現時点では一年押しで開催される予定の東京オリンピック。『いだてん』は毎週楽しみに鑑賞していましたし、その影響で昨年の延期のニュースには些か残念な気持ちを抱いたのも確かですが、基本的には東京開催が決まる前からオリンピックは毎回アテネでやれ派ですので、都民でも都知事でも委員でもない私が責任を負わなきゃならないことは何一つなく、事態の推移を見守っている次第です。ただ、これは『いだてん』好きな人間としては誠に複雑な心境ですが、オリンピックの放送で『青天を衝け』の話数が減らされるとしたら、それは勘弁して欲しいと真剣に思い始めてもいます。渋沢栄一の人生は維新以降も半世紀以上あるので、これ以上、尺を削られたらと思うと……本作はキチンと終わらせられたら大河史に残る佳作(流石に名作とまではいかない)になる予感はあるのになぁ。今回も、
渋沢篤太夫「女など結構! それがしには郷里に大事な妻があります!(キリッ)
と晩年にドデカい反動が来る前フリもしっかりやってくれた(?)ので、是非、アレやコレやナニも含めた最晩年の栄一まで描いて欲しいのですが。多少、生臭い話題から入った今週の感想記事。そのポイントは5つ。諸事情で短めです。
1.アイムハングリー
天狗党員A「腹減ったなぁ……」
天狗党員B「ああ……腹減った……腹減った」
幕府の追討軍との戦いでボロボロになった天狗党。嘗ては尊王やら攘夷やら憂国やらと御大層な言葉を掲げていた党員たちの口から『寒い』『腹減った』という人間の根源的な窮乏を象徴する単語が零れ落ちるのが何とも切ない。自分たちの未来は暗澹たるものと承知のうえで部下が死に花を咲かせられるように上洛を志向した感があった耕雲斎さんですが、玉砕以前に戦うことすらままならない状況に追い込まれるとは思っていなかったのでしょう。嗚呼、無惨。直後の黒田家や前田家の接待に追われる篤太夫のイキイキビジネスシーンとの対比が際立ちますが、平岡に救われる前の篤太夫も攘夷運動にのめり込むあまり、実家の売上に手をつけたばかりか、それを許した父からの追い銭までをも使い果たして素寒貧ライフをエンジョイしていた訳で、程度の違いこそあれ、篤太夫も天狗党と同じ分岐ルートを辿った可能性は大いにある。篤太夫と小四郎の境遇の差はホンの僅かな運命のすれ違いでしかなく、この両名を対比することで単純に渋沢は頭がいいから成功したという主張にはしない本作の姿勢は好きです。
2.井戸の底から来ました
田沼意尊「フン、一橋め。二百年以上戦をしてこなかった御公儀が、この水戸の争乱でどれほどの迷惑を蒙ったことか……天狗共を敦賀の鰊蔵に監禁せよ。取り調べと裁きは……この私がやる」
暗黒堕ちしたっぽい奥山六左衛門。おとわが見たら『図体のデカさと人当たりのよさしか取り柄のない六左に何があったのじゃ?』と絶句しそうですが、よく考えたら、井伊家の末裔を暗殺した水戸家の処断に嘗ての井戸の底の家臣が手心を加える道理はありませんし、意尊本人も天狗党討伐の予算調達の過程で同僚を死なせているので、二重の意味で納得の裁定。田中美央さんが田沼意尊よりも井伊直弼に見えました。肉厚の面体、恰幅のよい体躯、一筋縄ではいかない懐の深い雰囲気がめっちゃチャカポンさん感ある。次回、大河ドラマでチャカポンさんを登場させる際は是非、田中美央さんを希望。
さて、ドラマが始まる前から本作の試金石になると思っていた天狗党始末ですが、内容的には不満足かなぁ。これに関しては水戸の諸生党の報復も含めて、視聴者のメンタル削る勢いでガシガシと描いて欲しかった。『龍馬伝』の土佐勤王党弾圧レベルの長期的で陰惨なシーンを期待していたので残念無念。ただ、後述するように天狗党の何が問題であったかを主人公がキチンと総括して、次の行動に繋げる展開にはなっていたので、その点はフォローの余地はあると思います。
3.旗本八万騎(笑)
渋沢成一郎「一橋家は今、満足な兵もいねぇ」
現在の一橋家が置かれた状況を端的に言い当てた成一郎。以前も記事で書いたように幕末の政局は軍閥政治であり、京都に子飼いの兵を駐留出来ない勢力には発言権がないも同然。のちに将軍の座に就く慶喜に兵力がないというのは意外に思われる方もおられるかも知れませんが、一橋家は大名というよりも将軍家の血統をストックするための分家の意味合いが強く、その領地も各地に分散されており、まとまった戦力を保持するのが難しい事情がありました。将軍家の直衛兵力を割いて貰うという手もないではありませんが、前項で触れた井伊直弼……じゃない、田沼意尊がそうであったように幕閣には外様の島津に担がれた慶喜を快く思う者は少なく、更に頼みの旗本八万騎も泰平の世に慣れ切って、一部の例外を除くとクソの役にも立たないレベルの人材しかおらず、全く戦力として期待出来ませんでした(平岡がテロ未遂犯の篤太夫たちをスカウトしたのも、人材が払底していたからです)。成一郎は『天狗党への苛烈な処断は慶喜が固有の戦力を保持するのを幕閣が恐れた所為』と分析しましたが、それが全てではないにせよ、そういう意図はなくはなかったと思います。ただ、慶喜は立場的にも幕府による天狗党への苛烈な処断を黙認せざるを得なかったと思うので、あまり好意的に解釈するのも異議あり。ここら辺で慶喜のトカゲの尻尾切りに視聴者を慣らしておかないと鳥羽伏見の戦いの描写で苦労すると思いますので。
