼が襲い掛かります。そして、あの伊藤閣下受難の地であるハルビンでは金栗君がパスポートを紛失! 我々は果たして、無事にストックホルムに到着出来るのでしょうか? 『初めてのオリンピック』第二夜。どうぞ、御覧下さい!」

 

大森安仁子「ドーモ三島サン、知ッテルデショウ? 大森安仁子デゴザイマス。オイ、味噌スープ置イテカッンナ? 残サズ飲メヨ!」

 

~明治四十五年五月十六日 東京・新橋~ チャッチャララチャッチャッチャッチャッ♪ チャッチャララチャッチャッチャッチャッ♪ 

 

 

自分で書いておいておきながら違和感なさ過ぎて震える。

 

先週の感想記事では次回予告が完全にシベリア鉄道版サイコロの旅を思わせる内容であったため、壇ノ浦レポートならぬ、ハルビンレポートを期待すると書きましたが、想像以上に『水曜どうでしょう』とリンクするネタが多かった。流石に『ケツの肉が取れる夢を見た』という台詞はなかったものの、ツインルームの四人使用とか、ヒゲ(ドイツ人)のイビキで寝られないとか、料理の基本が完全に欠落しているピストル安仁子とか、想定以上のどうでしょう劇場で個人的にはバカウケでしたが、一方で『どうでしょう』を知らない視聴者は置いてけぼりじゃあないかとの不安に陥ったのも確かです。尤も、深夜録画実況にお付き合い頂いた方も『どうでしょうは知らないけど面白かった』と仰っていたので、こうした珍道中を傍から見る楽しさは予備知識のあるなしに拘わらず、変わらないのかも知れません。そんな訳で今回の感想記事は『どうでしょう』ネタ多めの構成。そりゃあ、乗るしかないだろ、このビッグウェーブに! まぁ、一応『どうでしょう』ネタ以外の視点もあります、念のため。そんな今回のポイントは4つ。

 

 

1.輪を作れ!

 

金栗四三「ば……狭か!」

三島弥彦「ウチの風呂より狭いな」

金栗四三「風呂より?」

大森兵蔵「金栗君はそっち、三島君はこっちだ」

 

三島家の風呂よりも狭い空間にバカ笑いとイビキのやかましいヒゲ(ドイツ人)と一緒に放り込まれた金栗&三島。どう見ても魔神です。本当にありがとうございました。二等客室をキャンプ地とする! これでことあるごとに『甘いもの対決』を挑んできたら完璧でしたが、流石にそこまで期待するのは御門違いというものでしょう。何気に『三島家の風呂は二等客室よりも広い』という情報も驚きですが、何せ、今日のオリンピック選手団の待遇とのギャップが多き過ぎる所為で、三島家の豪勢さが比較対象にならなく思えてしまいます。思えなくない? このシーンを見た『どうでしょう藩士』の誰もが、

 

金栗四三「僕はねぇ、大森くぅん、オリンピックに出る男だよぉ。この作品が放送されている時代ではねぇ、大規模な選手団と共に鳴り物入りで現地入りするレベルの男だよぉ。しかし、今の時代ではだ! 恐らく、日本の徒競走に誰よりも僕が貢献しているであろう僕がだ! ツインルームの四人使用!

 

の場面を脳内変換に違いありません。更に先週の感想で触れた、

 

三島弥彦「寝れないんだよぉ! シベリア鉄道でもう寝れないんだよぉ、俺たち!」

金栗四三「これ、編集されて、モスクワで降りて、ストックホルムのマラソンが本番みたいになるんだよ! 違うんだよ! 本番は寝てる時なんだよぉ! 寝れないんだよぉ!」

 

ハルビンレポートもキッチリやってくれるという有難さ。ありがてぇ、ありがてぇ……。

 

 

2.ウチヌクゾー!

 

金栗四三「ダシは?」

大森安仁子「Dash it(くそったれ)?」

金栗四三「ダシば! ダシば取らんといかんのですよ、味噌汁は! これはお湯に味噌ば溶かしただけでしょ! ねぇ?」

三島弥彦「いや、僕は作ったことないから……ただ、これは確かにまず……」

大森兵蔵「オイシイよ(威圧)。安仁子、凄くオイシイ。そして、美しい(ニッコリ)

 

ろくすっぽ……というか、完全にダシを取らない味噌汁をドヤ顔で四三&弥彦に振舞う安仁子さん。マジでピストル大泉の再現。ダシを取らないオソマ汁でヒンナヒンナするのはアシㇼパさんだけだぞ。そして、こういう人にかぎって、具材や調理方法に凝ったりするんですよね。特に安仁子さんは前世(来世?)がマッサンの人なだけにフランベ用のアルコールを恒常的に持ち歩いている可能性大。或いはアルコールランプの中身がウィスキーではないかと思います。このムダなフランベ臭! 兵蔵さんも流石にダシのない味噌汁に疑問を抱かないのはどうかと思いますが、この時点で既に兵蔵さんは病膏肓に入っているので、単なるバカップル描写というよりも、身体機能の低下で味覚が麻痺しているのかも知れません。そう考えると些か闇の深い場面ではあります。勿論、オリンピックに出場する程の健康体を誇る金栗&三島には関係のない話で、食事の度に、

 

三島弥彦「何で……何でこんな辛い目に遭わなきゃいけないの……?」

大森安仁子「何デソンナニ泣イテルノ? マダマダ帰レナインダヨ、日本ニハ! 今カラ泣イテドウスンノ、三島君! 馬鹿ジャナイノ? アト何日アルト思ッテイルノ? 泣イタッテ誰モ助ケニ来ナイヨ、コンナトコマデ! ホラ、食ベナ! コレシカ食ベルモノガナインダカラ! コレヲ食ベナイト死ヌンダヨ!」

 

と罵られているかと思うと哀れではあります。本編後半の、

 

「大森氏の体調、回復の兆しを見せず。遂に安仁子さんが自炊の中止を申し出る」

 

の件は正直、四三君も弥彦君も生き延びたとの思いを禁じ得なかったでしょう……というか、史実は兎も角、本作の兵蔵さんの病状が悪化したのは安仁子さんの料理に原因があるのではないでしょうか。どう贔屓目に見ても、安仁子さんの料理はピストル大泉のエビチリレベルにしか思えないからなぁ。

それはさて置き、この場面では兵蔵が四三君に『人前に出る時は如何なる場合も正装で日本人としての振る舞いを忘れるな』と諭す場面が重要。常に国際的な視線に重きを置く当時の時代性の表現であり、同時にそうした視点を失って以降、日本は国際社会からの孤立と国家としての凋落を辿る訳で、幻の東京五輪を描く以上、この点は避けて通れないといえます。コメディの中でも重要な要素を書き洩らさなかったことは高評価。

 

 

3.一枚目が沼田という『真田丸』に繋がる因縁

 

池辺幾江「朝はこんタライにその井戸から水ば汲んできて、顔ば洗い終わるまで、こがんして持っとらんといかん」

池辺スヤ「お義母さんが?」

池辺幾江「アンタが! おるが顔ば洗うまで!」

 

なんだ、タダの綾瀬さんか。

 

『八重の桜』や『精霊の守り人』であんだけハードなアクションやっておきながら、未だに天然系キャラがしっくりくる綾瀬さんって恐ろしい。『海街diary』では母子の関係を演じた御両名ですが、今度は嫁と姑かぁ。大竹さんも『海街diary』で共演した樹木希林さんの系譜を受け継ぐ、異様な存在感を放つ個性派ポジを着々と固めつつあるようにお見受けしました。

そんなスヤさんの元に届いた四三君の絵ハガキ。ユーラシア大陸絵ハガキの旅ですね、判ります。二枚目に凌雲閣の絵ハガキを選んでしまい、

 

嘉納治五郎「何とかインチキ出来んのか?」

 

といわれてしまうのですね、判ります。そして、

 

金栗四三「各自、鈍った身体をほぐす。それが済んだら最早することなし、話題もなし」

古今亭志ん生「人間ってぇのはどんなに気の合う同士でも、四六時中顔を突き合わせてりゃギスギスしてくるもんですな」

 

の件は『どうでしょう』視聴者のわかりみが半端ない。あの弥彦もジャニーズ的に大丈夫なのかと心配するレベルのアヘ顔を披露する始末です。そんな弥彦も終盤では兵蔵の病状を慮り、慣れない異国での汽車泊やオリンピックへの不安で疑心暗鬼&人間不信に陥りかけた四三の自信回復の後押しをしたうえ四三のためだけのTNGコールまで披露するという人格者っぷりを披露。自分の愛車に立小便をかました相手へもファンサービスを欠かさない、まさにタレントの鑑ですね。尤も、次回は四三君と三島天狗によるくんずほぐれつのベッドシーンがあるので、この時点で既にモーションをかけている可能性も否定出来ません。詳細は公式HPの映像を見て頂ければと思います。これは金栗で、ああ、こっちは三島ですね……何だこれは、たまげたなぁ。次回のサブタイは『真夏の夜の夢』ですが、どこかにの文字を入れ忘れたのではないかと邪推してしまうのも止むを得ないでしょう。ウィアーオールメン。

 

 

4.今週の無茶振り理不尽ホラ吹きおじさん

 

嘉納治五郎「私が行かなくてどうする? 団長だぞ! ジャパンチームリーダー! ジゴロー・カノー!」

 

一方、官員という立場上、おいそれと長期海外出張の許可が出ない&内閣交代の事務手続きの不備で、渡航許可が下りずに日本に留め置かれた治五郎おじさん。この辺、史実の内閣交代と時期的に一致しないので、史実至上主義ではない私でも、些か減点材料か。個人的には無茶振り理不尽ホラ吹きおじさんは借金取りに追われる禁治産者なので出国不能なのではないかと思っていました。史料に描いていないことは幾らでも想像を広げてくれてもOKですが、キチンと史料にある経緯は順守して欲しいと思います。

一方でシベリア鉄道の建設意義を描いているのは高評価。

 

福田「そもそもシベリア鉄道を通したロシア人の目的は? 野口!」

野口「はい! 貿易ルートの確保とアジアへの侵略であります!」

福田「ばってん、我が日本軍は日露戦争に勝利を収め、奴らの目論見ば一蹴した! 我らが金栗四三君擁する日本選手団は今、このシベリア鉄道を逆走してだな、今度はスポーツでヨーロッパに攻め込もうとしている!」

学生一同「うおおおおおおおお!(歓喜

 

この件は単純に当時の政治状況を描くに留まらず、近代オリンピックというものが如何に高邁な理想を掲げようとも、現実の政治力学からは逃れられないことを如実に示した場面ではないかと思います。本作のOPで力走を見せるアベベがローマオリンピックで金メダルを獲った際の熱狂も、彼の生国エチオピアが長年に渡り、イタリアに占領されていたという歴史的事実を度外視しては理解出来ないでしょう。それがいい悪いではなく、そういうことです。

勿論、我らが四三君はそうした本国の熱狂は知る由もなく、遂にストックホルムの競技会場に足を踏み入れます。この場面、スタジアムに入ってから内観を見るまでの数瞬、一切のBGMを切った演出、狂おしくすこ。実際、このテの建築物に入ると判るのですが、建物の内と外の空気の違いが五感で判るのよ。それを表現するために敢えてBGMに谷間を作ったのでしょうな。演出も判っておるのう(上から目線)

スタジアム関係でいうと、シベリア鉄道の道中で退屈のあまり、人間的に壊れそうになった四三君相手に安仁子さんが開いた英会話の授業。四三君は殆どやる気もなく、

 

金栗四三「ほえあいずざすたじあむ?(棒

 

と反射的にリピートしていましたが、これをキチンと勉強していたか否かが、彼のオリンピックでのマラソンの結果に深く関わって来るのではないかと思いました。これ、結果を知っている人間には何となく伏線であることが察せられるけれども、初見というか、予備知識のない視聴者には伝わりにくいやろうなぁ。この判りにくさが視聴率伸び悩む原因の一つではないかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

赤子の理屈で全く話にもなり申さぬ(イケボ)

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武照(六二四~七〇五)

本名で記すと伝わりにくいかも知れませんが、世に名高い武則天のことです。昔は『則天武后』と呼ばれていましたね。女性の身で大唐帝国の後宮から徒手空拳で成りあがり、実の息子から帝位を簒奪して『周(武周)』という王朝を建てました。武周王朝は彼女一代で潰え、その存在は歴史の徒花と散りましたが、数千年に及ぶ中国史上の唯一の女帝として、青史に鮮血のゴシックで名を刻んだ女性として知られています。ちなみに太宗と高宗の皇帝二代の逆親子丼という偉業を達成したことでも知られています。知られてない?

武則天は前漢の呂后、清の西太后と共に『中国三大悪女』という評判芳しからざるユニットのメンバーとしても有名ですが、その為人は兎も角、他の二名よりも遥かに指導者の資質と熱意に富んでいたといえるでしょう。特に人材管理には善くも悪くも熱心でした。自らの意に沿わない長孫無忌と褚遂良という唐建国の宿老を左遷・追放する一方、狄仁傑、婁師徳、郝処俊、姚崇、宋璟といった宰相クラスの人材の掘り起こしに成功しています。武則天の没後、復興の成った唐は玄宗の御世で開元の治と呼ばれる絶頂期を迎えますが、これを支えたのは武則天が抜擢した文官の力に拠るところが大きい。事実、武則天時代の廷臣が死去・失脚・引退などの理由で政界を去ってから、玄宗は傾国の美女と名高い楊貴妃に溺れ、政治に倦み始めるのです。

武則天の人材マニアぶりを伝える一つの逸話が残されています。彼女の専横に唐の皇族が叛旗を翻した際、駱賓王という人物が武則天を批難する檄文を書きました。曰く、

 

「一抔ノ土、未ダ乾カザルニ、六尺ノ孤、安ニカ在ル(先帝・高宗が葬られた陵墓の土が乾かないうちに、その子供らが母親=武則天に帝位を追われて行き方知れずとは、世の中どないなっとんねん)

 

これを読んだ武則天は怒るどころか、

 

「宰相ノ過チナリ、此ノ如キ才有ルニ、之ヲ流落シテ遇ワザシムルハ(これほどの文才ある者を官職につけることなく、徒に反乱軍に与させたのは政治の責任やろ)

 

と嘆息したといいます。明の李卓吾という歴史家は武則天を、

 

「試ミニ近古ノ王ヲ観ルニ、人ヲ知ルコト武氏ノ如キ者有リ乎。亦、専ラ人才ヲ愛養スルヲ以テ心ト為シ、民ヲ安ンズルヲ念ト為スコト武氏ノ如キ者有リ乎」

 

と絶賛しました。まぁ、批評家としての李卓吾は逆張りおじさんの傾向が強いので、話半分で聞いたほうがいいかも知れませんが、中国の知識人階層の基礎教養ともいうべき『資治通鑑』でさえも書きたくない事実を書かされている感満載の文章で武則天の統治能力を認めざるを得なかったので、彼女の為政者としての才幹は真物と評して問題ないでしょう。

勿論、有能な為政者といえども、何かしらの欠点があるのは古今東西共通の法則な訳で、異様な権力欲と裏返しの苛烈な粛清癖という物理的に傍迷惑な傾向を除くと、武則天には地味に面倒臭い趣味がありました。それは改元マニアということです。六九〇年の即位から七〇四年の崩御に至る十四年間に彼女が発した元号は、

 

天授、如意、長寿、延載、証聖、天冊万歳、万歳登封、万歳通天、神功、聖暦、久視、大足、長安

 

の十三に及びます。西暦というグローバルスタンダードな紀年法が存在しない時代、殆ど毎年のように元号がコロコロ変わる事態に、当時の人々は困惑したに違いありません。新文字発明マニアでもあった武則天は『則天文字』と呼ばれる幾つかの漢字も創作しました。彼女の名の『照』も則天文字では『曌』です。『明るい空』と書いて『照らす』と読ませる直截な言語センスは評価が分かれるところですが、しかし、武則天の改元癖や創作癖はワンマン経営者にありがちな下手の横好き趣味とばかりはいえないでしょう。武則天は初めに仕えた太宗のように馬上で天下を獲った訳でもなく、次に篭絡した高宗のように血筋の正当性で玉座の主になった訳でもありません。後宮を足掛かりに宮廷内部での謀略や暗闘で至尊の冠を掠め取った武則天には、常に己の権威の正当性を誇示する必要があったのです。そして、元号という、本来は万人に等しく在る筈の時間への独占命名権は、為政者には最も手間と金銭のかからない権威の喧伝手段に他なりません。政治の化け物である武則天が、このリーズナブルなプロパガンダに目をつけたのは、寧ろ、必然であったのではないでしょうか。

 

ここで、少し話を戻します。武則天が叛乱軍の発した檄文に感心したという逸話を紹介しましたが、似たようなエピソードが『三国志』の梟雄で知られる曹操にもあります。袁紹との天下分け目の『官渡の戦い』に際して、袁紹麾下の文人・陳琳が、

 

「贅閹ノ遺醜、本ヨリ令徳無ク、僄狡鋒侠、乱ヲ好ミテ禍ヲ楽シム(卑しい宦官の贅肉から生まれた礼儀知らずの向こう見ずで、他人の迷惑を喜ぶロクデナシ)

 

という苛烈極まる曹操誹謗の檄文を記しました。『贅閹ノ遺醜』はハートマン軍曹の『パパの精がシーツのシミになり、ママの割目に残ったカスがお前だ!』という表現に通じるものがあるように思いますが、それはさて置き、官渡の戦いは曹操の勝利に終わり、敗れた陳琳も捕らえられました。嘗て、自らが『贅閹ノ遺醜』と罵倒した相手の前に引き据えられた陳琳は、現世における最も残酷な処刑を覚悟したに違いありませんが、曹操は自らの面前で件の檄文を読ませると、

