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『西郷どん』第十話『篤姫はどこへ』感想(ネタバレ有)

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個人的に実写ドラマ化して欲しかった漫画ナンバーワン作品。

 

織田信長「『どる』ってなんじゃい?」

 

の一言で円高が解消する馬鹿話や、都道府県別の紙幣発行や年齢自由化法案のように『実現は難しいけれども、あったらあったで面白そう』な政治ネタ……他には元英国王妃の離婚とか、今考えると随分とヤバいエピソードもあったりします。都道府県別の紙幣デザイン選挙で信長がダークホースに敗れる話、ほんとすこ。『国民はケーハクだ!』という信長の捨て台詞が印象的でしたが、その後の彼の活躍を考えると実際に投票が行われてもガチで信長が負けるかも知れません。志野靖史さん未来人説に一票。

冒頭から『西郷どん』と全く関係なさそうな話で恐縮ですが、実は本作の第一巻に『大西郷伝』という短編が三本収録されています。江戸城明け渡しの時も西南戦争の時も、吉之助サァが疲労と寝不足でコックリと船を漕いだのを見て、相手が承諾の意志と勘違いしてしまうというオチなのですが、今年の大河ドラマを見ているとガチでそうなってもおかしくないほどに吉之助サァが無能過ぎて草も生えない。正直、あまりの無知無能ぶりを橋本佐内にドンびきされる吉之助サァは見たくなかった。ひょっとしたら、志野さんの『大西郷伝』は本作がモデル? やはり、未来人か(確信)

尤も、吉之助サァが無能というよりも『そんな吉之助サァが周囲の人間に評価されている理由が判らない』というのが正確な表現でしょう。現時点での作中の吉之助サァには水際立った周旋の器量がある訳でもなく、時勢に対する洞察力がある訳でもなく、江戸の地理に詳しい訳でもないのに、斉彬が己の懐刀として重用している点に違和感を覚えずにはいられません。才能も人脈も土地勘もない部下を密偵に使う人間が作中随一の賢侯として描かれている訳で、本作の問題点は吉之助サァよりも斉彬に多くの要因があるのではないでしょうか。或いは本作の斉彬は吉之助サァをいいように顎で使って、自らの責任問題に発展した時は『全部部下がやったことです』とトカゲの尻尾にするダーク政治家なのかも知れません(幕末の薩摩外交にはそういう側面があるのも確かです)が、そんな斉彬はもっと見たくなかった。この辺はナベケンオーラで序盤の描写不足をカバーしてきたツケが回ってきた感じです。今回はスケバン幾島とか又吉家定とかストーリーと関係ないネタで楽しめたものの、今後の展開が思いやられますね。まぁ、吉之助サァに関しては沖永良部島での確変の可能性が残されていますが、それもどうなることやら……そんな今回のポイントは2つ。今回も内容がなさ過ぎて、序文のほうが分量多くなってしまったんだよなぁ。

 

 

1.駝鳥問答

 

一橋慶喜「俺は将軍になどならぬ! 色々動かれて迷惑していると、そう伝えておけ!」

西郷吉之助「……ないの話でごあいもんそか?」

一橋慶喜「俺の言った言葉をそのまま伝えればよい」

 

『将軍にはならないぞ! 絶対にならないぞ!』と吉之助サァに念を押すヒー様。後年の投槍な政治姿勢や慶喜個人の高い先見性を鑑みるに、幕府の行く末が決して明るくないことを見越したうえでの本心であったと思いますが、念を押された斉彬や阿部正弘といった面々は何故か、

 

一橋慶喜「推すなよ! 絶対に(将軍職に)推すなよ!」

 

と受け取ってしまったようで、今後も慶喜擁立に奔走することになります。『押すな』を『押せ』と解釈する風潮は幕末には既に存在していたようですね。それに加えて、慶喜は言っていることとやっていることの客観的整合性が皆無の御方なので、周囲が真逆の解釈をしてしまうのは無理もありません。

 

 

2.みなもと太郎「おっ、せやな!」

 

篤姫「義父上さまほどの御方が何故、これほど下なのじゃ?」

幾島「それは関ケ原の合戦まで遡らなければなりません」

 

今回のエピソードの主軸を担った篤姫と幾島……ですが、正直、この二人の場面は殆ど要らなかったよね? 特に篤姫脱走の件は全く物語に影響していないのよ。あってもなくても変わらない。父親亡くした者同士のシンパシーで両名を結びつける意図と解釈出来なくもない……というレベルに留まっています。幾島関連も、概ね『篤姫』で類似するシーンを見たものばかりでした。ぶっちゃけると『篤姫』の下位互換という印象は拭えません。勿論、同じ時代&同じ組織に属する題材なのですから、似たような場面になるのは仕方ないとしても、主人公そっちのけで尺を割く以上は、その作品でしか見られないワン&オンリーの要素を描いて欲しいじゃあないですか。でも、篤姫の後頭部で【自主規制】は下らな過ぎて逆に草生えた。個人的なツボポイントです。

 

 

 

 

 

 


『相棒16』最終回SP(第20回)『容疑者六人』感想(ネタバレ有)

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青木年男……根暗ホワイトハッカー

甲斐峯秋……ダークナイト・パパ

社美彌子……ロシアンスパイの情婦 子持ち課長

衣笠藤治……娘ひとり、たぶん嫌われている

内村完爾……ヤクザ顔

 

うーん、これはレーザービーム!

 

火の玉ストレートを遥かに凌駕する特定厨による容疑者たちへの寸評。特に刑事部長に関するコメントはキャッチャーミットどころか、背後のアンパイアの身体も貫通して、バックネットに突き刺さるレベルの剛速球。他のメンツは何だかんだで人間性を踏まえた内容なのに、刑事部長への寸評は完全に外見の域に留まっているにも拘わらず、誰よりも的を射ているのが畜生過ぎて草生える。

副総監の『娘に嫌われている』というインハイ危険球もツボですね。『たぶん』というフレーズから察するに、完全な憶測によるレッテルと思われますが、偏見に拠る中傷が完全に事実を言い当てているのが色々と救えません。尚、大杉漣さんの急逝に伴う衣笠副総監の代役は杉本哲太さんでした。『バベルの塔』の誘拐犯から警視庁副総監への華麗なるジョブチェンジ。いや、この場合はクラスアップというべきでしょうか。警察庁長官金子文郎は宇津井健さんの逝去後は登場しなくなりましたが、副総監は今後も出番があるのかしら。

惜しむらくは俺たちのテルオに関するコメントが映らなかったことですが、刑事部長と同じように、外見に関する中傷であったことは容易に推測できます。『ちーがーうーだーろー!』とか『名は体を表す』とか書かれていそう。しかし、今回のテルオ関連のカメラアングルは色々と悪意に満ちていたよなぁ。かわいそう。そして、本編とは関係ないのにダークナイトとしてガッツリと映し出されてしまったカイト君、とんだとばっちり。もう許してやれよ。

 

さて、シーズン16最後の『相棒』ですが、何気に今季で一番面白かったです。今季のベスト5を挙げるとすると『目撃しない女』『サクラ』『ダメージグッズ』『少年A』と本作になるでしょうか。今季の特徴は『事件の後味悪いうえにミステリ部分のクオリティが中途半端な所為で物語のカタルシスが殆ど皆無』なことでしたが、今回は紛うことなき馬鹿話で、しかも、それをシーズン最終回の二時間SPでやったのが凄い。こういう冒険は嫌いじゃあありません。結果的に『大山鳴動して鼠一匹』の感は拭えなかったものの、殺人事件でも政治的陰謀でもない話なので、これはこれでアリかなぁ。それこそ、先季の最終回も杉下のプリキュアネタの他はどうしょうもないレベルの尻窄みな内容でしたが、あれは前半盛りあげるだけ盛りあげておいてかーらーの『しょーもないオチ』であったのに対して、今回は全編を通して『これは馬鹿話です』という雰囲気があちこちで醸し出されていたので、私としては完全に割り切って見ることができました。『相棒』の初回と元日SPと最終回は絶対に政治サスペンスをやらなくちゃあいけないという決まりなんか何処にもないのですから、拙劣に気負ってコケるよりも遥かによし。

何よりも驚き&嬉しかったのは、

 

青木君が特命係に配属されたこと

 

ですね。官房長殉職&ダークカイトに次ぐレベルの驚愕の展開。以前から『冠城よりも青木君のほうが杉下の相棒に相応しい』と書いていた私にとっては、最高のサプライズですよ。いや、これも以前書いたように、杉下の相棒は何らかの形で杉下と反発する要素を持っていなければいけならないのに、現・パートナーの冠城君には当該要素が乏しいとの不満があったので、これで漸く『相棒』が『相棒』らしくなったといえるのではないでしょうか。まぁ、終盤の杉下とカイトパパの遣り取りからすると、来季の冒頭にはシレッとサイバー犯罪対策課に復帰しているかも知れませんが。

一方、神戸&カイトと続いた『三期で卒業』のジンクスを打ち破り、恐らくは四期目も続投が決まったと思われる冠城君ですが、今回の青木君の特命係配属という事案を鑑みるに、製作者側も冠城一人では杉下の相棒は荷が重いと思っていたのかも知れません。キルヒアイス退場後のラインハルトの副官に、シュトライトとリュッケの二人が任ぜられたようなものでしょうか。

 

トリックに関しては特に感想はなし。衣笠副総監が青木君の傘を借りて押したと思ったのですが、普通に青木君でした。あの杉下に最後まで犯人を絞り込ませなかったのですから、青木君の犯罪者としての資質は意外と高いのかも知れませんが、しかし、犯行の瞬間をテルオ如きに目撃されてしまっているので、差し引きプラマイゼロでしょう。事件が殺人でも政治的不正でもなかったので、杉下もイマイチやる気が出なかったのかも知れません……というか、あれほどの高級ホテル&結構長めのエスカレーターなので、何か事故が起きた際の検証用にカメラを設置しないほうが不自然に思うのですが……。

 

 

 

 

 

『西郷どん』第十一話『斉彬暗殺』感想(ネタバレ有)

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御由羅「ヲーッホホホホホホホ!」

 

 

タイムリーな画像ネタのリンクに成功した今週のプリキュア&『西郷どん』。実際、このテの高笑いをする人間を現実世界で御目に掛かる契機は滅多にないので、ギャグのネタとしては兎も角、シリアスな場面でやられると如何に対処していいのか、判断に苦しみます。

尤も、今回は『西郷どん』にしては珍しく、幕末の特色を不完全燃焼ながらも描けていたのではないかと思いました。昨今の政治情勢を見ても判るように、本来、外交問題である筈の事案が容易に内部抗争に変質するのが往古から続くこの国の宿痾です。その辺の事情は『西郷どん』の舞台である幕末も変わらない……というよりも、幕末こそが当該病理の典型的症例と評してよいでしょう。つまり、開国か鎖国かという外交政策への賛否が、何時の間にか権力闘争に摩り替わってしまうのですね。この辺が『幕末劇は判りにくい』と評される所以ですが、一方で幕末劇を描く過程で避けて通ることは絶対に許されない要素でもある。しかし、何せ『西郷どん』のことですから、完全にスルーされるんだろうなぁと殆ど期待薄でした。

ところが、今週は上記の事案に踏み込んだ描写が盛り込まれていました。勿論、斉彬の暗殺(現時点では未遂)事件。斉彬本人は自らに毒を盛られようとも斉興派への報復人事を封印することで、薩摩は勿論、延いては日本の国論を統一しようと邁進しているのに、目をかけてきた腹心の吉之助サァが鬼の首級でも獲ったかのように、

 

西郷吉之助「ペロッ! これはヒ素! 下手人は斉興とお由羅! 物証はないが心証は確実! 真実はいつも一つ!」

 

と自分の政治信条を全く理解していない&積極的に内紛を煽る側に回っているのですから、斉彬がブチぎれるのも残当。他の家臣を下がらせてからのケンカキックという、明らかに隠蔽する気マンマンの斉彬のパワハラ事案も許せてしまえそうです。要するに『そんな下らん捜査に血道をあげる暇があったら、少しは日本のためになることをしろ!』というのが斉彬の主張なのでしょう。そして、実に残念なことに斉彬の没後、日本は斉彬の思惑とは真逆の茶碗の中の嵐にかまけて、不平等条約の改正や攘夷戦争の賠償金の返済にン十年もの歳月を費やすことになる。そもそも、吉之助サァ本人も第一次長州征伐前後に『今は国内で揉め事を起こしている暇はない』と勝海舟に諭されるまで、斉彬の理想を見失っていたフシがあるので、その辺の事柄を踏まえると、今回の内容は一定の評価に値するのではないかと思いました。この描写のために吉之助サァをオバカキャラに設定していたのかも知れません。ハイリスクローリターン極まる設定ですが、今回限定の仕様としては有効に機能したといえるでしょう。

 

残りは雑感。

 

1.犯人はこの中にいる!

 

西郷吉之助「斉彬様の召しあがるもんから、毒が見つかりもした。誰の仕業でございもんそか?」

 

斉彬の食事からヒ素を検出した吉之助サァ。しかし、作中でお由羅が指摘したように、斉興一派が毒を仕込んだという承認や論拠がないので、どこまでいっても水掛け論の域を出ません。そもそも、今回の事件を冷静に眺めると他に怪しい人物が一人、浮上してくるように思えます。

 

貼りついたように被害者の傍を離れなかった御庭番……!

次々と毒に倒れる虎寿丸と斉彬……!

この二つの符号が意味するものは一つ……!

 

このように被害者が倒れた現場の両方に居合わせたのは吉之助サァしかいないのよ。うーん、これは重要参考人! 斉興とお由羅が吉之助サァを告発したら普通に勝てるんじゃね?

 

 

2.はまり役

 

長野主膳「薩摩守殿は敵も多く、方々から生命を狙われておりまする」

 

長野主膳と神保悟志! この世にこれほど相性のいいものがあるだろうかッ!

 

多くの視聴者がラムネ臭さを嗅ぎ取ったであろう神保主膳。いや、まぁ、長野主膳の役回りは今日でいう『公安』に近かったのに対して、大河内さんは警察内部の『監察』がメインなので、厳密には共通項は多くはないのですが、それでも、雰囲気はあるよなぁ。ホント、本作はキャスティングに関しては文句のつけようがない。当初はどう受け取っていいか判らなかった又吉家定も、最近は十四松と思うことで納得できるようになりました。久しぶりの登場となった三郎が妙に有能オーラを漂わせていたのも高評価。基本的に吉之助サァとソリがあわなかっただけで、賢侯と呼ばれる御歴々の中でも有能なんだよなぁ。大久保を抜擢した一事でも歴史に名を残せるレベル。尚、大久保には裏切られた模様。花火勿体ないね。

 

 

3.(五年ぶりの)今週のラストタイクーン

 

一橋慶喜「ここにはどうやら、マトモな父親は誰一人おらぬようじゃな。幼子が死んだというのに祝いの盃を交わしておる……篤姫とかいう娘の行く末が思いやられる!」

 

流石は俺たちの慶喜! 自分が責任を取りたくないという利己的な主張を、恰も慈愛の心に満ちた人物の如き言葉で言ってのける! そこに痺れる、憧れるゥ! このテの所謂逆捩じを食わせる切り返しは慶喜の独壇場なので、今週のラストタイクーンの描写は概ね合格点に達していると思いました。難をいえば、あまりにも将軍職を断る姿勢がストレート過ぎることかなぁ。嫌よ嫌よといいつつも、最初から無視されると臍を曲げるのが慶喜という人物の面白さであり、救い難さではないかと勝手に考えているので。

 

そんな訳で今回は久しぶりに見所があった『西郷どん』……ですが、次回は吉之助サァと篤姫の駆け落ち……そーゆー展開いらないから。誰も求めていないから。

 

 

 

 

 

徒然日記 ~2018/03/27~

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NHK「来週は『西郷どんスペシャル』をお送りします」(ドヤァッ

 

 

本編の放送枠に番宣作品をブチ込むという『本末転倒』の8Kスーパーハイヴィジョン見本ともいうべき大博打に討って出たNHK。最大限好意的に憶測してみると、一部キャストの突然の降板劇で万策尽きる寸前に陥った現場スケジュールを立て直すための総集編的存在かも知れませんが、それにしても、肝心の特番の予告映像を流すでもなく、紀行の最後のテロップ一行で済まそうとする姿勢には疑問を呈さざるを得ません。何という強引な本編から番宣へのモーフィング。

スケジュールといえば、本作は二十五話まで吉之助サァの南国流刑編が続くとの不吉な話を耳にしました。全体の中盤過ぎまでサイドストーリーとか……ナディアの島編かよ。ちなみに『翔ぶが如く』の二十五話は『薩長同盟』でした。終盤の駆け足感が否めなかった『翔ぶが如く』でさえ、全体の折り返し地点に薩長同盟を据えていたのですから、今年の大河ドラマの中盤以降、特に西南戦争付近が如何なる内容になるのか、想像するだに恐ろしい。これも最大限好意的に斟酌すると、吉之助サァが『敬天愛人思想』に目覚めた流刑時代をタップリと掘り下げる可能性も微レ存……と思えなくもないですが、そうならないほうに露伴センセの小指を賭けます。

尚、冒頭は『西郷どん』関連の話題から入りましたが、今回は大河の感想を含めた徒然日記をお送りします。理由は後述。

 

 

1.『西郷どん』第十二話『運の強き姫君』感想

 

まずは今週の『せご☆どん』の感想から。

 

関帝

 

以上。終了。

 

いや、マジで感想はありません。ここ最近の大河ドラマの感想記事は、録画実況を見ながら投稿したツィートを叩き台に執筆するのですが、昨晩は呟くに値する内容さえ殆どありませんでした。あまりの空虚っぷりの反動からか天河真嗣さんとのガルパンどうでしょうネタに夢中になっていたくらいですからね。簡易型ボコの被りもの姿でタバコを吸うミカを想像しただけで草生える。

今回は篤姫が健康で強運な為人を買われて大奥に入るという流れでしたが、今までのストーリーで篤姫の健康さと強運ぶりの描写がキチンと描かれた場面が殆どなかったので、物語の説得力に欠けること欠けること……斉彬が篤姫に、

 

家定とかいう祖父のオットセイと真逆の意味でアレな男に嫁がせるワイを許してクレメンス(要約)

 

と詫びを入れる場面も『翔ぶが如く』を見た人間としては、二番煎じというか……三日前の極上レトルトカレーをドヤ顔で出された感が半端なかった。唯一、印象に残ったのは一蔵サァと三郎の文通シーン。自らの理想を実現するためには、父親を遠島に処した一味が担いだ神輿にでも取り入る一蔵サァの政治家としての凄味が垣間見えました。上記のように中盤まで島編に掛かりっきりになる吉之助サァの不在を補えるのは一蔵サァしかいないので、今のうちにじっくりと三郎との関係性を描写して欲しいものです……って、それじゃあ、今年の大河ドラマは『一蔵サァ』ということになりませんかね?

