まずは連絡事項から。
明日の『軍師官兵衛』の実況なうはネット環境の都合でお休みの公算が高いです。事務所移転の流れで自宅の回線にも手を入れて貰ったのですが、居間にしか電波が届かなくなりやがんの。回線が復調するか、家族が八時前に寝室に戻ればやりますが、多分、難しい。流石に家族の見ている前でPCを操作しながら大河を観賞していたら何をやっているのかと思われてしまいます。別に見られて困るものではないですけれども、特命のネットであるからこそ、書けることがあるのも事実。誰かに見られていると書けるものも書けなくなるんですよね。それでは本編の感想いきます。
先回の〆&今回のアバン共に、
絶対に負けられない戦いがそこにはある!
的な煽りが入った大内攻め。狙っていたとしか思えない絶妙なキャッチフレーズ。本作が何故、一月からではなく、四月から再放送されたのかが判った気がした。いや、確実に偶然でしょうけれどもね。尚、試合は見られません。明日も朝から仕事です。
大内攻めの直前に挿入される政宗と舅殿との初対面。婚姻から数えて七年目。これが戦国の世か。まぁ、相手の顔も知らずに嫁いでくるのが政略結婚ですので、その親の顔まで知ったこっちゃねぇというのがリアルなのかもです。織田信忠と武田信玄に面識があったとは思えないしね。でも、作中で描かれているように大名は皆、親戚衆というのが奥羽の実情なので、今まで全く顔をあわせる機会がなかったとも思えない。ここでは婿殿相手に『子供はまだか』とせっつく舅殿に、
「そんなことより戦しようぜ!」
と軍議を促した成実が可愛い。政宗の心中を慮っての行動とはいえ、行動がいちいち直線的で物騒なのが成実クオリティ。三国志の張飛ってこういう奴なんだと思う。小十郎は関羽。そうなると政宗が劉備か。エキセントリックな性格や文才の点は曹操に近いとはいえ、意外と戦が苦手で結構DQNな言動が目立つ点では或いは劉備でいいのかも知れません。
そして、命令を無視して勝手に行動しちゃった張飛クオリティ丸出しの成実の独断を聞いた政宗の表情がグンバツなのな。実にメシマズな表情で朝餉を喰らっているんですよ。輝宗は如何なる状況に置かれても実にうまそうに食事を平らげていたこととの対比ですね。若い政宗の焦りと苦悩が食事一つにも表れている。ちなみに政宗は、
「朝夕の食事はうまからずともほめて食うべし」
という格言を残しています。今回にかぎってはおまえがいうなですね。
前線描写の合間合間に挿入される女性パート。前半の肝は政宗の抱いているコンプレックス。喜多が愛姫にすら口にするのを控えるように忠言した隻眼を敵に論われては許せる道理がない。八百人斬りへの布石が喜多と愛姫の会話にも潜んでいたのか。三年前に何度目かの観賞を終えた筈なのに意外と忘れていること多いなぁ。次回で輝宗退場というのも予告で見て驚きましたよ。@1~2回は猶予があると思っていましたのでね。
その小手森城攻め。劇中では江夏の参戦もあってか、戦闘そのものは結構順調に推移したように描かれていますが、実際にはヤバかったらしいです。特に終盤に取り沙汰される畠山善継が一時、政宗の本陣に迫る場面もあったとか。政宗の畠山に対する過酷な対応にはそういう事情があったものと思われます。
さて、今回のメインテーマである八百人斬りですが、事件そのものよりも、その前の小十郎&成実による訊問&処刑コンボのほうが怖かったな。無言&片手で相手をぶった斬る江夏も敵将を倒す場面よりもイキイキしていましたしね。当時はこれくらいは当然だという意図であり、そんな小十郎&成実ですらも政宗が口にしたNADEGIRIに素でドンびきした表情を見せたからこそ、八百人斬りの凄まじさが伝わる。初めて視聴した時はマジで怖かったよなぁ。ナレーターで触れていたように伊達家の記録でも堂々と八百人殺しましたと伝えられているのが何とも。ちなみに八百人斬りに関する伊達家の記録とは政宗から虎哉和尚に宛てた手紙なのですが、同時期にモガミンに宛てた書状には千人斬りと記されています。師匠に怒られるのが怖くて過小報告したのか、叔父貴に侮られるのが嫌で数字を盛ったのか。尚、この先、政宗は家臣の反乱で小出森城を失うことになりますが、その時も五百人をNADEGIRIにして見せしめにしたそうです。政宗さん、パネェッス。