 

「わしのことは幾ら罵っても構わんが、パッパやジッジの悪口はやめろよ」

 

の一言で彼を赦しました。のちに陳琳は曹操麾下の文人として名を馳せ、中国史上初の文学を生み出した『漢魏の風骨』の時代を代表する建安七子の一人に列せられます。ちなみに曹操自身も息子の曹丕、曹植と共に三曹と称される文学人でした。

さて、この『建安七子』の建安とは当時の元号です。建安は実に二十四年間も続きました。治世の元号としても決して短いとはいえない期間です。況してや、この時代は『三国志』中盤の大乱世真っ只中。飢饉や瑞兆や政変や合戦の度にコロコロと元号を改めるのが当然の乱世において、建安という時代は破格の長さと評してよいでしょう。建安という元号を定めたのは献帝ですが、この後漢最後の皇帝が曹操の傀儡に過ぎなかったことは古今の歴史家の衆目の一致するところです。晩年の曹操は魏王の座に就いた際に、

 

「我ハ周ノ文王タラン」

 

と豪語したといいます。詳細は省きますが、要するに何時でも皇帝になれるが敢えてならないという意味です。曹操には身一つで庇護を求めてきた献帝を奉戴して以降、幾らでも改元を求める実力はありました。そして、いい意味でも悪い意味でも機会はありました。建安という時代は曹操陣営の視点に限定しても、許昌への遷都があり、袁術の帝位僭称があり、董承の密謀があり、劉備の離反があり、官渡の大戦があり、烏桓への遠征があり、赤壁の敗戦があり、馬超の蜂起があり、魏公・魏王への就任があり、吉丕や伏皇后や魏諷の叛乱未遂事件があり、漢中の失陥があり、関羽の猛襲がありました。特に最晩年に起きた関羽の来寇を避けるべく、曹操は洛陽への遷都さえ考えたといいます。しかしながら、曹操は遂に一度も改元を成すことなく、その生涯を終えました。遷都という莫大な手間と予算が掛かる手段に比して、極めて安あがりの人心刷新の方法である改元に手をつけなかったことは、曹操の人間性を図るうえでの恰好の材料といえるのではないでしょうか。曹操というプラグマティズムの権化は、

 

「改元による権威の誇示などは所詮、政治上のこけおどしに過ぎない。寧ろ、建安という元号を継続することで、自分が漢王朝の価値観を尊重していることをアピールする材料に利用するべきである」

 

と考えていたのかも知れません。

 

 

ここまで、治世において度重なる改元で権威を誇示した武則天と、乱世にあって旧来の元号を堅持することで己のスタンスをアピールした曹操という、二人の傑物の元号への対照的なアプローチを論じてみました。本邦でも近日中に新しい元号が発表されるということで、様々な意見が頻出しているようですが、自分の嫌いな政治家の名前と同じ漢字が採用されたら、新しい元号は使わないと宣言する向きもあるようですね。勿論、誰にでも好き嫌いはあります。その価値観は認められるべきです。しかし、万人に好かれる価値観というものも絶対に存在し得ない以上、嫌いな漢字の元号を使わないという発想は、

 

給食に嫌いな野菜が出たという理由で泣きわめく小学生のメンタリティ

 

と大差ありません。そもそも、元号の漢字に拘ること自体、元号に囚われている証左であり、以前も記事で触れたように、今回の改元は不敬不遜の概念と切り離して、純粋に元号というシステムの是非を問う恰好の契機であったにも拘わらず、この程度の議論しか湧き起らなかったことに関して、なかなかに複雑な思いを抱いている今日この頃です。まぁ、個人的には元号に用いられるかも知れない漢字の種類よりも、

 

『西郷どん』の作者が元号を決める

 

ことのほうが嫌な気分にさせられますよ。元号に用いられる漢字の選出は所詮、給食の野菜の好き嫌いレベルの問題に過ぎませんが、選考委員に『西郷どん』の原作者が入っているのは給食の調理師の中にピストル大泉が紛れ込んでいるようなものじゃあないですか。先日、ネットで話題になったコイツとAB蔵さんの対談を読むにつけ、昨年の大河ドラマがああなったのは脚本と同等レベルの割合で原作者にも問題があったことを再認識した次第。誰だ、原作者は比較的マトモとか言っていた奴は。出てこい、俺が殴ってやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『いだてんどうでしょう~初めてのオリンピック~』第三夜『美しき国々の人間破壊』感想(ネタバレ有)

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大森安仁子「あれッ! 急に目にゴミが入った! 見えないぞッ! 2人なのかよくわからないぞッ! 見ていない! 私は見てないぞ! なあ──んにも見てないッ!」

 

サブタイは『真夏の夜の(淫)夢』。

 

これは金栗で……ああ、こっちは三島ですね、間違いない。何だ、これは……たまげたなぁ。諸々の事情で(鬱憤が)溜まっていた半裸の三島君をベッドに組み敷いて(激励の言葉で)慰める金栗君。男同士、密室、数週間、何も起きない筈がなく……ということでしょうか。『いだてん』は公式が病気。はっきりわかんだね。

尚、昨晩は仕事の都合上、朝刊が届いた後に帰宅した所為で体力的に厳しく、感想は短め。まぁ、仕事自体は必要な業務なので、そこにブーたれるつもりは毛頭ありませんが、こちらの話をマトモに聞こうとしない現場責任者のナメ腐った態度に関しては、

 

加藤清澄「聞く耳持たねェんなら……いらねぇか」

 

片方だけ毟り取ってやろうかと何度も思った次第です。個人的には『西郷どん』の原作者と対談した時のAB蔵さんと同じ心境であったと自負しております。あの対談で相手の顔面にグーパン入れなかったAB蔵さんに俺は敬意を表する。私が道を誤らずに済んだのは、ヘタなことをしたら『いだてん』の続きを見られなくなるとの思いがブレーキになったからに他なりません。ありがとう、クドカン。そんな今回のポイントは一つ。

 

 

1.ギッミ♪ギミギミ♪アマジフォミーナイッ♪

 

三島弥彦「見たまえ、君の記事ばっかり! カナクリ! カナクリ! ワールドレコード・カナ↑ク↓リ↑!」

金栗四三「いやいやいやいや、三島さんも載っとりますよ、ほら」

三島弥彦「よく見てみろ、写真の下!」

金栗四三「Kanakuro?」

三島弥彦「間違えているんだ! 君の記事に僕の写真が使われている! そりゃあ、僕の記録は平凡だ! 12秒の男だよ、所詮は! ええ? ミスター12秒だよ! 期待されていないんだ、僕は! 君と違って! 高い……便器が……高いよ、便器が! 当てつけか! 爪先立ちで小便する度に『お前らが脚の長い西洋人に勝てる訳がない』と嗤われているような気になるよ!」

 

稀代の快男児・三島弥彦、遂にブッ壊れる。慣れない外国暮らし、白夜&サマータイムによる生活リズムの崩壊、練習相手の不在、伸び悩む記録と比例するマスコミの注目度の低さ、貼りついたように部屋から出てこない監督、日ごとに逆ギレの度合いを増すピストル安仁子の対応、そして、何よりも高過ぎる便器……そりゃあ、

 

三島弥彦「母さぁ~~~ん! 僕は今、ストックホルムにいまぁ~~~す! ストックホルムはぁ、今日も白夜でぇ~~~す!(意訳)

 

とホテルの窓から絶叫するのも納得してしまいます。この立て板に水を流すが如き弥彦の台詞は『夏野菜SP』のラストは、

 

大泉洋「俺がメシを作るっつったら多少の時間がかかることは判ってんだろ? 馬鹿みたいに早く出るなんて思ってるんじゃないよ! 9時に入ったって出来上がるのは4時半だよ! あんたがた晩メシ食わなくたっていいぞ! 腹なんか減る訳ないだろ! オレも全部作ってやってんだ、ガタガタいうなよ! 昼メシも晩メシも全部オレが面倒みてやってんだよ!」

 

という怒涛の畳み掛けに通じるものがあります。中身以上に台詞のリズムとイキオイで笑いを取るタイプですね。そういや、微妙に名前を間違えられる件も『どうでしょう』のKUZUI TAKAYUKIを思い出しました。『ミスター12秒』三島弥彦と『10万の男』嘉納治五郎。どちらも芳しからざるニックネームなのに、響き自体はカッコいいぞ。日本でもストックホルムでもおのぼりさんな雰囲気丸出しの金栗君は、意外にもカタコトの英語やジェスチャーやボディーランゲージで他国の選手と交流を深めたうえ、飛び込みの女子選手の水着姿を拝むというラッキースケベぶりを満喫していましたが、弥彦は英語が判り、外国に関する知識がある分、必要以上に周囲の雰囲気を敏感に察してしまっているのでしょう。

しかし、金栗や三島が置かれている状況って、本当に悲惨なのですが、本作の凄さは悲惨な状況を笑いに変えて表現することではないかと思います。ピストル安仁子の、

 

大森安仁子「何かソーリー! ホントにすみませんね!(怒)

 

の件も、旦那さんの病状が非常に深刻な事態であることを示しているのですが、普通は『こんな重い病に蝕まれながらも、俺たちと一緒にストックホルムに来てくれるとは……監督の熱意に必ず応えてみせます!』みたいなスポ根系感動泣かせシーンの方向にいってもおかしくないのに、それを安仁子夫人の逆ギレ描写というギャグに昇華させてくる。そういえば、第一話で紹介された『ドランドの悲劇』も、のちの金栗君が見舞われた事態を思うと、かなり重めのエピソードとして扱うのがセオリーですが、我らが無茶振り理不尽ホラ吹きおじさんの、

 

嘉納治五郎「うん、面白くないね」

 

の一言で片づけてしまう。必要なエピソードはキチンと盛り込むけれども、それを必ず、自分なりのギャグフィルターにかけるから、ベタで陳腐な物語にはならないのでしょう。これと真逆なのが『軍師官兵衛』でした。あれはどんなに面白い逸話も陳腐なテンプレストーリーのフィルターにかけて、ベッタベタに手垢のついた物語に仕立ててきましたからね。そして、そんな『軍師官兵衛』の脚本家さんが来年の『麒麟がくる』に参加……悪い予感しかしねぇ……いや、逆に考えるんだ。『麒麟がくる』は新手の詐欺じゃないかと思えるレベルのオイシイ話しかなかったから、これでバランスが取れると考えるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クオリティとスケジュールを人質にすんな

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さて、何を語っていいものやら、この記事も落着点が見えないままに書くべきなのか悩んでいるところですが、次回の放送視聴後に何事もなかったかのように『今週も面白かったですねぇ』的な記事をUPする程に人間が出来ている自信はないので、胸にあるモヤモヤを勢いに任せて、キーボードに叩きつけようと思います。

現時点で私が怒りを抱いている人物が三名います。

一人目は名前を記すまでもありません。テレビや新聞やネットでガッツリ本名まで晒されているミュージシャン兼俳優です。今回の検挙が違法捜査か冤罪でもないかぎり、同情の余地はないでしょう。しっかりと司法の判断に従ってくれることを望みます。それ以外に掛ける言葉はありません。年長者に対する『上から目線』の非礼を承知のうえで、敢えて言わせて頂きました。今後の放送がどうなるのかという純粋な一視聴者としての不安もさることながら、細々とはいえ、大河ドラマの感想を主体とするブログを営む者にとっては(些かならず利己的で自意識過剰な自覚はありますが)記事に頂いたコメントにどう返信してよいものかで、本当に途方に暮れてしまいました。少なくとも、純粋に作品に対する好意と賛意から御投稿頂いたコメントに対して、こういう事態が発覚してからも今まで通りのテンションで返信してよいものかどうかを夜中の一時過ぎに友人に電話で相談に乗って貰ったくらいです。正直、当該記事へのコメント返信の内容が『あれでよかった』のかどうか、今でも自信はありません。

 

事件の発覚以降、ネットでは様々な意見が見られました。『どうせ視聴率がアレだから、この機会に放送を中止しろ』という否定的な意見もあれば、逆に『作品自体に罪はないから、放送をやめないで欲しい』という同情論もありましたが、私はツイッターに怒りのネタ画像を投稿するに留まり、具体的な賛否の言葉は書かなかった。私自身は『作品のクオリティと出演者の素行は別物』と考えていることは『独眼竜政宗』の感想記事を喜々として書いていることでも御理解頂けると思いますし、仮に(非常に失礼な仮定と承知のうえですが)今回と同質の事件が過去の聳え立つ数々のクソ大河で起きたとしても『それを理由に放送を止めろといわなかった』と主張する自信はありますが、実際、自分が好きな作品で今回のような騒動が起きると、擁護的なコメントを発していいのかどうか判断に悩んだものです。まぁ、何度も繰り返すように自意識過剰も甚だしいと理屈では判っているのですが、ジャイロの『納得は全てに優先する』を人生の名言ベスト10にランキングしている身としては、心中にモヤッとした感情を抱いたままで何かを発する気にはなれませんでした。

そんな逡巡を悪い意味で断ち切ってくれたが、私が怒りを抱いた二人目の発言です。

 

『茂木氏 ピエール瀧の「いだてん」出演継続へ提言』

 

甘ったれたことを抜かすな。

 

収録済み映像の編集やテロップによる事情釈明、或いは代役の登板による撮影継続は兎も角、正当な手続きを経た司直に身柄を拘束されて、その判断が待たれる当事者を参加させないと成り立たない作品なんかやめちまえと本心から思う。『今後はこうしては如何か』という提案であればまだしも、いきなり特例を認めろという発想には賛同出来ない。そんな理屈が通るのであれば、法に拠る社会システムが基底から崩壊するではないか。法が人を守るんじゃない。人が法を守るんだ。このテの作品擁護発言は有難迷惑大きな御世話だ。

俺は『いだてん』が好きだ。今後も見続けたいと心の底から思う。そして、今回の検挙以前に発表された作品の封印や抹殺には断固反対するが、しかし、否、そうであるからこそ、現在進行形の作品のために特例的に法を枉げようとする意見にも断固反対する。純粋に騒動に巻き込まれただけの関係者には酷とは思うが、このような特例が認められたら、誰一人法律を守らず、犯罪を憎まない社会になるのは目に見えているからだ。

これらを踏まえた今後の『いだてん』記事に対する拙ブログの姿勢は以下の通り。

 

・今後の放送予定は局とスタッフと司法の判断を全面的に支持する。

・放送の継続を望むが、途中で中止になっても怨まない。

・感想記事も今まで通りのノリとイキオイで執筆する。

・スケジュールの遅延による作品のクオリティ低下を一切擁護しない。

 

たかが零細ブロガーが偉そうな物言いをしているとの自覚は重々ありますが、これくらい書いておかないと自分の中での踏ん切りがつかないうえ、上記の発言者に追随する意見が増えると、タダでさえバッシングの対象になっている『いだてん』への風当たりが益々強くなると考えて、敢えて強い物言いをした次第です。乱文、乱筆、何卒御容赦頂きたい。よし、これで取り敢えず、次回以降の感想記事に含むことなく取り組めそうです。

 

あ、ちなみに私が怒りを抱いている三人目は会社の同僚です。以下、本日実際にあった話。

 

同僚「家の中で腸炎が流行ってて、俺も体調悪いんや……」

与力「大変やな? 休まんでええんか? 仕事は出来るだけフォローするで?」

同僚「ありがとな。大丈夫や。あ、うがいするわ(蛇口から直接水ゴクゴクー)

 

 

 

 

数日後に私のブログの更新が途絶えたら、間違いなく、コイツが感染源。ううん、知らないけど絶対そう。

 

 

 

 

 

 

 

 

荒川弘版『アルスラーン戦記』第69章『聖マヌエル城の少女』感想(ネタバレ有)

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田中芳樹「15年ぶりに竜王が少年に転生した小説の続きを書いています」(巻末コメント)

 

あっ……ふーん(察し)

 

正直、最近のクオリティを鑑みると小早川幕府による日本統一からの世界制覇というオチも充分考えられる某竜王小説。『アル戦』のように事実上の皆殺しエンドになりはしないかとの危惧も抱いてしまいますが、よくよく考えると作風的に全人類が滅亡しても、四兄弟と小早川奈津子だけは生き残りそうなので、その辺の心配は無用かも知れません。でも、全滅からの再度の転生もあり得るので、油断は禁物です……というか、前巻から十五年も経過している事実のほうが、四兄弟の非常識ぶりよりも余程、信じられない事態といえます。尚、他にも『七都市物語』『灼熱の竜騎兵』などが控えている模様。まぁ、先のことは深く考えずに目の前の事態から対処していきましょう。そんな今回のポイントは5つ。

 

 

1.汚名挽回?