4.筋肉は(徳川を)裏切らない
徳川家康「しかし、我が徳川も、このままでは済ませませんぞ!」
全体の分量不足は否めないとはいえ、天狗党始末という陰惨極まるイベントのあとにキンキン家康がストーリーに割り込んでくれたのは視聴者的にも救われた感じがしました。マジで今では必要欠くべからざるポジションになっているな、キンキン家康。現時点では主人公、成一郎、平岡に次ぐキャラクターランキング第4位。主人公が一位の作品は滅多にないので、この路線を貫いて欲しい。
さて、その家康が『このままでは済まない』と差し向けた刺客かも知れないのが小栗忠順。実際、小栗家は三河以来の古参だからね。尤も、私的キャラクターランキングでは上位に食い込んでこないと思います。実はオグリンはそんなに好きじゃないので。正確には好みのタイプではないかなぁ。春先にUPした好きな歴史上の人物ランキングでも述べたように、私は『一度は敗者となっても新しい時代や環境に順応して勝者に一矢報いるタイプ』や『有能で人間性がブッ壊れたタイプ』が好みなので、悲劇の忠臣オグリンはタイプじゃあない。キャスティング的にも、このオグリンは箱根決戦を退けて座を蹴る慶喜をマッスルパワーで押さえ込んでしまえそうでもあり、そのシーンの説得力がどうなるか微妙に不安。
ただ、オグリンのネジエピソードをサラッと入れてくるスタイルは嫌いじゃあない。知らない人が見たら『何これ?』と思って調べたくなるでしょうし、知っている人は思わずニヤリとさせられてしまったのではないでしょうか。幕末劇を描くうえで欠かせない情報を結構な割合で取りこぼしている本作ですが、オグリンのネジエピソードを拾ってくるところから察するに、
『勉強不足で取りこぼしているのではなく、勉強したうえでドラマに必要な要素を取捨選択している』
のでしょう。要するにどの要素を選ぶかというセンスの問題で、題材や創作自体への誠意はあると感じられるシーンでした。そもそも、いい加減な姿勢で調べていたら阪谷朗蘆とか絶対に出てこないと思うのよね。
5.お金がない!
渋沢篤太夫「借りた金では懐は豊かになりません。武士とて金は入り用。それがしは水戸天狗党があのような結果になったのも、それを怠ったからだと存じます。如何に高尚な忠義を掲げようが、戦に出れば腹は減る。腹が減り、食い物や金を奪えば、それはもう盗賊だ。小四郎様たちは忠義だけを尊び、懐を整えることを怠った。両方なければ駄目なのです。それゆえ、それがしは一橋の懐具合を整えたいのでございます」
この台詞だけでも今年の大河ドラマを作った甲斐はあった!
水戸天狗党が何故失敗したかを冷静に分析したうえで、一橋家は何をすればいいのか。そのために自分が何で貢献出来るのか。『実は仕官したのは腰掛けでした』というナチュラルユーモアを交えた完璧過ぎるプレゼンで慶喜の心を掴んだ篤太夫。天狗党を攘夷志士、一橋家を日本に置き換えると篤太夫の言葉は『攘夷とは目の前の異人を斬ることではなく、異国に侮られない国力を備えること』という攘夷思想の最終進化形態を理論化したといえます。攘夷とは何であったか&それは本来はどうあるべきであったかを篤太夫の経験と見識を踏まえてキチンと定義したのは素晴らしいですね。
感心したのは幕末ドラマでありがちな『平等』とか『博愛』とか『人権』とかいう当時の西欧列強の建て前を真に受けた現代視点が欠片もないことです。大事なのはあくまでも志と金。実際、作中で篤太夫が慶喜に硝石の採取を勧めているように、彼は武備の増強も一橋家を支える重要な要素と捉えています。そして、如何なる高邁な思想であっても、それを実現するにはキチンとした手順を踏まなければならないと説いています。成一郎が言及したように『一橋家は武力がないから薩摩にも幕府にも侮られる』という現状を覆したければ、彼らとの喧嘩に勝つ必要がある。喧嘩に勝つには戦術を練らねばならず、戦術を練るには戦略を明確にせねばならず、戦略を明確にするには真っ当な政治を布かねばならず、真っ当な政治を布くには経済力を身につけるしかない。まさに、
「戦術は戦略に従属し、戦略は政治に、政治は経済に従属する」
というヤンの言葉通りですね。そして、篤太夫は『自分は軍事よりも財政に長じている』と慶喜に人事の大切さも説いている。これは慶喜でなくてもコロリとなりますよ。最初に公の対面が許された時には誰かに借りた思想と自分の情熱しか説けなかった若者が、自分には思いもよらなかった方向から意見を具申するほどに成長していた訳で、本作の慶喜は内容と同じく、その変化の振り幅がおかしろくあったのではないでしょうか。それが平岡没後は見せなかった笑顔の理由かも知れません。慶喜の中では篤太夫の変化は、
に匹敵するツボであったでしょう。笑いのツボという点では硝石を慶喜に捧げる際に篤太夫が微妙におかしろそうな表情を見せるんですね。曰く、
渋沢篤太夫「備中では家の下の土から硝石を作り出せます」
ということですが、その製造法は当時の日本ではポピュラーな手段とはいえ、貴人への献上品としてはアレかなと思っていたのかも知れません。