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『西郷どん』第二十七話『禁門の変』感想(ネタバレ有)

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先週、BSで(何故か午前中に)再放送された二〇一三年の作品。『日テレ版にどこまで食いつけているか』との軽い気持ちで視聴しましたが、如何に西郷頼母が主人公の物語とはいえ、頼母を除く会津藩士が総じてド低能扱いのうえ、頼母本人も自分の意見が通らないと途端に臍を曲げる狭量な為人(史実的にはアリでも物語の主人公としてはOUT)で、全く魅力を感じられませんでした。他にも容保公に酌をする照姫様(この段階で既におかしくないか?)の様子が妙に生々しいばかりか、八月十八日の政変が、

 

オラついた新撰組に七卿たちがボコられる

 

という全く理解不能な場面で終了……こんな脚本を書いたのは誰だと思って調べてみると何とジェームス三木さん……これが一番の衝撃ですね。まぁ、序盤の台詞にはジェームスさんらしい荘重さが健在で、照姫様や八・十八クーデターの件は脚本よりも演出の問題が大きそうですが、これ以上見続ける気力が湧かずに二話目で視聴を断念した次第。ちなみに全話視聴なさった天河真嗣さんの情報によると、

 

『西郷頼母の妹と恋仲になった土方が自害の場に駆けつけてジュテームって絶叫』

『奥羽越列藩同盟の交渉に当たったり、甲賀町口門の戦いに参加したり、戦時下の鶴ヶ城で容保に謁見するミラクル土方』

『飯沼貞吉は戦時下の飯盛山から鶴ヶ城に運び込まれる』

『最後は会津追放でなく、容保の子を宿した腰元を米沢に送るという超展開。しかも豪華な駕籠に乗せて。包囲された鶴ヶ城から駕籠で。超綺麗な駕籠で』

 

 

本作と同年に放送された『八重の桜』第一部のクオリティの高さを、改めて再認識させられました。その『八重の桜』ファンがツイッターのそこかしこで怒りを爆発させた今週の『西郷どん』。私も概ね同意見です。完全に越えてはならない一線上の虎の尾を踏んでしまいました。そんな今回のポイントは2つ。褒めるところ? ねーよそんなもん! 

 

 

1.馬鹿者

 

西郷吉之助「桂どんを一橋様に会わせてみようかち思うちょりもす」

小松帯刀「その者、信用できるのですか?」

西郷吉之助判りもはん。じゃっどん、オイは一橋様のほうが気になっちょいもす。長州の申し出にどう出られるかを見てみたか」

 

乞食の恰好で乗り込んできた初対面の桂を慶喜に会わせようとする吉之助サァ。何かというと『全ては新しい日ノ本のため』とか『侍の本懐は民の暮らしを守ること』とか偉そうなフレーズを口にする本作の吉之助サァですが、慶喜のリアクションを見たいがために、

 

信用できるかどうか判らない者をVIPにアポなしで会わせる

 

という発想が既に常人のそれではありません。芸人に無茶ブリをして楽しむタチの悪いプロデューサーのようです。これには純粋に慶喜に同情してしまいました。そもそも、桂を名乗る乞食が本人かの確証もないのに……これでは影武者徳川家康に嵌められた井伊家の二の舞だよ。斯くも吉之助サァが不誠実なのですから、慶喜が不誠実で応じるのは至極当然なのですが、何故か、慶喜が吉之助サァを嵌めるシーンはおどろおどろしいBGMとゴシラ院時代を彷彿とさせる企み顔で、如何にも慶喜が悪者であるかのように表現する始末……というか、ここまでアカラサマな企み顔を浮かべている慶喜の本心を察知出来ない時点で、本作の吉之助サァはタダのでくの坊でしかありません。こんなもん、草刈昌幸の『ワシが裏切る訳ないではないか』とか『案ずるな、既に策は講じてある』とかいう言葉を真に受けるレベルの低能ぶりです。馬鹿。単純に馬鹿。

そのうえ、慶喜と桂を会わせただけで『はい、俺の仕事はここまで! あとは御二人で何とかしてね!』というスタイナーブラザーズを彷彿とさせる投げっ放しジャーマン的態度もどうにかならないのでしょうか。ネゴシエイトして、両者の落としどころを探って、言質を取って、履行を確認して、報復が起きないのを見届けて、初めて交渉は成功したといえるのですよ。

 

『主人公に後世視点で正しいことをいわせたから、あとは主人公のいうことを聞かなかった周囲の人間が悪い。主人公は何も悪くない』

 

こんな発想は最初から成功しない史実を見越したうえでそれでも主人公は必死に頑張りました的なアリバイ作りでしかありません。そんなことで主人公の先見性や魅力を描けたと思ったら大間違い&逆効果。視聴者の目には先の展開が読めているのに危機を回避できないド低能で腐れ脳ミソなキャラクターに映るのが関の山だということが、描いている人間には判らないのでしょうか。未来からの逆算カッサンドラ演出、ホンマクソ。