 

 

2.物語を分析する最適の題材かも知れません

 

さて、先項で述べたように今週の『せご☆どん』があまりにも空疎な内容で、ロクに感想記事も書けなかったので、代わりに他の作品に関する話題を2~3点。まずは、

 

 

今夜、遂に最終回を迎える『宇宙よりも遠い場所』。何気に豊作な今季アニメでもトップクラスの作品と評してよいでしょう。まぁ、原作つきにも拘わらず、何故か最終回で大炎上した『くまみこ』のような作品もあるので、油断はできませんが。

さて、この『よりもい』は原作つきではない完全オリジナルアニメですが、原作……というよりも反原作と呼べるのでないかと思える作品が存在します。

 

 

先日、BSで放送されたので、御覧になった方もおられるかと思いますが、本作と『よりもい』は合わせ鏡と評してよい程に真逆の作品です。『よりもい』は、

 

『どうしても南極に行きたい』四人の女子高生と美男美女グループが、

『民間人が南極に到達できる訳がない』という世間の嘲笑を見返すべく、

様々な苦難を乗り越えながら、友情を育み、人間的に成長してゆく物語

 

であるのに対して、反原作(?)の『南極料理人』は、

 

『南極に行きたくなかった』主人公を中心にした八人のおっさん連中が、

物語の冒頭から観測基地という密閉空間に押し込められており、

そんな過酷な環境に堪えかねた彼らの人間性が徐々に崩壊してゆく物語

 

といえるでしょう。仮病で作業をサボるメンバーが弾劾されるシーンや、精神的に追い詰められた隊員がバターを塊ごと嘗めまわす件はスタンフォード監獄実験も裸足で逃げ出すレベルの人格崩壊ぶりでドンびき。それでいて、陰惨さは欠片も感じず、純粋にコメディとして成立しているのですが、このように同じ『南極観測』を題材を扱いながらも、全く真逆の方向性からアプローチして、しかも、両方共に別次元の面白さを有しているのは非常に興味深い。歴史上の人物や出来事を題材にする以上、ある程度のストーリーの被りを禁じ得ない大河ドラマが学ぶ点は多いのではないかと思います。

あと、十二話で母親のPCが受信した(自分からの)三年分の未読メールを見て、報瀬が泣き崩れるシーンは、泣けると同時に凄く感心しました。ああいう表現で報瀬に『最悪の事態』を頭ではなく、心で理解させるとはなぁ。あれはPCやメールでないと出来ないですよ。通信技術の発達が創作世界での人間心理や距離感を描きにくくしている(何時でも連絡が取れる等々)との論調を目にしたことがありますが、フィクションも現実も同じく、全てのコミュニケーションツールは使い方一つです。スマホが普及する前はガラケーの蓋を開くか開かないかで、登場人物の心理を描いていた作品もありましたから。

 

 

3.そのうち『リトルマーパーソン』になるのでしょうか

 

野乃はな「アンリ君はハーフなんだね!」

アンリ「半分じゃない。大和撫子とパリジャンのダブルだからね」

 

何気にポリティカル・コレクトネスの描写が印象に残った今週のプリキュア。少なくとも、私個人はハーフという単語には語る側の羨望の要素が含まれていると思っていたので、ダブルという表現に慣れるのには暫く時間がかかりそうです。ダブルとなると二倍という意味合いが強いように思えまして……まぁ、この辺は時間の経過と地道な普及に任せるとしましょう。尤も、今後描かれる作品は兎も角、今までに発表された作品やジャンルに適応されるのには抵抗感があります。ファンタジー作品でダブルエルフといわれても、何のことか判らなくなってしまいますので。今までは今まで。これからはこれから。しかし、ダブルエルフって……タイガーのダブル猪木みたいな響きだな。

 

もう一つ、最近の創作作品の表現に関する話題で興味深かったのがこれ。

 

「『ちびまる子ちゃん』キャッチに抗議の自民・赤池議員(友達に)国境はないと嘘を教えてはいけない」

 

昨今はプロ・アマの区別なく、出所の怪しい&バイアスの強いニュースが横行しており、時事ネタは回避してきましたが、この件に関しては御本人が公式HPで詳細を開示しておられるので、問題ないでしょう。それにしても、元のブログ記事は二〇一五年のものなのに探す側もよく見つけてくるなぁ。発言内容の是非については、相応の文章読解力を有しておられる方であれば、自ずと答えは出ると思うので、この場での論評は差し控えさせて頂きますが、

 

創作とはフェイク(嘘)から真実を生み出そうとする情熱そのものである

 

という認識をお持ちでない方がMANGA議連の幹事を務めておられることには驚きました。自薦か他薦かは存じませんが、昨今、世間を賑わせている騒動よりも遥かに笑えない事案ではないかと思います、多分。

 

 

 

 

 

 

徒然日記 ~2018/04/03~

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番宣スペシャルでお休みとなった今週の『西郷どん』。クオリティは兎も角、日常生活のリズムに組み込まれている番組がないのは些か戸惑いましたが、今月はリアルでお迎えしたり、こちらからお出かけしたりとビッグイベントが目白押しなので、丁度よい休養と前向きに考えることにしましょう。如何に大河に飢えていても、流石に『軍師官兵衛』の再放送を見る気にはなれなかったよ……。今週も先週に続き、軽目の内容の徒然日記。話題は三つ。内容的にも先週と半分近く被る題材ですが、特に気にするな。私も気にしない。

 

 

1.『ゆるキャン△』の再放送も見るよ!

 

 

「『宇宙よりも遠い場所』BS11で再放送決定」

 

本放送が好評を博したのでしょう。今日の深夜から早速、再放送が始まる『宇宙よりも遠い場所』。見逃した方には是非、御視聴をオススメしたい。ストーリーものにも拘わらず、一話一話にキチンと起承転結があり、全編を通じて『捨て回』が一つもないのが凄い。更に先週の放送では『名作の条件は最終回でコケること』という流れ星超一郎理論を、まさに『宇宙よりも遠い場所』まで跳ね飛ばすレベルの完璧過ぎるフィナーレを飾ってくれました。

 

信じて送り出してくれたヤンデレ系幼馴染が主人公に感化されて地球の裏側からドヤ顔ダブルピース画像を送ってくるなんて……。

 

『風雲児たち』『宝塚版ルパン』と共に今年のベスト10最有力候補です。今から振り返ると『風雲児たち』は元日SPドラマで『よりもい』は正月二日放送開始の作品でした。今年は新春から豊作過ぎるぜ。

尤も、こう書くと『よりもい』が完璧なアニメのように思う方もおられるかもですが、実際は突っ込みどころもあるので悪しからず。私が気になったのはキャラクターの言動が色々と間尺に合わないことでしょうか。報瀬と藤堂隊長の関係とか、毎回毎回終盤で溝が埋まったような展開が描かれるにも拘わらず、次回になると恰も春木美空にリセットされたかのようにギクシャクした間柄に戻っているのよね。あと、最終回で報瀬が観測所にお宝を置いて来る件。これは報瀬が母親の身に起きたことをキチンと受けとめた&もう一度南極に戻ってくるという決意を象徴する、神展開続きの最終回でも屈指の名シーンなのですが、冷静に考えると報瀬が何時『お宝』を観測所に置いてきたかが謎。報瀬が母親の一件を受けとめたのは観測所からノーパソを昭和基地に持ち帰ったあとなので、時系列的に辻褄が合わないのよね。本編で描かれなかっただけで、あのあとも何度か観測所に赴いたのかも知れませんが、母親の件で一度は連れて行かない訳にはいかなかったにせよ、何度も女子高生を同行させられるほどに安全な場所でもなかったからなぁ。

まぁ、全体的に思い返すと色々と矛盾や疑問も多い作品ですが、しかし、先述のように毎回毎回の起承転結がキチンとしているので、一話一話をリアルタイムで見る分には全く気にならないのも確かです。既にDVDも発売されていますが、一気見ではなく、TV放送と同じように週一本のペースで鑑賞するのがオススメ。

逆に連続で見て大正解と思ったのは、こちら。

 

 

『姉川・石山編』に先駆けての、第一期第二期一挙放送で鑑賞しましたが、これ、本放送の五分枠で見たら、続きが気になってストレス溜まりそう。三期をリアルタイムで見るべきか否か、判断に迷うところです。それにしても、信長の天下取りのために鬼神の如き武勇を振るい、敵の強者と戦う主人公って……これって女の子版・修羅の刻じゃね? 取り敢えず、これも今年のベスト10の候補作品。

 

 

2.井浦新さんをパネラーに呼ぶべきでした

 

『平清盛』を楽しんだ視聴者としては、見逃す訳にはいかなかった『英雄たちの選択~崇徳上皇の涙~』……ですが、何時もよりも題材への踏み込みが甘かった。司会者もパネラーも崇徳院に関してはおっかなびっくりで語っていた印象ですね。まぁ、崇徳院は日本史でも特異点的存在なので、しゃーないっちゃあ、しゃーない。その反動でしょうか、院と手を結んだ悪左府に関しては全員が全員、イキイキと意見を述べておられました。悪左府、愛され過ぎ。この好感度を生前にGETできていれば、日本史は変わったかも知れません。

それでも、見所がなかった訳ではなく、磯田さんの『易姓革命の思想がない日本史における怨霊の役割は、権力者が常に襟を正すように監視する野党のような存在』という主張は面白かった。確かに本邦には己の意に沿う神輿を担ぎ出そうとする連中はいても、自分が取って代わろうとする輩は滅多に現れません。これは近世以前の日本史の一番面白い箇所なのですが、同時に最大の問題点でもある訳で、要するに朝廷の自浄能力が致命的に欠けた要因なのですよ。トップが如何なる悪政や痴政に耽ようとも、それを物理的に糺す者がいないのですから、政権に歯止めがかからない。それこそ、崇徳院の時代でいうと、清盛や頼朝のような人物が朝廷に取って代わってもおかしくないのですが、そうはならない。特に鎌倉幕府は腐敗した朝廷を打倒するのではなく、朝廷と関係ないところに自分たちの自治政府を作った訳ですね。野党から与党を目指すのではなく、自分たちが与党になれる場所を作ろうとするのが日本史的発想。このように生きている人間が概ね与党志向ですから、生者=与党を監視する役割を怨霊が担うのは、ある意味、必然のナリユキといえます。これが日本史の面白さですね。

尤も、大事なことなので二回いうと『一番面白い点が一番の問題点』で、怨霊に権力を監視させてきた社会では現実の野党が育ちにくいのではないかと思います。今年の大河ドラマの主人公である西郷隆盛。この人物の人気の高さ、特に西南戦争直前までの異様な人望について、何方かが『今日まで続く大久保主導の絶対的・与党&官僚制度に対する野党への期待値ではないか』と評しておられましたが、その与党や官僚を打倒するべく、兵を挙げた西郷擁する薩軍がイの一番にやったことといえば、

 

熊本城でヒャッホイブレード

 

という政治性や戦略性の欠片もない、目の前に敵がいるから叩くという類の、思考というよりも脊髄反射に近い行為でした。この辺、現在の政界を騒がせている一連の騒動にも通じるところがあるようで、アリテイに申しあげるとド素人が指す詰将棋のようで見ちゃおれんというのが正直な感想です。他に幾らでも採るべき手段がゴロゴロと転がっているように見えるのですが……勿論、野党がアレだからといって、無条件に与党を支持するつもりはありません、念のため。

 

 

3.ジャンル別私的ガンダムベスト3

 

『西郷どんSP』に続いて、録画しておいた『歴史秘話ガンダムヒストリア』も鑑賞。NHKでのガンダム特番ということで、無駄に期待値高かったですが、内容的には拍子抜け。特に新しい情報や解釈は出なかったからなぁ……まぁ、その辺は本来の『ヒストリア』も同じなのですが。善かれ悪しかれ、一番驚いたのは『ガンダム総選挙』の中間発表でした。おまえら、止まるんじゃねぇぞさんで遊び過ぎだ。いい加減許してやれ。尤も、これはこれで選挙の集計に手を加えていないことの傍証といえるかも。

尚、完全に蛇足ながら、各ジャンルの私的ベスト3は以下の通り。

 

作品ベスト

 

一位 逆襲のシャア……主題歌以外は全て完璧という『オルフェンズ』と真逆の至宝。

二位 0080……内容以上に、この作品を山賀博之氏が作ったことが一番の驚き。

三位 Z……UCと迷ったが、最初に見たガンダム作品ということでこれ。

 

キャラクターベスト

 

一位 シャア……『バブみ』という性癖を先取りした変態仮面。御大は未来に生き過ぎ。

二位 ナナイ……マザ・ロリ・シスの三重苦の男も愛せる盲愛の人。CVも完璧である。

三位 アズラエル……有能なフォーク准将。権力者が唱える正論の横暴さを体現した人物。

 

MSベスト

 

一位 キュベレイ……シンプル・イズ・ベスト。機能美は自然美に通じる。

二位 ガンダムエクシア……キュベレイと真逆にアンバランスな武装とデザインがツボ。

三位 デルタプラス……映像化された可変機では一番好き。問題はパイロットである。

 

テーマソング

 

一位 暁の車……『金八』&『世情』という作品と音楽の歴史的マッチングを凌駕した逸品。

二位 時空のたもと……wikiのガンダムシリーズのアニメソングに入っていないだと?

三位 哀・戦士……この曲のテーマ性は100年経っても廃れないと思う。

 

取り敢えず、以上でしょうか。尚、ガンダム総選挙については歴史の立会人を気取っていたいので、参加しません。

 

 

 

 

 

 

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『西郷どん』第十三話『変わらない友』感想……は殆どない(多少ネタバレ有)

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基本的に私は当年の大河関連書籍は買わない主義で、一昨年の『真田丸』の歴史考証の先生方の本編補完ツィートも、内容的には面白かったものの、そういうことは作品の中で活かしてナンボでしょうと思っていたくらいですが、今回は友人の推薦で、

 

 

こちらを購入しました。いわずと知れた『西郷どん』の歴史考証を担当しておられる磯田さんの著書。友人は『司馬さんとは違う角度から西郷の本質に迫ろうとしている』と述べておられましたが、確かに親族(特に弟たち)が西郷をどう見ていたかを分析する件は結構エグい。大西郷という空前絶後の人物を身内に持った人々の苦労が如何ばかりであるか……吉之助サァが西南戦争を起こした際、弟の信吾サァが兄を手厳しく評した理由の一端が判った気がしました。ラストタイクーンの大阪城脱出がキチンとフォローされていたのも高評価(最重要事項よ!)

