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久しぶりに時事ネタにいっちょ噛みしてみます

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先週はハリウッド映画でありがちな特上級のいい知らせと悪い知らせの往復ビンタに見舞われた&上半期ベスト記事の執筆で忙しかったため、更新を休みました。決して上の画像を使いたいがために更新をサボった訳ではありません。多分、恐らく。でも、使い勝手がよさそうなので、今後もサボり……じゃない、休み明けに使う可能性はあるでしょう。サンキューキンキン、フォーエバーヤッス。

今週の『青天を衝け』は慶喜の将軍就任に伴い、今まで手掛けていた現場仕事から引き離されて、勝手の違う官僚ポストを推しつけられた所為でメンタル腐りかけていた篤太夫が、思想も立場もまるで違うが、実は同じ武州(といってもめっちゃ離れているけど)の豪農出身の土方との交流で、憂国の情熱に燃えていた嘗ての自分を思い出すというハートウォーミングな内容でした。確かに新撰組副長と日本近代化の父というと水と油のようにかけ離れた人物に思えますが、二人とも趣味の俳句と漢詩のクオリティが微妙にアレなところを含めて、意外と共通点多いんですよね。

ところで、大河ドラマとお休みといえば、

 

 

が正式に発表されましたね。来週は篤太夫が、

 

瑞穂屋卯三郎「パリがあなたを待っています!」

 

とばかりに海外雄飛のアタックチャンスを獲得して、物語的にも最高に盛りあがる時期なので、ここでの一時中断は非常に残念ですが、これも元を糺せばコロナが悪いので、開催への賛否は兎も角、この点でオリンピックやNHKを批判するつもりはありません。ただ、昨年の『麒麟がくる』のようになるべくキリのいいところで区切って欲しい&今年も来年初旬まで放送を延ばして欲しいとは思いますが、頼朝の中の人によると既に来年の大河は無事にクランクインしているので、前者は兎も角、後者は難しいかも知れません。頼朝さんは『鎌倉時代のセットは畳がないから座っているだけでケツが痛い』と早くもボヤキを零していました。痔持ちのギックリ持ちだからね、仕方ないね。

 

放送休止期間はNHK御自慢の歴史番組で視聴者の興味を繋いでくれることに期待しましょう。先日の『英雄たちの選択』もパリ万博の舞台裏に秘められた幕府とフランスの借款計画が題材でしたね。大河ドラマではフランス語で一橋派を罵る高度なイヤミを披露した栗本鋤雲をパネラーの多くがヨイショしていたのが面白かった。アイツ、人気あるよなぁ。

尤も、冒頭の磯田センセの『孝明天皇という(幕府にとって)物分かりのよかった天皇』という表現は、前後の文脈を考慮してもいうほど物分かりよかったかなとは思いました。確かに公武合体論者の孝明帝は幕府の強力な後ろ盾ではありましたが、一方で先週描かれた兵庫開港事案などの開国路線を推し進める幕府にとって、些か面倒臭い存在であったのも事実。日米修好通商条約調印の認可を求められた際、

 

孝明帝「よろしい、ならば戦争だ(洋夷若シ強要セバ、干戈敢エテ辞サルベキ)

 

と反対して、幕府を困らせたのは有名な話です。ただ、この一事を以て孝明帝が国際事情に疎かったと断ずるのはアンフェアでしょう。神道のハイプリーストであった孝明帝は神州の静謐と清浄を祈念する『宗教的使命』を背負っており、その発言は政治的妥当性や論理的合理性に左右されるべきものではありません。西欧列強に対する具体的な知識の有無に拘わらず、孝明帝は『外夷との通商は否』と言わざるを得ない立場にあったと思われます。

