オリンピック闌ということで先週に続き、絶賛青天ロスな日曜日。上記画像もキンキン家康の謝罪ネタレベルで連投してしまいました。放送休止でよかったことといえば、仕事帰りのスマホチェックで『青天を衝け』のネタバレを食らう危険がないことだけなんだよなぁ。自分でも思っていた以上にダメージを受けていてビックリ。取り敢えず、オリパラの間に放送される15日に休みを取って生実況するのを楽しみに乗り切ろうと思います。尚、来週は唐突に『青天を衝け』が放送されないかぎり、更新はお休みする予定。ひょっとしたら、再来週もお盆でドタバタしそうなので休むかも。暫く更新お預けになるからという訳でもありませんが、その分、今週の話題は多めの3つ。まずはこちら。
装鉄城「私がもっとも好きな人物は井伊直弼です!!」キリッ!
一同「(気まずい静寂)・・・へ、へえそれは珍しいですね(ああ、コイツはめんどくさい彦根人だ)」
すみません、私もその一同の一人でした(滝汗)。
あとは『余りにもドン引きな史実そのままの展開に映画館で観なくて良かった』というのも多分、私です。いや、今は装鉄城さんの影響で私のチャカポンさん像はアップデートされていますが、最初に伺った時の反応は『お、おぅ……』であったのは確か。本当に申し訳ありませんでした。吉良上野介もそうですが、世間で不当に貶められているおらが国の殿様への地元民の敬慕の念というものは余人の想像を越えるものがありますね。
さて、装鉄城さんの地元愛(正確には祖父母君の地愛)溢れる長編歴史記事前・後編。装鉄城さんに布教……じゃない、御教授頂くまでのマイ・チャカポンさんのイメージは美術的に何か持っている人でした。以前も述べたように井伊直弼はチャカポン(茶道・華道・能)という仇名が示す通り、芸能万端に通じた教養人でしたが、その最期となった桜田門外の変自体も暗殺という陰惨な事件でありながら、季節外れの新雪の白に鮮血の紅という凄絶な美のコントラストを演出している訳で、本人が望んだ結末ではないにせよ、諸芸を極めた人物が己の死に場所でも無意識に美をプロデュースしたとの印象を抱いていました。実際、日本史でチャカポンさんクラスの映像映えする最期を遂げた有名人物は織田信長くらいですよね。しかも、一般的な人気では信長のほうが圧倒的に有利にも拘わらず、映像的には或いは本能寺の変を凌駕する劇的なシーンな訳で、その意味でチャカポンさんはつくづく『持っている人』と思っています。個人的には政治家になった海原雄山のイメージでした。
一方で人間として、政治家としての評価は以前からの装鉄城さんの御教授を含めて、本記事を読んで大きく変わりました。私も以前は『チャカポンさんは埋木舎で鬱屈した』と考えていたクチでしたが、こちらには血統保持という一応の目的があったということで、むしろ、ヤバいのは異母兄直亮のイジメのほう。ほぼリアル忠臣蔵と評して問題ないでしょう。官服事件とか明らかに松の廊下の前フリやん。でも、チャカポンさんの嫁取りに関しては家格は兎も角、32歳の男に12歳の嫁とか逆に御褒b【大獄されました】。政治家としても固陋で頑迷な因循派というよりは色々と手落ちはあったにせよ、自分の立場で為すべきことを為した人物であったことが窺えます。本文でも記されていたようにチャカポンさんは阿部・堀田・烈公・孝明帝という責任盥回し四天王の尻拭いで生命を縮めた訳で、
日本では責任を果たした政治家は消される
という事案の典型といえるでしょう。この辺、立場は違えども西郷や大久保の歴史的使命と死に共通するものがあります。彼らも『日本の近代化と武士階級の消滅』という『誰かが負わなくてはならない矛盾』の責任を取らされる形で消された訳で、その事業を継承したのが聞多やガタさんのように、面倒事の責任の所在をウヤムヤにするうちに何時の間にか返り咲いている阿部や堀田に似たタイプの政治家であったことを考えると幕末という英雄の時代は桜田門外の変に始まり紀尾井坂の変で終わったとつくづく思いました。まぁ、西郷や大久保は自分たちが煽った炎の残り火に焼かれた訳で、厄介事を押しつけられたチャカポンさんのほうが遥かに可哀想ではありますが、同情されて喜ぶチャカポンさんではないでしょう。
ちなみに本文で紹介されている歴代大河ドラマのチャカポンさんの中では『翔ぶが如く』の神山チャカポンさん推し。倒幕大河にも拘わらず、チャカポンさんの行動原理が物凄く筋道立てて描かれている&理解出来るのよ。これは『青天を衝け』も見習って欲しかったなぁ。
次はこれ。
村山由佳女史の文庫最新作(単行本化は2018年)ですが、残念ながら未読です。思春期真っ盛りにジャンプJブックスで読んだ『おいコー』を契機に『星々の舟』辺りまではリアタイで追跡していましたが、私自身の読書遍歴が歴史系に傾いたこともあり、ここ暫くは村山作品と疎遠になっていました。当時のJブックスは結構凄いメンツが単発作品を掲載していたよなぁ。三谷幸喜氏の『大根性』とかまだ古畑任三郎が世間でボロクソに叩かれていた頃の愚痴も載っていて面白かったしさ。田中芳樹センセが連載を始めた時には定金伸治氏は本気で焦ったと思う。