 

ジャスワント「痴れ者が! 貴様のような小僧の相手は、このジャスワントで充分だ!」

 

ドヤ顔で主君の危機に馳せ参じたジャスワントですが、前回、彼が眼前の戦闘に夢中になるあまり、アルスラーンの姿を見失っていたことを読者は忘れていません。自らに負い目がある時は逆に他人に高圧的に接してしまうのが人間のサガですが、ジャスワントも例に漏れない模様……というか、相手がエトワール級の強さでしたら、一刀で斬り伏せるくらいでないとアルスラーンの護衛の任務は務まらないのでは? ちなみにジャスワントもエトワールの正体を見抜けなかったクチです。何となく納得。

 

 

2.アルスラーンもロンゲ&美形

 

ダリューン「女か!」

アルスラーン「女?」

 

第一話から登場していながら、連載開始から6年目、69話目にして漸く明かされたエトワールの正体。長かったなー。幼年期に人質として一日中行動を共にしていながら、相手の性別に気づかなかったアルスラーンは地味に衝撃を受けていそうです。ここ最近、様々な試練を乗り越えて、精神的に自信をつけてきたアルスラーンですが、これでまた微妙に人間不信か自己嫌悪に陥ってしまいそう。

尤も、髪の毛が露になったくらいで、一発で相手を女性と断定したダリューンも別の意味でどうかしています。ダリューン本人もそうですが、ナルサスやイスファーンのようにパルス陣営にはロンゲの美形が履いて捨てるレベルで存在するので、ヘアスタイルのみで相手を女性と見抜いたダリューンは、遠目でエトワールの正体を見抜いたギーヴの次に女性への観察眼が高いのかも知れません。或いはトゥース以上のハーチムマイマイの可能性大。

 

 

3.暗黒騎士ダリューン

 

エトワール「離せ! 無礼な! 何をする、離さんか!」

 

囚われの女騎士(見習い)というくっころ属性を習得したエトワール。女性と判明した途端に胸のふくらみが強調されるシーンが増えたように見えますが、恐らく、落馬の衝撃でサラシが破れたのでしょう。男装のうえに隠れ巨乳という、更なるくっころ属性を保有していたエトワール、マジ、女騎士(見習い)の鑑。

そんなエトワールを乱戦の中に放置するのを忍びず、捕らえて味方に引き渡したダリューンさんもマジ紳士。尤も、黒衣の騎士繋がりで、何となく、

 

パルス兵「さっすが~! ダリューン様は話がわかるッ!」

 

的な連想をしてしまうのもやむを得ないでしょう。実際、エトワールの護衛を上半身ごと斬り飛ばすシーンはどう足掻いても悪役の雰囲気満載でしたので。

 

 

4.善戦は敗北と同義

 

バルカシオン伯爵「なぜだ? なぜ、城門が閉まらん?」

 

ダリューンが評するところの『成行き任せ』の用兵に屈してしまったバルカシオン伯爵。原作では味方兵の損切りが出来ずにズルズルとパルス兵の侵入を許してしまった感がありましたが、漫画版では焦りに駆られながらも、ダリューンの城内への侵入を見極めた時点での閉門を命じるという、絶妙の指揮を披露。勿論、原作と同じく、謎の楽士の神矢によって機を逸してしまいましたが、この命令が忠実に実行されていたら、或いはパルス軍は窮地に陥っていたのではないでしょうか。如何に豪勇を誇るダリューンでも一人で籠城兵全員を倒し尽くすことは出来ません。単騎で敵城に突入した『蒼天航路』の関羽でもないかぎり、少数で城内に封じ込められての戦死という可能性も充分あり得た筈です。そして、この時点でダリューンを失ったパルス軍が後年の戦果の挙げることが出来たかは疑わしい。チャスーム城のクレマンスといい、聖マヌエル城のバルカシオン伯爵といい、意外とルシタニア軍は人材豊富? 我らが王弟閣下は自軍の人材不足を嘆いていましたが、ひょっとすると人材を見抜く目がなかっただけかも知れません。

 

 

5.くっころしてやる!

 

エトワール「伯爵様を殺したのはどいつだぁ! 名乗り出ろ! 伯爵様の敵をとってやるから名乗り出ろ!」

 

ぶちぎれエトワール。囚われの女騎士(見習い)のくせに『くっころ』どころか、仇を取ると息巻く反応は、ラノベ的世界観に侵食された今日の価値観からすると新鮮ではありますが、恐らく、次回で口数は少ないくせに煽りスキルの高いトゥースに論破されてしまうように、バルカシオン伯爵の死因は自殺なので地面を斬る訳にもいきません。その怒りの矛先に立つかのように姿を現すアルスラーン。原作ではエトワールの一図な振る舞いがパルス軍の後味の悪い勝利感を拭い去るという展開でしたが、漫画版では別ルートありそう。原作の地下牢での遣り取りを経てからの捕縛~エトワールによるパルス軍の食糧強奪作戦という順序になるのかな? 実際、ルシタニア人の自殺を画で見てしまうと、エトワールの存在だけでそれらを苦笑に変えるは困難っぽいからなぁ。バウンドするバルカシオン伯爵のコマは地味にトラウマもんやで。

 

 

 

 

 

 


『いだてん~東京オリムピック噺~』第十一話『百年の孤独』感想(ネタバレ有)

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嘉納治五郎「……頼もしい! はじめは驚いたよ。私が遅れて来た所為で、君たちの気持ちがバラバラになってしまったのかと……いや、そうじゃない! 互いに認め合っているからこそ、自分の意見を遠慮なくぶつけ合える。これぞ、相互理解! 私の不在が君たちに成長を促した! フフフ、遅れてきて大正解!」

 

金栗四三三島弥彦「あのヒゲ殺していいよね?」

 

色々とすったもんだがありましたので、果たして先週までと同じテンションで作品を見ることが出来るのかとの不安を抱えて臨んだ今週の『いだてん』でしたが、終わってみれば、当たり続きの本作でも3話&6話に匹敵する神回に全俺が泣いた&笑った。先週の『美しき国の人間破壊』も面白かったし、来週始まる主人公・金栗四三のマラソンも楽しみで仕方ないけれども、今週は内容が『いだてん』視聴者の現在の心境にジャストフィットしていたといいますか。特に様々な不安に押し潰されそうだった選手団&視聴者の元に戻って来た、嘉納治五郎とかいう口から出まかせ無茶振り理不尽ホラ吹きおじさんの何時もと変わらない物言いが最高の救いになりましたよ。これが一週早くても遅くても、これ程までに胸に響かなかったと思う。バッド・ニュース☆グッド・タイミング! 感想書く側としても、冒頭に太字ゴシックで記したように思いっきり突っ込むことが出来る安心感! そうだよ、俺はこういう『いだてん』の軽さと逞しさを好きになったんだよ! 頼むから、このテンションとクオリティを維持し続けてくれ! 今回は書きたいことも多いから、すぐに本編に入ります。ポイントは絞りに絞って5つ。

 

 

1.個人的には今村昌平版が見たかった

 

東龍太郎「日本人が初めてオリンピックに出た時の開会式が見たいとは、流石、言うことが違うねぇ」

田畑政治「当たり前だよ、天下の黒澤明だぞ!」

 

あっ、ふーん……(察し)

 

東京オリンピック……映画……うっ、頭がっ……! 作中でモノホンの映像を使うための理由づけとしても納得ですが、今後の展開を知っている人間には、監督の人選や完成した作品への政治家サイドからの批判といった今日の五輪が抱える諸問題とも直結しそうな要素も含んでいることが判り、作劇サイドの巧さと嫌らしさを同時に感じさせるアバンタイトルになっていました。これ程までにあちこち広げた風呂敷を畳み切れるのかという不安も残りますが、現時点ではプラスに作用しているといえるでしょう。黒沢監督の『ストックホルムオリンピックの映像が見たい』という申し出におったまげる東都知事ですが、この東都知事もあの山川健次郎の娘婿という大概おったまげた人物です。八重ちゃんのお父さんが美川君の娘と結婚するというキャスティングが、相変わらずデタラメ過ぎて面白い。

 

 

2.例えばピストル安仁子とか

 

嘉納治五郎「どうした? 日本を出る時に皆仲良くやっていたじゃないか? 一体何があったんだよ?」

大森安仁子「一言デハ語ラレナイヨ」

 

ホントに治五郎おじさんが見てない間に色々とあった金栗&三島&大森夫妻。まぁ、日本を出る前も特に仲がよかった訳ではありません(大森夫妻は除く)でしたが、ロシア~ストックホルムという美しき国々の人間破壊に見舞われた彼らが、大会の直前になって美味しいところをかっさらうかのように現れた治五郎おじさんに、不満の一つもぶつけたくなる気持ちは判らなくもありません。そんな激論の中、激高した三島天狗に胸倉を掴まれた治五郎おじさんは反射的に背負い投げ。そうだ、普段の『口から出まかせ無茶振り理不尽ホラ吹きおじさんキャラ』の所為ですっかり忘れていたけれども、治五郎おじさんは『日本最強』を掲げる講道館の始祖でした。大会直前の選手を投げ飛ばすのはアレですが、

 

吉岡信敬「嘉納治五郎じゃん! 背負い投げ、背負い投げ掛けてくれよ!」

 

と騒いでいた天狗倶楽部のメンバー&第一話からずっと見て来た視聴者的には御褒美かも知れません。

しかし、その日本チームの空中分解の危機を救ったのも、冒頭に記した治五郎おじさんの台詞。正直、総責任者のおまえがいうな&モノは考えよう&我田引水自画自賛の印象を拭えませんが、こうした負の感情をプラスに転じるロジックも指導者には不可欠な才能です。いわれたほうも、ここまで開き直られたら笑うしかありませんし、金栗や三島がシベリア鉄道やストックホルムという全てが剥き出しにされる異国の地で、恥ずかしいことも隠したいことも全部曝け出して、泣きながらで真っ直ぐに自分自身に向き合い、一緒にひとつひとつ問題を乗り越えてきたのも紛れもない事実(by小淵沢報瀬)。何も判っていないように思えた治五郎おじさんは、実は彼らの現状や本質を一瞬で掴み取ったのかも知れませんね。そして、大モメにモメた『日本』か『JAPAN』かの国名表記はNIPPONで落着。これも治五郎おじさんにしてはいい落としどころだな。

 

 

3.タイムイズエネミー

 

大森兵蔵「短距離はね、タイムを競い合う競技だ。つまり、敵はタイムのみ。一緒に走る選手のことはライバルではなく、タイムという同じ敵に立ち向かう同志と思い給え」

三島弥彦「……ありがとうございます、監督」

大森兵蔵「楽になったかね?」

三島弥彦「はい、もっと早く言って貰えたら、もっと楽になったと思います。せめて、三週間前に言ってくれたら……」

 

こちらも治五郎おじさんに負けず劣らずの巧みなロジックで三島天狗のプレッシャーを取り除いた大森監督。シベリア鉄道以降、安仁子さんの料理をホメるしか見せ場のなかった大森さんが、初めて監督らしいことをいった! 確かに三島天狗がボヤくように三週間前にいってくれたら、もうちょい、メンタルコントロールが巧くいったでしょうが、物語的には盛りあがったからセーフとしましょう。

この大森監督のロジックは何気に名台詞なのですが、それを単に名台詞で終わらせないのが本作の特徴ですね。必ず、笑いのネタに落とし込んでくる。逆に最初は笑いのネタとして登場した案件も、ウルッと来る感動の場面に転化させる。そちらの代表例が和歌子さんでしょう。『便器の高さ』という細かすぎて伝わらない理由でメンタルを病んでいた時期に出した弱音の手紙に、兄貴やシマちゃんが取り乱す中、

 

三島和歌子「字など読めなくとも、息子の本心は判ります。弥彦は必ず勝つ!」

 

と、弥彦が立ち直ることを信じて疑わない和歌子さんカッケェ。第三話で漢字が読めるか読めないかがネタになっていた和歌子さんの漢字は読めなくとも息子の心は判るという素晴らしい伏線回収でしたよ。

 

 

4.何度目かのおまいう

 

嘉納治五郎「金栗君、オリンピックに出ることで君が過重の責任を負うことは一切ないんだ。国民の期待など考えず、のびのびやり給え」

 

一方、試合が近づくにつれて、徐々に情緒不安定になってくる金栗君。押し花で気持ちを落ち着かせていたのは史実のようですが、陸上競技とは無縁のリリカルで突拍子もない趣味に走ってしまう辺り、精神的に追い詰められている感が半端ありません。治五郎おじさんは上記のように『気にせずやれ』の一点張りですが、そもそも、金栗君は誰かさんの口車に乗せられて自腹で来ているので、既にそんな地点は通過したうえで悩んでいる筈です。金栗君にしてみたら『今更おまえがいうな』の一言に尽きるでしょう。仲間を危機から遠ざけるために敢えてメンバーの面前でションベンするという恥をかいたのに、よりにもよって、

 

アバッキオ「てめぇ、変態趣味になったか?」

 

アバ茶の生産者に罵られてしまったナランチャの心境に近いかも知れません。

そんな金栗君を救ったのは三島天狗。前回は白夜にウンザリした挙句、吸血鬼のようにトイレに引き籠っていた三島天狗でしたが、今回は陽光を後光に背負いながら、金栗君のプレッシャーを取り除こうとする神の如し……というか思い出しツッコミで恐縮だけれども、この時代の日本人に吸血鬼の比喩って通じたのかな? まぁ、それは兎も角、この辺は如何に治五郎おじさんがペテン師レベルのロジックを弄そうとも、実際に眼前で競技に参加した三島天狗の言葉のほうが金栗君の心に響いた模様。

 

 

5.またフレーズが増えた

 

嘉納治五郎「ドベでも二着だ!」

 

くそっ、口から出まかせ無茶振り理不尽ホラ吹きおじさんの台詞に泣かされるなんて……。

 

最終の四〇〇m走も最下位に終わった三島天狗。棄権者が出たため、準決勝への繰りあがりが確定していたものの、本戦の棄権を宣言。このレースは見ていてホントに泣けた。まず、レースの演技。中盤まで如何にかリードしていたけれども、ジリジリと追いあげられて終盤で力負けするという、フィジカルに差のある者同士の勝負でよく見られるレースの再現度が半端ない。次いで途中で挿入される三島天狗の回想。『勝ち負けに拘らない』『負けてみたい』という過去の台詞が脳内を掠めているので、一見すると純粋にスポーツを楽しんでいるように思えますが、恐らく、本心は逆でしょう。この時、弥彦は生まれて初めて心の底から勝ちたいと思ったのではないでしょうか。しかし、結果は遠く及ばず。

 

三島弥彦「日本人に短距離は無理です……百年掛かっても、無理です。もう充分走りました。察して下さい」

 

この史実に即した弥彦の台詞に無念を感じ取るなというのが無理な話です。しかし、それ程の無念を抱えながらも、敢えて『楽しかった!』と笑顔で大会を振り返るところが通快男児・三島弥彦天狗の真骨頂。カッコいい。本当にカッコいい。

そして、そんな弥彦を救ったのは我らが口から出まかせ無茶振り理不尽ホラ吹きおじさん嘉納治五郎。最下位の予選通過という微妙な事態にも『日本スポーツの記念日』と励ます一方、弥彦の棄権宣言についても、彼にオリンピックに参加しようと促した時と同じテンションで、

 

嘉納治五郎「ならばよし! 準決勝は棄権しよう!」

 

とポジティブな笑顔で応える。ホント、この人はとことんポジティブなんだよなぁ。この口から出まかせ無茶振り理不尽ホラ吹きポジティブおじさん(また増えた……)がおらず、弥彦一人でこれ程の前向きなラストを迎えられたかは微妙です。どんなに人間的にアレな描写が多くてもジゴロー・カノーはオリンピックのライトマンであることが伝わってきました。そして、弥彦からバトンを受け取った金栗君は、

 

金栗四三「俺も三島さんのように笑ってゴールばします!」

 

あっ、ふーん……(察し)

 

うーん、この少しageたと思ったら、次のsageに繋げる作劇。何処か八重ちゃんのアレに通じるものがあるように思いますが、そこはクドカンのことですから、あまり陰惨にならない程度にしてくれると信じたいです。それにしても、今回のラストは……何だこれは……二二週連続でたまげたなぁ。『服ッ! 脱がずにはいられないッ!』というのが本作のメインテーマとはいえ、まさか、天下のジャニーズがアヘ顔に続いて全裸披露とは……本当にたまげたなぁ(歓喜)。ただ、序盤は巧緻なカメラワークで急所を隠していたのに比べると、今回は手桶という安易な手段に奔ったのがマイナスポイント。うん、ホント、ここくらいしか突っ込むところがなかったですわ。

 

 

 

 

 

 

 

皆様への御報告と御願い

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先日、知人のブログを覗いたところ、気になる記事を見つけました。

こちらから連絡を取ってみると、御本人は言葉を濁しておられましたが、明らかに私のブログ記事が発端と思われます。

該当記事の文面によるとモラルに反するメッセージが送られていたようです。事実としたら、誰のブログであれ、決して許容出来るものではありません。御心当たりの方は今すぐ止めて下さい。

尚、この記事については内容上、コメント投稿不可とさせて頂きます。また、この記事に関するコメントを他の記事で話題にすることも御遠慮願います。

 

何卒、御理解御了承の程、宜しく御願い致します。

徒然日記 ~2019/03/26~

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『劇場版シティーハンター』とかいうエンドロールに全ステータスを振り切った映画を見てきました。八十年代風のストーリーフルスロットルの、見ていてケツがむず痒くなるシーンや台詞の連続で、内容的に目新しい点は何一つなく、二時間弱の『Angel Night 〜天使のいる場所〜』&『get wild』&『still love her~失われた風景~』のミュージックPVと評して問題ないでしょう。

 

お断りしておきますが、これは大絶賛の言葉です。

 

ツイッターで何方かが評しておられたように『学生時代に通い詰めた懐かしの定食屋を訪れたら、昔と同じ女将さんが昔と同じ味のメニューを出してくれた喜び』という比喩が最も適当ではないでしょうか。『美味い』『不味い』の話じゃあない。『懐かしさ』が嬉しい。ただし、原作やアニメをリアタイで見ていない人には、何が嬉しいのか全然伝わらない作品であるのも確かなので、素人さんにはオススメ出来ません。未見ですが、恐らくは『翔んで埼玉』のほうが一般性・共感性・普遍性が高そうです。ある意味凄ぇ。

ここ一カ月の間、仕事やプライベート&リアルやネットで色々と立て込んでいるので、今回は小ネタでチョコチョコと乗り切ろうかと思います。いや、アレなことばかりでなく、嬉しいことも沢山ありましたが、そのスケールがいちいちデカ過ぎたのよ。冷水と熱湯を交互に浴びせられるようなモンでしょうか。心臓に悪過ぎる。話題は3つ。

