川原正敏「『描きたい』……想いが溢れすぎたかもしれません。『龍帥……』長い目で見てやって下さい(汗)」
本編よりも作者コメントが一番印象に残った川原センセ最新作。確かに『描きたい』という想いが過剰なほどに伝わってきた第一話でした。調べたことは第一話から描かずにはいられなかったのか、或いは第二回からの本格始動に備えて、第一回で物語の舞台背景を先んじて説明しておきたかったのか。『海皇記』でファンの正体や作品の世界観が中盤近くまで伏せられていたのと対照的な構成ですね。何れにせよ、主人公・張良を取り巻く状況の解説に重きが置かれた第一回でした。一見すると歴史初心者への配慮のようですが、本当の初心者は(私が『赤龍王』を読んでいた時のように)作品の世界観はストーリーの展開に沿って、じっくりと知りたいと考える(そのほうが先の展開が読めないワクワク感がある)ので、本作は一定以上の歴史知識を持つ読者を想定して描くつもりではないかと推測します。まっさらな世界を提供するのではなく、史実ではこう描かれているけれども、俺はこう考えるという川原センセなりの解釈が主軸になりそうな予感。その意味では、
『修羅の刻・古代中国編』
というノリで読んだほうがよさそう。いや、主人公は陸奥ではありませんが、倉海の一族は姜子牙による王佐を支える業を持った者たちの末裔という設定なので、もしかすると呂家の御先祖という可能性あるかも。やったね、姜子牙! ある意味で陸奥と並んだよ! 最終的には九十九に負けちゃうんですけれども。
川原正敏センセ、渾身の歴史大河作品第一回。ポイントは6つ。
1.始皇帝
ナレーション「分割支配が常態であり、当時は戦国七雄と呼ばれていた中国大陸を、一人の男が力によって、初の統一をはたす。~中略~ 初めて皇帝という概念を生み、称したが故に……歴史にはこう刻まれる。『秦の始皇帝』」
サラリとナレーションで流された始皇帝の偉業。この辺、初回で流すのではなく、次回以降にじっくりと描いて欲しかったかも。実際、始皇帝の業績や失政は数あれども、最終的に何が最も大きい功罪かと問われたら、
中国大陸は統一できるもの
という幻想を当時のみならず、後世の人間にも刻んでしまったことですからね。この辺は私のブログで開設当初に記事にしたことがあるので詳細はリンク先を御笑覧頂けると幸いですが、現在の中国が抱える諸問題も、煎じ詰めると始皇帝が生み出した幻想が大本にあるのではないかと考えています。まぁ、こうした生臭問題は川原センセの描きたい題材とは相いれないものだと思うので、スルーは妥当なのかも。ちなみに作中時間は紀元前二一九年。ローマではハンニバル戦争と呼ばれる第二次ポエニ戦役が起こった年ですね。時を同じくして、東西を代表する文明が大規模な戦役が勃発し、且つ、突出した個人の軍事的才能(ハンニバルと項羽)を組織力が封殺するという展開で終わったのは、人類史的なシンクロニシティと呼べるかも。
2.黄石伝説
ナレーション「この時、名を張良、字を子房という男は、黄色い石の姿をした幼児を拾った」
張良の逸話の中でも名高い黄石伝説。史実では黄石になったのは、のちに張良に兵書を授けた老人ですが、本作では幼児という設定に変更されています。これ、どうなるのかサッパリ読めない。『海皇記』の【ネタバレ厳禁です】のように、存在自体が膨大な知識を宿す生命体になるのか? 張良との年齢差を考えると実は幼児は女の子で、のちに虞美人になるという展開もあるかも。荒唐無稽なようですが、史実の楚漢戦争に登場する人物で、この時点で幼児となると他に思い浮かばないのよ。或いはタイムリープ前の劉邦とか……こんな無垢な笑顔を浮かべる劉邦は嫌だ。
のちに漢初の三傑と呼ばれる張良ですが、他の二人である韓信や蕭何と比べると、その逸話の多くが伝説的……というか、うまく出来過ぎています。上記の黄石の逸話の顛末とかね。この辺、司馬さんは『項羽と劉邦』の中で、これらの逸話は張良が自らの手で流布させたのではないかと記していましたが、本作でも黄石の伝承をゴリ押しで捏造する件があって、ここが一番面白かった。張良の智謀と若さ、双方を表すナイスなエピソードになっていたと思います。
3.主人公
張良「だから言っただろう。私は体が弱いと……というか、私をおいて行くな」
ついてこれなければ置いていくと宣言した幼児に、逆に置いていかれそうになる張良。何気にマヌケな為人ですが、中盤から後半で長老相手に見せた鬼気迫る表情は紛れもなく、川原センセ的キャラクターでした。尤も、従来の主人公像とは若干異なります。九十九やファンのような飄々とした印象ではない。普段はアル・レオニス。初心さはアグナ・メラ。激情はカザル・シェイ・ロンといった感じでしょうか。三名ともメインキャラではあっても、主人公ではありませんでしたからね。それでもペテンの巧さはファンに近いか。いや、窮奇の言葉尻を捕らえて倉海君に取り次がせる手口はマリシーユっぽい。アル・レオニスが4、カザルが3、アグナが2でマリシーユが1という割合かな。しかも、それらが混然一体となっているのではなく、コマごとにガラリと容貌が変わる描写から鑑みるに、張良本人も完全に人格を制御しきれていない様子です。氷の智謀と炎の心情を併せ持つ張良に相応しい描写でした。