それはさて置き、上記のように最近の村山作品とは縁がなかった私ですが、先日、ひょんなことから接点が出来ました。我が家で取っている新潟日報で村山女史が連載している小説に我が家の親父がドハマリしたのですね。その流れで『お前、この人の作品持っていたな』という話になり、幾度かの本棚整理という名の焚書の網を逃れて手元に残っていた、
を貸しました。私の心の故郷である長野県上田市が舞台ということで非常に思い入れのある作品とはいえ、我が親父殿は(主に長澤まさみが目当てでTVドラマを見ていた)『劇場版コンフィデンスマンJPロマンス編』を見に行った際、序盤の今までの登場人物の復習シーンで寝るという物語に耐性のないニンゲンなので、どうなることやらと心配していましたが、前後編二冊を一週間程で読破して返しに来ました。『本当に読んだのか? 貸した私に気を使って読んだフリをしているだけのか?』と勘繰ったものの、如何せん本の内容が濡れ場アリの青春群像劇なだけに感想を聞くのも憚られて、敢えて触れずに過ごしていたのですが、先日、冒頭で紹介した文庫最新作を自分で買って読んでいるようなので、少なくとも作風は気に入ったようだなと安堵しております。
それにしても、息子が父親の子供の頃に読んでいた作品を見てハマるという話は聞きますが、父親が息子の子供の頃に読んでいた作品を見てハマるというのは滅多にないように思います。一ファンとしては嬉しい話ですが、結構驚きました。でも、それ以上に驚いたのは上記の話をツイッターに投稿したら作者から軽くファボって頂いたこと……何とも畏れ多い。布教に成功した信者への御褒美と思い、有難く頂戴致しました。
最後はこれ。
現時点で最もアニメ化して欲しい漫画作品第一位。未完作品なのでアニメの終わらせどころが難しいけれども、7巻ラストまでで何とか1クールいけるやろ。推しキャラはルルシィさん。絶対に茅野愛衣さんに演じて欲しい(力説)。最新刊では彼女の過去に関する描写もありまして、新たな魅力を感じ取ることが出来ました。
ところで、そのルルシィさんの過去描写ではストーリーに入る前に、
「次の話には性〇力に関する描写が含まれます。フラッシュバックなどの心配がある方は注意して御覧ください。また121ページまで読み飛ばしても物語に影響はありません」
という注意書きがありました。具体的な内容は伏せますが、往年のジャンプ読者に判るように申しあげると冴羽さんが毎回依頼人にやっていたことといえば、大体御察し頂けるでしょう。80年代の漫画を読んで育った人間としては『時代は変わったな』との思いですね。8巻のオルさんの、
「現実の危険認知度を薄れさせてしまう作品を無責任に売り物には出来ない」
という台詞からも察せられるように、作者の白浜鴎さんは表現規制に関して鋭敏な感覚をお持ちなのだと思います。2017年の下半期ベスト記事で述べたように本作はファンタジーの皮を被った燃えよペンであり、魔法≒漫画と解釈して大過ありませんが、クリエイターサイドからの自主規制を掲げる作品は稀有ですね。以前から申しあげているように私は創作に対する表現規制はないほうがいいに決まっている派ですが、本作のようにクリエイターサイドからの問題提起となる作品があってもいい……というか、あるべきだとも思います。表現規制はないほうがいいというのは、表現規制は熟慮に値するという考え方も存在してよいということですからね。クリエイターが自身の良心に従い、他者に強要しない範囲で配慮することは表現規制反対と何ら矛盾するものではありません。表現の範囲を法的に取り締まる、乃至は自主規制を強要する社会風土を醸成することには断固反対ですが。
そこで、ちょいと思い出したのが、先日のこの騒動。
『Googleやappleの審査に通らない日本の作品はネット時代に相応しい基準を作り直さないといけない』という氏の発言は、二次元産業の一責任者としてはクリエイターの意欲を削ぐと共に山の高さは裾野の広さに概ね比例することを弁えない戯言と評して問題ありませんが、会社の経営者としては自由な表現が保障されることで発生し得る長期的な金の卵よりも、規制の厳しい国への輸出で稼げる目先の銅の卵を優先するという一点において、理解し得ない話ではありません(同意は出来ませんが)。コロナの影響もあり、アニメの制作市場は10年ぶりに減少に転じると同時に赤字割合は増加している訳で、経営者として何らかの手を打つ必要に迫られているのも確かでしょう。私自身、左ハンドルの車を作るように輸出商品に取引先の都合が反映されるのはやむを得ないとも考えます。ただ、それらの理屈を創作の現場に持ち込むことには断固反対ですし、海外展開時に一定の規制が掛けられるとしても、それは相手国の政治的都合の問題であって、
日本の創作観やクリエイターに非がないことは常に周知しておくべき
と思うんですよね。クリエイターのプライドを守れないようでは日本の二次元産業に先は危ういのではないでしょうか。