一方、これも友人が『司馬さんと違う角度から迫ろうとして、@一歩詰めきれていない』と評していたように、西郷の人物評が最後の最後ですっぽ抜けた感がありました。いや、結論は概ね同意できるのですよ。磯田さん曰く、

 

「西郷は餅のような人物。誰かと同じところにいると、その誰かと同じ気持ちになる性質がある。その気持ちがどんどん膨らんで、やがて、その誰かをくっついて遂には同化してしまう(要約)

 

との評価は実に正鵠で、実際、江戸無血開城の決断に関しては、生半な幕臣よりも幕臣らしいんじゃあないのかと思えるレベルの慶喜に対する思い入れ味方に対する熱い掌返しを見せるのですが、その為人が何に由来しているのかの考察に詰めを欠いた印象が残りました。いや、これは別に批判の意図ではなく、磯田さんは歴史学者として、安易な想像や論拠のない推測をなさらなかったのでしょう。

私は素人のうえ、安易な想像や論拠のない推測が大好きな下世話な人間なので、磯田さんが述べる西郷餅人間説については以前から思うところがありまして、吉之助サァの『接した人間に対する過度の斟酌』は他人に裏切られることへの恐怖が根底にあり、それが、敵味方や損得の垣根を越えて、目の前にいる人間の事情に度を越して入れ込んでしまう言動の源ではないかと勝手に思っていますが、これは考察や推測というよりも邪推下衆の勘繰りに属する類なので、これ以上の言及は差し控えさせて頂きます。敢えて原因のヒントを挙げると、

 

 

でしょうか。ちなみに私の邪推の詳細を聞かされた友人の返答は、

 

「西郷さんに対する愛に欠けますね」

 

でした。自覚はしている。元来、司馬さんの影響で大久保贔屓のうえ、最近は三郎のほうが好きになりつつあるからなぁ。マジで三郎は凄いよ。藩主にならないほうが色々と政治的に動けることを自覚していたからなぁ。この人、和漢の歴史に通暁していたので、日本で政治改革を行うには院政的な形態のほうが適していると理解していたのでしょう。

 

何時も以上に本編内容と関係のない枕話に尺を費やしてしまいましたが、ぶっちゃけると本編に語るべき内容がなかったからね、仕方ないね。アバンで一年経過するわ、阿部ちゃんはナレ死するわ、これといった見所がないままで四十五分が経過するという恐ろしさ。歴史的には阿部ちゃんのナレ死が噴飯ものですが、ドラマ的には安政の大地震でワヤになった篤姫の輿入道具を一年で再手配した吉之助サァの奮戦がアバンで終了したことのほうが大概でした。いや、勿論、歴史劇的には優先順位の高くない事案とはいえ、これはスラップスティックのネタとしては結構面白そうな題材ですよね? 『忠臣蔵』でいうところの『増上寺の畳替え』みたいなもので、吉之助サァが今までに江戸で出会った人々に様々なフォローを受けて、何とか間に合わせる的な展開にできそうに思うのですよ。史劇としても大事なイベントをやらない。ドラマとしても面白そうなネタをスルーしてしまう。ほならね? 何を楽しめっちゅうことですよ? 斉彬の重商主義を支える薩摩の人々の苦しみも考えろと吉之助サァを嗜める一蔵サァの台詞はよかったものの、それも大して掘り下げられなかったからなぁ……この辺は冒頭で述べた磯田さんの著作では結構筆が割かれていて、興味深く拝読したのですが、ドラマではスルーされてしまいました。

殆ど唯一の見どころは月照どん登場でしょうか。ホント、この作品はキャスティングに関しては神采配の連続。しかも、そこにカタツムリの映像を被せるアンドロギュヌスの隠喩表現も憎いですね……それなのに、直前の場面で吉之助サァが不犯の誓いをたてたことを台詞にしてしまうのが蛇足というか。そーゆーのいらないから。何となく妖しいのは映像で伝わるから。つーか、他にキチンと台詞にして描いて欲しいことが山のようにあるから。現場スタッフが有能なのか、そうでないのかがイマイチ判らない。先週の『西郷どんSP』を見るに、作品に対するスタッフの熱意は高いと思うのですが、その熱意を注ぐ方向性が間違っているのかなぁ。確かに変態仮面VSケン・ナベケンの相撲対決はネタとしては面白かったけれども、それで斉彬と西郷の関係性を感じ取れというのは無茶振りにも程がある。この辺の外した時は思いっきり裏目に出る演出癖は『龍馬伝』や『平清盛』のマネをして欲しくなかった点が継承されてしまったように思います。

そういや、本作の坂本龍馬がオグリンに決定したとか。『HK』繋がり的には結構なサプライズですが、本作にしては無難なキャスティングというか……もうちょいヒネくれたチョイスをしてくると予想していたので。まぁ、一部で噂されていた『龍馬伝』繋がりで福山さんの再登板よりかはよかったと思います。唐沢利家のようにチョイ出演ではなく、ガッツリと主人公と絡む役(になるよね?)なので、流石に主役再登板は色々とマズイかと。

 

 

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『銀河英雄伝説 Die Neue These』第一話『永遠の夜の中で』感想(ネタバレ有)

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ラインハルト「我等は包囲の危機にあるのではない! 敵を各個撃破する好機にあるのだ! 名誉ある撤退と卿は言った……皇帝陛下より命ぜられた任務を果たさずして、何の名誉か!」

 

この『の』を残したスタッフに最敬礼。

 

正直、期待よりも不安が上回っていた『銀河英雄伝説 Die Neue These』でしたが、上記のラインハルトの台詞でグッと惹きつけられました。『銀英伝』の、特に帝国サイドの描写は荘重な台詞回しが作品の雰囲気を醸し出す要素で、以前、江馬さんからコメントを頂いたように『皇帝をまもりまいらせよ』や『彼をふたたび起つあたわざしめる』といった漢文的な言い回しを『現代の視聴者に判りやすいように』と余計な気遣いで現代風に翻訳されると、作品の世界観がグズグズに崩れてしまうところでしたが、少なくとも、第一話では杞憂に終わりました。よくぞ、この『の』を残してくれたものです。『我等は包囲の危機にあるのではない。敵を各個撃破する好機にあるのだ』のほうが、自然な言葉遣いであり、台詞的にもスムーズなのですが、それでは普通のSFになってしまうのよ。『銀英伝』は遥か未来を舞台にしながらも、それを更なる未来の『後世の歴史家』の視点から眺める物語であり、それを表現するには何処か古風な雰囲気を保っていなければいけない。その一番のツボを外さなかったスタッフ、グッジョブ。それこそ、この『の』は、原作者の田中センセ&大いなる先達の海音寺センセが激賞する、司馬遷が項羽のラストバトルを描いた際の『亡其両騎耳(そのりょうきをうしなうのみ)』の『耳』に匹敵する一文字といえるでしょう。『耳』の一文字で項羽への哀惜を記したように、本作のスタッフも『の』の一文字を残すことで、原作の雰囲気を堅持したといえます。これは相当原作を読み込んでいないと出てこない発想。

 

いや、マジで第一話の段階では旧版よりも原作準拠の要素が多かったのは嬉しい誤算でした。少なくとも、台詞に関しては確実に旧版よりも原作準拠。そして、最初に登場したのが戦艦でも兵士でもなく、馬車というのが凄い。これはツイッターでふるゆきさんから御指摘を受けて初めて理解したのですが、銀英伝の世界、就中、帝国サイドは初代ルドルフの貴族趣味が原因で、文明面は兎も角、文化面では近世~近代の欧州の雰囲気を色濃く残しているのですよ。馬車と戦艦が同時に存在していても不思議ではないのが銀英伝。旧版第二期のOPでアンネローゼが編み物をしているのを見たウチの母親がSFで編み物とか草生えるとこき下ろしたことがありましたが、そうじゃあない。あれは、

 

 「時は移り 所は変われど 人類の営みに何ら変わることはない」 

 

という銀英伝の史観(同時に第二期のOPテロップでもある)を画で表したものなんだよ。先述のラインハルトの台詞が、本作の価値観を言葉で示したとすると、この馬車は画で表現したといえるでしょう。

他にも旧版以上に原作に準拠していたのがファーレンハイト。旧版ではアルピノ的容貌と速水奨さんヴォイスが相俟って、イケメンキャラとして人気を博しましたが、コイツはラインハルトに負けず劣らずの貧乏貴族の家に生まれて、食うために軍人になった叩きあげの提督なので、本作の骨太系なキャラデザのほうがイメージに近いと思います。また、OPのオーベルシュタインの画がいい。オーベルシュタインには暗い背景を宛がうのが普通の発想ですが、本作では敢えて光の中に立たせることで、彼自身が作り出す影の濃さを浮き彫りにしているのですよ。『光には必ず影がつき従う』というオーベルシュタインの台詞をこういう形で表現するかぁ。

 

勿論、不満点があるのも事実で、同盟軍の配置は多方面からの包囲殲滅陣形というよりも、正面衝突を前提とした鶴翼陣形であり、あれじゃあ、パストーレが攻撃されている間にパエッタとムーアが簡単にラインハルトの両側背を叩けそうに見えるのですが……これに関しては、旧版のほうが判りやすかった。あと、ラインハルトの蔑称が単なる孺子(こぞう)になっていたこと。流石に『金髪』というのはマズイのか。世の中にはブロンドジョークとかあるのに……でも、何よりの不満は、

 

このTV版が12話で終わること

 

ですね。一応、劇場版での完結を前提にしているようですが、これはTV……とはいかなくても、旧版のようにOVAでじっくりとやって欲しかった。そもそも、12話ではギリギリ原作一巻くらいで終わっちゃうんでしょうねぇ。旧版には結構アニオリエピがあるので、それをカットしていけば……いや、でも、二巻ラストまでは流石にムリか。

 

尚、完全に余談ながら、私的『銀英伝』キャラクターベスト10は以下の通り。

 

第一位 ヤン・ウェンリー

第二位 ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ

第三位 パウル・フォン・オーベルシュタイン

第四位 ダスティ・アッテンボロー

第五位 ハンス・エドアルド・ベルゲングリューン

第六位 フレデリック・ジャスパー

第七位 ヨブ・トリューニヒト

第八位 カーテローゼ・フォン・クロイツェル

第九位 リヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼン

第十位 ヘルマン・フォン・リューネブルク

 

……こうして見ると、意外と提督が少ないな。そして、外伝キャラが多過ぎ。でも、マーチ・ジャスパーはカッコいいじゃん。声はひろしだけど。

 

 

 

 

『西郷どん』第十四話『慶喜の本気』感想(ネタバレ有)

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井伊直弼「もし、わしの味方になれば紀州一国をそなたにやろう。どうじゃ? わしの味方になるか?」

一橋慶喜「よ、慶福を支持すれば、将軍後継者の座を降りれば……ほ、ほんとに紀州一国をくれるのか?」

井伊直弼「ああ、約束するよ。慶福の『将軍擁立』と引き換えのギブ&テイクだ。やれよ、早くやれ!」

一橋慶喜「だが断る。この一橋慶喜が最も好きなことのひとつは、勝手な都合で俺に期待する奴らにNOと断ってやることだ!」

 

DQの龍王、或いはハイウェイスター感溢れるチャカポン直弼の誘惑を退けた未来のラストタイクーン。確かに混乱極まる幕末の情勢下で、味方を増やすために大国の藩主の座を恰も接ぎ木のような気楽さで挿げ替える直弼の近視眼的派閥主義は徒に国内の混乱を招き、諸外国の侮りを受けかねませんから、言下に断った慶喜の器量は充分に将軍の座に値します。創作か史実準拠かは存じませんが、これはイイ線いっていました……が、製作者サイドは何故か、このロジックをプッシュせず、

 

一橋慶喜「お前の言葉には生命が籠っていない」

 

どの口が言うとんのかと突っ込まずにはいられない台詞で片づけてしまいました。この場に容保公が居合わせたら虚ろな瞳で会津の御家訓をアカペラしてしまうに違いありません。まぁ、一筋縄ではいかない慶喜の為人を描くという一点ではアリっちゃあ、アリな展開とはいえ、そのために『何で斉彬公や吉之助サァや橋本佐内が慶喜を擁立しようとしているのか』が全く描かれない本末転倒ぶり。

 

 

脚本家「吉之助サァが知らない筈ないだろ!」

脚本家「吉之助サァが知らない筈ないだろ!」(以下エンドレスループ)

 

 

という第四話の感想で用いた時事ネタの頃からまるで成長していない……恐らくは黒幕の斉彬自身も理解していないと思う。今回の慶喜&吉之助&左内の井伊家凸も、政治情勢や論理的思考に拠る判断ではなく、刺客を殺してあとにひけなくなった三人がなし崩し的に結束するという、

 

 

みたいな展開で草も生えませんでした。

 

あと、今回の吉之助サァと直弼のように何の脈絡もなしに主人公と重要人物と会わせる作風はやめて貰えませんかね。これじゃあ、完全に男版篤姫じゃないですか。いや、登場人物の誰と誰を会わせるかは作者の匙加減一つと理解していますが、本作の場合は会う必然性のないケースが多過ぎるのよ。試しに今回の話、吉之助サァが直弼と長野主膳に呼び出し食らう場面をカットしても、ストーリーに何の問題もないのよね。それでいて、藤田東湖のように、現実の吉之助サァに多大な影響を与えた人物との接点を全く描かない片手落ち感は何とかならないのでしょうか。

これは大河ドラマにかぎったことではありませんが、人間関係の緊張感を生む要素の一つに互いの面識がないことが挙げられると思います。或いは面識はあっても、身分制度や物理的距離が障壁となり、相手が何を考えているか判らない。それが政治劇や合戦シーンでの読みあい、腹の探りあいの源になるのですが、本作の場合は主人公がホイホイとVIPと面談して、しかも、相手が馬鹿正直に本心を打ち明けてくれるから、ストーリーに張りがないのよ。多分、このままいくと大政奉還や江戸無血開城も、薩長と幕府の虚々実々の駆け引きではなく、吉之助サァとヒー様の個人的な信頼関係で成功するという展開になるでしょう……というか、制作サイドに帷幄千里の謀を描く自信と意志がないから、端緒から謀略劇を個人的な人間関係に転化するために、ラストタイクーンにヒー様とかいう珍妙なキャラクターを付加したと漸く理解しました。我ながら遅い。他のジャンルはいざ知らず、本作は大河ドラマなのですから、利用と信用と信頼の区別をつけた、緊張感のある人間関係と謀略劇を描いて欲しいのですが……ちなみに利用は何時でも相手の背中を刺せること、信用は肩を並べて戦えること、信頼は自分の背中を預けられることだと思っています。

 

 

 

 


徒然日記 ~2018/04/24~

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ヤン「公開の席上で、現役の軍人が政治批判をするわけにはいかないな、そうだろう?」

シェーンコップ「ハイネセンポリスのあほうどもは、批判されるべきことをやってのけた、と、私は思っていますがね」

ヤン「思うのは自由だが、言うのはかならずしも自由じゃないのさ」

 

新編アニメが絶賛放送中の『銀河英雄伝説』の有名な一幕。昨今、国会で取り沙汰された一連の騒動で、このシーンを思い出した方も多いのではないでしょうか。『事実をありのままに指摘する言葉』であっても、名誉棄損は成立し得るらしいので、今回のケースは色々な意味でどっぷりとOUTです。騒動の当事者には猛省を求めたいところですね。もう少し踏み込んで語りたい事案ではあるのですが、言論の自由は思想の自由よりもテリトリーが狭いので、この辺でやめておくことにしましょう。

さて、本来は『西郷どん』の感想記事を書く予定でしたが、ナベケン斉彬の、

 

 

というあまりにも甘利な退場に言論の自由のテリトリーを逸脱してしまいそうな言葉しか浮かんでこないので、今週はお休みさせて頂きます。ナベケンも『西郷どんSP』ではウッキウキで撮影に臨んでおられたのに……かわいそう(小並感

そんな訳で今週は、個人的に色々とイベント目白押しの一カ月となった四月のプレイバックをメインとした徒然日記です。話題は4つ。

 

 

1.徒然JE市日記(NG集&未公開バージョン?)