 

 

1.現時点での『いだてん』雑感

 

三島弥彦「もう、痛々しくて……アイツ、世界記録出したんだよ。アイツ、いい走りするんだよ」

金栗四三「やめろよ、もう走れねぇんだよ」

嘉納治五郎「泣くなよ、三島君。アイツだって頑張ったじゃねぇかよ。察してやれよ、察してやれって!」

 

今週は何となく『ジャングル・リベンジ』を思い出した『いだてん』。次回でストックホルム編が完結&第一クール終了と思われますが、ネットでは『いだてん』のコメディ重視の作風や、合戦シーンのない作劇を以て、本作を大河ドラマと認めるべきか否か的な議論も発生しているようですね。私的には充分条件の提示のない定義論への言及は差し控えさせて頂きますが、作品への好悪は別として、本作を大河ドラマと定義することに抵抗を感じる人の気持ちは判るつもりです。何故ならば、私自身、本作を大河ドラマと殊更に意識して見ていないからです。少なくとも、現時点では『日曜夜八時に放送されている面白いドラマ』という感覚で楽しみにしているのが実情です。誤解のないように申しあげると大河認定=名作という訳ではありませんし、その逆も然りですので、悪しからず。ただ、長年培われてきたイメージと異なるものを提示された側の心情は理解出来るので、本作を大河と認めないという意見は否定しません。そして、同時に本作が新しい大河ドラマの一形態として認知・定着することも望んでいます、念のため。

毎年、当年の大河ドラマを食べ物に喩えるネタ企画をやっていますが、現時点での『いだてん』は、

 

美食倶楽部のラーメン大河

 

でしょうか。普通の人が『美食倶楽部』に行く機会があったら、同じ重さの銀よりも高いマグロの刺身とか、アワビの塩蒸しとか、汲み出し豆腐とか、スッポンとフカヒレの鍋とかを食べたいと思うのが人情であり、そこでラーメンが出てきたら、誰もが少なからず困惑するのは仕方ないでしょう。そりゃあ、海原雄山が提供するのですから、そのラーメンは美味しいに決まっていますが、これは冒頭で触れた『劇場版シティーハンター』と同じように『美味い』とか『不味い』とかではなく、単純に気分の問題ですね。『美食倶楽部で敢えてラーメンを食う意味が判らない』という感覚で、本作を敬遠している方が一定数おられると考えると、視聴率で苦戦しているのも頷けるのではないかと考えます。

勿論、作風の好き嫌いは別として、そのラーメンは喰ったら美味しい=面白いのも確か。今回は金栗君のレースが主体でしたが、一番記憶に残ったのはダニエルですよ。彼はストックホルム編からのキャラクターなので、ホンの二~三話しか登場していない筈なのに、もう完璧に日本の応援団に馴染んでいるのよ。こういう点でもキチッとキャラクターが立っているのですから、本編が面白くない筈がない。今回の結論としては、

 

美食倶楽部でラーメンを食べてもいいじゃない。美味しいんだもの。(み〇を風)

 

でしょうか。

 

 

2.平成版『蒲田行進曲』?

 

『スローな武士にしてくれ』を鑑賞しました。ベテランの映画監督の伝統論VS最新鋭の機材を持ち込む部外若手の技術論的な物語になるかと思っていましたが、そちら方面……というか、全体的に対立構造がなく、視聴にストレスの掛からない仕組みになっていました。まぁ、基本的に映像美や最新技術を楽しむ作品なので、度の過ぎたストーリー性は必要ないという狙いでしょう。見る側よりも撮る側が楽しい作品の典型ではないかと思います。

それでも、一つ、心の底から同意出来たのは、

 

 

の件。『望月亀弥太は池田屋では死んでいない』との主張に対する監督のどうせ派手に飛ばすんやったら一番腕の立つ望月がエェという屁理屈、狂おしくすこ。これは大河ドラマでも似たような事案があるらしく、ドラマの歴史考証の第一人者として名高い小和田哲男センセにも、

 

「『功名が辻』の本能寺の変でアブ長に鉄砲を撃たせると聞いて、史実にそんな記録はないと反論したところ、当日の本能寺に火縄銃がなかったという記録も存在しないとスタッフに反論されて、引き下がらざるを得なかった」

 

という話があったそうです。小和田センセの御苦労が偲ばれる逸話ですが、この件に関しては(『功名が辻』という作品自体に対する評価は別として)基本的に製作スタッフのほうが正しいと思います。『当日の本能寺に火縄銃はなかった』と明記された一次史料が存在するか、信長に銃は銃でもミニェー銃を撃たせるような明らかに時代性に反する演出でもないかぎりは史料で明確に否定されていない事案はあり得ることと見做すのが作劇の基本です。この辺は脚本や演出次第(信長の身を案じたオリキャラに持ち込ませるとか、明智勢から奪って撃ったとか)で上手に整合性を持たせられるのですが、そこに踏み込むと話が長くなるので省きましょう。ただ、小和田センセが間違っている訳でもありません。歴史考証の立場として、指摘すべきことを指摘なさったと思います。実際、後年の『江~姫たちの戦国~』では炎上していない小谷城を豪快に燃やされたという逸話もありますので。

それは兎も角、視聴者にとっての歴史家と歴史作家の関係は、科学と宗教みたいに本来は御互いの存在を補うものであって欲しい訳ですよ。史料では判らない所で豪快に想像の翼を働かせたり、ともすると野放図な空想に陥りがちな創造に現実味を与えたりするために、御互いが補完し合ってくれるのが理想なのですが、世間には史実に忠実な歴史ドラマとかいう心霊科学みたいな言葉史料に縛られている学者が到達出来ない歴史の真実を暴いたと称する小説が蔓延っている現状を見ると、それも難しいのかも知れません。

最近、高名な学者と作家の間で色々と議論が交わされているのも、その延長線上にあるのではないかと思います。今回の事案については、元を糺すと作家サイドが学者サイドのフィールドを侵犯したことが発端と思われるので、基本的に学者サイドを支持しています。上記のように作劇における歴史学者と歴史作家の関係は御互いの存在を補完し合うのが理想であり、決して対立軸ではない(一方で同化していいものでもない)のですから、先に相手のフィールドを侵犯したほうに問題がある。明瞭ですね。また、仮説や論拠のない推測が現実社会を侵食した結果、

 

 

 

 

とかいうトンデモ説が道徳の教科書に採用されるという事態に至ったケースもありますので、アカデミックな反論が随時更新されるのは実に有難いことと思います……とはいえ、私は作家さんのファンでもあるので、今後も従来通りの筆調で作品を更新し続けて欲しいとも思います。我ながら無責任。

 

 

3.『相棒17』最終回『新世界より』感想(ネタバレ有)

 

鷺宮栄一「ここには競争も貧富の差もない! 人を貶めることも、人を羨んだりすることもない!」

 

ヤン・ウェンリー「じゃあ、全然面白くないね」

 

鷺宮とかいう自分が悪だと気づいていない最もドス黒い悪ッ!

 

歴代『相棒』の関係者の中でもブッちぎりのヤヴァイ思想に基づいて、ヤヴァイ社会実験を行っていた高梨内記のじい。ハニトラに掛かって殺人ウィルスを開発した八木橋や、それをバラ撒いた阿藤が可愛く思えるレベルです。動機は兎も角、あんなの思想矯正区と変わらんやろ……尤も、違法捜査で『楽園の扉』に潜入して、令状なしに阿藤のメールを勝手に覗いた挙句、それを見咎められるや、

 

杉下右京「思想をお持ちになるのは自由です。ですが、その目的を達成するために罪を犯そうとしているのなら、それは大きな間違いですよ」

 

と開き直った杉下も大概でした。平成史上最後にして最大の『おまえがいうな』。杉下とかいう他人の犯罪には容赦しないくせに自分の違法捜査を屁とも思わないダブスタ野郎。今回の『相棒』は確信犯的思想犯3人に拠る怪獣大決戦的な内容であったと思います。全員悪人。他にも東国のスパイを消されるに任せたカイトパパや衣笠副総監のように、登場人物が概ねドス黒くて草も生えない。あの内村刑事部長が一番マトモに見えた時点で色々と御察しでした。最終的にテルオに責任を丸投げしたとはいえ、あそこで杉下の判断を黙認したのは結果的に大正解。一応、今期で杉下に窮地を救って貰った恩義は感じていたのかも知れません。

内容的には某地下鉄事件の日にバイオテロの作品をぶつけるとか、作中ニュースでのただちに影響はないというテロップとか、為政者による洗脳教育&情報操作の恐ろしさに振り切ったように見えましたが、個人的には表現規制の暗喩的物語ではないかと解釈しています。どんなに閉じた理想郷で子供たちを世界の残酷さから守ろうとしても、結局、外界からの接触を完全にシャットアウトすることは出来なかった訳で、実際、警察という客人たちに対する子供たちの好奇心に溢れたリアクションは『探ること』『知ること』の喜びを表していたように思います。つい、

 

『この世界は残酷だ。そして、とても美しい』

 

という某ミカサさんの台詞を思い出しました。

あとは何気に冠城君が亀山以降で初の4期続投確定が驚きでした。まぁ、件の女囚の一件が片付いていないので、或いは……と思っていましたが、神戸&カイトの前例から3期で卒業が慣例と踏んでいましたので。でも、神戸君も長谷川宗男とかとの因縁を投げっ放しで卒業したからなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『いだてん~東京オリムピック噺~』第十三話『復活』感想(ネタバレ有)

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来週の『いだてん』は統一地方選挙開票速報番組のため、お休みです。昨年の『西郷どん』も各クール終了の都度、特番を挟んでいたので、或いは働き方改革に伴う話数短縮の調整もかも知れません。長期クールのアニメもちょくちょく総集編が挟まりますからね。特に『いだてん』は早急な立て直しを要する事態に直面していると思われるので、ここで何とか体勢を整えて欲しいです。そんな訳で来週の深夜録画実況&感想記事はお休みとなりますが、来週の日曜日は、

 

『葵~徳川三代~』再放送が始まる

 

ので、そちらを楽しみにしましょう。ちなみに午前六時からの放送です。午後ではありません。繰り返します。午前六時です。お間違いのないよう。しかし、どう考えても、午前と午後を取り違えたままで企画が通ったとしか思えない放送時間ですね。先週の感想記事で『いだてん』を『美食倶楽部のラーメン大河』と喩えましたが、今回の『葵~徳川三代~』の再放送は休日の早朝に食べる極上霜降り牛のスキヤキ大河と評すべきでしょうか。美味いけれども、起き抜けの胃には少々、負担が大きそうです。大河視聴者はリアタイ組よりも録画組のほうが大勢を占めていると判断したのでしょうか。それはそれで、慧眼かも知れませんが、ツイッターによる実況も今日の大河ドラマを支える要素でもあるので、ネットでの盛りあがりには欠けそうです。まぁ、そういう私は放送の始まるくらいの時間に寝て、深夜に帰宅してから録画を見るのですが。では、本編の感想に移ります。ポイントは4つ。先週に続いて、今週もリアル&ネットで色々とあり過ぎたので、短めの感想になります。

 

 

1.誘惑

 

金栗(小)四三「ほら、スッスッハッハッスッスッハッハッ」

金栗四三「」フラフラフラフラ

 

金栗君をペトレ家へ導いた小四三の幻影。日射病による途中棄権(記録上は行方不明扱い)という無念の顛末を知っていると、無邪気な笑顔で金栗君をコース外に誘う小四三は山童に代表される妖怪的な恐ろしさ(『真田丸』で梅ちゃんを戦場に誘った子供みたいな)を感じますが、後日、ラザロを襲った悲劇を知り、

 

金栗四三「あん分かれ道で……左に行っとったら俺も……」

 

と慄然となる主人公の様子を見ると、或いは肉体のオーバーワークを察した金栗君の深層心理が生み出した自己防衛のための幻影であったのかも知れません。ラインハルトの『キルヒアイスが諫めにきたのだ』に近い現象でしょうか。皇帝は戦いではなく、流血をお好み。はっきりわかんだn(疾風ビンタ

寧ろ、この場面で怖いというか、残酷に思ったのは金栗君が入場行進の際に固執し、今回も朦朧とした意識で譫言のように繰り返していた『日本人』よりも、ゼッケンの『JPN』表記のほうが、ペトレ家の皆さんの現状認識&救命行為&大使館への連絡に繋がったこと。金栗君が祖国の呼称呼に素朴で純粋な拘りを抱いても、やはり、当時の世界ではNIPPONという呼び名は浸透していなかったという厳しい現実を描いた場面ではなかったかと思いました。

 

 

2.ファン・ガンマ・ビゼン的な

 

三島弥彦「君、足袋をプレゼントした選手がいたと言っていたね?」

金栗四三「ええ、ポルトガルのラザロ選手」

三島弥彦「……亡くなったそうだよ」

 

『ストックホルムの悲劇』を知らされて、呆然となる金栗君。私も前日に電話で仕事の打ち合わせをした方の訃報を翌日に知らされたことがありまして、この時の金栗君の気持ちは少なからず、実感出来るつもりです。あれ、ホントに言葉が出てこないのよね……。

本編で描かれた&先項で触れたように金栗君はレース途中で行方不明という、当人にとっても悔いの残る結果になりましたが、本作の凄い点はそのネタで押さないこと。普通は残念無念御涙頂戴系の方向に持っていくところですが、ここでラザロの一件を掘り下げることで、競技スポーツの過酷さを問い、主人公がギリギリで最悪の事態を免れた『幸運』を重視してきました。『自分はあれでよかったのか? ラザロのように生命掛けで走るべきではなかったか?』と一種のサバイバーズギルトに苛まれそうになる金栗君を、

 

三島弥彦「よかったに決まっている! 死んだら、君、二度と走れんのだぞ!」

 

と一喝する三島天狗が最高にカッコいい。視聴者的にもレース結果は残念だけれども、金栗君が生きていてくれてよかったと思える。絶望の中にも僅かな救いがある。そして、ラザロの訃報を知った金栗君も決してワンワン泣かない。『惜しかった』『彼も悔しかったろう』と述べるに留まる。こうした様々な感情を僅かな言葉で抑え込むことで、逆にフクザツな胸中を表現するやり方、すここのこ。

一方、我らが口から出まかせ無茶振り理不尽ホラ吹きポジティブおじさんは、余命幾許もない&結果的に選手たちの負担になってしまったと悲観する大森さんに、

 

嘉納治五郎「いい加減にし給え! 身体悪いんだから、せめて、心ぐらいシャンとし給え! 残り短い人生、ずっとウジウジして終わるのか? 傍にいる者の身にもなれ!」

 

とハッパをかけていました。こんなん嘉納治五郎にしか許されない言葉ですよね。しかも、これは夫を看護する安仁子夫人への気遣いでもある。人間の器の大きさを感じさせる言葉です。まぁ、治五郎先生の場合は器の底に大穴が空いているんですけれども。

 

 

3 オブリガードだけ判った(キンジパ感)

 

ポルトガル代表「彼の死を無駄にしないで欲しい。ラザロを忘れないで欲しい。誰が何と言おうと、四年後もオリンピックを、マラソンを続けて欲しい。ラザロに捧げるために。オブリガード」

クーベルタン「四年後の一九一六年も予定通り、オリンピックを開催しよう!」

嘉納治五郎「四年後もやるそうだ! 当然だろう、平和の祭典だ!」

 

今回の怖い&残酷シーンナンバーワン。純粋に幻の一九一六年ベルリンオリンピックの布石であり、ラザロの追悼会場で再会を誓い合った選手の幾人かも戦火に身を置くことになる&少なくともベルリンで会うことは出来ないという伏線なのでしょうけれども、一番怖いと思ったのは、近代五輪初の死亡事故が起きたにも拘わらず、然したる実地検証も原因究明もなしに感情論でマラソンの継続を決定してしまったことでしょうか。いや、史実的にはキチンとした事故調査が成されたのかも知れませんが、本作では事故の検証や究明よりも興行の都合が優先されたという見方が成り立たなくもありません。本作は幻の東京オリンピックが主題の一つですが、ひょっとすると日本の枠に留まらず、オリンピック全体の意義を問うテーマに挑むつもりなのかも知れません。

 

 

4.終身名誉日本応援団長

 

ダニエル「サンキュー、カナクリサン」

金栗四三「サンキューベリマッチ」

ダニエル「サンキュー、アリガトウ」

 

ダニエル、お前はもう立派な日本の応援団だ。

 

日本人選手団にとってのストックホルムオリンピックは終了。治五郎先生は『我々は必ずオリンピックに帰ってくるから、敢えて閉会式には出ない』と嘯いていましたが、実際は先立つものがなくなってきたことを糊塗する強がりでしょう。強がりといえば、三島天狗が金栗君にカメラを譲るのも『新しいの買っちゃったから』と自慢していましたが、あれも自らは陸上の第一線を退き、金栗君に後事を託すために違いありません。この二人のキャラクターの立ち具合は半端ないな。

しかし、今回一番キャラクターが立っていたのは先述のラザロとダニエルですね。一月前に登場したばかりのキャラクターなのに、彼らとの別離が悲しくて、寂しくてやりきれなかった。実のところ、ラザロもダニエルも主人公とガッツリ絡んでいる訳ではないのですよ。ラザロは足袋をプレゼントに関する会話……というかボディランゲージで辛うじて意思を疎通したくらいで、ダニエルは日本選手の練習につき合っていたくらい。それなのに、この二人の退場は惜しく思えました。ラザロはレース中に道に迷った金栗君に正しい方向に誘おうとした誠意、ダニエルは『TNGコール』で日本選手団を励ます熱意が視聴者の胸に残ったのでしょう。登場人物の退場を寂しいと思えた大河ドラマは久しぶりですね。ひょっとすると『八重の桜』以来かな。しかも、メインキャラクターでもないのに、ここまで胸を打つシチュエーションに仕立ててくるとか……ダニエルは終盤で描かれるであろう金栗君のゴール地点で彼か、彼の子孫が待っていると嬉しいです。