4.窮奇
逆に一番判りやすいのが、恐らくは本作で最も川原センセ作品らしい点(つまり、格闘戦)を任されるであろう力士・窮奇。武勇の高さと真逆の単純な為人はケンちゃんやマッイイツォを彷彿とさせます。バトル面は項羽がメインになるのではないかと予想していましたが、よく考えたら、張良にはコイツがいたんだよなぁ。いや、コイツは絶対に登場するとは思っていましたが、デザイン的には弁慶かトゥバン・サノオのようなキャラクターを想像していたんですよね。意外。この年十九という年齢を考えると、項梁と知り合ってから項羽と名を変えても不思議じゃないレベル。窮奇=項羽、黄石=虞美人という展開あるか? でも、窮奇は翼虎の意なので『龍帥の翼』というタイトルからして、張良の敵に回るとも思えないしなぁ。取り敢えず、姜子牙と同じようにPCで一発変換できないキャラ名というのが以外にダメージ大きい。マジで感想書く時、手間なのよ。
5.秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓
張良「韓は小国であり、秦の傍にあったため、まず第一にその牙を受けました」
俗にいう戦国七雄とは上記した秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓の七か国。四十九頁の地図と見比べてみると判りますが、この順番だと非常に語呂がいい&秦を起点に反時計回りで概ね地理的関連性が理解できるので、暗記の際にオススメ致します。尤も、韓は最初から弱国であったワケではなく、あくまでも春秋戦国末期の国力ですので、その辺は御留意下さい。
さて、作中で描かれていたように張良は韓に仕える宰相・張平の子です。作中では養子という設定になっていますが、倉海君が指摘したように張平の実子だとしたら、この時点でそれなりの年齢になっている筈。しかし、史実の記述に従うと一国の宰相の息子たる張良が二十歳を過ぎても何の官職にもついていなかった計算になってしまうので、養子というのは真実なのかも。この辺、詳細を御存じの方、情報プリーズ。
ちなみに張良が刺客を雇う資金を惜しみ、弟の葬式を出さなかったのも史実。これ、現在では当然とはいわないまでも、張良の深慮遠謀が窺える逸話として受け取られがちですが、当時の中国で一定以上の身分の人間が親族の葬式を出さないというのは人でなし呼ばわりされても文句のいえない所業なんですね。この時点では儒教は国教化されてはいませんが、中国古来の風俗をシステマチックに再構築したのが儒教なワケであって、葬式も後年の儒教と大きく相関した価値観として世間から見られていた筈です。要するに張良は世間さまから『人間の屑』と罵られる覚悟で始皇帝の暗殺を企図していたワケです。この悲壮さは『忠臣蔵』における大石内蔵助の山科遊蕩を想起して頂ければ宜しいかと。
6.一億ゴルド払おう
倉海君「倉海の一族、最後の兵をいくらで買う?」
張良「百万銭」
値段なぞは断る口実であり、幾ら高値をつけられても応じる気はないといっていた倉海君でしたが、流石に百万銭は想定外であった模様。『足らん……ぞ』という台詞にも力がありませんでした。この辺、ファンに『タダで助けて貰うか、あとで一億ゴルド払うか』と聞かれた際に『一億ゴルド払う』と即決したカザルに通じる気概があります。五十年という長期分割払いとはいえ、ちゃんと返済したカザルは偉い。幕末の薩摩と長州も見習えよ。
ともあれ、張良をして『金などでは買えない』と評した窮奇と、それらがゴロゴロしていたという倉海の里。何かビゼンの里を思い出しますな。作中では彼らを正規の戦場で正面から大軍と戦わせた斉の采配ミスが語られていましたが、イベルグエンの戦士は奇襲やゲリラ戦で用いてこそ光るのは『海皇記』で描かれていた通り。陸奥でも大軍を正面から退けることはできませんでしたからね。
次回は更に増量の一〇七頁となる『龍帥の翼』。二話で二百頁越えとか……従来の川原センセの単行本は三カ月に一度のペースでしたが、本作の初刊は一月早く刊行されそうですね。
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『龍帥の翼 ~史記・留侯世家異伝~』第一話感想(ネタバレ有)
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