 

今月の前半は江馬さん装鉄城さんがJE市にお越しになりました。丁度、TKD公園の観桜会の時期でしたので、御花見がてら、不肖・私がJE市の観光案内を買って出た次第……ですが、御二方ともJE市の歴史関連の知識や造詣が深く、案内する私のほうが教わることが多かったという罠。江馬さんから御伺いした上杉茂憲の琉球統治の逸話や、装鉄城さんによる春日山城址での城郭解説は本当に面白かった。尚、江馬さんのテンションが一番あがった場所は榊原康政の甲冑堀秀政の墓所という、JE市民的には『そっちですか!』と突っ込みを入れたくなる渋いチョイスでした。ブログでの硬派なイメージと、ガンダムでは何気に鉄血推しという意外性&その理由も相俟って、私の中では(竜堂始+神山高志)÷3というキャラクターとして定着した次第です。そして、装鉄城さんは観光地の解説を几帳面にメモしておられたのが印象的でした。観光地でブログ用にメモを取ったことがないワイ、自分のいい加減さを思い知らされて震えて眠る。

当日の様子は御二方のブログに掲載されていますが、内容に関しては本当に気を使って下さったというか……いや、正直な話、私のヘマが多過ぎたのですよ。取り敢えず、パッと思いつくだけでも、

 

・今年の大河関連の観光地がオススメかな~今から大久保の懐刀の生誕地に行きます~前島密記念館休館日

 

・TKD公園は日本三大夜桜として有名ですよ~夕食を御一緒したにも拘わらず、TKD公園を通過せずにホテルにお送りする

 

・ここが有名な御館の乱の跡地の公園です~見事に何もないですね……あれ、石碑もない?~数百m離れた全く別の公園を案内していた

 

・春日山城に登りましょう~下りの道が一本通行不能ですね~こっちから下りましょう~完全に道に迷う~謎のオバちゃん登場『こっちの道から抜けられるよ』~土砂崩れ工事の修復路から何とか下山

 

おぉう、これは我ながらひどい。

 

恐らく、鈍感な私が気づいていないだけで、他にも色々と粗相を仕出かしてしまっていると思います。江馬さん、装鉄城さん、本当に申し訳ありません(平身低頭)。しかし、あの時のオバちゃんは何者だ? どう考えても通行止めの道から入ってきたとしか思えないのですが……。

 

 

2.伊藤俊輔「この時代に生まれなくてよかった」

 

予め申しあげておきますと、辞任が確定的となった我がNG県知事には一度も投票したことはありません。そのことを踏まえての話になりますが、今回の県知事の問題点は自由恋愛(笑)の真偽よりも政治家にあるまじきガバガバにも程がある脇の甘さで県政に大穴を開けたことと、

 

飯塚投手の凱旋にミソをつけたこと

 

ではないかと思います。タダでさえ、運がないことをDeNAファンから心配されている飯塚投手の、それも、昨年は雨天中止になった凱旋試合の直前にスキャンダルが発覚して、当日の始球式をキャンセルとか……ホンマええ加減にせぇよとハマタばりに怒鳴りつけてやりたくなりましたよ。

そんな訳で4月17日は新潟のハードオフ・エコスタジアムで横浜DeNAベイスターズVS読売ジャイアンツの試合を観戦してきました。NG県JE市出身の飯塚投手の登板とあって、比較的巨人ファンの多いNGにも拘わらず、観客は一塁側スタンドのほうが多かった。飯塚投手は周囲の騒動に動じることなく、六回途中二失点でマウンドを降りたものの、直後のエスコバーがツーランを浴びて、勝ち投手の権利消滅。何だ、この月本幸子並みの運のなさは。尚、試合も敗戦。DeNAファンは『飯塚投手に負けがつかなくてよかったんだ!』を合い言葉に帰路につくという、まさにポジハメ&ポリアンナ症候群状態でした。

ラミちゃんは『六回は一本でもヒットを打たれたらイイヅカを交代させる予定であった』と語っているけれども、やっぱり、地元選手に負けをつけさせたくないという心理はあったと思うのよ。NG県はオーナーの地元でもあるしね。いや、現オーナーは金銭を出して口を出さない理想的なオーナーですし、ラミちゃんの采配にケチをつけるほどにDeNAファンとして増長したつもりはありませんが、戦闘における勝利を至上とする組織が、戦闘以外の目的のために作戦を遂行した時、その組織は敗北の途上にあることをまざまざと見せつけられた夜でした。しかし、この感覚、数カ月前にもあった気がすると思っていましたが、

 

 

本日、レンタルが解禁されたガルパン最終章の第一話を鑑賞して、これだと合点しました。試合を勝利のためではなく、桃ちゃんの進路のために戦うということで、大洗女子学園の戦闘目的が曖昧になっていた。その心理的間隙をBC自由学園に突かれたのではないかと思います。『ガルパン』も何気にシビアな描写多いよね。

 

 

3.騙されたと思って食ってみろ!

 

『2020年大河ドラマ「麒麟がくる」』

 

題材・明智光秀(高等遊民~日本史上最大の謀叛人)

主演・長谷川博己(『家政婦のミタ』『鈴木先生』『八重の桜』)

脚本・池端俊策(『太平記』『楢山節考』『坂の上の雲』)

コンセプト・ 大河新時代(最新の研究と新解釈を反映した人物像)

 

こんなうまい話があってたまるか!

 

これはアレだ。大河ファンを誘い込むNHKの罠だ。ホイホイと飛びついたところを、

 

川崎尚之助「殺し間へようこそ」

川崎八重「足を踏み入れたが最後に候」

 

と十字砲火を食らわせる作戦に違いない。騙されるな、俺。人間、得をしようと欲をみせると失敗するが……損をしようとハラをくれば、損はするが失敗はしない!

そんな訳でツイッターを中心に結構な話題となっている二〇二〇年の大河ドラマ『麒麟がくる』ですが、あまりにも話がうま過ぎて、逆に引いてしまっている状態です。都心で『日当たり良好』『南向き角部屋』『築年数五年』『風呂トイレ別』『駅・コンビニ徒歩三分』の高級マンションの家賃が月三万二千円といわれた心境に近い。米花町でなくとも事故物件を疑ってしまいます。あとは『直虎』が決定した時にも書いたように、この題材&脚本家の世界観を損なうことなく、映像化し得る『基礎体力』が現在のNHKにあるのかとの不安は拭えません。私の友人も『官兵衛みたいに側室を置かなかった点が現代でウケると思われたんでしょ』とボヤいていたし、私もそれを否定できなかったからなぁ……。

それでも、期待と不安を数値化すれば、僅かに期待が上回っているかなぁ。総評を含めると『龍馬伝』の年から大河ドラマの感想を書いてきた私ですが、題材&主演&脚本家発表時に期待が上回ったのはブログを開設して以降、初めてです。『平清盛』は『清盛の悪いイメージを一掃する』というPの発言が気がかりであった(尚、一掃されるどころか、チョイ悪親父のイメージが定着した模様)し、八重ちゃんは東日本大震災の復興支援という事情が最優先されたし、一昨年の『真田丸』も直前の『清須会議』や『ギャラクシー街道』の所為で不安要素のほうが多かったからなぁ。

 

 

4.選択肢の広がり

 

『訃報から半日「コナン」から「火垂るの墓」へ即断変更 日テレの決意』

 

高畑監督の訃報がありましたので、差し替え来るかなーと思っていましたが、やはり、劇場版コナンは繰り下げ放送となりました。至当な判断と思います。日本アニメ界の元老とも評するべき御方ですからね。尤も、作品的には『かぐや姫の物語』でもよかったのではないかと思います。コナンを期待していたお子さんが『火垂るの墓』を見て、何を思うのかを考えると些か複雑な心境に陥らざるを得ません。子供たちがドラウマを負うと判りきっている作品を不意打ちで仕掛けるなよ。そういや、劇場公開時は『トトロ』と同時上映でした。どこまでもワンセットトラップを仕掛けてくる作品です。

別に作品を批判する意図はありません。『火垂るの墓』は子供たちに何時かは見て欲しい作品の一つですから。しかし、不意打ちや他に選択肢のない状況で見るのはキツイ。いい年齢のオッサンである私にとっても『ジョニーは戦場へ行った』と共に二度と見たくない名作のツートップですからねぇ。我々の若い頃は『子供に見せられる戦争アニメ』といったら、これしかなかったのですが、現在は、

 

 

がある。これは本当に大きい。『この世界の片隅に』はクオリティの高さには驚嘆しつつも、決して好みの作品ではないのですが、それでも『子供に見せられる戦争アニメ』という新境地を切り開いた功績は極めて大きいと思います。

尚、一週繰り下げされたためという訳ではありませんが、今年の劇場版コナンは現時点で未見。明日……というか、今日にでも見てこようかな。火曜日はメンズデーだし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

徒然日記 ~2018/05/01~

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結論から申しあげると今週も『西郷どん』の感想はありません。理由? うーん、説明すると長くなりそうなので、年末の総評記事に取っておきますが、一言でいうと本作は篤姫の下位互換に過ぎないと判ったのが大きいかなぁ。『篤姫』も大概な作品でしたが、あれと本作のどちらが幕末の歴史を理解できるかといわれると、まだしも『篤姫』のほうがマシに思えるのよね。斉彬退場も『篤姫』のほうが時間を費やしていました。それに引き換え、本作では先週ラストの斉彬の突然の死について、何らかのフォローが入るかと思っていたのに、吉之助サァの前にナベケンの幽霊がヌボーッと現れてオシマイというブン投げぶり。大西郷を語るに際して、島津斉彬という人物から何を受け継ぎ、何を受け継がなかったかは非常に重要なポイントになると思うのですが、それをガン無視してはイカンでしょ。せめて『翔ぶが如く』の下位互換レベルのクオリティであれば、見る気も起きるのですけれども、あの『篤姫』以下ではねぇ。

そんな訳で今週も徒然日記。世間では壮年の政治家二人がオテテ繋いで一線を越えるというニュースが話題になっていますが、あまりにもシュール過ぎて、この先どう転がるか想像もつかないので触れません。鑑賞した作品の感想です。話題は3つ。

 

 

1.劇場版名探偵コナン『ゼロの執行人』感想(ネタバレ注意!)

 

降谷零「僕の恋人は……この国だよ!」

 

片山雛子が聞いたら意味深な笑みと共に『アナタとは気が合いそうね』と握手を求めてきそうなバーボンさんの台詞。実際、今回の脚本は櫻井さんということで『相棒』のスピンオフ作品といわれても違和感なかった。作中の公安の協力者を巡る謀略劇や、キーパーソンの生死に関わるバーボンさんの力技なども『相棒』の世界観のほうが馴染んだと思います。

内容は『相棒』のスピンオフ作品としては及第点。『劇場版コナン』としては落第点かなぁ。完全にお子様置いてけぼりの内容でした。『相棒』を見慣れている私でさえ、中盤の公安に関する解説は成程判らんの連続で、事件の概要に至っては何が何やら……作中で公安の悪辣ぶりをこれでもかと描いておきながら、その公安所属のバーボンさんを悪役にする訳にもいかないから、無理矢理理屈をつけて『いい人』にした感じが半端なかったのもマイナス材料。どんなに結果オーライに見えても、父親にテロ実行犯の濡れ衣を着せられた蘭ねーちゃんの心の傷は簡単には癒えないと思うよ。加えて、最終段階で何も知らない少年探偵団をドローンの操縦に利用したのも納得いかない。あれ、迎撃に失敗して、そのことを本人たちが知ったら、自殺レベルのトラウマになると思うんですけれども……これも何も知らない人間を協力者に仕立てあげる公安の手口の縮図なのでしょうか。

一方でアクション映画としてはまずまず。冒頭で国際会議場が紹介された時は『ああ、ここがラストで爆破されるのか……』と思っていたら、開幕5分くらいで爆破されてビックリ&警視庁が標的にされたので、これ以上の大規模破壊はなさそうと思っていたら、もう一波乱用意されて驚き。毎年恒例の大規模施設破壊は、いい意味でタイミングをズラされた感じで面白かったです。キャスティング的にもカティ・マネキンがリボンズ・アルマークと共にコロニー落とし&ブレイクピラーを阻止するというガヲタには堪らない内容でした。今週末に控える『ガンダム総選挙』への援護射撃なのかも。

 

 

2.『やけに弁の立つ弁護士が学校でほえる』感想(ネタバレ有)

 

田口章太郎「貴方はリーダーに向いていない。他の先生方のためにも教務主任辞めてもらえますか? 貴方が休まずに働けば、他の先生たちもそれに従うしかない。貴方のような自己犠牲を払ってでも生徒たちと向き合う教師が現場の舵を取るべきではない」

三浦雄二「今の学校が泥船だってことは自覚していますよ。でも、だからといって、今すぐ誰かが新しい船を作ってくれるんですか? 私たち現場の教師にできることは、一丸となって泥船の穴を塞ぐことだ。泥船であっても生徒が乗っているかぎり、沈ませる訳にはいかない」

 

『相棒』を除く現代ドラマを滅多に見ない私が珍しく、予告映像でビビッと来たのが本作。念のために録画しておいて大正解でした。これは面白い! 久しぶりにハマった現代ドラマです。イジメやモンペ、超過勤務といった学校でのトラブルの調停に派遣される弁護士=スクールロイヤーを通じて、現在の教育が抱える問題を描く意欲作……と書くと、お堅い内容に思えますが、そんなことは全くなく、非常に厳しい事案を題材にしながらも、ドラマそのものはコミカルでリズミカル。それでいて、緊張感がヒシヒシと伝わってくる構成になっています。

この緊張感の源は……何でしょう。多分、主人公のスクールロイヤー田口章太郎の意見も、それと対立する教務主任の三浦センセの意見も、共に一般視聴者の価値観とは微妙にズレているからでしょうか。普通、創作劇で異なる意見の対立を描こうとした場合、どちらか片方を視聴者の共感を得やすくしがちなのですが、それだとストーリーが判りやすくなる半面、物語の世界観が陳腐になりがち。その点、吹奏楽部による騒音被害を具体的な数値で切り捨てようとする田口クンの言い分も、自他共にドス黒いまでの過重労働を強いることでしか現場を支えられない三浦センセの言い分も、一般視聴者の価値観からするとドンびきの意見であり、どちらを肯定していいか、俄かに判断がつきかねる。一般視聴者にとっては法律による教育への介入も非常識であり、現在の教育現場が抱える問題も非常識。しかし、その非常識と非常識を擦り合わせた果てに新しい常識を求めなければならない。そうした本作のアンバランスさと真摯な姿勢が物語の魅力になっているのではないかと。

特に先週の第二話の主題となった教師の超過勤務は何年か前、聖職に携わっている友人から聞いた話そのまんまで本当に驚いた。いや、別に疑っていた訳ではないけれども、生徒が好きでないと務まらない職業ですね。是非、本作の感想を御伺いしたいのですが、こういうのは本職の方は逆に御覧にならないかもですからねぇ……。尚、脚本は『相棒』で『ハンケチ』『ジョーカー』を手掛けた浜田秀哉さん。何となく判る。

 

 

3.今季アニメ&『ゴールデンカムイ』雑感(序盤ネタバレ有)

 

アシリパ「一緒にいた男は汁物にウコを入れて食べる」

 

『よりもい』『ゆるキャン』と豊作続きの流れを継承したのか、今季も話題作が目白押しの二〇一八年春アニメ。大河の関連書籍を買わないように、基本、面白いアニメを見ても原作を手に取ろうと思わない私ですが、今季は『宇宙戦艦ティラミス』の原作大人買い&『ゴールデンカムイ』の原作をレンコミで一気読みしてしまいました。ちなみに『ティラミス』はアニメのほうが面白い。陰毛のCVが中田譲治さんってどういうことなの……? 『信長の忍び』といい、短編アニメはクオリティ高い作品が多いですね。『ポプテピ』? アレは世界一早い再放送扱いだから(震え声

現時点で一番面白いのは『SAOオルタナティブ~ガンゲイル・オンライン~』。第四話Cパートのエムさんの変貌ぶりはエシディシののたんもドンびきするレベル。原作未読なのでマジで理由が判らない。キャスティング的に凄いのは『フルメタルパニック』。前作から十年以上経過しているにも拘わらず、概ねメインキャストの変更なし。今では第一線&大御所と呼ばれる方がゴロゴロ出演しておられるので、現場の予算が削られやしないかという余計な心配をしてしまいます。そういえば、両作品共に『フルメタル・ジャケット』へのオマージュがありました。リー・アーメイ『軍曹』の逝去に慎んで哀悼の意を表します。軍隊の階級が個人名詞として通用するのはハートマン『軍曹』と草薙素子『少佐』くらいかも知れません。『ミスター』といえば長嶋か鈴井といった感じでしょうか。

さて、上記の『ゴールデンカムイ』。アニメは作画・動画を中心に辛目の意見が多いらしいですが、原作への誘導という点では充分に及第点ではないかと思います。現に私がホイホイと原作に手を出しましたからね。作品の第一印象は、

 

日本でも『ダンス・ウィズ・ウルブズ』いけるやん!

 

でした。先住民族との確執と協力、血沸き肉躍る冒険譚、財宝を巡る謀略劇、戦争の傷跡……といった俗に称するところの西部開拓劇みたいな作品はアメリカの独壇場と思っていたけれども、そうじゃあなかった。日本にもこのジャンルに関する広大無辺なフロンティアが残っていた……というか、存在に気づかされたという思いです。アリシパさんの青い目の設定は『ダンス・ウィズ・ウルブス』の影響かも。

問題点は主人公の杉元に魅力がないことかなぁ。杉元の背後関係の描写が現時点では極めて希薄で、何がスイッチになって動いているのかがイマイチ掴みにくい。亡き戦友の妻の病を治すために金銭が必要……というのも、奇人変人のオンパレードの本作の中では埋没しがちな設定に思えてしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『発表! 全ガンダム大投票』感想(ネタバレ&辛口注意!)