 

あ、あとは登場人物がドン底に叩き落された回に敢えて『復活』とつけるサブタイのセンスが秀逸。暗い回でも常に笑いや希望を掲げる作り手の姿勢が窺えます。

 

 

 

 

 

 

赤子の理屈で全く話にもなり申さぬ(ディレクターズカット版)

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「上からは明治だなどといふけれど おさまるめい(治明)と下からは読む」

 

維新政府が慶応から明治に改元した頃に流行った狂歌です。巧いですね。単なる逆さ言葉に留まらず、上を御上に、下を下々の視点に擬えています。昨年放送された『風雲児たち』の時代には、

 

「めいわ九(く)も昨日を限り今日よりは 寿命ひさしき安永のとし」

「年号は安く永しと変われども 諸色高直 今にめいわ九(く)

 

という狂歌も詠われました。明和九年は江戸三代大火の一つ『目黒行人坂大火』や大型台風の相次ぐ上陸、更には狂歌にあるインフレ等の凶事が頻発したため、十一月十六日に安永元年に改元されました。要するに『明和九年』という年自体が公に【なかったこと】にされたのですが、この二首はそれを詠んだ狂歌です。ちなみに目黒行人坂大火の放火犯を捕縛したのは、時代劇で有名な長谷川平蔵のお父さんですが、余談はさて置き、上記三首の狂歌から読み取れることは二つあります。一つは江戸時代の風刺のほうが現代よりも遥かに諧謔のセンスに富んでいること。少なくとも『特定の政治家の名前と同じ漢字が用いられたら、その元号は使わない』とかいう捻りのない物言いよりは遥かに洗練された風刺です。もう一つは元号への賛否に関する理屈と膏薬は何処にでもつけられること。明和から安永への改元に関する狂歌は支持 or 不支持の双方共、作品のクオリティに遜色はありませんし、下々に『おさまるめい』と皮肉られた明治時代は結果的に四十五年の長期に及びました。風刺する人間のセンス次第で如何ようにも印象づけられるのが言葉と政治の難しさであり、面白さといえるかも知れません。

 

さて、元号や改元に関する私の考えは以前に記事にした通りですが、あの時は日本の元号には触れず終いでした。理由は時期的に生臭い話題になるのは目に見えていたこと&本来は『文明の象徴』である元号が『文化の精華』となって受け継がれている現状を鑑み、敢えて原則論に立ち戻るべく、本場・中国の逸話を引用しようと考えたからです。そして、毎年のように改元を行った武則天と、遂に一度も改元を試みなかった曹操という対照的な傑物を比較することで、

 

『改元はしようがしまいが政治的な思惑と無縁ではいられない』

 

という現実(善し悪しではありません)を論ずるためです。私自身は(これも常々、記事で述べてきたように)公の年代表記はワールドスタンダードに準拠したほうが効率的と考えているクチですが、新しい元号を知った最初の感想は、

 

与力「へぇ~素敵じゃないの(onちゃん風)

 

でした。そして、漢字の解釈や出典の詮索に関する議論が囂しくなっても、

 

与力「こまけぇこたぁいいんだよ!」

 

で私的には納得しました。まぁ、出典に関してはアニマルズの『朝日のあたる家』を『イギリスらしい名曲』と評するのに近い違和感を覚えたのは確かですが、歌い手がアニマルズだろうがボブ・ディランだろうがフリジッド・ピンクだろうがちあきなおみだろうが、一般的には『いい曲だね』の一言で終わる話ですからね。畢竟、現代日本における元号の本質は縁起物であり、あの山岡さんでも年越しそばが延びちまって食べられないなんて野暮なことは仰いません。一定の形式が整っていれば、それで充分です。でも、ビューティフルハーモニーとかいうブリジストン級の英訳はどうにかならなかったのか……。

勿論、古典や歴史の専門家が典拠について議論するのは正しいと思いますし、人々がそれに関する意見を述べることも自由です。しかし、漢字の解釈や出典の詮索を以て、為政者への批判材料に用いるのは現実的な思考ではないとも思います。漢字の解釈は人それぞれであり、万人が納得する元号を選出するのは困難です。そして、先述のように元号や改元は存在自体が政治的思惑から無縁ではいられないものであり、それを以て為政者の意図が反映していると批難するのは、

 

ペペロンチーノがニンニク臭い

 

と主張するようなものです。最終的に政治家が元号を選ぶ以上、政治家の思惑が反映されるのは(善し悪しは別として)理の当然であり、それを完全に排除した元号を本気で目指すとしたら、国民総投票で募集するしかないでしょうけれども、その場合は『友愛』とか『宇宙世紀』とか『高輪ゲートウェイ』とか『キャプテン・ファンタスティック・ファースター・ザン・スーパーマン・スパイダーマン・バットマン・ウルヴァリン・ハルク・アンド・ザ・フラッシュ・コンバインド』とかいう個性的な名前が続出した挙句、出口調査の段階で予想される有力候補名を事前に商標登録する手合いが出現するであろうことは想像に難くありません。思い切って元号というシステム自体の賛否を問うのでなければ、今回の手法が最も無難で手堅いと思います。少なくとも、政治家が元号に対する見解を述べるのであれば、それは字義の解釈ではなく、改元に費やされた予算と様々な社会的負担に見合う費用対効果が挙げられるか否かの一点であるべきでしょう。平たくいえば、

 

『ペイしますか? しませんか?』

 

の一言に尽きます。元号とは一種の言霊信仰ですが、それを批判するのに漢字の解釈や出典の詮索を持ち込むのも同じ言霊信仰に過ぎません。新しい時代をよくするのも悪くするのも、政治家を選ぶ有権者次第であり、元号の字義ではないことを肝に銘じるべきでしょう。

実際、新元号を伝える無料の号外を他人が倒れるのも無視して奪い合い、その切れ端を後生大事に持ち帰り、剰え、ネットオークションに出品して小金を稼ごうとする民度では、どんなに立派な元号が定められたとしても、碌でもない時代になるのは目に見えています。況や『自分たちが望んだ文字が使われなかったのはお前の所為だ』と、元号に対する何の決定権も持たない人々を批判する、或いはアカデミックな論争や疑問を他者への攻撃材料に用いる類の人々に『令』も『和』もあったものじゃあないですね。早急に身を糺すことをオススメします。

 

最後に今回の元号に関するニュースで、幕末の賢侯・松平春嶽にスポットが当たったのは地味に嬉しかった。一度『令』を却下したのはこの御仁でしたか。当人が後年述懐しているように、今回の騒ぎも、

 

松平春嶽「実に今にて考ふれば、小児争いの如し」

 

と回顧出来ればよいと思います。まぁ、草案を無碍にされた当時の朝廷側は、

 

 

と思っていたかも知れませんが。

 

 

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徒然日記 ~2019/04/16~

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先日、久々に豊玉宗匠といい勝負をしそうな俳句を目にしました。しかも、二首。まぁ、詠み人の生業は俳句じゃあないからね、多少はね。そういや、司馬さんも土方の俳句に関しては、沖田の評論にかこつけて『あの頭のどんな場所を通ってこんなまずい句がうまれてくるのだろう』とか『ひどいものだ』とか『これもひどい』とかコキ下ろして、時には歳三の恥部とバッサリ斬り捨てるという、なかなかに手厳しい評価を下しておられました。御存命の頃に『プレバト!!』が放送されていたら、俳句査定ランキングの講師としてバラエティデビューの可能性もあったのではないかと思います。思わない?

仕事関係では職場でギックリ腰をやらかしたり、前任の担当者の身に不幸があったり、新任の担当者が初対面の相手(=私)に向かって、特定の政治家のことを〇〇の畜生○○の畜生と大事なことなので二回繰り返す慎重な性格であったりと、色々と衝撃の展開が多かった一カ月。私自身が、

 

雑賀譲二「アナーキズムの定義とは?」

咬噛慎也「支配と権力の否定です。ただ、混乱と無秩序という意味ではない」

雑賀譲二「そうだ、非人間的な支配システムの否定、より人間的なシステムの構築」

 

という老荘的無政府主義者だからよかったものの、もしも、当該政治家の熱烈な支持者であったら、どうするつもりであったのか、非常に興味を抱いたものです。そうそう、BSで『PSYCHO-PASS』の再放送が始まりましたね! 前回の再放送時はリアルタイムで発生した事件への配慮で王陵璃華子編がカットされるという、

 

「人間は心の暗部、内に秘めた残虐性を正しく自覚することで、それを律する良識と理性、善意を培うことが出来る」

 

と考え、そのための啓発として自らの創作活動を定義していた王陵牢一が聞いたら嘆いたに違いない事案の所為で、録画&永久保存を泣く泣く諦めたものです。ちなみに先日、円盤を購入したばかりの私が再放送を知って、どの程度色相を濁らせたかはシビュラシステムの判定に任せるとしましょう。恐らくはイエローグリーンの私が送る今回の話題は三つ。

 

 

1.『いだてん~東京オリムピック噺~』第十四話『新世界』感想(ネタバレ有)

 

 

池部幾江「説明している時間はなか! 続きは来週!」

 

問答無用のメタ発言で次回への強烈なヒキに成功した今週の『いだてん』。勿論、史実的に見合い相手はスヤさんでしょうけれども、ある意味で掟破りに近いメタ発言をヒキにした以上、生半可なオチは許されないので、見合いの相手が幾江さんの可能性も充分にあり得ます。あり得ない? 残念。金栗君と幾江さんの結婚式に『四三は俺の嫁』と叫びながら乱入してきた三島天狗を腕相撲で撃退して、酔い潰れた花婿をお持ち帰りするスヤさんを見たかったのに……それはなくても、スヤさんが金栗君と三島天狗の真夏の夜の(淫)夢を知ったら、スペンサー銃を抱えてサンフランシスコにカチコミをかける展開はあり得ます。あり得ない? 残念。

そういや、先週から再放送が始まった『葵~徳川三代~』でも、ナレーション&ナビゲーターを務める水戸光圀が本編に割り込む形で実況中継を行うメタ描写がありました。『最後の本格大河』と呼ばれている割に、こうしたお遊びが随所に盛り込まれている『葵』は、本格大河が好きでも本作は苦手と仰る方が一定数おられるのも判る気がしますが、こうして考えてみると第一話で序盤のクライマックスをダイジェスト風に描いてから、二話以降で追っかけ再生する展開といい、何気に『葵』と『いだてん』は共通項が多い気がします。BSプレミアムでの再放送枠に『葵』が選ばれたのも、双方の作風の共通点に気づいたスタッフの名采配かも知れません。金栗君が『陛下』という単語を口にする際にはキチンと頭を下げて畏まる演技などは、往年の歴史劇で見られる美点ですからねぇ。日テレ版『忠臣蔵』で林大学が長台詞の中でも『東照大権現』のフレーズの時だけ、キッチリと畏まるのを思い出しました。

 

さて、今回の主題は『変化』でしょうか。

 

吉岡信敬「俺たちは天狗ではない! 人間に戻るんだ!」

 

という、今回から見た視聴者には妖怪人間か何かと勘違いしそうなパワーワードに象徴されるように、オリンピック初参加&明治~大正のビフォーアフターで登場人物のスポーツに対する姿勢がガラリと変わったのが判ります。一昔前まで、スポーツは富裕層や高等遊民の娯楽であり、主人公の金栗君がそうであったように国家や国民はオリンピックというものに対する知識や関心に乏しかった(そうであるからこそ、治五郎おじさんは予算や出国の手続きで四苦八苦した)のですが、今回からは国家や女性が率先してスポーツの普及に尽力する時代が到来したことが闇落ち永井センセ初登場二階堂トクヨの両名の言動で象徴されていましたね。一方で、

 

「スポーツを愛し、スポーツに愛され、ただ純粋にスポーツを楽しむために活動する元気の権化」

 

であった天狗倶楽部の解散は、一般層への普及と裏返しにスポーツに成果を求める思想&楽しいだけじゃダメという娯楽性に乏しいスポーツの概念≒体育が主流となり、スポーツはやるほうも見るほうも面白ければあとは野となれ山となれ的な嘉納治五郎の主義が排されてゆくことの暗示なのでしょう。これは一見すると永井センセの言い分が戦前の全体主義的な狭量な印象を受けますが、治五郎おじさんの底の抜けたドンブリ勘定ノリとイキオイで何とかなるという計画性のなさの所為で、金栗君や三島天狗はシベリア鉄道でケツの肉が取れる夢を見て、ピストル安仁子のダシのない味噌汁を啜り、白夜と時差に悩まされた挙句、レースを棄権&レース中に行方不明という結果を招いた訳ですから、少なくとも、初回から見て来た視聴者的には『まぁ、仕方ないよね』と思えます。しかも、この路線で日本は一定の成果をあげるのですから、なかなかに歴史の評価とは難しいものですね。しかし、校長室の肋木の配置に草バエル。あれ、完全に治五郎おじさんを閉じ込める座敷牢やんけ。

 

 

2.『ふでかげ・ワールドカップ編』でもいいぞ

 

只今、感想記事の更新が絶賛停滞中の『龍帥の翼』。本当に申し訳ありません。でも、本編は毎号欠かさず読んでいます。項羽とかいう幼女にバブみを感じた挙句、彼女にソックリな少女で欲望を満たそうとするシャアも裸足で逃げ出すレベルの変態設定すこ。そして、主人公の張良は次回以降から本格的に劉邦の軍師としての活躍が始まりそうですね。尤も、本編は次回から五カ月の長期休載に入る模様。些か残念ではありますが、次頁の、

 

月間少年マガジン6月号にて超大型企画始動

 

を見たら、これは修羅の刻の新章に期待するしかないと武者震いがとまりません。時代や題材は何かなぁ。楠木正成編か、陸奥の始祖編か、それとも真玄VS徹心の昭和(戦前)編か。まぁ、現時点では具体的な単語は出ていないので、過大な期待は禁物ですが、ここまで煽っておいて、

 

パラダイス学園・令和編

 

というオチはないと思いますので、続報を楽しみにしましょう。実際に連載が始まったら必ず感想書きます。

一応、御存知ない方に説明すると『修羅の刻』とは、千年不敗の歴史を誇る格闘技の陸奥圓明流の継承者・陸奥九十九を主人公とした格闘漫画『修羅の門』のスピンオフ(当時はスピンオフという企画自体が画期的でした)で、九十九の先祖が時に宮本武蔵や柳生十兵衛、土方歳三、沖田総司、西郷四郎、ワイアット・アープといった歴史上の強者と腕を競い(ホントにアープと戦うのですよ! それも、弾丸のスナップスローで!)、時に源義経や織田信長や坂本龍馬といった英雄たちの活躍を影から支える物語で、作者の川原正敏センセは各作品のあとがきで必ず、

 

川原正敏「この物語は史実である」

 

と大見得を切るのがパターンです。勿論、川原センセは『これが歴史の真実だ!』などと宣っている訳ではなく、自分にとっての龍馬や土方はこういう存在であり、その想いを歴史劇に再構築したという論旨です。その証拠に上記の大見得のあとには必ず、

 

川原正敏「あなたにとっても史実であったなら……嬉しいなあ」

 

と続けるのですね。『修羅の刻』は川原センセの歴史妄想大爆発作品で、トンデモ系歴史読み物大好き人間の私でも若干引く時があるのですが、この『俺にとっての真実はこれだ!』と言い切る作品や題材への思い入れの強さと、それを読者に押しつけずに『同じ思いを抱いてくれたら嬉しい』と述べる奥ゆかしさは、私自身も歴史記事を書く際に指針とさせて頂きました。ちなみに西部編では通例に反してこの物語はフィクションであると明言しておられまして、理由は是非、御自身で調べて頂きたいのですが、これも歴史を描く者として、実に見習うべき姿勢でしたね。

それで、ここからが遅い本題なのですが、先日も記事で触れたように、私は歴史学者と歴史作家とは科学と宗教のように『絶対に混じり合ってはいけないが、決して対立軸でもなく、お互いの存在を補完しあう』のが理想と考えています。しかしながら、理想の現実に対する勝算の低さは何処の世界でも同じようで、両陣営の関係は修復どころか泥沼化の一途を辿っている模様。この話題はヘタに触れるとアカデミックな視点を置き去りにした悪い意味でのワイドショー的な次元の低い対立構造を煽る議論に発展しかねないので、あまり突っ込んだ話をしたくなかったのですが、今回の事案における一方の言い分は流石に看過出来ないものがありました。警察が証拠もなしに犯人を逮捕しないように、研究者も確固たる史料がないかぎりは断言を避けるのは当然なのに、それを以て『史料を絶対視するのは怠慢』といわれたら、批判されたほうは不快に思いますよ。更に『私の著作を読んだ人が歴史学者の意見を支持したら私の負け、逆に私の言い分にも一理あるという感想を抱いたら私の勝ち』という謎ルールまで提示する始末。真実の裁定を証拠や討議よりも多数決に委ねた時点で学問はオシマイだろ。そんな理屈が通ったら、学者は研究よりも票集めに執心するようになりますわ。赤子の理屈で全く話にもなり申さぬ(イケボ)

 

 

3.賢章君の趣味説、一理ある

 

アリス・ベーコン「今は幕末じゃない、明治だ! 戊辰戦争は終わったんだ!」

 

大山捨松「何も終わっちゃいない! 何も終わっちゃいないんだ! あたいにとって戦争は続いたままなんだ!

