どうしよう、超絶面白い。
『軍師官兵衛』の感想記事、取り敢えずは有岡城が終わって、主人公が如何に変化するか判明するまでは続けようと思っていたけれども、今回の話を見ていると、こっちの感想に集中したい気持ちがとまらない。本作と比較するのはフェアじゃないと書きましたが、比較しちゃうよね。まぁ、それでも、具体的な比較を出さないように簡易感想を書いていこうと思います。今回のポイントは3つ。
1.決定事項
今回一番凄いと思ったのがラスト付近のお東の方の懐妊。これをラストにもってくる構成に脱帽しました。作中では登場人物の誰もが歓喜していましたが、先の展開を知っていると決して喜ばしい流れとして描かれていないんですね。その子は生まれる前から死に方が決定されているという前フリがあった。最上家の内訌に対する輝宗とお東の方の会話です。
お東の方「仮に殿の御舎弟に謀叛がございましたら、やはり、御生命をお召しあげになりますか?」
伊達輝宗「……言わずと知れたこと! その場で斬る!」
まー君と小次郎のアレの前フリですね。勿論、これは乱世の慣いといってしまえば、それまでなんですが、アレの前フリであることはちゃんと画で表現されている。この会話の場に梵天丸がいることが証拠です。
この場面は輝宗とお東の方の二人で充分に成立しているんですよ。
夫婦の会話だけで完結しているのに、何の台詞もない梵天丸が居あわせている理由は一つしかない。将来、政宗も同じことをやる。或いは父親の言葉が無意識にインプットされていた所為であの事件が起きる。そういうことじゃないかと。そう考えないとこの場に梵天丸がいる説明がつかないんのだよね。実際、他で三人が顔を揃える場面はないワケですし。ラストのお東の方の懐妊は前半~中盤の最上家の内訌とあわせて考えると、この段階から悲劇の始まりとして描かれていました。でも、それを表面上は描かない。表向きは輝宗とお東の方の関係改善をも含んだ慶事として描かれている。ハッピーエンドに見せかけたバッドイベントフラグというのが今回の締め方。何でしょうか、この重層的な物語の構成。
2.武将の辛さ
次に注目するべきは梵天丸のお東の方に対する思いの描き方。序盤で、
梵天丸「何故、梵天丸は母上の御傍にいてはならんのじゃ?」
虎哉宗乙「それはのう、其方が武将の子だからじゃ。人の上に立つ者は己に厳しくなくてはいかん。大勢の家臣を等しく可愛がり、民百姓に敬われるだけの器量を持たねばならん。若は大きゅうなったら伊達の棟梁となる身。棟梁とは孤独なものじゃ。判るか? 一国の武将である以上、辛いこともある。苦しみに一人で耐えねばならん時もある。父母に甘えているようでは強うなれんではないか」
こうした説得力に富んだ御説教を出すことで、梵天丸も理屈では納得しますが、母親は恋しいのは変わりない。自作の野菜を母親に届けようとするも、お東の方は最上家の内訌でバイオリズムが低迷していて会えない。でも、理屈では納得しているので弱音は吐けない。せいぜい、罪のない侍女に野菜をぶつけるくらい。武将の子として弱音を吐くのが許されるのは何時か? それはラストで描かれたように、
寝言
だけなんですね。いや、まぁ、大人になったら女房の隣とか寝言でもダメな時があるんですが、子供なのでしゃーない。軽い気持ちで表に出したことが多くの人間の運命を変えてしまうので、迂闊に感情を表に出せない。それに耐えることを幼少期から強いられる。母親と引き離される悲しさは身分の上下を問いませんが、悲しさを口に出せないのが武将の辛さなのでしょう。梵天丸とお東の方の関係を通じて、単に母子の確執だけでなく、そうしたものをも併記する凄味を感じました。ここでの一番の肝は虎哉さんの御説教。これに説得力がないと、流れ全部がグダグダになるんだよね。梵天丸が我を殺して耐える動機づけが曖昧になりかねない。その意味でMVPは虎哉さん。
3.台詞の説得力
上記のように台詞の説得力が極めて高いのが本作の特徴。冒頭で記したように本作は超絶面白い。どのくらい面白いかというと録画した回を次回までに最低3回は見返しているくらい面白い。そして、何度も見返しているうちに台詞の説得力の高さの一因が判った気になりました。まぁ、何度も見返して漸く気づいたともいいますが。その説得力の源は、
嘘
です。嘘といっても、騙すための嘘ではなく、相手のためを思っての嘘といいますか。例えば第二話の有名な『梵天丸もかくありたい』という台詞。この場面の直後、
伊達輝宗「梵天丸が? しかとそのように申したのか?」
喜多「はい、何度も申されました。『人の上に立つ者は不動明王のようでなくてはならぬ』と」
という会話が入ります。でも、梵天丸はそんなことはいってません。そういうキャラでもねーし。しかし、喜多の言葉が騙すための嘘かといえばそうではない。喜多なりに梵天丸の言葉を斟酌して、尚且つ、輝宗が喜びそうな言葉に翻訳したんですね。このテの嘘は実は結構出てきます。輝宗も虎哉さんに息子の傅役を頼む時に『端緒から貴方しか考えていなかった』といいましたが、彼と並ぶ快川紹喜の高弟であった大虫宗岑も候補に考えていたのは劇中で描かれている通りです。今回では信長と誼を通じようとする輝宗に激怒する稙宗に『自分の考えであるゆえ、殿の所為ではない』と主を庇った遠藤基信の台詞も嘘臭い。ナレーションで輝宗の外交感覚の鋭さを述べていた傍から、それが家臣の進言でしたというのは筋が通りませんしね。
でも、こういう嘘って実生活では頻繁に使われますよね。嘘というと言葉が悪いですが、所謂、
話を盛る
って奴です。特にこれといった意図はないけれども、その場の雰囲気や相手にあわせて、情報にベクトルやバイアスを加える。大人であれば、社会人であれば、誰もが弁えているスキルです。そもそも、見聞きしたことをそのまま他人に伝えるなんてことは滅多にありませんし、やれません。情報には必ず、語り手の主観が入る。相手にあわせた改竄が行われる。本作の台詞は随所でそうしたリアルが再現されている。それゆえ、説得力があるのだと思いました。キャラが見聞したことを100%再現するような台詞は生きた言葉とは呼べないのだと本作を見て、改めて気づきました。
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