おとわ「死んでいく奴は皆、然様なことをいう! 御家のために生命を捨てるは己の本懐……そんなことばかりいいよる! 残される者のことを考えたことはあるか! 助けられなんだ者の無念を考えたことはあるか! もう二度と私はあのような思いはしとうはない!」
極端な表現ですが、上記の台詞に今年の大河ドラマの何たるかが凝縮されていたのではないかと思います。このおとわの言い分は現代的な価値観に近い。ちなみに歴史劇における戦国時代の死生観を最も端的に表現した台詞は、
前田慶次「殺すもまた情けと知れ! 死すべき時に死ねぬはつらき事よ」
ではないかと思います。その理非善悪は別として、個人の生命よりも価値あるものが存在したことを描く。それが戦国時代の創作劇のセオリーです。主人公が御家のために生命を擲つことを否定する歴史劇は不自然であり、スィーツ作品と認定されても仕方がない。
しかし、本作は違いましたね。
むしろ、この場面でこういう言葉を主人公が用いるのは本作の必然として受け容れることが出来ました。全面的に同意できる訳ではないにせよ、少なくとも、悪感情を抱くことはなかった。小野但馬の死を筆頭に、おとわと井伊家が(原因の半分は主人公サイドの采配ミスによるものとはいえ)戦国の世の荒波に翻弄されて、大切な人を幾人も失う様子を丹念に描いてきたからこそ、凡百のスィーツ大河では陳腐で薄っぺらな現代視点と取られかねない台詞も、本作では納得できたのでしょう。一見、スィーツ大河のようでいて、実は生半な大河ドラマよりもビターなテイストが盛り沢山過ぎるために、時にドンびきした視聴者がついていけなくなるのが『おんな城主直虎』の特徴ですが、今回は『直虎』らしさが通り一遍のスィーツ大河認定基準を覆した内容でした。大河ドラマで現代的思想を描くには小野但馬クラスの登場人物を串刺しにしなきゃいけないということかも知れません。まぁ、出来ればそういう物語の基幹に関わるテーマは主人公周辺の出来事で描いて欲しくはありましたが……今回、おとわも万千代も完全に空気やったやないですか……。そんな今回のポイントは4つ。
1.君子危うきに近寄らず
おとわ「お取込み中のようで……では、これにて」ソソクサー
他国の御家騒動に巻き込まれるのは御免とばかりに退散するおとわ。一見、畜将極まる行為に思えますが、最も無難な一手でしょう。それこそ、凡百のスィーツ大河の場合はヒロインが無理矢理にでも割り込み、親が子を殺すのは間違っているうんたらかんたらと演説させるところですが、そういう展開にも至らず、実に重畳。パッと見は岡崎衆の熱狂的な指示を集めている信康の人望を恐れた家康が処断しているようにしか思えませんからねぇ。他国の御家騒動に首を突っ込むと、容易に抜けなくなる(或いは首ごと斬られる)もの。実際、作中での信康の異常な人気の高さからして、
徳川家康「何とか助けようと思ったけど、コイツ、凄い人望の持主やんけ……ヘタに生かしておくと今回のことを根に持って復讐してくるかも知れへん……せや! 後腐れがないよう、ノッブの所為にして死なせたろ!(使命感
とか考えてもおかしくありませんでした。マジ、信康の人気の高さを表す場面は些かやり過ぎ。
2.M・D「花押はいらんのか?」
井伊万千代「これほど見え透いた狂言もございませんでしょう! まことに通じておるならば、わざわざ斯様なものを残し、去ることなどございますまい!」
瀬名殿による自作自演の偽手紙作戦。小野但馬を知る万千代一人が声に出して、その真意を衝きましたが、居並ぶ徳川家臣団の御歴々も口にこそ出さね、瀬名殿の思惑は看破していたでしょう。むしろ、ここはいわずもがなのことを口に出してしまう万千代の至らなさが描かれたとの解釈が妥当ですね。この場に織田の使者や間者が潜んでいたら、瀬名殿の作戦は初期段階で失敗したでしょう。まぁ、最終的にも失敗しちゃうんですけれども。
その瀬名殿の作戦。他は兎も角、勝頼の署名入りの手紙を簡単に偽造できるとは思えないのですが……徳川家の人々は騙されたフリでスルー出来ても、織田家を納得させられるか疑問です。或いは瀬名殿も偽手紙は信康を救う切り札ではなく、家康と同じように時間稼ぎの手段と考えていたのかも知れません。確定事項ではなく、一縷の可能性に己の生命を差し出すのが母親の強さやね。
3.遅かりしファンタジスタ
今川氏真「徳川殿、火急の報せじゃ! 北条と話がついたのじゃ!」
徳川家康「……瀬名の首級じゃ」
今川氏真「」
『北条と結び、武田への圧力を強めて、織田への融和の証とし、信康の助命を乞う』という徳川家の作戦の中核を担ったファンタジスタ。見事に北条との談判をまとめてきました。ファンタジスタは戦国大名を辞めて以降のほうが圧倒的有能感を漂わせております。流石は『天下を汝に』の主人公。結果的に瀬名と信康を救うことは叶わなかったものの、北条との談判以外は彼が責任を負うところではありません。任務をキチンと達成しただけで充分偉い。小野但馬や武田信玄、寿桂尼といった人々が鬼籍に入った現在、何気に東海屈指の有能キャラになりつつあると評しても過言ではないでしょう。井伊家のように周りがボンクラという訳ではないと思います、多分。
4.這いあがろう
井伊万千代「その者は教えてくれました。『負け戦になってしまったら、そもそも、何処で間違えたかを確かめよ』と。次に勝つためには……! 『負けた意味は次に勝つためにある』と!」
万千代に流れる小野但馬イズムが家康に受け継がれた瞬間。いい言葉です。『本当の敗北とは次に勝つための努力を捨てた時』というディアブラスの言葉に通じるものがあります。まぁ、ディアブラスは二度目の戦いでも負けてしまうのですが、相手が変わっているのでギリギリセーフ。ファンとトゥバン相手にガチ勝負で生還率5割という数字で充分化け物ですからね。
尤も、今回の騒動は徳川がしくじったというよりも、明らかに織田家の国力を背景にした恫喝外交の悲劇なので、何処で間違えたかといわれても確かめようがない事案のようにも思います。タッグパートナーに後頭部から殴られた所為で負けたようなもので、事案そのものが反則臭い。或いは本件を契機に家康は外交とは力という信念を得て、後年の大阪攻めに至ったのかも知れません。その意味では小野但馬イズムは確かに有効な教訓でした。後世の歴史家への評価が微妙な点でも、家康は小野但馬イズムの忠実な継承者といえるかも知れません。
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