覚馬の娘を誑かそうとした徳富蘆花にディスられている! 『不如帰』では継子を疎んじた薄情な後妻だの、みんな好き放題言いやがる! あいつら何なんだ! 何も知らないくせに!」

 

アリス・ベーコン「家のセンスが悪かったんだ……」

 

大山捨松「悪かった? アレは旦那の趣味だ! 少なくとも、あたいは子供部屋を和室にしつらえたぞ!」

 

アリス・ベーコン「自称・鹿鳴館の華がこんなところで終わるのか?」

 

大山捨松「あたい、アメリカの大学では卒業生の総代を務めて、地元の新聞にも取りあげられた! だが、帰国したら日本語の読み書きすらおぼつかない! 帰ってくるんじゃなかった!

五千円札の肖像になりたかった……津田梅子みたいに……だけど、もう引き返せないところまで来ちまったんだ! あたしゃ、児玉源太郎にも勝てない永遠の二番手だよ!」

 

アリス・ベーコン「…………」

 

大山捨松「毎日、夢を見るんだ……永井繁子に先に結婚された時の夢を……グスッグスッ」

 

 

新五千円札の肖像に津田梅子が選ばれたニュースを見た瞬間に捨松でざーさんネタをやれという悪魔の囁きが聞こえた気がして、つい、やってしまった。大した時間もかけずに完成してしまった。まるで反省していない。これ、スラスラとアドリブをかましたざーさんも凄いけれども、服のセンスが悪かったとか、自称ファッションリーダーとかいうフレーズをポンポン返した戸松さんも大概だな。

まぁ、戯言はさて置き、今回発表された新紙幣の肖像。北里柴三郎は何時か選ばれるとは思っていましたが、他の二人はなかなかに渋いチョイスで驚きました。個人的には浩・健次郎・捨松の山川ファミリートリオ推しですが、山川は会津時代に急増貨幣の鋳造でドインフレをやらかしているので、紙幣の肖像には向かないでしょう。スポーツ文化人枠で嘉納治五郎先生も悪くないと思いましたが、こちらは貸した金銭が返ってこないというイメージが現在進行形で植えつけられている真っ最中なので、両名共に不適当なのかも知れません(『いだてん』感)

紙幣の肖像といえば、漫画『内閣総理大臣織田信長』で、地方分権政策の一環(という口実)で発案された紙幣の都道府県別発行案を思い出します。勿論、経済効率や贋札防止の観点からは現実味に乏しい政策とは判っていますが、それでも、各都道府県が『オラが郷里の偉人』を紙幣のデザインに選ぶのは実に夢がある政策ではないでしょうか。新潟県固有の紙幣が発行されるとしたら、私が選ぶ候補者は、

 

一万円札=上杉謙信

五千円札=ジャイアント馬場

千円札=前島密

 

ですね。兼続と継之助は功績よりも被害が大きい&五十六と今太閤は時代的に生臭さが抜けていないのでNG。前島密は一円切手で既出なので、代わりに井上円了や川上善兵衛や会津八一も捨てがたい。今こそ、このネタでインタビューや集計をやるTV番組が放送されないかなぁと本気で期待しております。今、集計を取ったら愛知の一万円札はガチでさわやかイチーロになるかも知れません。現職織田総理、僅かに及びませんでした。よろしければ、皆さんの『オラが郷里の偉人』紙幣の候補者をお教え下さい。

 

 

 

 

 

 

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徒然日記 ~2019/04/23~

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記事の編集中の操作ミスで先週の記事を削除してしまいましたorz

 

コメントを頂いた皆様には大変ご迷惑をお掛けしました。何人かには返信出来ずじまいになってしまいまして、本当に申し訳ございません。ここ一~二カ月程、仕事も私生活もブログも諸々あり過ぎまして、集中力を欠いているのかも知れません。

来月下旬までは忙しい時期が続きそうので、当分はガッツリと記事を書くのは難しい模様。毎年欠かさず書いていた劇場版名探偵コナンの感想も今年はオアズケです。正直、映画とリンクしていたテレビ版のイマジナリーコナンのほうが面白かった。それと園子は前髪降ろせ。ツノよりもモテるぞ。ちな世良派。

 

まずは今週の『いだてん』感想から。

 

 

嘉納治五郎「君は何も考えず、存分に走り給え! 文部省には私が話をつけよう!」

永井道明「ただし、寄宿舎からは出ていって貰うぞ」

嘉納治五郎「何だ、そんなもん! 衣食住の面倒くらい体協で見る!」

可児徳「校長!(呆)

嘉納治五郎「職にも就かず、マラソンばかりやっているような奴のことを何というか知っておるかね? プロフェッショナルだよ! 君はマラソンを極めて、わが国におけるプロフェッショナルのスポーツ選手第一号になり給え!」

 

今週も可児さんの悲痛な叫びを都合よくスルーして、金栗君を日本初のプロスポーツ選手足らしめんという野望をブチあげた、嘉納治五郎とかいう口から出まかせ無茶振り理不尽ホラ吹きポジティブおじさん。先週、治五郎おじさん不在の間に彼の借金取りの対応に追われて、窓から飛び降りるフリで同情を買おうとするも、誰も制止してくれる人がおらず、ヤケクソでアイキャンフライした挙句、片足を挫いた可児さんでしたが、この分では来週辺りには、もう片方の足も負傷しているかも知れません。今後も治五郎おじさんが借金を重ねる度に可児さんの負傷箇所が増えていくという展開も充分に有り得そうです。ジャミル・ニートのように『何も考えずに走れ!』と主人公に発破をかける治五郎おじさんですが、貴方は少しでいいので自分の借金のことを考えて下さい。尚、上記場面の直前の、

 

嘉納治五郎「靴を脱いで裸足になり給え」

 

の台詞が服を脱いで裸になり給えと聞こえた私は、もう色々とダメかも知れない。

今回は主人公の三人(金栗君・まーちゃん・志ん生)が初めて同じ空間に集う(ただし、お互いの存在を認識してはいない)とか、天狗倶楽部と入れ替わるように登場した河童軍団とか、若き日の永井道明のテニヌの舎監様とか、金栗君とスヤさんの別れに『傘と雨』は新婚初夜の隠語を掛けているのかも(尤も、あれは広島特有の符丁なのか?)とか、綾瀬さんのほぼほぼノーメイク冷水浴とかネタ的には見所多かったけれども、ストーリー的には大きな変化はなし。要するに新婚初夜で据え膳食わずに我慢したとか、フラフラになりながらも耐熱練習を達成したとかいう金栗君の涙ぐましい努力と根性が、

 

次回で全てが御破算になる

 

という鬼のような鬱展開への壮大なフリの回であったと思います。『八重の桜』かな? 綾瀬さんもいるしね。不安要素としては、ベルリン五輪中止に至る世界情勢を次回一本で描き切れるかという点ですね。日清・日露は戦後の影響のみを描くことで何とか乗り切ることが出来ましたが、流石に作中のリアルタイムに勃発した戦争については相応の時間を掛けて描いて欲しい……とはいえ、ガッツリやり過ぎると全体のテンポが乱れる。のちの幻の東京五輪にも繋がる重大事件なので、全くスルーということはなさそうですが、その匙加減次第で今後の展望が図れるとも思いますので。

 

次は同じく大河ドラマ関連でこれ。

 

 

 

本年度の大河ドラマ再放送枠作品。

日曜の朝六時放送という控え目に評してゴーサインを出したスタッフの正気を疑う時間帯にも拘わらず、ツイッターではリアルタイム実況も展開されている模様。でも、その気持ちは凄く判ります。だって、作品のクオリティが飛び抜けているもの。脚本は勿論ですが、それ以上に演技と演出のレベルが桁違いなのよね。

一例をあげると第三話の冒頭で石田三成と前田利家が家康への対応を協議する場面。カメラは動かず、カットの切り替えもなく、只管二人の表情を対比して映しているのですが、三成のリアクションを見ているだけで充分満足なのですよ。特に目の演技。利家の言葉に対する三成の一喜一憂が表情や動きではなく、目で伝わる。利家に『ワイが死んだら、内府に物申せる大名はおらんやろ』と痛いところを衝かれると目を伏せて、瞳から輝きが消える。次に『お前は才覚では右に出る者はいない』といわれても、その辺は自負があるのか、特に目立ったリアクションはないのですが、更に『誰よりも忠義者で正義を貫く実直者』と評された瞬間はこのオッサンはワイのこと判っとるやんけと目をキラキラと輝かせる。続いて『でも、お前は器量が狭い。実があっても花がない』と諭されると、自覚があるのか含羞したように再び目を伏せる。そして、最後に『いっそのこと家康に全てを委ねろ』といわれると呆然と目を見開く。目の輝きで三成の心境が全部判るのよ。江守さんの目に反射する光が三成の心境と完璧にシンクロしている訳で、これはライティングを計算していたのか、或いはスタッフが役者さんの細か過ぎる演技を見落とさずに拾ったのか、何れにせよ、昨今の大河ドラマでこういう演技や演出はまず御目に掛かれません。日本刀の精製技術やダマスカス鋼のようなロストテクノロジーを毎週のように拝めるのですから、そりゃあ、日曜早朝にツイッター実況しようとする強者が現れるのも当然といえるでしょう。

 

さて、大河ドラマ関係でもう一つ。少し前の話になりますが、

 

《2020年大河ドラマ》“美濃編” の出演者を発表!

 

こちらの記事について一言二言。主演・脚本・コンセプトが余りにもうまい話過ぎて逆にイマイチ乗れない感があった『麒麟がくる』ですが、追加キャストを見ても、ピンと来ないというのが正直な印象です。いや、キャスティング自体は一部の例外を除き、概ね納得出来る(特に染谷君の信長は楽しみ!)とはいえ、問題は登場人物のほう。信長や帰蝶はアリとしても、この時点で平手のじいを紹介されてもなぁ。確かに平手のじいは信秀の時代から外交方面で活躍していたので、重要人物ではあるのですが、我々としては、

 

細川藤孝とか朝倉義景とか足利将軍家とか

 

が遥かに気になるのよ。そっち系の情報が欲しいのよ。茶筅髷で諸肌脱いだ信長が親父の葬儀で抹香ブチ撒けるのを見た平手のじいが『嘆かわしや、殿。あの世で大殿が泣いておりますぞ』とかいって諌死する展開には飽きているのよ。まぁ、今の時点で脚本内容を云々するのはナンセンスと承知していますが、光秀よりも信長周辺のキャスティングに力が入っている感じがして、コレジャナイ感が半端ないのよね。尤も、似たような不平を『真田丸』のキャスティング発表の段階でも漏らしていた記憶があるので、今回も杞憂に終わることを願っています。

 

ラストはアニメ関係。

 

 

 

 

2019年春アニメで視聴継続作品は、この一本のみ。『文スト』第三期は太宰と中也の馴れ初めがメインストーリーとは……えぇーい! 『双黒』の話はいい! 鏡花ちゃんと梶井基次郎を出せ!

さて、上記の『キャロル&チューズデイ』。こちらはチューズデイが家出する際に使ったトランクが、足を生やして階段を降りるギミックを見て、即落ちしました。こういうストーリーに関係ないガジェットに手を抜かない作品すこ。それにしても、火星のアルバシティが舞台とは……時系列的には『ビバップ』の前日譚なのかな? SFと音楽に異常な拘りを見せるところがナベシンの作品らしいですね。キャロルの部屋の『溢れるロフト感』も今はまだ何者でもないミュージシャン感を象徴していてすこ。楽曲自体に相当力を入れているのは判るけれども、それ以上に映像面でも音楽作品であることを表現しています。

不安点は二つ。プロローグで、

 

「それは、まるで奇跡だった。そう、火星の歴史に刻まれることとなった奇跡の七分間……これは、その原動力となった二人の少女の物語である」

 

という軌道エレベーター級の超高度ハードルを、しかも大塚明夫ヴォイスでブチあげてしまっているので、これを視聴者の納得出来るレベルで回収可能か否か。そして、もう一つはウチの視聴環境では一週遅れての放送ということ。ネタバレ怖い。

 

アニメ作品からもう一つ。

 

 

モンキー・パンチ先生の逝去に伴う追悼番組で久しぶりに鑑賞。遅ればせながら、慎んで哀悼の意を表します。本作は同時期に公開された他作品の御多分に漏れず、あまりにもSF色が強過ぎるので昔は敬遠気味でしたが、今回見直すと『カリ城』とは別のベクトルで同じレベルの名作であったことを改めて実感しました。『アニメのカリ城 VS ストーリーのマモー』と評するべきでしょうか。特に台詞がいいですな。『カリ城』はアニメの動きがメインな所為か、意外と名台詞は少ないのよ。名台詞の条件の一つに自分も使って見たくなる汎用性があると思うのですが、一番有名な『貴女の心です!』はシチュエーションが限定され過ぎているからなぁ。ちなみに『マモー』……というか、ルパン作品でも屈指の名台詞はこれ。

 

次元大介「それがおたくの民主主義って奴か! それなら俺にも考えがあるぞ! 長ぇことモンローとハンフリー・ボガードのファンだったが、今日限りだ!」

 

うーん、これはアメリカ人と喧嘩になったら絶対に使ってみたい台詞ですね。ヤン・ウェンリー、陸奥九十九、そして、次元大介は一生変わらない推しキャラトップ3。まぁ、個人的に一番好きなルパン作品は『ヘミングウェイペーパー』ですけれどもね。『マモー』は当時の提携商品や表現問題の理由で地上波では毎回ブツぎり編集されてしまうんだよなぁ。ドンパッチは仕方ないとしても、ヒトラーのクローンがOKな時点で他は別に構わんやろ。

 

 

 

 

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昭和生れの『古老』

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明日にビューティフルハーモニーな時代の幕開けを控える平成最後の日。元号というシステムに過剰な思い入れも抵抗感もなく、漠然と『公文書の年代表記はワールドスタンダードに準じたほうが効率的』と考える私ですが、それでも、時代の節目に立ち会う感慨を覚えないといったら嘘になるのも確かです。そんな訳で今回は『平成』について、今、考えていることをつらつらと書き連ねていこうと思います。日頃以上に意味のないことをエラそうに述べる内容になりますが、まぁ、年齢的に次の改元まで私が生きている可能性のほうが低そうだからね。滅多にない機会ということで、多少の暴論は笑って許して頂けると幸いです。

 

私の祖母は明治末年の生まれでした。私が子供の頃は二つも前の元号の時代に生まれた祖母には劫を経た付喪神のような感情を抱いていたものですが、明日から昭和生まれの自分が同じ立場に立つことになるかと思うと些か複雑ではあります。かの横井庄一さんがグァムから帰還した際、作家の司馬遼太郎さんが『同じ大正生まれだから』という理由で新聞社からコメントを求められて憮然となったエピソードがありますが、今は何となく司馬さんの心境が判る気がします。

平成は『いい時代』であったと思います。勿論、異なる意見もあるでしょう。国内のみの話に限定しても、大規模な宗教テロがあり、未曽有の震災に幾度も見舞われ、経済成長率と出生率の推移は悪い意味で概ね正比例、医療費と貧富の格差と表現規制の範囲は日に日に拡大の一途を辿り、横浜DeNAはシーズン序盤から10連敗……まぁ、最後の項目は本来の姿に戻っただけといえなくもありませんが、手放しで喜べる時代でなかったのも事実です。石川、ワイは信じていたで(テノヒラクルー

しかしながら、本日中に何処かの国にミサイルでも撃ち込まれないかぎり、四半世紀余もの期間を他国と大々的・直接的に戦火を交えることがなかった点において、平成という時代は歴史に記録されるべきと思います。例え、

 

荒川茂樹「戦争への恐怖に基づくなりふりかまわぬ平和。その対価をよその国の戦争で支払い、そのことから目を逸らしつづける不正義の平和」

 

との誹りがあろうとも、私はその十分の一の期間の戦乱に勝ること幾万倍という見解を支持します。今後も、

 

ヤン・ウェンリー「吾々がつぎの世代になにか遺産を託さなくてはならないとするなら、やはり平和がいちばんだ。そして前の世代から手渡された平和を維持するのは、つぎの世代の責任だ。それぞれの世代が、のちの世代への責任を忘れないでいれば、結果として長期間の平和がたもてるだろう。責任が忘れられれば先人の遺産は食いつぶされて人類は一から再出発ということになる。まぁ、それもいいけどね

 

くらいに肩の力を抜き、少し突き放した視点で考えていければと思います。戦争も平和も思い詰めると極端に奔る傾向がある議題ですからね。

 

さて、平成という時代を振り返るに際して、最近読んだ書籍からの引用をば。

 

 

 

 

青喜「税は軽いほうがいい、それはきっと間違いなく理想なんでしょう。でも、本当に税を軽くすれば、民を潤すことができなくなります。重ければ民は苦しい、軽くても民は苦しい。それを弁えて充分に吟味したうえでの結論こそが、答えでないといけなかったんじゃないかな。私たちはそういう意味で、答えを探したことがなかったと思うんです」

 

平成元年から導入された現代の塩税ともいうべき消費税。今年中には10%の大台に乗るということで、世間からは轟々たる批難に晒されている政策ですが、私個人は当時も今も基本的に反対ではありません。導入当時の私が反対しなかった理由は、

 

「スネカジリの学生とはいえ、これで俺も立派な納税者だ! つまり、お役人を堂々と『税金泥棒!』と罵る権利を得た訳だ!」

 

という実にインケンでヒネたことを考えていた所為です。そして、現在の私はといえば、

 

「中途半端な税率の所為で売上や決算がクッソ面倒くせぇ! とっとと判りやすい税率に固定しろ!」

 

という実にシンプル極まる理由で税率の変更を許容しています。人間、三十年でここまで思考が退化するものなんやね……とはいえ、上記の引用文にもあるように税率とは本質的に高い低いで判断するべきものではないと思っています。税率の是非は、

 

判りやすさと公正さと使い途

 

の三点で議論されるべきでしょう。その意味では計算が面倒で、公平さの欠片もなく、使い途さえ不明瞭というゴミクズ同然の現在の消費税制度の、少なくとも欠点の一つが解消される(8%から10%で計算が楽になる)ことにおいてのみ、今回の税率変更は個人的には反対ではありません。尚、軽減税率とかいう聖域【略

 

そして、こちらも何気に平成と密接な関係のある作品。

 

 

 

先日、全七話が一挙再放送された今年の私的ベスト10最有力候補……というか、既に殿堂入りの風格すら漂わせている本作。全話録画してあるのに再放送(深夜~早朝)をリアタイで見直しましたが……それが何か? お母ちゃんとの確執は消化不良でしたが、この辺はドラマが原作を追い越そうでしたからね、仕方ないね。是非、原作も読んで欲しい。お母ちゃんへの、

 

仲村叶「全部スキじゃなくても友達だよ」

 

は名言だよ! 是非、ドラマでの完全決着を希望! 続編とか贅沢言わんから! SP単発ドラマ枠でいいから! 神懸っているドラマは時に製作者の意図とは関係なく、リアルと密接にリンクするものですが、主人公の『特撮は新人の登竜門』という台詞も、リアタイ最終回の裏で放送された日本アカデミー賞授賞式で松坂君が最優秀助演男優賞を獲るという感動のコラボレーションになったものです。ニノと松岡さんは惜しかった!