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結局、選挙以上に有権者の器量と見識を反映するものはありません。それが如何に不本意な結果であっても、最終的には有権者の最大公約数の意見と見做されるべきものです。勿論、混迷極まる現実の政局ではなく、先日放送されたガンダム大投票のことです、念のため。幾ら何でも、

 

『止まるんじゃねぇぞさん』がキャラクター投票単独一位&総合三位

 

というのはネタで済まされるレベルを越えた悪ふざけでしかないと思うのですが、これが私を含めた現在のガノタの『民度』なのでしょう。結果は結果として、真摯に受け止めるべきと思います。

そもそも、総合順位トップのシャア・アズナブルも、純粋に『シャアがカッコいい』という理由で投票した人よりは、バブみの先駆者&唯一のアドバンテージの白兵戦でアムロにボコられる&無責任な言動でカミーユにボコられる&サボテンが花をつけている……といった諸々のヘタレ具合を逆に魅力と感じて支持した人のほうが多そうなので、ネタで『止まるんじゃねぇぞさん』に票を投じた人を批判するのは些か考えものかも知れません。よしんば『止まるんじゃねぇぞさん』の順位が無効になったところで、次に控えているのがキラさんとかブシドーさんとかメタル刹那さんとかプッツンカミーユさんとかコロニー落としガトーさんとか邪悪なミンキーモモさんとかヅラとかコイツらはコイツらでどうかしている連中ばかりなので、最古参の主人公二人がワンツーフィニッシュ&最新作の女房役が三位というのは順当とはいえなくとも、無難な結果なのかなぁ。それとヤザンが意外と人気ないのに驚いた! オールドタイプ最強パイロットのヤザンはベスト20入りは確実と思っていたので。あとは私のお気に入りの女性キャラクターの大半が入賞していないのには怒りを通り越して、溜息しか出ませんでした。特にナナイとマウアーが選外だと? お前らは『恋愛』と『結婚』の違いを何一つ理解していない……と独身の私が声をあげても説得力ゼロか。

ここまでキャラクターベストランキングのことしか触れていませんが、作品&MS&曲のランキングは無難ながらも概ね納得できる内容でしたので、こちらに関しては特に感想はなし……というか、番組自体もそんなに面白い訳でもなかったからなぁ。基本的に雛壇トーク形式が苦手なうえ、生アフレコも谷啓にガチョーンをやってとお願いするみたいでイマイチ乗れないのよね。そんな訳で概ねスキップ&倍速で鑑賞した『ガンダム大投票』。それでも見所というか、見てよかったと思えたのは以下の二点。少ない。

 

 

1.四分六で趣味

 

榊原良子さん「富野さんがスタジオに来て、色々とアドバイスしてくれたり、ダメ出ししてくれるのですが、私の横……床に跪いて、私に言ってくれるんですね」

 

ハマーン様役の榊原さんへの演技指導の一環……と見せかせて、恐らくは単なる御大の趣味ではないかと邪推してしまう富野監督の対応。カテ公の中の人が聞いたら、自分が会った富野由悠季は同姓同名の別人ではないのかと勘繰ること必定ですね。しかし、それが『暗黒の女帝』のキャラクターを引き出したと思えば、結果的に名采配といえるでしょう。サンキュートミー。こういう逸話を聞くと、御大って舞台監督に近い感覚の持ち主ではないかと思えてきます。何か『ガラスの仮面』でありそうな話じゃあないですか。御大と榊原さんの逸話というと、シャアとハマーンが『ヤッた』or『ヤッてない』で議論になった話がよく囁かれますが、今回みたいなエピソードもあったのね。尚、私は熱狂的な榊原さんファンですが、シャアとハマーンの関係については御大説支持派。シャアは他人に興味がない私生活が退屈な男なので、深い関係になっていたら、ハマーン様のような『おぜうさま』は素のシャアに幻滅すると思うのよね。手が届きそうで届かないアイドルへの憧れに近い感情があるから、ハマーン様は面倒臭いまでにシャアを追い回すのではないでしょうか。

 

 

2.二つとも金塊絡み

 

富野由悠季「シャアが金塊を渡したってことで『コイツら全部を買収したんだよね』ってことを、これだけで見せちゃう。アニメーターの凄いのは、これ(アタッシュケース)を降ろす時の『ゴトッ』ていう(動作)

 

今回一番『へぇ~ボタン』を連打したくなったエピソード。『CCA』は何度も見ている筈でしたが、恥ずかしながら、御大の解説を聞くまで気づきませんでした。普通にアタッシュケースを置くだけでもストーリー上は特に問題ないのですが、そこに『アタッシュケースの重さの演技』を加えていたのか。シャアの阿漕さを見た目でも表現していたのね。流石は作画監督を殴ると現場の作業が滞るので、代わりに制作進行を殴った御大。アニメーターの仕事に対する論評は的確です。みゃーもり涙目。

もう一つはシャアの手紙&金塊を受け取ったセイラさんが自室で泣き崩れるエピソード。あれが御大一番のお気に入りのシーンとは思いませんでした。確か、テキサスコロニーで再会したシャアとセイラの会話から、ジオン家とダイクン家の暗闘やシャアの復讐の動機が語られる回でしたね。これもストーリー上はそちらのほうが重要なのですが、御大はアルテイシアというキャラクターが作り手の思惑を越えて、自らの意志で『動いた』ことのほうが感慨深かった模様。ストーリーはセンスやテクニックで補うことはできるが、キャラクターは違う。『Gガン』と深い関わりを持つ某炎上漫画家の台詞を借りると『キャラクターは死ぬ思いで生み出すか、或いは自分の脳内を通じて、果てしなく続いている別空間の中から探し出してくる』ものです。それ程に生きたキャラクターを創作するのは難しい。デザインの流行り廃り、特に露骨に視聴者の好みの移り変わりが激しい女性キャラクターの中で、セイラさんが登場から四十年が経過した現在のランキングでもハマーン様、マリーダさん、ラクスに次ぐ票を獲得した要因も、その辺にあるのかも知れません。尚、くどいようですが、私の推し女性キャラは大半が圏外。世間に見る目がないのか。私の趣味が悪いのか。多分後者。

 

 

 

荒川弘版『アルスラーン戦記』第57&58&59章感想(ネタバレ有)

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三カ月ぶりとなる『荒川版アル戦』感想記事。特に深い原因はなく、純粋に感想を書く時間と根気が続かなかったという個人的な理由のためです。昨年末に発売された原作最終巻の衝撃の余波ではありません、多分。その田中センセは四月号の巻末コメントで、

 

田中芳樹「中国の宋の時代を舞台にした新作小説、順調に筆が進んでいます」

 

との旨を発表。公にコメントする以上は上梓の時期も見えていると信じたいですが、何分にも遅筆で知られる御方ですので、一度ドツボに嵌ると筆がピクリとも動かなくなるのではないかとの(自分の感想記事の遅れを遠い棚にあげた)不安が拭えません。題材については先月、友人と色々と議論した結果、消去法で包晴天孟珙ではないかという仮説で落ち着きました。何れにせよ『創竜伝』の完結は暫くお預けになる模様……まぁ、拙劣に手をつけられて竜堂四兄弟が小早川奈津子に鏖にされるという類のオチになるよりはマシと思うことにしましょう。何せ『アル戦』がああでしたからね、仕方ないね。

尚、現時点では他にも『龍帥の翼』と『ブララグ』の感想記事も滞っていますが、ちょっと手が回らなそうなので、そちらのほうは暫く封印することにしました。何卒、御了承頂けると幸いです。今回は三カ月分まとめての感想なのでポイントは7つと多め。下記のポイント以外ではヒルメスの陣営に情報を持ってきたパルス人が『自分たちはイアルダボート教に改宗した』と虚偽の申し開きをする場面が秀逸でした。原作にはない描写ですが、確かにヒルメス軍は形式的にルシタニア軍に属している以上、パルス人が好き好んで出入りする筈がありません。このワンクッションで物語のリアリティが一桁UPしていると思います。神は細部に宿る。蓋し至言ですね。

 

 

1.ジュスラン「稀によくある」

 

アンドラゴラス「『オスロレスの妻に子が生まれれば』王統は続く。『ただし』」

サーム「? 『ただし』?」

アンドラゴラス「ゴニョゴニョゴニョゴニョ」

 

原作ではアンドラゴラスの口からガッツリと語られたヒルメス出生の秘密。アンドラゴラスが述べたように彼が嘘をついているかも知れない&アンドラゴラス自身が誰かに騙されているかも知れないものの、読者の間ではパルスの史実として認知されている事案でしたが、原作と異なり、この場面のネタバレは回避されました。実際、原作では王家の秘密が明かされてしまって以降、己をパルスの正統なる国王と自負するヒルメスの言動全てが、読者の目にはピエロ同然に映ってしまっているので、この改編はアリだと思います。ダリューンに匹敵する武人であり、敵にナルサスさえいなければ、パルスの王位につけたかも知れない器量人として設定しておきながら、要所要所でヒルメスsageに余念のない田中センセは、恐らくはヒルメスが好きではないことが窺えます。多分、ギスカールのほうがランキングは上でしょう。

 

 

2.ぐう有能

 

ボダン「くぁwせdrftgyふじこlp!」

ルシタニア兵「おのれ、神旗を焼くとは罰当たりの異教徒共が! 八つ裂きにしてくれよう! 地獄に叩き込むべし!」

 

エクバターナでパルスの神々に関する書物や彫像の数々を業火に叩き込んでおきながら、この物言い。ボダンはこうでなくちゃあいけません。ルシタニア軍も序盤の狂騒が収まり、ギスカールやボードワン、モンフェラートといった理性派の苦労が描かれる頃合いになりましたが、ボダン一人は最期の最期まで登場時のテンションを維持したままで終わる稀有なキャラクターです。銀英伝のアンドリュー・フォークに通じるものがありますね。同じ悪役、敵役、憎まれ役でもギスカールやラングといったキャラクターにも一定のファン層が存在しますが、フォークとボダンのファンという方は寡聞にして存じあげません。まぁ、ギスカールやラングは人間的にアレでも一応有能だからね。

有能といえば、この三カ月分の連載の中で最も有能なのはサームでもヒルメスでもなく、上記のボダンの声にならない怒声を翻訳したルシタニア兵でしょう。あんな人外の絶叫をよく聞き取れたものです。尤も、彼が気を利かせて『聖堂騎士団は自重せよ』と翻訳していたら、パルス軍に手痛い敗北を喫することもなかったかも知れません。『主、誤テバ背キテモ之ヲ正ス、即チ之ヲ忠トイフ』。真の能臣とは上司の考えを斟酌するだけでは務まらないんやね。

 


3.エルラッハ「敵前回頭は危険」

 

ルシタニア騎士「イアルダボート神に栄光……あれ?」

クバード「悪いな、酔っ払ってて加減がわからん(ズバー

 

恐らくは素面でも手加減する気は全くなかったに違いないクバードさん。先月号で『生きていればこそ、気に入らんルシタニアの阿呆共をぶった斬ることもできる』と豪語していたのを忘れてしまっているようです。敵軍のみならず、味方のザンデからもドン引きされるレベルの暴れぶりを見せておきながら、よくもいけしゃあしゃあと……まさに『ホラ吹きクバード』の面目躍如。

この場面、何気に好きなのはルシタニア聖堂騎士団の戦術もキチンと描いていること。原作ではヒルメスに側背を衝かれながらも、パルス軍の本陣目指して猪突猛進するだけの聖堂騎士団でしたが、本作では前面と側背から包囲される前に敵中を突破~丘陵地帯の頂上で部隊を再編~斜面からの逆落としを食らわせるつもりで動いていたと描かれていました。なかなかの臨機応変ぶりです。ボダンがアレなだけで、聖堂騎士団自体は結構手ごわそう。まぁ、そんな聖堂騎士団の反応を事前に全て読み切っていたからこそ、サームは丘の陰にクバードの部隊を伏兵として潜ませていたのでしょう。サーム、なかなかの策士。城塞戦のスペシャリストという設定ですが、平地での会戦にも長じているようです。

 

 

4.美女は国の宝

 

クバード「ここしばらく、放浪がてら目につくルシタニア兵をぶった斬っておったのだが……その中で『アトロパテネでカーラーンが寝返ってくれたのでパルスに勝てた』とほざく奴がいてな」

ザンデ「裏切ったのではない! 父は誰よりもパルス王家に忠誠を尽くしていた! 裏切りではない……! 裏切りでは……」

 

その用兵と同じく、最初の一手で相手の急所を直撃するクバードの容赦ない口撃。完全にハナからヒルメスに対して、喧嘩腰で臨んでいます。のちにアルスラーンの元に参じた時はファランギースがいたから大人しく従っただけで、美人の仲介人がいなければ、アルスラーンに対しても無礼な物言いで臨んだ可能性大。逆にいうとヒルメス陣営の弱点はナルサスのような軍師の不在よりも、ギーヴやクバードといった好色漢を繋ぎ留めておく美女がいなかったことといえるかも知れません。

父親を裏切り者呼ばわりされたザンデさん。某スズムシのように『裏切ったのではない。表返ったのだ』と開き直れればよかったのでしょうけれども、そういう臨機応変さ、或いは節操のなさとは無縁なのがザンデの長所であり、欠点です。しかし、クバードにはヒルメスがパルスの正統なる王位継承者であることをサームが明かしているのですから、ここは、

 

ザンデ「ルシタニアに味方したのは一時の方便! 機会を見て連中を追い払い、パルスの正統なる王位を復活させる!(キリッ

 

と素直に話しても問題なかった気もします。まぁ、素直に話したところでクバードが味方になる可能性はゼロなのですが、少なくとも、気分的にはスッキリするでしょうし。或いは上記レベルの台詞が咄嗟に口をついて出ないくらいに朴訥なのでしょうか。それはそれで、ヒルメス陣営の深刻な人材不足を象徴するシーンではありますが。

 

 

5.グロ注意!

 

サンジェ「偽の密書を掴まされたうえに、この有様……お役目を果たせず、申し開きのしようもございません」

 

ナルサスが仕掛けた味方への『人間性クイズ』最大の被害者であるサンジェの焼き土下座シーン。しかし、亡きヴァフリーズとバフマンしか内容を把握していない密書が、何も知らない魔導士に簡単に贋物と判ってしまうのも意外な気がします。ナルサスのことですから、奪われたあとの時間稼ぎも考えて、一見もっともらしい文面を記入しておいてもおかしくありません。魔導士が密書を贋物と判断した基準が知りたいものです。やはり、以前の記事で予想したようにデカデカとハズレと書いてあった可能性大。

そして、贋物を掴まされたとはいえ、片腕を喪ってまで任務を果たそうとしたのですから、読者的にもサンジェへの温情措置を期待していましたが、まさかの、

 

「わしは今、機嫌がよい」 咥内&傷口への毒蛇注入

 

というハイパー御仕置グロ展開。原作にはないオリジナル&ページを跨いだ『めくり』の仕掛けで、サンジェの驚愕を読者にも疑似体験させる荒川センセ半端ねぇ。

 

 

6.Don't Think. Feel.

 

ジャスワント「やかましい! 俺が黒犬なら貴様はなんだ! まぬけ面のロバめが!」

ザラーヴァント「このっ……シンドゥラ語はわからんが、賞賛されてるのではないことはわかるぞ!」

 

自慢にならないことを大声で主張するザラーヴァント。相手の言語は判らないが、悪口だけは理解できる勘のよさは『修羅の門』の陣雷に通じるものがあります。尤も、ザラーヴァントは個人的な武勇のみならず、土木建築の才にも恵まれたテクノクラートの側面もあるので、陣雷と比較されるのは不本意かも知れません。日本史でいうと加藤清正のような存在でしょうかね。陣雷? 鬼武蔵か狂犬富田やろなぁ(適当)

そのザラーヴァント。基本的にコミカライズとしては申し分のないクオリティを誇る『荒川版アル戦』で数少ない欠点といいますか。コロコロのバトル漫画で主人公に最初にボコられるライバルキャラにしか見えないんだよなぁ。もうちょい、デザイン的に何とかならなかったものでしょうか。確かに『童顔を気にしている』という設定はあるものの、あまりにも幼過ぎる感じです。今回、共にアルスラーンの元に参じたイスファーンと比べるとなぁ……というか、イスファーンはファンの間でもイケメン設定になっているけれども、原作には一言も書いていないと思ったのですが。

 

 

7.三十年目の真実

 

ヒルメス(なぜに奴にばかり将兵が集まるのだ……! 正統のこの俺に何が足りぬというのだ……!)

