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『八重の桜』第33回『尚之助との再会』感想(ネタバレ有)

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うーん、今回は珍しく、


細部の粗さが目についた


内容でしたね。本作は小さく細やかな造作を組みあわせて大きな作品にするという、いい意味でパッチワークのような物語の紡ぎ方が持ち味なのですが、今回はなぁ……いや、言わんとしていることは判るんですよ。判るけれども、そこに至る人物造型とかシチュエーションとかがイマイチでした。ノりきれなかった分、今回も感想記事は短目です。


1.人の夢と書いて儚いと読む


女紅場で主監を務めながら英語の勉学に励むヒロイン。英語の授業で使われたのが南北戦争時のリンカーンの演説というのは戊辰戦争≒日本の南北戦争という本作の基本構図に基くチョイスですね。そこは徹底していて宜しい。でも、ヒロインが『私の夢は女紅場をもっともっと大きくすることです!』と答える場面。返答そのものは結構ですし、自分の夢というキーワードがラストシーンでのジョーさんの帰国に繋がるのも判るのですが、あっけらかんとし過ぎ。笑顔の裏で英語を学んで西洋文明を習得して薩長ブッ潰すみたいな暗い情念を感じさせてくれてもよかったと思います。それがあれば次回のジョーさんやキリスト教との出会いにも繋がるしね。


2.マッキーの造型


今回は小者臭さが悪い意味で鼻についた印象があります。ヒロインとのやり取りはGOサルの喧嘩を思わせました。今回、マッキーは結構、重要な主題を背負っていたと思うんですよ。鉄砲を喪ったヒロインが漸く見つけた新しい生き甲斐である女紅場ですが、マッキーは基本、その運営に乗り気ではない。府立病院など、女紅場よりも政治上の即効性の高いハードウェアの建設を筆頭に他にやりたいことが山のようにある。そして、それは必ずしも間違った選択でないのは覚馬の反応からも明らかですね。

しかし、如何にヒロインとソリの適わないマッキーでも、彼がいなければ女紅場のみならず、覚馬の宿願である京都再建計画も思うように回らない。それゆえ、マッキーが江藤新平に弾劾された際には覚馬がミッチーや岩倉を通じた搦手の寝技法律上は正当でない手段で救出しなければいけない。更にキツイことをいえば、新政府の状況を考えれば、ミッチーも岩倉も一地方都市の首長の処遇なんざ考えていられないんですよ。拙劣すれば、江藤に足元を掬われる口実になりかねませんし、そうなれば日本国そのものが危うくなる。それにも拘わらず、自らの理想実現のために政府首脳部に危ない橋を渡らせた兄つぁまもズ太くなったものですが、兎に角、当時の日本全体の政局と経済を虞ると今回の兄つぁまは随分と危ない真似をしたものだと思います。


ぶっちゃけ、政治の現場を動かすのは金銭。


その金銭を(手段を問わず)持ってくる手練手管をマッキーは持っている。そうであればこそ、兄つぁまはマッキーを助けたのでしょうし、また、マッキーを利用しているのでしょう(兄つぁまの政治家としての成長の証です)が、そうしたマッキーの豪腕ぶりの描写が乏しかったかなぁ。いや、有能過ぎても会津の人間が長州の政治家を救出しなければいけないジレンマが出ないのですが、小者過ぎるのも考えもの。せめて、仮病を使って牛鍋をつついていたのが露見した場面では拙劣に狼狽えることなく、


マッキー「牛鍋は滋養と強壮に効く。病なればこそ、食さねばならんのだ」エッヘン


くらいに堂々と開き直る姿が見たかったです。或いは逆に拘留中の大見得をきる場面完全カットで徹底した小者っぷりをアピールすることで、会津のジレンマを際だたせるか。どちらかに傾斜して欲しかったかなぁ。でも、まぁ、女紅場の運営に関して、ヒロインが度々、マッキーに陳情に出向いたのは史実らしいので、一連のドタバタ劇もアリといえばアリだと思います。


3.征韓論私見


昨今の外交事情を鑑みると如何なる解釈が成されるのか非常に不安の大きかった征韓論ですが、蓋を開けてみると、西郷サァの動機は『職を失った士族の不平をどうにか鎮めねばならない』という、思いきった内容になっていました。勿論、それが全てかと言われれば断じて否ですが、そういう側面があったのも紛れもない事実。現に征韓論に前後するように明治政府は台湾出兵という安直極まりない方法で世論のガス抜きを目論見ましたしね。