あ、そうそう、本作と平成の関係ですね。うん、いやね、今の子たちには信じて貰えないだろうけれども、平成が始まった頃はオタクっていうのは差別と迫害の対象であったのですよ。丁度、平成元年に某警視庁広域重要指定事件が発生したのもあって、世間様からは死体蹴りみたいな扱いを受けていたのよね。どのくらいかというと、

 

NHKでは『オタク』という単語を使えない時期があった

 

のよ。

 

 

それが天下のNHKでオタクを主人公(しかもヒロイン!)にしたドラマが制作されて、しかも、好評を博したから直ぐに再放送されるとは……序盤の話題でも触れたように本当にいい時代になったと思います。

 

仲村叶「好きな気持ちは誰にも奪えないよ」

 

『トクサツガガガ』が単なる特ヲタコメディではなく、全てのマイノリティに対する応援歌であることを象徴する台詞を胸に刻んで、新しい時代もノンポリ精神丸出しで生きていきたいものです。

今後とも宜しくお願い致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

修羅の刻『東国無双編』第一話感想(ネタバレ有)

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予想通り、先月号で予告されていた大型企画の正体は『修羅の刻』でしたが、まさか、今月号から始まるとは思いませんでした。てっきり、今回は休養を兼ねた予告で、本編は来月からと考えていたので、本編での対決のように初手から『無空波』を食らった不意討ち気分ですが、令和最初の記事が『修羅の刻』感想というのも過去に毅波秀明ネタでドーンとアクセス数がUPした拙ブログらしいので、早速取り掛かることに致しましょう。

今回が『東国無双編』第一話。『龍帥の翼』の連載再開が11月前後らしいですから、本多忠勝で前後編二話、立花宗茂で前後編二話の全四話構成と予想してみます。今年中盤の目玉記事になりそうで嬉しい。そんな今回のポイントは7つ。

 

 

1.サイコパス設定

 

豊臣秀吉「徳川殿は東国一の武士を臣にしておるが、わしにも西国一の臣がおるぞ」

 

主人公を差し置き、本作の初登場人物となったのはラスボス秀吉。『信長編』の金ヶ崎の戦い以来の登場ですが、キャラデザは概ね以前の通りの模様で一安心。尤も、パッと見は『真田丸』の小日向秀吉の面影があるようにも思えます。そして、小牧長久手の戦いの頃は『龍帥の翼』の蕭何のようでもあり。作中で狛彦は秀吉に貸しを作ることで、叛旗を翻した雑賀衆の立場を取り成そうと考えているようですが、何せ、相手は北条氏政への助命嘆願を『気が変わった』の一言で【なかったこと】にする小日向秀吉ですから、狛彦の予想通りに事態が動くかどうか些か疑問。

 

 

2.孔明「髭殿には遠く及びませぬ(震え声

 

織田信長「日本の張飛を見るようである」

 

新たなる『修羅の刻』の対戦相手の一人に選ばれたのは本多平八郎忠勝でした。それこそ、先述の『真田丸』では藤岡弘さんが演じておられた役柄なので、ある意味で陸奥VS仮面ライダーという夢の対決に思えなくもありません。思えない?

さて、東国編の対戦相手である本多忠勝を評した冒頭のノッブの言葉。大多数の日本人の張飛のイメージは粗暴で酒乱の残念脳筋な猪武者というのが一般的と思いますが、実際のところ、張飛の局地戦での勝率は高く、旅団規模の指揮官としては関羽を凌いでいたのではないかとの説もあり。その意味でノッブの評価は極めて妥当であったと思います。尤も、

 

徳川家康「ちぃと笑うてもバチは当りゃあせんで、ほれ、笑うてみぃ」

本多忠勝「は……では(ニィ

徳川家康「いや……わしが悪かった」

 

と主君がヒく程の凶悪な笑みを浮かべてしまう自覚のない天然さは、何処となく陣雷さんと被ります。それこそ、陣雷は一般的な張飛のイメージそのものなので、陣雷≒張飛≒本多忠勝という公式で考えても説得力高いです。

 

 

3.霧彦さん的な

 

「何故、付いてきた?」

陸奥狛彦「本能寺から雑賀に帰りもせずにオレから離れんのはそっちだろう」

 

作中時間は本能寺から小牧長久手の二年足らずしか経過していませんが、リアルでは約二十年振りの登場となった狛彦。相変わらず、余裕で追跡を振り切れる筈の蛍を連れ歩いているようです。一部のネットでロリ彦なる異名を奉られるのも宜なるかな。まぁ、現在のロリ彦は一五五五年生まれの二十九歳、蛍は一五六八年生まれの十六歳なので、当時の基準では普通にアリな年齢ですが、両名の息子と思われる八雲が一五九〇年代末の生まれと推測されるので、その頃の蛍はガチアラサー。当時は二十代後半で熟女認定されていたと考えると、狛彦はロリ彦どころかおはDの可能性も充分あり得ます。くのいち好きとか男装女子好きとか陸奥の性癖は闇が深い。はっきりわかんだね。

 

 

4.誰もが一度は試したよね?

 

陸奥狛彦「蜻蛉を馬鹿にするな……留まったくらいで切れるか。そう見えるだけで……切れたのではない……斬ったのだ。あの男の業が尋常ではない」

 

流石は箸で蠅を摘んだ八雲の父親。昆虫の運動神経に対する評価は高い。序盤の三方ヶ原の戦いで飛んでくる矢の雨を蜻蛉のように斬り払うシーンがあったので、そちらで『蜻蛉切』の逸話に代えるのかと思いましたが、キチンと巷説を回収してきました。『留まった蜻蛉が真っ二つになる程の斬れ味』という吹毛剣を思わせる逸話の残る蜻蛉切ですが、本作では槍の性能よりも使い手の腕の高さを示す描写でしたね。実際、穂先に留まった蜻蛉をノーモーションで真っ二つにするなんて、尋常の技量ではありません。難易度的には拳を添えた状態からスピードだけで布団を撃ち抜くのといい勝負と思われます。

 

 

5.凛子ママ「出番ね」

 

陸奥狛彦「これで断れる男ならば……オレも興味は無い」

本多忠勝「わしの槍を……掴んだ……これは……断れ……ぬ!」

 

槍の穂先を掴む=宣戦布告という微妙に判りにくい挑発行為。これは単純な無礼なのか、それとも、平八郎の槍を掴むのが至難の業なのか。のちの展開を合わせ見ると後者のようです。戦い自体が蜻蛉切の先っちょを掴めるか掴めないかという、相手の得意分野で勝負する陸奥特有の限定的なバトルに終始していましたからね。『先っちょだけ、先っちょだけ』みたいな感じでおっかなびっくり触って来る狛彦と、先っちょに触れられて感情を滾らせる平八郎という、実に高度でマニアックなバトル開始。しかし、
 

羽柴秀吉「なんじゃ……本多は動かんが、鬼の子が動いた?」

 

悲しいことに戦いを見守る羽柴・徳川の両陣営共に彼らの凄味どころか、動きさえも満足に捉えることが出来ない連中ばかりのため、二人が如何にハイレベルな攻防を繰り広げても、

 

「無手の男が一人で踊り出した?」

「座興……時稼ぎのな」

 

とトンチンカンな解釈しか出来ていません。これでは五十嵐兄弟がマシに思えるレベルです。格闘漫画での解説役の重要性が浮き彫りになったシーンでした。この両名の戦いを目で追えるレベルの強者と思しき鬼武蔵が、直前の戦いで討死しているのは痛かったですね。『槍は突きより、引きが命』という槍をジャブに置き換えれば、現代の格闘技でも通じる台詞の凄味も、両陣営の見物人には伝わらなかった模様。残念。

 

 

6.神話崩壊

 

「馬鹿な……倒れない……無空波じゃろう……今の」

 

【悲報】ロリ彦さん、無空波を放ったのに相手を倒せない【無虎砲】

 

ファーストコンタクトで初見殺しの『無空波』を用いるという相手の全力を出させずに完封する陸奥本来のファイトスタイルで臨んだにも拘わらず、完全なる勝利をモノに出来なかった狛彦さん。本人は『奴の槍の返しが疾すぎて態勢が不充分であった』と述懐していますが、かなり言い訳臭いです。片腕を折られたうえ、レオンの高速タックルを迎え撃つという、非常に不安定な態勢からでもキチンと『無空波』を放っていました(受け止められましたが)。或いは直前に蜻蛉切を掴み損ねて負傷していた右手で『無空波』うぃ放ったことも、微妙に影響したのではないかと推察されますが、何れにせよ、迂闊&判断力不足であったと評さざるを得ません。不破が泣いているぞ! まぁ、受けたほうは、

 

本多忠勝「なんだ……体がふらつく……何故、陸奥はあのように不思議な形をとる? いや、わしの眼と頭がおかしい」

 

視界がドロドロじゃのう状態でしたので、ここは九十九のように『虎砲』と同時発動していれば、鎧によるダメージ減衰込みでも、平八郎の膝を折ることが出来たかも知れません。でも、

 

陸奥狛彦「そもそも『無空波』は鎧を着た者を撃つ為に練られた業だ。身を衝くのではなく、波をもって脳(なづき)を揺らす事で倒す」

 

といういい意味で素敵な後づけ解釈にはシビれました! 確かに普通は『虎砲』だけでも充分、一撃必殺なのですよね。実際に『虎砲』を食らって戦闘を継続し得たのは飛田とイグナシオとライアンしかいません(海堂は回避した&片山は『神の境地』にいたから除く)ので、敢えて『無空波』という業を編み出した理由として、凄く納得。或いは今回の痛み分けがあったから、それ以降の陸奥は『無空波』と『虎砲』を同時発動するように義務づけられるようになったのかも知れません。しかし、蛍が『無空波』と判ったのは驚いた。本能寺の時は発動の現場にいなかったので、あれ以降に狛彦が『無空波』を放つ場面を見たことがあるようです。相手は誰だ? ひょっとしたら立花宗茂? 西国無双編の布石?

 

 

7.ノーカウント……ノーカウントだ……!

 

本多忠勝「もし……いつかわしが主から暇を貰い、侍でなく一個の兵となった時には……続きをしよう」

陸奥狛彦「『無空波』では外傷はつかぬ故……今日のは傷ではなかろう。いつかオレが『つける』。それまで誰にも許すな」

 

後日の再会を期して別れる両雄。『無空波』は外傷のない業なのでノーカンという発想は静流さんに投げられたのは稽古だからノーカンというケンちゃんに近いものがあるように思えますが、確かに平八郎は生涯で一度も戦傷を負わなかったらしいので、史実との整合性を図る意味でも『無空波』による痛み分け裁定が無難でしょう。平八郎の没年は一六一〇年なので、再戦したあとに八雲に陸奥を継がせる流れになるのかなぁ。

 

これにて、東国無双編第一話終了。来月は第二話か。それとも西国無双編第一話か。相手は当然、立花宗茂でしょうけれども、迎え撃つ圓明流サイドは狛彦ではなく、虎彦という可能性も充分あり得ます。それも含めて、次回が待ち遠しい!

 

 

 

 

 

 

徒然日記 ~2019/05/07~

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柘植行人「もう少し、見ていたかったのかも知れんな……この街の未来を」

 

ビューティフルハーモニーなエイジさん、こんにちは(ルー大柴風)。平成最後に見たアニメは『劇場版機動警察パトレイバー2』の与力です。結局、平成では本作を越える『邦画』には巡り会えなかったなぁ。そして、令和最初に見たアニメは『サクラダリセット』最終四話の与力です。これは別に令和最初を意識していた訳ではなく、先月から久々に見直していた作品でしたのでね。本作は舞台や登場人物や設定や題材がアレなだけで、内容は海外ドラマにもヒケを取らないことを確信した次第。やはり、台詞に力のある作品はいいねぇ。

 

宇川沙々音「私は善人じゃなくて、正義の味方だからね。殴られても抵抗しないのが善人で、殴られれば殴り返すのが正義の味方だ」

 

という台詞ほんと好き。取り敢えず、令和は殴られる寸前にカウンターで斬って落とす人間になることが目標の与力が御送りする今週の徒然日記。題材は3つ。

 

 

1.徒然改元日記(辛口注意)

 

改元から一週間余りが経過致しました。表立っては然したる混乱もなく、都内某所でロンギヌスの槍が見つかった事件を除き、他は概ね恙なく『引き継ぎ』を終えたのは慶賀の至りです。槍を置いたとされる男も先月末に身柄が拘束されて、世間からは『平成のうちに解決してよかった』との声も多く聞かれましたが、容疑者の逮捕を事件の解決と考える風潮は改元しても変わらないようで、ある意味でホッとしました。容疑者の身柄が拘束されて以降、事件の報道がピタリと已んだのも、祝賀ムードに影を落とす話題は避けたいというマスコミの判断でしょう。順当ではあります。

尤も、一連の祝賀ムードに『騒ぎ過ぎ』と反発する諸々の声を、

 

『空気が読めない』

『お祝いムードに水を指すな』

『皆が喜んでいるからいいじゃないか』

 

という理屈で捻じ伏せる風潮には(その意見への賛否は別として)疑問を抱いております。私は改元よりも院のおわす御世に立ち会えることのほうに歴ヲタ的興奮を覚えているクチですが、関心のない人が周囲の騒ぎを敬遠する気持ちも尊重されるべきです。私自身、ワールドカップなどのお祭り騒ぎや特番攻勢は好きになれない人間ですからね。両方共、興味のない人にとっては同じことです。苦手な騒ぎに反論を述べる権利は誰にもある。それを忘れないようにしたいです。

一方、祝賀ムードに対する『改元騒ぎは権力者の目晦まし!』という理論には賛同出来ないのも確かです。もしも、彼らが改元に託けて、諸々の不祥事を【なかったこと】にしようと試みているとしても、それは有権者が忘れなければいいだけのこと。それが出来ないとしたら、日本に近代国家は二百年早かったのでしょう。サッサと徳川幕藩体制に戻ればいいと思います。

 

 

2.『いだてん』第十七話『いつも二人で』簡易感想(ネタバレ有)

 

清さん「贅沢いってんじゃねぇよ! 自分で行先も決められねぇんだぞ、俺たちは! 客が『新橋』っていったら新橋に行くしかねぇんだよ! 読み書きも力仕事も出来ねぇから走るしかねぇんだよ! そんな俺たちの代表だろ、日本代表ってのはよ! お前がそうやって腐っていたら、日本人みんな腐っちまうんだよ! シャンとしろ、シャンと!」

 

冒頭の『サクラダリセット』の感想でも触れたように、台詞に力のある作品は好きです。言い換えると『製作者が自分の頭を捻って生み出したレトリック感の溢れる台詞』が好き。この清さんの台詞もそうですね。学も力もなく、走ることしか出来ない自分と同じ才能で世界に挑む人間がいることが、清さんの支えになっていた訳で、恐らくは誰かに夢を託するとは、こういう感覚なのだと思います。治五郎おじさんから(わざわざageてからsageるという鬼畜極まる方法で)ベルリン五輪中止の報せを聞きかされて、配流先で餓死寸前の某平安貴族みたいな表情を浮かべる金栗君の姿といい、選手や周辺の視点や心境は非常によく描けています。金栗君がマラソンではなく、駅伝という競技に思い至ったのも、一人では圧し潰されてしまいそうな絶望の果てに誰かとの繋がりを求めた訳で、この展開もGOODです。

一方、第一次大戦を中心とした政治面の描写不足は如何ともし難い。以前の記事で『当時の政治情勢はハナから捨ててエンタメでカバーする』という可能性を予想しましたが、善くも悪くも的中している感じです。惜しいですね。まぁ、その分、エンタメへの振り切りも半端なくて、五十人の金栗君によるスウェーデン体操は絵面がシュール過ぎました。当該場面の『俺が五十人おったら金メダル五十個取れた』という、

 

EDAJIMAがあと一〇人いたらアメリカは敗北していた

 

に匹敵する名言。この台詞の時の金栗さん、目が据わっていて怖い。あの治五郎おじさんも少しヒキ気味でした。ここ最近、いい意味でも悪い意味でも金栗君が治五郎おじさんに似てきているんだよなぁ。MVPは二階堂トクヨ女史。シマちゃんの『女子もマラソンしたい』という発言に対して、あらゆる意味で当時の常識とは正反対にいた筈の治五郎おじさんや天狗倶楽部の面々でさえ、