 

『アルスラーンの元に続々と諸侯が集結している』との報告にジェラしいヒルメス殿下。自分の元に人材が集まらない原因に全く無自覚のヒルメスですが、直前のサームの『アルスラーン殿下』という発言に対して、

 

ヒルメス「『殿下』というのは正統の王族に対してのみ、与えられる呼称だ!」

 

と王者にあるまじき『せせこましさ』で訂正を求める狭量が最大の要因でしょう。読者には判りやすく、しかし、ヒルメス本人には全く自覚がない。非常に巧い構成です。

他にも原作ではよく判らない理由で仮面を外したヒルメスですが、本作ではクバードの嫌味タラタラの捨て台詞を受けて、ザンデやサームに素顔を晒す=部下への信頼を表現するという解釈になっていました。これも巧い。いや、多分、田中センセもこういう意図で書いたと思いますが、それを敢えて文章にはしなかった。登場人物の心情を全部言葉にするのは二流三流の作品です。むしろ、その意図を荒川センセが汲み取って描くまで三十年間も気づかなかった私のほうに問題アリですね。素直に反省。そして、ヒルメスの信頼を自覚したうえで、敢えてヒルメスのトラウマである火を用いることを提言するサームという展開も燃える。ザラーヴァントの一件では色々と文句を垂れましたが、改めて荒川センセがコミカライズしてくれてよかったと思えた内容でした。

 

 

 

徒然日記 ~2018/05/15~

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先週UPした『ガンダム大投票』の記事。辛目の内容にも拘わらず、多くのコメントを頂きました。ありがとうございます。ガンダマーは皆、作品に一家言も二家言も持っているんやね。特に皆さまのキャラクターや作品のランキングは興味深く拝読致しました。開票前にUPした記事では番組企画に準ずる意味でベスト3までしか書きませんでしたが、私もベスト10を考えてみようかなぁ。でも、シュラク隊は各員個別ではなく、ユニットで評価していいか否かとか、結構どうでもいいことで真剣に悩みそう。ジュンコ姐さんもピンではベスト50位前後がいいところですが、シュラク隊一括で考えるとアムロよりも上なのよね。逆にモビルスーツは思い入れがなさ過ぎて、ベスト3以降を見つけるのに苦労しそう。ガンダム作品は好きなのにモビルスーツやガンプラには殆ど興味がないという、近所の床屋の兄ちゃんに言わせると珍種に属するガンダマーらしいですからねぇ、私。ガルパンは好きでも戦車に興味はない、みたいなものかも知れません。

今週は久しぶりの『西郷どん』感想と、こちらも久しぶりの『銀英伝』感想の二本柱。両方共、いい点も悪い点もハッキリしていた内容になりました。感想が書きやすいので有難い。

 

 

1.『西郷どん』第十八話『流人 菊池源吾』簡易感想(ネタバレ有)

 

西郷吉之助「ワイにないが判っとじゃ! 亡き殿は一番に民のこつを思うて、国のためにどれだけ尽くされたち思うとっとじゃ!」

とぅま「私らは……民のうちに入っとらんかったんじゃ」

 

おまえが一番判っていない定期。

 

『幕末の情勢は描く気ありません』といわんばかりに折り返しの二十五話まで続くらしい島編の開幕で、悪い予感しかしなかった今週の『西郷どん』ですが、バナナ共和国ならぬ、サトウキビ共和国状態に陥っている奄美黒糖地獄を描いた点は評価したい。

 

とぅま「タケ! それオハジキやない! 砂糖や!」

 

という逆火垂るの墓みたいなシチュエーションも、島民が生産の過程で指先についた黒糖を舐めただけで薩摩の役人にボコられたという奄美の状況を伝えるには好適であったのではないでしょうか。吉之助サァが斉彬の蘭癖の負の側面に気づかされたのもよかった。尚、この後も奄美や琉球では上杉茂憲を除き、大概な連中による統治が続いた模様。サンキュー米沢藩。フ〇〇キュー大島商社。惜しむらくは吉之助サァが藩費を蕩尽していたことを悔やむ場面。第一部での政治工作の描写がキチンと描かれていれば、己の足元を見つめ直した吉之助サァが政治家として一皮剥ける=敬天愛人思想に目覚める契機として成立したのですが、如何せん、彼が江戸でやったことといえば、

 

佐内と共にヒー様の薄い本を作った

 

くらいなので、吉之助サァの反省が親の仕送りを趣味に浪費していたドラ息子の悔恨レベルに留まってしまったのが残念。

しかし、それ以上に気になったのは月照どんとの入水に関する描写が殆どなかったことでしょうか。せめて、両名の捜索&引き揚げシーンは欲しかった。歴史監修の磯田さんも述べておられたように、月照どんとの入水は後年の吉之助サァの人格形成の肝なのですよ。

 

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり。此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」

 

という西郷の言葉がありますが、こうした死を恐れない西郷の自殺モラトリアム的言動は月照どんとの入水で死に損ねたことが根幹にある。自分は月照どんと共に死んでいた筈の身だから、今更、死を恐れることはないという思考ですね。通常の政治や軍事は生き残る方策を探るものなのに、西郷の判断には常に死への傾斜がある。これが相手の読み筋を狂わせて、西郷に明治維新という革命を成功せしめた&逆に西南戦争の時には半ば自滅に近い戦略を選んだ要因ではないかと思うのです。更に個人的な意見として、この時の西郷はもっと激烈な体験をしており、それが自殺モラトリアムよりも遥かに深刻な爪痕を心に残したのではないかと考えていますが、これは証拠どころか傍証さえなく、多分にオカルティックで品のない推測になってしまうので、ここでは差し控えさせて頂きます。ともあれ、西郷にとっての月照どんとの入水は陸奥九十九にとっての兄・冬弥との闘いに匹敵する事件であり、そこを掘り下げなかったのは結構なマイナスポイントではないでしょうか。今回の出来自体はまずまずよかったものの、斉彬の懐刀としての活躍や、人格形成に多大な影響を与えたであろう事件に関する描写の不足は、確実に今後の展開に影を落とすことになると予想してみます……って、これと似たようなことを序盤の斉彬の描写で書いた気がする。歴史は繰り返すのか?

 

 

2.『銀河英雄伝説 Die Neue These』第6話『イゼルローン攻略・前編』感想(ネタバレ有)

 

ヤン「エコニア以来ですね」

ムライ「貴方が私を指名してくるとは意外でした」

 

何てアメリカンなムライさんだ!

 

CVが大塚芳忠さんということでアメリカ西海岸の匂いをプンプンと漂わせているムライさん。このキャスティングは読めなかったぜ! しかも、容貌はどう見ても『水曜どうでしょう』のヒゲ魔神。

 

ムライ(イゼルローン)要塞をキャンプ地とする!」

 

と言い出しても違和感ないレベル。あらゆる意味で旧版と真逆の印象を受けたものの、しかし、これも不思議なことに違和感を覚えませんでした。冒頭のヤンとムライの会話が外伝『螺旋迷宮』を踏まえた内容であることからも察せられるように、新編スタッフが原作を読み込んでいるのは伝わってくるので、ストーリーの根幹に関わる場面以外での脚色やオリジナリティの発露は許容できるのではないでしょうか。それこそ、外伝ネタでいうとイゼルローン攻略の嚆矢となった偽装帝国艦の件。原作&旧版では同盟軍に追撃されているというシチュエーションでしたが、よくよく考えると帝国艦が一隻で同盟領方面から逃げてくるというのは些か現実離れしています。この辺、新編は同盟領内で諜報活動をしていた艦という体裁でイゼルローンに接触を図っていました。これは旧版の外伝、しかも、原作のないOVAオリジナル『奪還者』でラインハルトが従事した秘密任務を踏まえた改編でしょう。原作に新しい解釈を加えたうえで、旧版へのオマージュも欠かさない。見事な改編であったと思います。

一方、納得できない点は二点。一つはブルームハルトのキャラクターデザイン。ストーリーの根幹に関わる場面以外の変更はアリとはいえ、幾ら何でも老け過ぎ&ゴツ過ぎ。シェーンコップよりも年長に見えるのはイカンでしょ。あれじゃあ、デア・デッケンじゃあないですか。もう一つはヤンとシェーンコップの会話。

 

ヤン「吾々がつぎの世代になにか遺産を託さなくてはならないとするなら、やはり平和がいちばんだ。そして前の世代から手渡された平和を維持するのは、つぎの世代の責任だ。それぞれの世代が、のちの世代への責任を忘れないでいれば、結果として長期間の平和がたもてるだろう」

シェーンコップ「…………」

ヤン「要するに私の希望は、たかだかこの先何十年かの平和なんだ。だがそれでも、その十分の一の期間の戦乱に勝ること幾万倍。私の家に十四歳の男の子がいるが、その子が戦場に引き出されるのを見たくない」

 

これ、本作屈指の名台詞で、ほぼほぼ原作通りに放送してくれたスタッフに感謝ですが、実はヤンの真骨頂は、この二つの台詞に挟まれていたのにカットされた部分にあると思うのですよ。それはこれ。

 

ヤン「責任が忘れられれば先人の遺産は食いつぶされて人類は一から再出発ということになる。まぁ、それもいいけどね」

 

どうです? 最初に紹介した二つの台詞だけだとヤンはいい人に見えますけれども、カットされた台詞が入ると結構な変人に思えませんか? その通り、ヤンは自分が生きている時代も何処か醒めた目=後世の歴史家の視点で見ている変人なのですよ。恐らく、最初に紹介した二つの台詞は明確に理論化・言語化はされていないものの、同じことを考えている人物は少なくなかった筈です。レベロとかビュコック爺さんとかね。でも、

 

「人類が愚かな戦争に果てに一から出直すことになったとしても、それはそれでまた歴史の1ページさ」

 

という遠大過ぎる歴史観、突き放した社会観の持主はヤンしかいない。ユリアンに『提督の御先祖はどんな方か』と尋ねられた際に十億年前に地球の原始海洋でクラゲみたいにプカプカと浮かんでいたと答えるような人間を変人と呼ばずして何と呼ぶべきでしょう。

要するにヤンとシェーンコップの会話で最も重要な点は、ヤンの見識の高さやいい人さではなく、シェーンコップという札付きの不良軍人の目にも常識外れに見えるヤンの浮世離れ感、特に軍隊という組織の中での異端児ぶりを描くことだと思いますが、今回の内容では上記の台詞がカットされたため、ヤンのいい人ぶりのみが印象に残る結果となりました。まぁ、この台詞は旧版でも用いられませんでしたが、旧版ではヤンが己の見解を淡々と述べるのをムライたちが若干ヒキ気味に聞いているので、ヤンの変人ぶりは相応に描けていた。その点、新版はヤンの言葉に感動的なBGMを被せちゃっているのですよ。これだとヤンはいい人なだけでなく、その見解が作中の絶対的正義と受け取られてしまう危険があるんですね。『一つの正義には必ず、逆方向に等量等質の正義が存在する』と考えるヤンの思想からすると、こういう描かれ方は或いは不本意ではないかと思えます。まぁ、原作や旧版の頃はヤンのような価値観は異端児でしたが、現在では主流といえないまでも、相応に支持を得ているので、それを変人に描くのは困難との判断に拠るものかも知れませんが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『西郷どん』第十九話『愛加那』超簡易感想(ネタバレ有)

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とぅま「島の女は嫁にいくと名前が変わります。名前の下に『加那』をつけて呼びます」

西郷吉之助「ほいなら、とぅま加那は?」

とぅま「いやです、そんな心のこもっていない名前!」

西郷吉之助「心か……愛……愛はどうじゃ?」

とぅま「愛……加那?」

 

 

本名が『隆永』にも拘わらず、他人が勘違いで登録した『隆盛』という名前をそのまま使い続けたことから判るように、史実の吉之助サァは名前に無頓着な為人でしたが、愛加那命名の件はキチンとして欲しかったと思います。心=愛という発想は色々と中間点をスッ飛ばしす過ぎじゃあないですかねぇ。恐らくは心=ハート=LOVE=愛なのでしょうけれども、それはそれで当時の価値観では異端ではないでしょうか。当時のLOVEを現代で訳すと『慕う』のほうが適当かと。まぁ、本作の吉之助サァは序盤のチャン・リンシャン経由で西洋のLOVE概念を習得しているので、作中の世界観としてはギリギリ成立するのかも知れません。

 

さて、単品記事としては、実に5回ぶりとなる『西郷どん』感想。ツイッターでの録画実況でも呟いたように善いとか悪いとか以前に内容がなさ過ぎて何も書けないと思い、今週も感想記事を諦めようと考えましたが、少し心に引っかかったことがありまして、超簡易バージョンという形式でUPさせて頂きます。

上記の通り、今回の内容は薩摩の悪代官に苦しめられる奄美のために吉之助サァが一肌脱ぐというベタで中身のない展開に終始しました。特に相木市兵衛演じるダイカン・タナカによる証拠品を仕込んでの冤罪デッチあげや、とぅまに『わしのあんごになるならおやきょうだいをかいほうしてやろう』と関係を強要する#MeToo案件は、ベタな時代劇のテンプレ以上のものではありませんでした。

しかし、吉之助サァと愛加那の馴れ初めを判りやすく描こうとしたら、大抵は今回の内容と大同小異の筋書きに落ち着くのでないでしょうか。実際、日テレ版『田原坂』も似たような展開でした。まぁ、三十年以上も昔の作品から進歩していないのもどうかと思いますが、吉之助サァが地元役人の横暴を膺懲する姿に愛加那が一目惚れするというストーリーは、忠臣蔵でいう松の廊下の鮒侍発言のようなもので、視聴者に判りやすい鉄板ネタ、御約束ネタと考えることもできます。それゆえ、今回は褒める点はないけれども、批判するほどのことでもないかなぁと思ったりしました。

 

尤も、メインストーリーがベタに徹さざるを得ない以上、それ以外の場面ではオリジナリティを出して欲しかったのも事実。今回の事件は奄美というクローズドサークルで完結していましたが、折角、冒頭で一蔵サァからの手紙が届いているのですから、国元で一蔵サァが頭角を現していることをアピールする絶好の好機ではなかったかと思うのですよ。ダイカン・タナカが国元への報告書を取りやめる動機は、本編では吉之助サァの名を恐れてのことでしたが、ここは、

 

ダイカン・タナカ「菊池源吾が『あの』西郷? 下らん。先君の御寵愛を嵩に、藩を窮地に追い込んだ西郷如き輩に何の気遣いの必要やあらん」

 

と突っぱねようとしたところへ、

 

木場伝内「徒目付役大久保正助殿より、田中様に宛てられた書状にございもす」

ダイカン・タナカ「大久保……? 国元で飛ぶ鳥を落とす勢いの、あの大久保か?」

 

と驚愕。吉之助サァよりも一蔵サァの影に脅える形で報告書を諦める……という流れのほうが、奄美一島に留まらない物語のスケールを出せたのではないでしょうか。まぁ、この時期の一蔵サァは三郎の懐に完全に飛び込めていないのですが、本作は謎のLOVE理論を展開するためにイトサァの年齢を10歳も繰りあげた前科持ちですから、今更正確な時系列を気にしても仕方ありません。ラストシーンも吉之助サァと愛加那のチュッチュラブラブではなく、木場からの内々の報告書を受け取った一蔵サァが、パチリと碁石を打つところで〆れば、次回の一蔵サァ主役回(だよね?)へのヒキも完璧でしたのに……どうも本作は吉之助サァの半径5メートル圏内でしか物語を描けないという欠点がありますね。いや、まぁ、その5メートル圏内でも大したストーリーになっていないのですが……。

 

 

 

 

 

私的ガンダムランキングベスト5(ネタバレ有)

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先回の徒然日記で書いたように、今月初旬のガンダム大投票の余熱が冷めやらず、あれこれと思いを巡らせるうちに何とか形になったので、私的ガンダムランキングの解説付き発表に踏み切りたいと思います。『西郷どん』の感想? いいとか悪いとか以前にただただ薄っぺらいという印象しか持てない大河ドラマに用はない。奄美大島にチャカポンの籠が出て来た時には失笑を禁じ得ませんでしたよ。あれ、何をイメージした映像なの?