征韓論を巡るドラマ(事実じゃないよ)は『翔ぶが如く』を観て頂く以上の方途はないと思うので、未見の方は是非、鑑賞して頂きたいのですが(鹿賀さんの大久保は至高です)、個人的な感想を言わせて頂ければ西郷サァも大久保もどっちもどっちとしか言いようがないですね。大久保は岩倉使節団に参加する際、留守居役の西郷サァに『俺たちがいない間は何も決めるな』と言い残しているのですが、政治は生き物ですから、状況に適わせて様々な政策を発布していかないと国そのものが死んでしまうんですよ。リアリストの大久保にしては随分と無茶というか非現実的な約束をさせたものです。一方の西郷サァも対外的な視点に欠けていたのは確かでしょう。言葉通り、西郷サァの胸先三寸でカタがつけば万々歳です(それでも不兵士族のガス抜きという難問は残ります)が、そうならなかった場合はどうするのか……というか、どう考えても、そうならなかった場合(要するに対外戦)とを期待していたとしか思えないフシがありますね。

結局、征韓論というのは国内統一を成し遂げた政権が余剰戦力を使い潰す方途として外征に赴くという万国共通の法則が働いた結果としての論戦なんですね。豊臣秀吉の唐入りと同じ。ただし、征韓論の時代は迂闊に戦端を開くと西欧列強が難癖をつけて日本が諸外国から孤立する危険が大きかったので外遊組は挙って反対したのです。それでも、結局は余剰戦力は何処かで使い潰さなければ国は傾く。西南戦争を筆頭にした士族の叛乱は、本来は外国に向く筈の兵力を国内で消費し尽す戦いであったのです。豊臣秀吉の唐入り=征韓論。徳川家康による大坂の陣=西南戦争と考えるとシックリくるかも知れません。

尚、判断に窮した三条実美が卒倒したのは史実ですが、参議の面前ではなく、自宅でのことです。この三条の不予によって反征韓論派が盛り返したのも事実ですが、三条の不予が計算された芝居であったかは詳らかではありません。劇中では篠井さんの演技を見るかぎり、明らかに仮病っぽかったですね。あとは征韓論の扱いが非常に中途半端。じっくり描くか、或いは思いきってマッキー弾劾に関わる流れに絞り込むべきであったと思います。マッキーは史実なのでOKとしても、ヒロインは拙劣にミッチーや岩倉に会わせるのではなく(そっちは兄つぁまに一任して)、尚之助との別離に集中させたほうが視聴者としてもありがたかったのではないでしょうか。


4.さよなら鈴木先生


尚之助との事実上の別離。ここは文句なしに素晴らしかったです。理論ではなく、情感に訴える台詞の数々。ちょいとやり過ぎ感もありましたが、本作は一歩も二歩もひいた視点での描写が多過ぎるので、今回は臭いくらいが丁度いい。


川崎尚之助「猪苗代にいく時、三郎として生きようとした君の誇りを傷つけた。正直すまんかった」


山本八重「つまらない意地で斗南についていく踏んぎりがつかなかった私が馬鹿でした。正直すまんかった」


この台詞が切ない。ヒロインがいったように誰も悪くない。どちらも悪くないのに覆水盆に返らず。これが夫婦か。この場面は私の拙劣な解説は不要(つーか、ほかの場面でも不要ですが)。画から感じるままの事象を感じて欲しいです。

ただし、一点。尚之助の『私の妻は私の前を堂々と歩く女性だ』という別離の言葉に対する、


山本八重「前を歩いて京都でずっと待ってっから!」


というロイ・マスタングのようなヒロインの返答。単品で見てもいい台詞ですし、これまでの尚之助との関係性も踏まえているのですが、これをいっちゃうとジョーさんとの再婚のハードルがあがっちゃうんじゃね? 自縄自縛にならないことを願います。


5.帰ってきたクウガ


元旦那との事実上の決別の場面に続いて登場したのが再婚相手。更に『日本に学校を作りたい』というジョーさんが夢を語る場面が冒頭の『夢』とリンクするとか、実にソツなく構成されていましたが、ジョーさん個人にとっては一世一代の晴れ舞台ですから、〆にチャチャッとつけ足すのではなく、ここに至る事情とか葛藤とか心情とかを描いてくれればよかったなぁ。何か今回は色々と残念。全体の流れは今まで通りなのですが、神が宿る筈の細部の描写に不満点が多かったです。残り回数の少なさがネックになっているのでしょうか。今回はこんな感じで〆です。


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