直後の夢幻シーンはどう解釈すればいいんでしょうか。これ、原作にあるのかなぁ。そういえば、晩年も妙な夢に魘されるシーンがあったし、お東の方も似たようなシチュエーションが用意されています。簡単に本音を漏らせない時代&身分の人々の胸中を描くには夢が一番手っ取り早いのか。一番素直に解釈すると政宗にも八百人斬りへの自責の念があり、それが大量虐殺を仕出かした信長の死を仏罰と断言した虎哉和尚の姿となって表れたということでしょう。虎哉和尚のチャールトン・ヘストン感が半端ねぇ。何処の『十戒』だよ。その一方で不動明王=悪を懲らしめる存在=梵天丸もかくありたいと繰り返す政宗の姿は、自責の念を感じつつも、己の野望と家臣や領民のために修羅の道を征く決心を新たにしたということでしょうか。この場面絡みだと小十郎と成実の会話が妙に引っかかりました。八百人斬りはやむを得ない選択であり、
伊達成実「俺は鬼でよい。顧みて弱腰になるのは御免蒙る!」
と豪語した直後、盃に延びた成実の手を制する小十郎。ここの意味は……豪語するのであれば酒に逃げるなという窘めなのかな? 何かいい解釈をお持ちの方、御指南下さいませ。
大内攻めもクライマックス。城を捨てて会津に仕えよという芦名の使者に断腸の思いで従う定綱の姿は二つのことを意味しています。一つは政宗を誑かした定綱も家臣と領民のために我を捨てる立派な武人であったこと。定綱は生き残るための方便を使ったに過ぎず、曲者ではあっても悪人ではなかった。もう一つは政宗のNADEGIRIが意図した通りの効果を発揮したこと。政宗も嗜虐趣味でNADEGIRIを仕出かしたワケじゃない。こちらも己の野心と家臣や領民の暮らしのため。まぁ、それで全ての人間が納得できるワケでもないのは後半の女性パートで描かれた通り。愛姫の『自国の領民のために他国の領民を殺していいのかよ?』という主張にも一定の理がある。喜多は『他国の領民も自国の領民にして慈しめばよろしい』という何時もの大人のロジックで愛姫を慰めますが、現在でも小出森城周辺の地域では伊達家ゆかりの『さんさ時雨』が謡われることはないと聞きます。司馬さん曰く、封建制では怨みは遺伝する。
ラストは政宗VS輝宗の親子対決。
今までは何だかんだで政宗を全面的にバックアップしてくれた輝宗が初めて息子の過激な手段に口を挟むという事態。これまでの輝宗の大器を見てきた&次回の展開を知っている視聴者には一見、輝宗の意見が正しく思えるのですが、実は逆。『畠山は相馬攻めの際に伊達に加勢してくれたので許してやれ』というのは実に当時の奥州的な発想なんですね。お東の方ラスボス説の感想でも述べたように、当時の奥州は姻戚関係やら義理人情やらが入り乱れていて、とても統一圏を築ける状態ではなかった。道徳上の理非善悪は措くとして、本気で天下を狙うとすれば、何処かで一切のシガラミを絶ち斬らねばならなかった。今回の八百人斬りも或いは政宗にはかなり早い段階から中央に押し出すプランがあり、その所信表明の狙いがあったのかも知れません。即ち、俺は今までの奥州の流儀に拘らないぞという宣告。
また、輝宗のやり方は折角、家督を譲った息子の方針に異論を唱えるという点でも実に奥州的。彼自身も父親と争った。隣国のモガミンも同様です。次回の展開は物語的には因果応報的な流れになるでしょうけれども、歴史的には輝宗の判断は中期的、政宗の決断は長期的展望にたっていたといえるでしょう。或いは次回、父親を【バキューン!】するのはリアルのみならず、古今東西の物語の王道である『父殺し』に準えているのかも。
その輝宗ですが、能のハマリっぷりが凄かった。技量の巧拙を論じられるほどに能楽に通じてはいませんが、少なくとも、見栄えはしますし、全然浮いていない。その点、今年の信長のアレは……いかん、思い出すとこっちが恥ずかしくなりそうです。
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『独眼竜政宗』第11回『八百人斬り』感想(ネタバレ有)
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