ちなみにランキングは各々、ベスト5までになりました。当初はベスト10も考えていましたが、6位以下はその日の気分でコロコロ変わっちゃうのよね。今、丁度『Z』を見直しているんですけれども、ライラやマウアーは兎も角、ジャマイカンやジェリドも結構好きになりかけている始末でして……よく、富野御大の分身はシャアであると囁かれていますが、ガンダムを越えようとしても越えられず、一歩も前に進めなくなってしまったジェリドこそが、御大の真の分身ではないかと漸く気づいた次第。俺はオールドタイプだな。尚、ランキングは作品、キャラクター、モビルスーツ、曲の順でいきます。

 

 

1.作品ベスト5

 

第5位 ガンダムビルドファイターズ(TVアニメ)

 

『人は判りあえるかも知れない』ことをシリーズ共通の主題に据えているも拘わらず、他の如何なるジャンルよりもファン同士の内ゲバが激しいガンダム作品。アナザーガンダムは一切認めないとか、懐古厨は地球の重力に魂を引かれたオールドタイプとか、ジオニストは〒口容認派とか、UCあざと過ぎ粛清されるねとか、御曹司の【ウホッ!】はOKで鉄血の【アッー!】はOUTとか……要するに一般人の目にはザクとグフ程度の違いで喧々諤々・人格否定・流血寸前の大激論に発展するのが私を含めたガヲタという存在であろう。そんなガヲタ同士が辛うじて喧嘩せずに見ることが出来る作品となると、この『ビルドファイターズ』しか思い浮かばない。本作はガヲタにとっての休戦地帯、中立宙域、サイド6といえるのではないか。尚、現実のサイド6の実情は【略

 

 

第4位 機動戦士ガンダム THE ORIGIN(漫画)

 

ガンダム好きを名乗るからにはファーストガンダムは見ておいて欲しいと思う反面、現代の視聴者に見て貰うには作画や動画がちょっとアレなのは否めない。ゲームの三国無双ファンに正史の三国志を全巻読めという要求に近いのではないだろうか。そこまで求めるのは流石に大人気ないが、しかし、全ての作品の基本となった物語は押さえて欲しいと思ってしまうのがオールドタイプのアンビバレンツである。その意味でファーストに参加していた安彦さんの手による完全コミカライズの本作は、三国志でいうところの吉川英治版や横山光輝版のようなもので、原作の要素と現在的な表現がいい塩梅でミックスされており、初心者にも安心してオススメできる。小学生の頃、私からプレゼントされたオリジンの1&2巻の続きを全部自分の小遣いで購入して、今では立派なガヲタ&ミリオタの道を邁進している私の甥っ子が何よりの証拠であろう。兄貴、正直スマンかった。

 

 

第3位 機動戦士Zガンダム(TVアニメ)

 

定期的に見返したくなる衝動に駆られる作品が二つある。一つは司馬遼太郎の『峠』。そして、もう一つが『Zガンダム』である。両作品の間には全く共通点がない(と思う)ので、完全に私個人の嗜好に拠るものであろう。特に精神的にキツイ時に無性に見たくなるのが私のドM嗜好を反映している。或いは『どんなに辛い状況でも継サやカミーユに比べたらマシ』と思い込もうとする心理が無意識に働いているのかも知れない。『スプートニクス2号で宇宙に放り出された挙句、大気圏の塵になった犬のクドリャフカを思えば、どんな苦労も耐えられる』と自分を慰める某筋肉系ミュージシャンの発想に近い。ちなみに今月前半は『峠』を読破。後半は『Z』のカツとサラが出会う回まで見た。コイツは我ながら色々とヤバイ感じだぜ。

 

 

第2位 機動戦士ガンダム0080 ~ポケットの中の戦争~(OVA)

 

誤解や反感を恐れずに断言すると、本作に登場した或る人物の最期は完全に徒死である。彼は結果的に全く実行する必要のない作戦に身を投じた挙句、仄かに心を寄せていた女性の手でミンチよりも酷い最期を迎えることになった。彼の奮戦と犠牲でコロニーの平和が守られた……などという儚くも永久のカナシい物語ではなく、頬が絶対零度で凍りつくレベルの冷たく乾いた笑いしか浮かばない結末。それがポケ戦の真実である。

しかし、戦場における死とは概ね斯くの如きものではないのか。『UC』の原作者・福井晴敏氏が『戦場における死の99%は劇的さとは程遠いもの』と述べたように、自らが死ぬ意義を見出すことの出来た兵士は、生還した兵士の次に幸福ではないのか。そんな戦場の残酷な現実を、市井の少年の目を通じて視聴者の脳裏に焼きつけるという鬼畜極まる構成。夏に『火垂るの墓』を放送するのであれば、冬の金ローで『ポケ戦』を一挙放送して欲しいと切に願う。それにしても、この作品を制作したのがあの山賀博之氏とは……それが本作の一番のサプライズといえるかも知れない。

 

 

第1位 機動戦士ガンダム ~逆襲のシャア~(劇場アニメ)

 

『逆襲のシャア』とは『涼宮ハルヒの消失』である。

 

何を言っているのか判らねーと思うが、要するに劇場版に至る原作、乃至はTVアニメ版を全編(含む『ZZ』&『エンドレスエイト』)見ていないと、真の面白さは判らない。しかし、それらを踏まえた視聴者にとっては至高の作品足り得るということである。更にCCA後の宇宙世紀作品、UCやF91やVを見たあとで鑑賞すれば、本作のラストで起きた奇跡の解釈も様々に膨らむ。あらゆるガンダム作品を一つの山脈と定義するのであれば、CCAはその最高峰と位置づけられるのではないか。富野御大は本作でバトルシーンを入れ過ぎたと自省しているが、現時点のガンダム作品で本作を凌ぐ戦闘場面は見たことがない。アムロが背中にマウントしたままのバズーカを放つ場面は今でも鳥肌もの。キリングマシーンアムロの面目躍如である。

 

 

2.キャラクターベスト5

 

第5位 ヤザン・ゲーブル(機動戦士Zガンダム&ガンダムZZ)

 

人として生まれ、男として生まれたからには、誰だって一度は地上最強を志す。主人公補正もライバル補正もニュータイプ補正もない。純粋なパイロットの力量として最強の座に最も近いキャラクター。嘗て最強を目指した全ての男性視聴者の憧れ。それがヤザン・ゲーブルではないか。粗にして野だが卑にあらず。主義も信念も理屈も持たない適度の無頼感。部下や同僚に対する面倒見のよさ。そして何よりも、

 

カツ・コバヤシを葬った功績

 

は、子々孫々に至るまで語り継がれる快挙であろう。尤も、ティターンズ壊滅後のZZでの凋落が示すように、ヤザンのオラつき具合は軍隊という組織の後ろ盾があってこそではないかと思い始めてもいるのだが。

 

 

第4位 リオ・マリーニ(機動戦士ガンダム)

 

ガンダム作品で最も有名なモブキャラ。簡単にいうと脚なんて飾りですの整備兵である……というか、この名前も完全に後づけでしょ? しかし、シャアとの間で交わされた、

 

ジオングの性能は100%出せる=自らが整備を担当した機体への自負

偉い人は脚が飾りなのが判らん=現場の苦労や業績を理解しない上層部への不満

アンタのNT能力は未知数なので戦果は保障しない=真面目さゆえの直截な物言い

気休めかも知れませんが、大佐ならうまくやれる=それでもフォローする優しさ

 

この遣り取りで、ガンダムはロボットアニメに留まらない、リアルSF戦記というジャンルとして確立したと確信している。ガンダムがガンダムになった場面と評してもよい。シャアとリオの会話は何ともリアルではないか。メカや設定ではなく、そこに登場する人間に現実味があってこそ、物語はリアルを獲得するということを象徴するキャラクターである。

 

 

第3位 ムルタ・アズラエル(機動戦士ガンダムSEED)

 

盟主王あずにゃんが第3位という時点で、選んだ人間の変人ぶりが窺えるとの自覚がある反面、コイツを選ばずして誰を選ぶとの自負もある。まず、あずにゃんはNジャマーキャンセラーの存在を見抜いたように基本的に有能である。次に常に最前線に身を晒したことから判るように、己の生命を惜しむ臆病者ではない(フォークとは違うのだよ、フォークとは)。更に如何に卑劣な手段を用いてでも味方の損耗は極力避ける方途を探る。そして、彼の口から発せられる言葉は常に正論である。これらの条件と合致するキャラクターが実は他作品に一人だけ存在する。

 

あのオーベルシュタインである。

 

銀英伝のキャラクターベストでヤンとメルカッツに次ぐ第三位に軍務尚書を推す私としては、ガンダムのキャラクターベストであずにゃんを同じ順位に挙げないのは不公平ではないかと思い、ランクインさせた次第。まぁ、一方で権力者が唱える正論ほどに危険なものはないとも思うが。

 

 

第2位 ナナイ・ミゲル(機動戦士ガンダム~逆襲のシャア~)

 

ナナイ・ミゲルは盲愛の女性である。NT研の所長にして、ネオ・ジオンの戦術士官を兼ねる才媛。上司の愛人枠という事実に基づく陰口を実績で捻じ伏せる芯の強さと、それを包む理知的な性格。恐らく、ナナイという女性は如何なる時代、如何なる地域に生まれても、成功者としての人生と最良の伴侶を約束されていたに違いない。それにも拘わらず、彼女が己の生涯を捧げたのは寝言で死んだ恋人の名前を呟く男であった。全くもって盲愛の女性と呼ぶしかない。美貌と才幹に恵まれたナナイであったが、唯一、男性を見る目には恵まれなかった。否、ナナイは己が『シャアが総帥として振舞うための小道具に過ぎない』ことを理解したうえで、シャアに尽くしたのであろう。益々もって盲愛の女性である。しかし、ナナイが初めて男に縋ろうとした時、相手の口から出た言葉は、

 

シャア「男同士の間に入るな!」

 

であった。控え目にいってクズだよね。美貌と才幹を誇る理知的な女性が、惚れたダメ男にボロクズのように捨てられる顛末は悲惨の一言に尽きるが、しかし、私のような歪んだ歴史観、人物観を持つ人間には、それが堪らない魅力である。ちなみにナナイの次に好きな女性キャラクターはマウアー・ファラオ。ダメ男に尽くす女性が好きなのか、俺は?

 

 

第1位 シャア・アズナブル(機動戦士ガンダム&Zガンダム&逆襲のシャア)

 

ナナイの項目で散々クサしておきながら、しかし、シャア・アズナブルというキャラクターの魅力は些かも損なわれることはない。寧ろ、人間的な欠陥こそがシャアの魅力と評しても過言ではない。クワトロ時代のシャアから入った私にとっては猶更である。とっくに正体がバレているのにグニャグニャグニャグニャと理屈を捏ねて事態を収拾しないクワトロの物言いは、コンニャクドラゴンと呼ばれた某新日本プロレスの社長の言動と瓜二つで、プヲタでガヲタの友人と比較ネタにして楽しんだものである。別にカッコいいシャアを否定している訳ではありません、念のため。でも、シャアって何かにつけて自己確認の言葉をブツブツと呟くところとか、どこかオタク臭いんだよなぁ。それもオタクウケする理由なのかも。

 

 

3.モビルスーツベスト5

 

第5位 ハンブラビ(ティターンズ)

 

一応、ランキングを考えたものの、実はモビルスーツには殆ど興味がないのである。モビルスーツの開発史や変遷は面白いと思うが、メカやガンプラには殆ど興味を抱かないというバンダイ泣かせの珍種に属するガヲタである。でも、ビルドファイターズは好き。矛盾しているなぁ。このハンビラビも最も好きなパイロットであるヤザンの愛機(シャアは芸人枠なので除く)という以上の意味はない。

 

 

第4位 バスターガンダム(地球連合軍~ザフト~地球連合軍~クライン派)

 

自分が乗ることを想定した選出。バズーカをブッ放すだけというシンプルなコンセプトなので、操縦が面倒臭くなさそう。でも、同じコンセプトでもボールは勘弁して欲しい。

 

 

第3位 デルタプラス(地球連邦軍)

 

可変機の中で最もスタイリッシュなデザイン&変形機構を誇る機体。リゼルの変形機構も好きだけれども、あれはWR形態に厚みが出てしまうからなぁ。

 

 

第2位 ガンダムエクシア(ソレスタルビーイング)

 

主人公が機体を乗り換えるという『Z』以降の(善かれ悪しかれ)伝統の影響で、最初の主人公機は気持ち抑え目で無難なデザインにされるのが通例であるが、エクシアは『OO』が2クール×2の分割放送ということもあってか、最初からトンがっていた。全ガンダム作品の中でも珍しい、後継機よりもカッコいい主人公機(主観)

 

 

第1位 キュベレイ(アクシズ)

 

モビルスーツへの興味に乏しい私が唯一、惚れ込んだ機体。ノーブルなカラーリング。流麗なフォルム。シンプルでタフな武装。そして、パイロットの才幹とカリスマ性。全てにおいて申し分なしのモビルスーツである。この美しいモビルスーツに無粋なキャノンをつけて量産したグレミーを許すな。

 

 

4.ガンダムソングベスト5

 

 

第5位 ヒューマンタッチ(機動戦士ガンダムX)

 

先日放送された『ガンダムヒストリア』のように全ガンダム作品を紹介する番組が制作されたとして、そのエンディングで何を流して欲しいかと考えた時、真っ先に思い浮かんだ曲。独立戦争、ニュータイプ、キレる若者、貴種流離譚、ラプラスの箱、ガンダムファイト、完全平和主義、遺伝子改造、未知との遭遇、止まるんじゃねぇぞ、etc.etc.……と何でもありのごった煮状態となったガンダムの世界観を一つに束ねる力を持つのは、この曲しかないのではないか……というか、他の曲が色々と切な過ぎるんだよなぁ。あ、勿論、間奏の部分では『月は何時もそこにある』のナレーションを挿入して下さい、お願いします。

 

 

第4位 月の繭(∀ガンダム)

 

アニソンの名曲には二種類ある。一つは作品の世界観と魅力を増幅するもの。もう一つは曲単体で完成しているもの。そして、この『月の繭』は双方の条件を満たした稀有な存在であろう。月の女王が眠りにつく地球を繭に見立てて、生と死のメタモルフォーゼを謳いあげる詞は『∀』の最終回を過不足なく表現しており、作品のラストシーンの感動を増幅することに成功している。そして、幻想的な詩とメロディラインは『feel』や『image』といったヒーリングミュージックのアルバムに収録されていても違和感はない……というか、もう収録されているかも? 個人的には『コスモスに君と』で『愛や人生は傷を舐めあう道化芝居! 人間の愚かさは死ななきゃ治らない!』と刹那的な詩を書いていた御大が、本作では『地球という繭の中で生と死を繰り返しながらも、人は何時か次のステージにあがってゆく』と前向きなフレーズを使ってくれたのが嬉しかったりする。

 

 

第3位 哀・戦士(劇場版機動戦士ガンダム ~哀・戦士編~)

 

こちらは完全に作品の世界観や魅力を増幅することに特化した曲。ぶっちゃけるとランバ・ラルとクラウレ・ハモンのテーマソングである(異論は認める)。歌詞の内容は千古不変の戦場の在り様であり、その意味では単体で名曲足り得る要素も備えているといえなくもないが、この曲は『哀・戦士編』以外の他の作品で使いようがないのも確かだからなぁ。何気にカラオケで一番燃える曲でもある。

 

 

第2位 時空のたもと(機動戦士ガンダム MSイグルー)

 

先日のガンダム大投票ではランキング圏外となった『MSイグルー』の主題歌が第2位。いや、幾ら何でも『アニメじゃない』よりも下というのはあり得ないと思うのだが……単純な作品の知名度・認知度の差と思いたかったが、個人的第6位の『Life Goes On』もランキング圏外……何でや! シン・アスカとかいう『種運命』の負の側面を一身に背負わされてしまった主人公のテーマソングとして申し分なかったやんけ! 私のセンスは世間一般と大きくかけ離れているのかも知れないとの疑念が確信に変わった一夜であった。

 

 

第1位 暁の車(機動戦士ガンダムSEED)

 

『3年B組金八先生』第2期のクライマックス。『卒業式前の暴力』で加藤と松浦が警察に連行されるシーンで流れた中島みゆきの『世情』。思春期の多感な時期に斯くも完璧なドラマと音楽のマッチングを見せられてしまって以降、殆どのタイアップ曲には不感症に近い状態に陥っていたが、オーブ脱出戦で流れた『暁の車』を聞いた時は本当にグッと来た……つーか、正直泣いた。『種』は作品の評価はハッキリと別れるけれども、ストーリーと音楽の組み合わせは神懸っていたなぁ。『舞い降りる剣』と『ミーティア』も捨てがたい。この『暁の車』はガンダムソングやアニメソングに留まらず、私的名曲のベスト20入りが確定している。ちなみに原曲よりもピアノソロから入るバージョンがオススメ。

 

尚、ワーストキャラクターはカツ・コバヤシ、アリー・アル・サーシェス、イオク・クジャンの三名。こいつらは冗談抜きで万死に値すると思う。何かと悪評高いニナやカテジナやフレイは、私個人が強烈な女性不信を患っている所為か、あのレベルでは何とも思わなかったりする。実生活でもっと手酷い裏切りをされたことあるからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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小奈翁と法律と教育のこと

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山田顕義。幼名を市之允(いちのじょう)

幕末から明治の歴史に於いて、私が好む人物の一人である。山川浩の記事では構成上、損な役回りを振ってしまったが、市之允に対する愛着は山川へのそれに劣るものではない。

 

戊辰戦争では新政府軍の参謀の一人に任ぜられた。新政府軍の前線指揮官の中で、市之允ほどに軍事の才能に恵まれた将帥は稀であったろう。彼の用兵は局地戦の勝敗に目を囚われない、高い戦略性を眼目としていた。北越戦争の際、山縣狂介率いる新政府軍と長岡軍が榎峠や長岡城を獲ったり獲られたりしている間、市之允は軍艦を率いて、長岡の後方にある新潟を陥落せしめた。後方の補給基地と奥羽諸国との連携の要衝を絶たれた長岡軍は溶け落ちるように崩壊。長岡の執政・河井継之助は敗走先の会津で陣没する。この時、市之允は二十四歳。若い人材が中核を担った新政府軍の中でも、際立って年少の将帥であった。