そもそも、この問題は朝廷にわざわざ許可を求めた幕府の悪手といえます。実際、前回の日米和親条約の締結は朝廷への事後承諾で済ませていた訳ですが、日米修好通商条約の際は強硬な攘夷論者の徳川斉昭による開国反対路線に手を焼いた老中・堀田正睦が、熱烈な尊皇家でもある斉昭が唯一頭のあがらない孝明帝の権威を借りようと画策しました。開国派の堀田には強権を発動した場合、自分たちが次期将軍候補に推す一橋慶喜の実父・斉昭の機嫌を損ねるかも知れないという政治的バーター思考もあったでしょう。しかしながら、心情的にも立場的にも外夷との交流を是としない孝明帝の返答は当然NO。そのうえ、

 

孝明帝「いいか? 調印するなよ? 絶対に調印するなよ?」

幕府「お か の し た」

 

信じて送り出した幕府が交渉現場で即落ちしてアメリカどころかオランダ・ロシア・イギリス・フランスと不平等条約を結んでくるなんてことになったのですから、意見を求められた朝廷の面目は丸潰れ。事後承諾よりも遥かにタチの悪い結果にブチギレた孝明帝は『幕府はどないなっとんねん? ちゃんと組織内で意見を調整せぇよ? 特に水戸の話はよう聞けよ?』という所謂『戊午の密勅』を水戸藩(と数日遅れで幕府)に送りつけましたが、自分たちの頭越しに水戸を優遇する文言に今度は幕府の面目が丸潰れとなり、こちらもブチギレたチャカポンさんが、

 

井伊直弼「畏れ多くも帝が幕府の政治に口を出す筈がない! これは水戸藩による幕府転覆の陰謀!」

 

というロジックで尊攘派の弾圧に奔りました。世に言う安政の大獄ですね。松平容保公以前に京都守護の役職を務めていたチャカポンさんですから、孝明帝の叡慮を故意に曲解したのではなく、戊午の密勅を事前に察知し得なかった謀臣・長野主膳の責任逃れの讒言を真に受けてしまった訳で、確かにハタから見ると思想的にも閨閥的にも朝廷が水戸に操られていると思われても仕方のない状況ではありましたが、幕府全体の動きで見ると、わざわざ朝廷に意見を求めておきながら自分たちが欲する答えと違う返事をしたらガン無視されたので、キチンと忠告し直したら『コイツは嘘をついている』と言われてしまった孝明帝のやるせなさは察するに余りあります。そして、安政の大獄の反動として桜田門外の変が勃発。事実上の最高権力者であった井伊直弼の暗殺という事態に見舞われた幕府の権威は完全に失墜してしまいました。

正直、幕府もここまでの大事になるとは想像していなかったでしょう。朝廷に意見を求めたのも斉昭への牽制だけではなく、江戸中期以降に広まった尊王論への配慮、外圧に屈した幕府の威信回復という狙いもあったと思われます。ですが、100%の結果論とはいえ、実質的な統治者である幕府の判断よりも、権威上の君臨者である帝の叡慮を優先するという幕末の混乱は此処から始まったといえます。実際、これ以降の幕末の政局は京都に兵力を駐屯させて朝廷を抱き込んだ軍閥が主導権を握る展開となり、朝廷に自分たちに都合のいい詔勅を発させる泥仕合の場と化しました。否、詔勅や密勅はまだしも、公家を抱き込んで偽勅を発するに留まらず、挙句の果てには、

 

「義ニ非ザル勅命ハ勅命ニ有ラズ(俺たちの大義に反する勅命は勅命ではない)

 

などという治五郎おじさんもビックリの極論まで飛び出す始末。誰とは言わんが一蔵、お前のことやぞ。まぁ、要するに、

 

国論が分裂している時に安易に朝廷を利用すると混乱がエスカレートする

 

ことを幕末の歴史を知る者は誰もが承知している筈だよね、という大前提を申し述べるつもりでした。つい最近も似たような騒動があったような気がしないでもありませんが、多分、気の所為でしょう。よりによって現在進行形で幕末大河が放送されている今、あれと同じ轍を踏もうとする輩がいるとは到底思えませんからね。あの報道を契機に中止が決定していたら、日本は近代国家としての鼎の軽重が問われたでしょう。勿論、開催自体の賛否とは別の話です、念のため。

 

 

 

 

 

 

 

 


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