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『おんな城主直虎』第五十回(最終回)『石を継ぐ者』感想(ネタバレ有)

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無事、出先から帰宅しました。

詳細は後日記事にしますが、この土日は忘年会の梯子をしておりました。オフ会に近い集まりということで、メンツ的に田中芳樹フリークも多く、発売したての『アル戦』最終巻の話題を振る際に既読 or 未読の確認を取り合うシチュエーションが何度もあったのが印象に残っています。正直、最終巻の内容は、

 

完結したという以外は何一つ評価できなかった

 

としかいいようがない出来でしたが、今回の『おんな城主直虎』も、同じような感想になるかなぁ。あ、いや、よかった点をあげるとしたら、

 

女性主人公がキチンと臨終を迎えた

 

ことでしょうか。これ、ここ最近の大河ドラマでは珍しいことで、GOや美和は勿論、あの八重ちゃんも臨終せずに物語が終わっているのよね。作品によっては男性主人公でさえ、生死をボカす傾向がある。これは物語の性質にもよるので、一概にいいか悪いかの物差しにはできないけれども、世の中には棺を蓋いて事定まるという言葉があるように、人間の評価は死んでから決まるもの。歴史上の人物の生涯を一年かけて描く大河ドラマのコンセプトを考えると、主人公の臨終を描くのは充分条件とはいえなくとも、必要条件ではないかと思うのです。この辺、本作は八重ちゃんの第二部よりもスィーツ大河していないといえるでしょう。人間の死を描くことは、それ自体が難しいことでもあるので、ここは素直に評価したい。それこそ、冒頭で触れた『アル戦』の作者の愛情の欠片も感じられないジェノサイドはどうにかならなかったのでしょうか……。

逆にいうと今回評価できるのはそこくらいで、あとは『アル戦』と同じく、終わったという以外に見るべき点がなかったのも事実。そのうえ、地味に楽しみにしていた『西郷どん』の予告もBS版ではやらなかったなぁ……そういや、昨年も同じトラップに掛かった記憶がある。いい加減、学習しろ、俺。

取り敢えず、褒めるべき点は褒めたので、残りはキツメの感想になる最終回のポイントは3つ。

 

 

1.山川健次郎「海のド真ん中に手紙が届く訳がないだろう」

 

奥山六左衛門「殿! 明智が織田方に押され、京を捨てたようです!」

 

恐らくは山崎の合戦の報せを届けに来た六左衛門……ですが、画的には海のド真ん中で電報を受け取ったように見えました。檣に帆が掛かっていないとはいえ、明らかに港に停泊中の船舶とは思えない背景。ウミネコの鳴き声のSEが入っていたので、羽根を休める場所がある≒陸地が近いということなのでしょうけれども、パッと見の違和感が半端なかったです。ここは甲板上ではなく、埠頭で報せを待つ場面にしたほうがよかったかも。

尚、大人バージョンの龍雲丸は此処で退場。おとわや亀之丞、鶴丸と共に件の古井戸のシーンで子供バージョンが登場しますが、あれは龍雲丸も他の三人と共に死んでいることを示している訳ですね。この『銀河鉄道の夜』っぽい演出すこ。

 

 

2.織田信長「えっ? ワイに隠し子がいるんですか?」

 

おとわ「この子は亡き信長公の御子じゃ!」

 

いうにこと欠いて、ミッチーの息子をノッブの隠し子と強弁するおとわ。ノッブから下賜された茶器の伏線回収は御見事ではありましたが、それ以外の要素が全てチグハグといいますか……この場は何とか収まったとはいえ、こんな嘘は露見しないほうがどうかしています。秀吉に調査されたら一発でOUTやないですか。万一、嘘が嘘として罷り通ったとしても、このあとに清須会議が控えているのですから、信長の隠し子がいたら、担ぎ出されない訳がない。嘘がバレてもOUT。バレなくてもOUT。本編では清須会議を描かないから、その辺はテキトーでいいだろうという『やっつけ仕事』感が半端ない。

更にいうとミッチーの子供を助けたことで、井伊家に何かいいことあった訳でもないのですよね。いや、見返りを求める善行は偽善と変わりませんが、これは物語なのですから、ミッチーの子供を助けたことに対する正負善悪何れかの結果が描かれて然るべきですよ。極端な話、ミッチーの息子が天海になりましたとかいう展開のほうが、まだしも納得できるのですが、この子も特に後日譚が描かれることなく、物語からフェードアウトするのよね。これはもう、ドラマツルギーとして大きな穴があると評さざるを得ません。

 

 

3.真田昌幸「大博打の始まりじゃあ!」

 

南渓「労咳かも知れぬといわれておっての……」

 

万千代的には老害ではなかったかと思える主人公の死。そのショックで軍議に気の入らない万千代を叱責する小平太△! この大河の主人公は前半が小野但馬、後半が榊原小平太でいいんじゃあないかと思える程です。井伊直親? そんなサイコパスは知らないなぁ。

さて、そんな万千代に小野但馬~おとわ経由の碁石を託す南渓和尚。サブタイの『石を継ぐ者』という内容には合致していましたね。ここはよかったです。ただし、おとわや小野但馬の、

 

・余所者に暖かく、民には優しい

・戦わずして生きる道を探る

 

という魂を万千代が受け継ぐという展開は無理があり杉内。史実の万千代はそれができてねーじゃあないですか。井伊直政という人物は自分にも他人にも厳しく、戦場では常に最前線で槍を振るい、その手傷が元で早世した武将ですから、ここもチグハグ感が半端ない。いや、世間ではそういわれているけれども、こういう解釈もありますよと創作でキチンと描いてくれれば、それはそれで文句ないのですが、それを描かないうちに終わってしまったからには批判を受けて然るべきでしょう。

一応、終盤の対北条の調略として、徳川に味方する国衆には本領を安堵する&自分のような外様でも大事にしてもらえるのが徳川の家風と説くことで、余所者に優しく、戦わずして勝敗を決するというおとわ&野但馬イズムを継承しているように見えますけれども、

 

真田昌幸「じゃあ、うちの沼田も安堵してくれるよね?(ゲス顔

 

といわれたら、もう一言もない訳ですよね。誰かに優しく接するには、他の誰かに冷たく当たるしかない。誰かの幸せを祈った分、他の誰かを呪わずにはいられないのは魔法少女にかぎった話じゃあないのです。昨年の題材が真田家でなければ、或いは通用したかも知れませんが……創作系の細かい筋書きはシッカリしているのに、史実とのリンクがあまりにも稚拙なのよ。ラスト付近での、井伊直政の『政』が小野但馬由来という創作は鳥肌が立つくらいに素晴らしかったので、本当に勿体ない。つくづく勿体ない。

 

ナレーション「彼女が守り続けた井伊家は二百六十年に渡り、江戸幕府の屋台骨を支えることとなったのじゃ」

 

尚、結果的に屋台骨を叩き折ったのも井伊家であった模様。

 

この辺も史実とのカネアイに難があったよなぁ……。総評記事でも触れる予定ですが、史実と創作のチグハグ感が最後までネックになった大河ドラマでした。

ちなみに現時点での『今年の大河ドラマを食べ物に例える企画』の候補は以下の通り。

 

調理実習大河

シェフ大泉大河

楠公飯大河

ハバネロ大河

 

うーん、この微妙に箸の進まない感。

 

 

 

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