始皇帝の崩御から始まり、劉邦と張良の邂逅まで話が進んだ今月の『龍帥の翼』。以前の予想通り、本作は楚漢戦争の全体図ではなく、張良周辺の逸話を中心に据えて、駆け足気味に描いていくようです。今回の項梁・項羽による会稽挙兵は一話全部使ってもいいくらいのネタなのに……『海皇記』ではトゥバン・サノオが敵船の兵士全員をぶった斬る場面で一話丸々費やしたのを思うと、ちょっと勿体ない感じですね。項羽の強さを描くのにやり過ぎということは絶対にないので。そんな今回の『龍帥の翼』のポイントは4つ。
1.真理
張良「悪事で事を成そうとする者は何を見るか? 外ではなく、内……目に映る周りのみを見、ばれる事のみを怖れる。それしか見ないといっていい。だから、国は傾く」
何気に本作で一番の名言ではないかと思います。権力闘争や贈収賄といった都合の悪いことを隠蔽するのに汲々となり、肝心の政治を疎かにしているから、国は傾く。国が滅べば、政治家も滅亡する。結局のところ、政治家が生命を全うするにはマトモな政治を行うに如くはないのです。現実の政治家や犯罪者にも聞かせてやりたい言葉ですね。
さて、李斯と趙高による始皇帝の遺言捏造事件。今日の研究では単なる謀略に留まらず、扶蘇派と胡亥派による武力衝突があったとかなかったとか、その所為で反秦勢力への対応が後手後手に回ったとか回らなかったとか。少なくとも、趙高が政敵を粛清して全てオシマイではなかったようです。確かに趙高はアレとしても、李斯は秦帝国の宰相であり、斯くもチンケな陰謀に加担する動機がないと思うのですが……実際、即位して以降の胡亥の痴政に幾度も諫言していますからね。しかし、通説では最後の判断を誤った所為で生涯の功績をガン無視されてボロクソに貶されるという于禁や李秀成やグリルパルツァーと同じ存在として語られがち。個人的に李斯は絶対に好きになれない(粛清されたのも韓非子を嵌めた因果応報といえなくもない)のですが、この人の『便所の鼠は人に怯えて糞便を喰らい、倉庫の鼠は何を怖れるでもなく、丸々と太っている。人間の才能も同じで置かれた環境次第で変わるのではないか』という言葉は好きなんだよなぁ。
2.早い(確信
陳渉「逃げねぇ。逃げても死……遅れても死だ」
苛政に対する窮民の決起に流民が合流して、一大勢力を築き、しかし、叛乱の火蓋を切った張本人は決して新しい帝国の指導者になり得ないという、のちのちの中国史で気味が悪いほどに幾度も酷似する展開が繰り返される陳勝・呉広の乱。後世、理想的な君主の代名詞となった劉邦を『生まれたままの中国人』と評した学者がおられましたが、陳勝と呉広も中国史の何たるかを理解するうえで非常に重要な存在といえるのではないでしょうか。少なくとも項羽よりもランクは上。
ちなみに本作では陳勝と呉広という姓+諱ではなく、陳渉と呉叔という姓+字の表記。川原センセの拘りを感じます。『信長様』とか『秀吉様』とかガッツリと諱呼びが横行する近年の大河ドラマも見習って欲しいですが、拘りを感じた割には陳呉の乱は今号で終焉を迎えるという超高速展開でした。まぁ、史実の陳呉の乱も半年くらいで終焉したので、問題ないともいえますが、個人的には『蒼天航路』で曹操が黄巾の乱を惹起したというように、張良が陳呉の乱を暗に主導した(水が引かないように河を決壊させて、陳勝を追い込んだ)くらいの創作はあってもよかったのではないかと思います。倒秦の志を遂げるには無関係の人間を巻き込むことも厭わないくらいのほうが物語的にも燃えますしね。『修羅の刻』での陸奥一族も色々と歴史に介在していたからなぁ。
3.強い(確信
項羽「叔父上、人を殺したのは初めてですが、簡単に死にますな。人とはこれ程に脆いものなのですか」
初めての殺人にも拘わらず、見事に殷通の首級を落とした項羽。吉良吉影のような生来のシリアルキラーでも最初の殺人では色々と不手際があったくらいですから、項羽のメンタル面の強さが際立ちますね。ちなみに解説文で『この時殺したものの数は百近く』とありますが、項羽にしては控え目な数字に思えてしまうのが恐ろしいです。実際、見せ場は少なかったものの、作中での項羽の強さは異常。ルゥ・フォン・シェンのボディにトゥバン・サノオの技量、不破北斗のメンタルを兼ね備えた様子です。少なくとも窮奇では勝てなさそう。そんな項羽を評した叔父の発言がこれ。
項梁(我が甥なれど……見た目以上に化物であった。虎は人の如く、学ぶ必要などないという事か)
『虎は何故強いと思う? もともと強いからよ』という『花の慶次』の暴言にして名言を思い出した項梁の言葉。虎や熊は日々鍛錬などしない。そんなことしなくても強い奴は強いというのが慶次の言い分でしたが、本作の項羽も同様の模様。尤も、これも有名な逸話で本編でも描かれていたように、項羽は書も剣術も兵法も一通り習得すると等閑にしてしまっているので、結局のところ、項羽の強さの本質とは何なのかは昔から気になっています。項羽は韓信と違い、具体的な用兵に関する表記が少ないのですよねぇ。そう考えると『生まれながらに強かった』という本作の解釈が一番妥当なのか。
4.邂逅
張良「私は下邳で一家を構える張良と申す者。沛公に拝謁の許可を頂き、ありがとうございます」
蕭何「あ、はい、どうやら、そのようです」
劉邦「え」
本人の預かり知らないところで拝謁の許可を出された劉邦。まぁ、この時期の劉邦軍の事実上の主導権は蕭何が握っていたという解釈と取れなくもありません。実際、蕭何という後見人がいなかったら、劉邦は沛のゴロツキで終わっていたというのが世間一般の解釈です。私も概ね同意。尤も、帝国宰相としての功績は李斯が残した秦帝国の国勢調査に拠るところが大きいと思いますが。
この場面、張良は久しぶりに公衆の面前で本名を名乗っています。拝謁する側の礼儀と思ったのか、或いは始皇帝暗殺未遂事件の追跡を逃れるために世を忍ぶ仮の姿を通す必要がなくなったのか、多分両方ですね。この名乗りが今回一番の名場面だと思います。ちなみに今回一番笑ったのが、
張良「呉中の項梁は面白いかも知れない。勢いはあるが人を良く見ると云う」
の台詞。項梁軍にいる某執戟郎が聞いたら、
韓信「はぁあ?(威圧
と答えること請け合いでしょう。まぁ、戦闘面では項羽、知略面では范増がいるからね、仕方ないね。
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