 

 

2.偽善者

 

西郷吉之助「こげな傷、何ともなか! これ以上、戦を広げてはならんのじゃ!(ジタバタジタバタ

 

禁門の変で長州兵の狙撃により、足を負傷した吉之助サァ。リアクションが大袈裟な割に本人は意外とピンシャンしている&大声で命令を下す余裕がある所為か、何となく、

 

西郷吉之助「痛いンゴォオ!」(ゴロンゴロン

 

みたいな印象を受けてしまいました。ここは吉之助サァの重傷を強調するのではなく、痛みに堪えて指揮を執るほうが絶対にカッコよくなるシーンなのに……まぁ、そんなことが些細な話に思えるくらい、今回の禁門の変のクソっぷりはズバ抜けていました。『タカチュカサシャマ! タカチュカサシャマ!』という舌足らずな久坂の台詞しか記憶にない『花燃ゆ』がマシに思えるレベルです。『花燃ゆ』がマシに見えるってことは何とか致命傷で済んだレベルのクオリティということですからね、念のため。

いやね、本作は西郷が主人公の大河ドラマじゃあないですか? そして、禁門の変といったら、西郷初陣の戦いじゃあないですか? 更に来島又兵衛を演じるのが長州力じゃあないですか? ほならね? 普通の視聴者は、

 

西郷吉之助(御所に)入るなコラ、入るな! 入るな! 入るなよ! (蛤御門の敷居を)またぐなよ、コラ! またぐな! またぐなよ! またぐな! またぐなよ、絶対に!」

 

と長州兵の侵入を阻止する吉之助サァ&薩摩兵の活躍を期待するのは子供でも判るじゃあないですか。それを何だ、今回の吉之助サァは?

 

西郷吉之助「僕は……僕は……殺したくなんかないのにぃぃー!」

 

とか初期キラさんみたいな腑抜けた物言いしやがって。そもそも、あの物言いは戦場で強制徴用された民間人だから許されたんだぞ。それにキラさんは『撃ちたくないんだー!』とかいいつつ、敵をボッコンボッコン撃墜していたんだぞ。流石はキラさん、パネェっす。まぁ、それは兎も角、慶喜も幕府も会津も長州も薩摩も皆、戦争をしたくて仕方ない状況で、吉之助サァ一人は平和を望んでいました的な聖人設定やめろ。やる時は相手をボコボコに叩き潰すまでドンパチをする&ドンパチが終わると掌を返したように優しく接するという一歩間違えるとDV男と変わらない硬軟織り交ぜた外交姿勢こそ、薩摩&西郷の真骨頂なのに何で最初からラブ&ピースが前提で話が進んでいるんだよ。

しかも、その西郷の説得が上手くいきかけた瞬間に会津兵が乱入した所為で交渉が失敗するという胸糞展開。悪いのは会津! 吉之助サァは何も悪くない! そういいたいのでしょうか? 禁門の変の描写で会津藩の戦後処理に難があったのは確かです。特に会津藩による長州の残党狩りが京の人々を巻き込む稚拙さと苛烈さで行われたのに対して、薩摩藩は概して秩序ある行動を取り、これが民心の掌握に繋がりました。そうした薩摩藩と会津藩の巧拙の差を冷徹に描いて、のちのちの展開に繋げる期待を持たせるのでしたら、何の問題もありません。でも、今回は吉之助サァ一人(≠薩摩)を愛と平和と正義の使徒にデッチあげるために不都合な事実を『会津が全部悪い』という安直な筋書きで済ませようとする怠惰な姿勢がミエミエでした。

『西郷が主人公のドラマなんだから、会津がワリを食うのは仕方ない』という理屈は成立しません。『八重の桜』の禁門の変は素晴らしかったじゃあないですか。援軍に駆けつけた西郷=おやっさん=吉之助のカッコよさといったら、兄つぁまが喜びのあまり、放たれた銃弾を躱すという人間の動体視力を越えた能力を発揮するほどでした。会津と薩摩。立場が真逆なだけで同じシチュエーションを舞台にした物語なのですから、それが出来ないとはいわせません。更に桂=ミッチー=小五郎が戦火で両親とはぐれた女の子と共に泣く描写も、長州を単なる悪役として描かないフェアな姿勢に感銘を受けたものです。長州と会津。立場が真逆なだけで同じシチュエーションを舞台にした物語なのですから、それが出来ないとはいわせません。大事なことだから二回書きました。

 

今までは単なる駄作という印象の『西郷どん』でしたが、今回の内容で私の中でハッキリと敵認定されました。今後の感想記事も腹を括って描くことが出来そうです。その点だけは『ありがとう』といいたいですね。

 

 

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