 

「女子がスポーツとかwwテラワロスww」

 

と一笑に付す(その意味で『女子もスポーツをする時代が来る』と予見していた三島天狗は偉大でした)という時代の価値観をキチンと描いたのも素晴らしかったですが、金栗君のアドバイスを受けて相談しに来たシマちゃんを、

 

二階堂トクヨ「マラソンなど西洋では時代遅れ! 貧乏人の競技です!」

 

肋木の刑に処した二階堂トクヨ女史半端ねぇ。『女子がスポーツなどモッテノホカ』でも『おのれ、嘉納治五郎の石頭め!』でもなく、純粋にマラソンという競技の当時の人気度を以て応えるところが、いい塩梅に明後日の方角に向いていて楽しい。その発想はなかった。

 

 

3.『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』雑感(ネタバレ有)

 

キシリア・ザビ「私は四歳ごろのキャスバル坊やと遊んであげたことがあるんだよ……お忘れか?」

 

子供相手に手錠プレイかますキシリア姐さん半端ねぇっス。

 

このプレイでシャアの性癖が歪んだ説一理ある。更にいうとシャアのララァに対する執着が第二次ネオ・ジオン戦争を引き起こした訳ですから、彼の性癖を形成したキシリア姐さんの罪は思っている以上に深そうです。しかし、今回見直して気づいたのですが、ギレンはサスロ暗殺の黒幕をキシリアと思っているのですね。キシリアのリアクションを見ると満更マトハズレの推理でもなさそうですが、それだと後年、キシリアがギレンを父殺しの罪で粛清した動機と矛盾します。キシリアが親族間の殺人を屁とも思わない為人でしたら、ア・バオア・クーでの暗殺劇は父親の仇討ちではなく、純粋なクーデターなのかも知れませんが、それだと指揮系統の混乱が予想される『あのタイミング』で決行したキシリアがド無能ということに……? よし、久しぶりに甥っ子から原作を借りて読み直して確かめよう。

そんな訳で先週から放送が始まった『ジ・オリジン』。NHKでガンダムを見る時代がこようとは……放送局がNHKということもあってか、OVAで見た時には感じなかった大河ドラマ風な印象を受けています。しかし、オリジナル冒頭のルウム戦役が完全カットされたのは実に惜しい。あれがシャアの人生のピークじゃないですか。シャアとかいう本編が始まる前が一番輝いている男。

あと、これも今回見直して気づいたのですが、

 

ランバ・ラル=韓世忠

クラウレ・ハモン=梁紅玉

 

というイメージで見ると割としっくりくる。無骨な武人&妓楼の女傑のカップルですからね。まぁ、後年、ハモンさんが見せたアムロへの微妙な執着を思うと楊大眼と潘氏という選択肢もアリかもですが、ともあれ、こういう感じに歴史上の人物や出来事を思わせるキャラクターがゴロゴロ出てくるところも大河ドラマ風な印象を受ける要因かも知れません。第一話でガンタンクもどきが暴徒を轢き殺す場面とか、明らかに天門のイメージでしたし。

 

 

 

 

 

 

 

臨時休業のお知らせ

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皆さん、こんにちは。

先日来、或る発言が物議を醸しているようですが、趣旨の是非は措くとして、個人的には、

 

「ますますお父様に似てきましたね」

 

というのが最もスマートな反応ではないかと思っている与力です。色々と際どく、生臭い話題なので固有名詞は伏せます、悪しからず。

 

さて、今週のブログは臨時休業を頂きたく存じます。特に深刻な理由はありません。少し遅め&非常に短めのGWです。敢えて理由を探すと、一つには仕事疲れが蓄積していること。先日、先代から御世話になっていた仕事関係の知人が亡くなりまして、その心的衝撃もさることながら、後任が以前も記事にしたように初対面の仕事相手に特定の政治家の悪口を垂れ流すという実に香ばしい為人でした。それでも、キチンと仕事をして頂けるのでしたら、ファシストだろうがコミュニストだろうがモンロー主義者だろうが虎党だろうか知ったこっちゃねーのですが、取りまとめを依頼した業務データがボロボロになって戻って来たうえ、電話で問い合わせても一向にマトモな返答が得られず、

 

与力「えぇい、これでは埒が開かん!」

 

とシャアか炎尾燃っぽい捨て台詞で電話を切るとPCを本体ごと相手の事務所に持ち込んで目の前で修正させるという、如何なる人間にも平等に政治への発言権が与えられている近代民主主義の偉大さを痛感した出来事がありました。

現在は『次の地位へステップアップしたい』との希望を上に申し出た後輩に、私の業務を落とし込むようにとの指示を受けて、それに従事しています。私が教えたことを乾いた砂が水を吸うように吸収して器の底に開いた穴から全部垂れ流すという稀有な人材であり、毎日毎日、

 

ニワトリにジャグリングを教える気分

 

に浸りながら(終わりが見えないという意味で)非常にスケールの大きな仕事を与えられた責任に身が引き締まる思いで一杯です。『カッサンドラ症候群』でググるなよ! 絶対だぞ!

これだけでしたら、常と変わらないのですが、お休みを頂く理由は他にもありまして、今週はリアルでも諸々のイベントが控えており、それに備えて、体調を整えておきたいという事情があります。今回、セッティングを請け負ってくれた友人に心から感謝。必ず、近いうちに物質的に埋め合わせします。

 

そんな訳で今週は『いだてん』の感想も日記もなし……とはいえ、本編はキチンと見ましたよ。あの『天狗倶楽部』にさえ物怖じしなかったシマちゃんが、ガチで『あからさまにヤベー奴』みたいな目で見る美川君半端ない。『葛藤は……ありました』とかいう如何なる悪事も正当化するパワーワードは今季のマイブームになりそうな予感。そして、

 

『ドッジボールの伝道者』

 

とかいう海外遠征帰りのプロレスラーを思わせる怪しげなリングネームと共に戻って来た可児センセ。どう見てもイメチェンに失敗した陰キャの成れの果てでした。シマちゃん、ドンびきですやん。伝統ある(?)三島家に奉公していたシマちゃんが『新しい時代のスポーツ女子』を目指すのに対して、日本スポーツの最前線にいる金栗君の奥さんが、嘉納治五郎がいう『健やかな子を産む従来型女子』の象徴になっている、その対比が面白かった。

尤も、志ん生(昭和パート)が提示した『日本女子体育の黎明期』の掘り下げは食い足りなかったなぁ。上記のシマちゃんとスヤさんの対比はよかったけれども、思い切って、スヤさんパートを削ってでも、二階堂トクヨVS永井道明VS可児徳の三つ巴の権力抗争を描いて欲しかったかも。

あ、それと今月の荒川版『アル戦』も面白かった! 相変わらず、王弟殿下の顔芸が素晴らしい。ヒルメスを唆して兄王を暗殺する計画を思いついた時の表情はほぼイキかけていましたね。多分、下半身も絶頂寸前であったと思われますが、恰も『いだてん』の金栗君のように構造物でガードされていました。しかし、あのアングルで映らないのは微妙に不自然なので、王弟殿下に粗ン疑惑が浮上したともいえます。ともあれ、先月・今月と連続で面白かったので、早目に感想描きたいなぁ。

 

それでは一足早いですが、よい週末を!

 

 

 

『バナナ梅酒』と『ラオスのけし』と『獅子の時代』と

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先週の土曜日に長野市でプチオフ会を開催致しました。御参加頂いたKAKさん、天河真嗣さん、O先生、本当にありがとうございました。本来、このプチオフ会は先月開催する予定でしたが、私の突然のギックリ腰で延期を余儀なくされた経緯がありまして、当日の私の諸々の不手際も含めまして、ここで改めてお詫び致します。そんな訳で今週のブログはプチオフ会のレポートを中心に御送り致します。宜しくお願い申しあげます。

 

さて、オフ会は長野駅前の如是姫像付近に集合の手筈でしたが、地元の用事が早目に片付いた私は予定よりも一本早い新幹線で現地入り。駅構内の喫茶店で『この偶機を何かネタに出来ないか』と思い、

 

与力「天河さんは『どうでしょう』藩士だから、待ち合わせ場所の写メを撮って、ツイッターに『集え! 如是姫像へ!』とか魂心書体でUPするのも悪くないかも」

 

などとロクでもないことを考えているうちに何時の間にか時間が経過。

 

ピロピロピローン♪

 

天河さんメッセージ「少し早いですが、到着しました」

与力「ああああああああああああああああああああ【略

 

またしてもホストがゲストを待たせるという大失態。何度目だ。いい加減に学習しろ、俺。事前の打ち合わせで天河さんがうちの相方の加藤清正ヒゲが目印と仰っていたので、急いで探そうとするも、

 

ピロピロピローン♪

 

天河さんメッセージ「加藤清正は今、トイレに行ってます」

与力「ああああああああああああああああああああああ【略

 

ベタなコントかと思うくらいに見事に全ての計画が崩壊した私。折しも週末の夕方ということで、駅前は結構な人でごった返しておりまして、初対面の方との待ち合わせのリスクを思い知らされましたが、しかし、イザという時のための秘策はキチンと事前に打ち合わせてありました。人波の中から何となく待ち合わせっぽい感じの方を見かけて、恐る恐る、

 

与力「……『てんてんぐ』?」

天河さん「……『ててんのぐ』!」

与力天河さん(ピシガシグッグッ)

 

予め決めておいた天狗コールの合い言葉で無事、天河さんとの合流に成功。サンキュー天狗倶楽部。フォーエヴァー三島弥彦。しかし、何とか一発で的中したからよかったものの、見知らぬ相手にてんてんぐとかいう謎フレーズで話しかける時点で相当の事案でした。不審者通報されても文句いえないレベル。まぁ、半裸じゃないからね、多少はね。

間もなく、天河さんの相方で本当に見事な加藤清正ヒゲを蓄えたO先生と、こちらに相方のKAKさんも合流。私を除いた御三方共、同県在住&格闘技に造詣が深い&実際に修行しているという条件のうち、二つ以上をクリアしているので、或いはリアルで既にお知り合いの可能性もあるのではないかと事前に予想していましたが、全員初対面でした。逆に意外。絶対に何らかの接点があると思っていた。

オフ会は長野駅の『信州くらうど』での立ち飲みから、居酒屋『風林火山』を経て、最後は『BAR599』で〆。東京でのオフ会もそうですが、私はいいお店を紹介してくれる友人に恵まれております。今回もKAKさんに御骨折り頂きました。本当にありがとうございます。特に『BAR599』は天河さんやO先生共にお気に召して頂けた御様子。私も何度か訪店していますが、本当にいい雰囲気だぞ! 皆も長野にいったら是非、足を運んでくれ! あと『風林火山』にあったバナナ梅酒とかいうパワーワードメニューに全員がツボ。どっちだ? 尚、飲み口は6:4でバナナ、後口は8:2で梅酒という結論で一致を見ました。

トークの内容も大河ドラマを中心に歴史・格闘技・政治・時事・漫画・小説・まほチョビ・サザエさん・コロンボ・古畑任三郎・ロリ彦……と雑食感が半端なかったです。参加者の年齢差に関しては、

 

 

と『トクサツガガガ』を地でいくオフ会ならではの展開もありましたが、我々より一回り近くも若いのに、初めて見た大河は何でしたかとの私の問いに、

 

O先生「『武田信玄』ですね」

 

とどちらが年長か判らなくなる御返答に驚きました。勿論、当時はストーリーを把握していた訳ではなかったそうですが、ホンマ、筋金入りの大河好きやでぇ。そして、O先生と一番盛りあがったネタが、

 

ゴルゴ13の『ラオスのけし』

 

というカオスっぷり。この展開は想定外でした。こうなると判っていたら、事前にゴルゴを復習しておくべきだった! 天河さんも天河さんで、私が漸く本格的に手を出したばかりの『獅子の時代』を熱く語るとか、本当に私よりも若いのかと驚きましたよ。こういう若い方々が大河ドラマを好きと仰って頂けるのが何よりも嬉しかった。今回は私の仕事の都合で早目の解散となりましたが、次に長野に赴く際も必ず御声掛け致しますので、御都合がよろしかったら、またお会い頂けると嬉しいです。

 

 

さて、上記のオフ会に少し付随する話。

先述のように今月に入ってから、どういう契機か自分でも思い出せないのですが、

 

 

に手を出しております。実をいいますと本作は過去に総集編を見た筈です……が、ものの見事に記憶から抜け落ちているのですね。その時は諸事情で往年の大河ドラマを何作か連続で梯子視聴したことがありまして、多分、その中の一作であった筈ですが、殆ど内容を思い出せないので、今回の視聴を実に新鮮に楽しんでいる次第です。ちなみに現在、第二十話まで消化。感想も必然的にそこまでの内容準拠ですので御了承下さい。

結論から申しあげると決して好きな作風ではないけれども巧くて面白い作品です。私の記憶から抜け落ちていたのも、この『作風の合わなさ』が原因でしょう。具体的には単なる半薩長史観に留まらない、

 

英雄史観への徹底したアンチテーゼ

 

とでもいいましょうか。本作が制作された八十年代序盤の思想背景が色濃く出ています。二人の主人公のうち、平沼銑次は幕末の会津藩士で、戊辰戦争が序盤の舞台になるにも拘わらず、会津戦争の有名な場面を結構ガッツリと削っているのですよ。歴史劇を描こうと思ったら、絶対にカットしない逸話を容赦なくスルー&合戦シーンも大概ショボい。有名な娘子隊も、普通は会津戦争の悲劇の象徴に位置づけるものなのに、本作では作戦に志願した銑次の妹を、

 

「テメーみてーな身分の低い娘は参加させてやらねー! おにぎりでも握ってろ!」

 

とけんもほろろに追い返す女性陣の外道ぶりを主軸に描いています。兎に角、権力者や有名人のカッコいいシーンは描かないぞというポリシーがビンビン伝わってくるのよ。キャスティングも、

 

ニシン漁場の漁師・甚助……大滝秀治

菊子が訪れる寺の老僧……笠智衆

 

という架空の、しかも、現時点では1~2話しか出ない人物に名プレイヤーを宛がう点、ハナから歴史上の人物をカッコよく描く気ねーだろという意志が伝わります。瀬戸村の村長・甚兵衛に山本學さんをキャスティングした『おんな城主直虎』を思わせますな。『おんな城主直虎』も本作と同じ路線=市井の視点から描く史劇を目指していたのではないでしょうか。

私自身は単純な英雄史観の持主なので、基本的に本作のような作劇姿勢は必ずしも好みではありません。ドラマは沢山の人を喜ばせてナンボの世界だから、英雄豪傑の有名なエピソードを放棄して御高く居直ったような姿勢はどうかとも思うので、本作を歴史劇、或いは大河ドラマと認めるのに些か抵抗感があるのも事実です。しかしながら、本作の凄い点は有名な歴史的エピソードをガン無視して描かれるオリジナルパートがクッソベタなのにクッソ面白くてクッソ巧いのですよ。会津戦争の過程で戦いの目的が勝利ではなく、死ぬことにスリ変えられていく様子、或いは配流先の斗南で食糧不足が300%確実視されているのに『皆が我慢しているんだから、お前も我慢しろ』という理屈で我慢を強いる類の、追い詰められた組織特有の同調圧力の描写が凄く巧く、臨場感がある。史実や逸話に頼らなくても、こうした組織の持つ負の側面をキチンと描き切っている。

あとは毎回毎回のヒキが上手。本作には予告がなく、更に架空の主人公なので、視聴意欲を次回に繋ぐハードルが恐ろしく高いのですが、各話のラストに必ず強烈なシーン(ぐへへネタは二回もやっている)を用意することで、視聴者へのヒキをアピールしているのですね。これは今週の『いだてん』を見ていて、改めて気づいたのですが、確かに『いだてん』は各回の視聴満足度は結構なものです。今回も金栗君の部屋から望める山や、黒豆の『サゲ』といった具合にネタの仕込みや回収の巧さもあり、毎週毎週『ああ、面白かった』と思わせる辺り、並みの作品ではありません。しかし、物語のラストで次回の内容が気になるか否かという点では些か心許ない。まぁ、エゲツナイ手法で視聴者の興味を惹くのはクドカンの性に合わないのかもですが。

ともあれ、歴史劇、大河ドラマとして認めるのには抵抗があるが、純粋に人間ドラマとして面白い。それが『獅子の時代』です。今までの記事で最近の大河には基礎体力がないという表現を何度か用いた記憶がありますが、本作は逆に基礎体力=ドラマの力だけで大河ドラマを成立させている感じですね。決して大河向き、現代向きの作品ではないけれども、ヒキの巧さとどっしりとした確かなボディを感じさせる。恒例の大河ドラマを食べ物に喩える企画に擬えると、

 

「スープも香味油もなく、醤油ダレ一本で勝負していた頃の老舗ラーメン」

 

といった感じでしょうか。本作に比すと嘗て『病院食大河』と評した『八重の桜』でさえもダブルスープに鶏油を浮かせた重層型あっさりらぁめんに思えてきます。まぁ、その反動というか、キャラクターは全体的に振るわず、特定の人物に萌えることはありません。平沼銑次とかいう『水滸伝』でもやっていけそうな耐久度にステ全振りの男は兎も角、もう一人の主人公である刈谷嘉顕が何故、女性にモテるのかサッパリ判らん。コイツはナチュラルに相手の地雷を踏み抜くタイプだろ。あ、それとヤング市村正親さんが波岡一喜さんっぽくて、地味にツボ。何かVシネに出ていそう。

 

 

 

 

 

 

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