その才幹は黒田了介(清隆)と共に事実上の総司令官を務めた箱館戦争でも遺憾なく発揮された。青森を発した新政府軍は箱館海軍の制海権の及ばない乙部に上陸。江差を橋頭保として、松前口、木古内口、二股口、安野呂口の四つのルートから五稜郭を目指した。敵の三倍近くの兵力を有しているとはいえ、徒に兵力を分散させて、戦線を拡大するのは兵法の固く戒めるところであるが、市之允は敢えて用兵の禁忌を弄んだ。箱館攻めの新政府軍は弘前や松前といった現地調達兵が大半を占めており、主戦力となる薩長軍は全体の一割強に満たない。味方の戦力に過大な期待を抱いていなかった市之允は主力決戦を避けて、分進合撃の多方面作戦を選んだ。戦場を五稜郭周辺に限定するのではなく、渡島半島全体に拡張することで、兵力に劣る箱館軍の防衛線を更に薄く引き延ばそうとしたのである。必然、新政府軍の兵力も分散されるが、箱館軍は全ての防衛線を維持しなければならないのに対して、新政府軍は何処か一カ所でも突破できれば、予備兵力を殆ど持たない五稜郭を直撃できる。この心理的重圧で新政府軍の兵の質を補うのが市之允の戦略であった。果たして、市之允の思惑通り、箱館軍は各地の戦線で善戦・健闘しながらも、常に他方面での味方の敗走に退路を絶たれる危険に晒され続けた。そして、じりじりと防衛線を後退させた挙句、遂に五稜郭に逼塞。降伏に追い込まれるに至る。

これを『大兵力を嵩にした平押し』と評するのは『言うは易し』であろう。複数の戦線に於ける味方の攻勢と後退、敵軍の突出と退却の状況を把握しつつ、それに対応した命令を下し続けた市之允の才覚は尋常ではない。戦場の勇者は多くとも、戦場の外から戦局を動かす目を持つ智者は僅かである。そして、市之允は後者に属する希少な将帥であった。最前線に於ける独断専行&当意即妙&臨機応変&スタンドアローンの用兵を好んだ山川とは対極の存在といえる。西南戦争で直属の上司と部下になった市之允と山川が剣呑な関係に終始したのは、長州と会津の確執以上に用兵家としての相性の問題であったのかも知れない。のちに市之允の長女・梅子は山川の主君・松平容保の三男・英夫を婿に迎えるが、これを知った彼岸の二人のうち、どちらがより苦い表情を浮かべたか、些か見ものではある。

 

尤も、政治家や教育者に転身して以降も本質的には軍人であり続けた山川と異なり、市之允は維新後、早い段階で軍事と異なる志を抱くようになった。司法の途である。高名な岩倉使節団に軍事制度調査のために随行しながら、しかし、市之允は軍事よりも西洋の法律、殊にナポレオン法典に心酔。帰国後の上申書で『兵ハ凶器ナリ』との文言を用いて、軍事よりも法律制度の整備こそが愁眉の急であると説いた。市之允の司法方面への転身は同郷の政敵とされる山縣に軍を逐われたとの見方もあるが、それが事実としても、彼には渡りに船であったかも知れない。明治十一年に刑法の編纂。同十四年に憲法草案の提出。同十六年に司法卿に就任。そして、明治十八年に発足した伊藤内閣で日本初の司法大臣に任命されている。市之允は民法典論争の紛糾や商法施行延期の責任を取る形で幾度も辞表を提出したが、その度に遺留されて、黒田内閣、山縣内閣、松方内閣でも役職は据え置きであった。

 

「司法は山田」

 

というのが当時の政界の共通認識であったと思われる。市之允は人々から小ナポレオンと呼ばれたが、まさに軍事と司法の両面で辣腕を振るった彼に相応しい異名であろう。

市之允とナポレオンは国民教育に熱心であったことも共通している。ナポレオンはリセと呼ばれる中高等教育機関の国営化、そして、市之允は日本の司法システムを円滑に運営するための人材の育成機関として日本法律学校を創設した。或いは市之允は法律以上に教育という分野に関心があったのかも知れない。先述の早熟ぶりからは思いもよらない話であるが、幼年期の市之允は、

 

「性質愚鈍、垂鼻頑獣」

 

と周囲の嘲りを受けるほどの問題児であった。木の上から小便をして母親に命中させてしまったとか、友人と遊ぶのに夢中で腰のものを置き忘れたとか、ちょっと信じられない逸話が残されている。父の七兵衛も『我が家は市の代で廃れるか』と何度も天を仰いだことであろう。そんな頃、親族の弟子の一人が私塾を開いたという話を聞きつけた七兵衛は、市之允を通わせることにした。藁にも縋る思いであったのかも知れないが、この師匠は市之允に輪をかけた変わり者であった。年賀の挨拶に赴いた市之允に向かって、開口一番、

 

「外に異国の脅威が迫り、内に政治が混乱を極めているというのに、君は正月が来たというだけの理由で浮かれているのですか?」

 

と叱責した。怖くなった市之允は這う這うの態で逃げ帰り、師匠の友人に執り成しを頼んだというが、市之允の内心は嬉しかったのではないか。目の前の青年は自分を落ちこぼれの子供扱いせず、共に憂国の志を抱く大人の男として対等に接してくれている。子供は子供のことを子供という生き物と見做して人間扱いしない大人に心を開くことはない。この変わり者の師匠は様々な意味で規格外の存在であったが、教育者として最も重要なツボを心得ていた。師匠の名を吉田寅次郎という。寅次郎と市之允の師弟関係は半年程で師匠の刑死で絶たれたが、のちの市之允が賀茂行幸、七卿落ち、禁門の変、馬関戦争、功山寺決起、四境戦争、鳥羽伏見の戦い……と幕末の長州が関与した事件の殆どに参画していることからも判るように、松下村塾で受けた教育は確実に市之允の人生を変えた。

 

「軍隊は帝室と人民を守るためにある。しかし、国を危難から守る方途は他にも法律があり、教育の道がある」

 

という市之允の言葉からも判るように、彼は組織の危機管理に法律と教育の力が欠かせないことを己の信念としていた。

 

しかし、明治二十四年五月十一日、市之允が松方内閣で司法大臣を務めている最中、ロシア皇太子暗殺未遂騒動、所謂大津事件が発生する。ロシアの報復を恐れた明治政府は、被告人を大逆罪で死刑に処すように司法省へ圧力をかけたが、時の大審院院長の小島惟謙は罪刑法定主義の観点と司法の独立を維持する立場から、これを拒否。あくまでも一般人に対する殺人未遂罪を以て、被告人に無期懲役の判決を下した。

結果的に小島の判断は、諸外国に『日本が三権分立を確立した近代国家』との認識を広め、のちの不平等条約の改正に大きく貢献することになるが、この一連の事件に際して、市之允も他の大多数の政府要人と同様に超法規的措置に基づく死刑適用に賛同している。一説には市之允個人は大逆罪の適応に難色を示していたものの、松方正義や西郷従道に押し切られる格好で賛同に回ったという。いずれにせよ、市之允は己が半生を捧げて構築した司法の屋台骨を政治的・軍事的観点から枉げようとした。

 

「法律は軍事に優先する」

 

をモットーにしていた市之允らしからぬ判断と評するしかない。ロシアによる報復の恐怖が軍略家としての本能を刺激して、司法家としての彼の信念を揺るがせたのであろうか。結果論とはいえ、大津事件は市之允の危機管理能力に疑問符を投げかけると共に、彼の晩節に僅かな影を落とした。

翌、明治二十五年十一月十一日。山田市之允顕義は生野銀山の視察中に俄に斃れた。享年四十九。遺骸は仏葬と神葬の双方で営まれたのち、東京の護国寺に埋葬されている。尚、完全な余談であるが、のちに同寺には山縣有朋も葬られることになる。

 

 

先日来、教育と法律と危機管理に関する話題が世間を騒がせている。なかなかに根の深い問題であり、余人は司法の判断と第三者による調査の結果を待つ他に方途はないが、或る高名な作家の、

 

「大学の性質は学祖の為人に影響される」

 

との言葉を思い出したため、当該事件への感想の代わりに山田市之允に対する私の思いを書き綴った次第である。市之允が創設した日本法律学校は今日の日本大学である。

 

 

 

 

 

『西郷どん』第二十二話『偉大な兄 地ごろな弟』感想(ネタバレ有)

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本日開催される筈の米朝会談とか、木村VSエレキ並みのパンチ力に欠ける泥試合大接戦となったNG県知事選挙とか、デジタルタトゥーはどこまで遡るべきか&日本の組織の危機管理能力の欠落ぶりを考えさせられた某ラノベのアニメ化中止騒動とか、時事ネタで書きたい話題に事足りない状況ですが、今回は敢えて『西郷どん』の感想記事でいきます。先週のKAKさん装鉄城さんとの信州松代巡りも書きたかったのですが、装鉄城さんのブログの当該記事があまりにも当日の再現度が高く、私が何を書いたところで蛇足になりそうなので、一先ずは御預け。詳しくは装鉄城さんの『松代会盟記』を御覧下さい。お二人とも本当にありがとうございました。ちなみに『真田丸』で使われた信之改名の書は私も撮影しました。

 

 

『真田丸』ファンの友人へのメールに添付したら、メッチャ羨ましがられた。やったぜ。

さて、このように『真田丸』は終了から数年を閲しても熱烈なファンが存在しますが、今年の『西郷どん』は果たして数年後にはどういう扱いになっているのやら。久しぶりに本編の感想を書こうと思った理由は、今週の放送は、

 

『西郷どん』の欠点が全部出ていた

 

と思ったからです。興味を抱いた方は土曜日の再放送を御覧下さい。本作の何がダメなのかが45分で御理解頂けると思います。個人的には最後通牒プチ総評に近い思いで書き綴る今週の『西郷どん』の感想記事。ポイントは4つ。

 

 

1.アカラマサな周辺sage

 

本作は吉之助サァとナベケン斉彬に歯向かう者は徹底的に貶められる風潮があります。特に今回は『偉大な兄 地ごろな弟』と、サブタイの時点で三郎を貶める気マンマン。作り手の悪意を感じるサブタイですね。この時点でマトモに三郎を描く意志がないのが伝わってきます。まぁ、西郷を主人公に据える以上、三郎はヒールにならざるを得ないのも確かですが、それならそれでキチンとヒールとして扱って欲しいのよ。『翔ぶが如く』の高橋三郎は見ていてガチンコで怖かったからなぁ。それに引き換え、本作の三郎は控えめにいって無能にしか見えないのよ。勿論、演じる青木さんの所為ではなく、三郎の思想的バックボーンが全く描かれていない所為です、念のため。

更に今回は賢兄愚弟的サブタイのダブルミーニングとして、吉之助サァの実弟である信吾も徹底的に貶められる展開。スポンサーの金銭でキャバクラ通いに現を抜かすという控え目にいってクズ人間でした。いや、まぁ、確かにそういう志士も結構いたらしいけどさぁ。今回の場合、弟のキャバクラ通いを叱ることで『何て立派なお兄様!』と作中での吉之助サァの株があげる、そのために信吾をゲスキャラ設定したとしか思えません。この場合、信吾の志士としての経験の乏しさや思慮の浅さを、吉之助サァが理で諭す場面を創作するのが歴史劇の常道ではないでしょうか。しかし、何よりも許せないのが西郷の大河ドラマにも拘わらず、大久保がヘタレ同然に描かれていること。本作の大久保はナヨゴローと何処が違うんだよ。

 

 

2.主人公の魅力が伝わらない

 

西郷信吾「兄サァがどんだけ立派な男か、人から聞くだけでオイはないも知らんかった」

 

作劇の都合上、クズ人間扱いされていた今週の信吾ですが、この台詞には殆どの視聴者が感情移入したでしょう。先項で触れたように『西郷どん』では周囲を徹底的にsageることで相対的に主人公を偉く見せたいという薄っぺらな狙いがミエミエですが、その下衆い思惑とは裏腹に本作の吉之助サァは人間的魅力に欠けること甚だしい。何でコイツが作中における政治劇の中心人物として持て囃されているのかを論理的に説明できる人は(脚本家を含めて)存在しないのではないでしょうか。まぁ、幕末劇のくせに政治劇が描けていない時点で残当なのですが、本作の問題点は『理由は判らないが西郷という人物は男にも女にもモテた』という、第一話の冒頭で掲げた(用でもない)モテ要素も全然描けていないことなのですよ。正直、

 

なろう系異世界転生ハーレムものの主人公

 

のほうが、まだしもモテる理由がキチンと描かれているのではないかと思います。読んだことないけどさ。

今回も吉之助サァは信吾のツケを払ったくらいでおゆうから『吉之助サマ好き好き光線』を浴びせられましたが、ツケを支払うくらいで女にモテるのでしたら、この世に独身の男なんかいなくなるでしょう。政治劇は勿論、自分たちで猛プッシュした吉之助サァ周辺の男女の関係もマトモに描けていないのが『西郷どん』の特徴といえます。

 

 

3.政治情勢をドラマで描く意志がない

 

幕末は諸勢力の主義や思惑がコロコロと変わる時代です。その制作陣には戦国大河よりも全国スパンでの視野が求められる時代といえるでしょう。事実、昨年の『おんな城主直虎』は善かれ悪しかれ、物語の舞台が遠州一帯でほぼ完結していました。しかし、今年の『西郷どん』も殆ど『直虎』と似たり寄ったりで薩摩以外の情勢が全く掴めない(或いは薩摩の政治情勢の描写すら覚束ない)という幕末劇としては致命的な欠点があります。今回、吉之助サァは第一次島編から三年ぶりに帰還しましたが、その間に幕末の情勢は激変していたにも拘わらず、本編では殆ど触れず終いでした。特に桜田門外の変を契機に、

 

「ひょっとして、幕府って既に統治能力ないんじゃね?」

 

という認識が本格的に流布するようになります。そして、西郷という人物は奄美に居ながらにして、その認識を踏まえていたフシがある。本作では三郎の台詞になっていた西郷による鳴りやまぬジゴロコールは、三郎が中央政界の要人との面識がないことに留まらず、そうした時代の動きに対応せずに、漠然と斉彬の幕政改革路線を継承しようとした三郎の時代感覚の因循さを嘲ったものでした。そして、三郎の幕政改革路線と有馬新七の先鋭倒幕路線の齟齬が次回の寺田屋事件の悲劇に発展するのですが、本作は吉之助サァが奄美に居た間の本国及び、中央政界の動きが全く描かれず、愛加那とのイチャラブハネムーンに終始していたため、こうした時代の変遷が何一つ伝わってこないのですよ。それらは本来、キチンとドラマの中で描写するべきなんですけれども、その労力を殆ど全部西田さんのナレーションに押しつけて表現したつもりになっているので、今回のメインイベントである吉之助サァと三郎の対立が単純に二人の個人的不和にしか見えないんですね。まぁ、実際、西郷と三郎は理屈云々以前に御互い虫が好かなかったとは思うので、その意味では史実に忠実といえなくもないですが、物語としては失格でしょう。

 

 

4.先の展開を考えているとは思えない作劇

 

序盤の感想記事で『民草の膏血を絞る調所の緊縮財政を批判しながら、斉彬の軍事増強路線を支持する吉之助サァの描写は矛盾している』と指摘しつつ、同時に『これは大西郷という大いなる矛盾の人を描くための布石ではないか』と書いた覚えがあります。勿論、甘い見積もりと承知のうえでの希望的観測でしたが、やはり、人の夢と書いて儚いと読むようです。今回、信吾のツケを自身の給金で肩代わりした吉之助サァでしたが、その金銭の出所は奄美の黒糖地獄であることを忘れているようでした。少なくとも、それに関する葛藤や逡巡は描かれませんでした。何のために第一部島編に一月近くも尺を費やしたのでしょうか。斯くも短いスパンの矛盾を消化できないようでは、大西郷という矛盾の人という遠大な伏線の回収など絶望的です。今回も今回で、

 

西郷吉之助「出兵ごっこをしても日本は変えられんち、オイの考えを申しあげただけじゃ!」

大久保利通「お前、それ征韓論の時も同じこといえんの?(半ギレ

 

西郷吉之助「今、幕府が倒れたとして、そんあとはどうなる? だいが幕府に取って代わる? どげな仕組みで政を進める?」

徳川慶喜「お前、それ岩倉使節団にも同じこといえんの?(半ギレ

 

という明治編の展開を考えると普通の人には怖くて書けない台詞の連発……あ、そうか。明治編はやらないから大丈夫なのか。成程ね……って、そんな理屈が通ってたまるか。もう一切合切の矛盾をガン無視して『西郷サァはいい人過ぎて死んじゃいました』的なラストを迎えることは確定的に明らかでしょう。『花燃ゆ』級の『聳え立つクソ大河』への道を驀進する『西郷どん』。次回の感想記事は完全に未定です。年末恒例の総評記事も今回で書きたいこと書き切った感あるからなぁ。

 

 

 

 

荒川弘版『アルスラーン戦記』第60章『ザーブル城の決戦』感想(ネタバレ有)

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エラム「全ては結果ですか……厳しいのですね……」

ナルサス「王者とはつらいものだ。何をなそうとしたかではなく、何をなしえたか……によって、その評価が定まる」

 

冒頭二頁に申し訳程度に登場したナルサスとエラム。彼らの主君にして、物語の主人公のアルスラーン殿下も今回はお休みの御様子です。ぶっちゃけ、今月はヒルメスのヒルメスによるヒルメスのためのヒルメス回と称しても過言ではない内容でしたので、無理にアルスラーン陣営を登場させなくてもよかったように思いますが、冒頭のナルサスの台詞の王者を原作者に言い換えると、色々と深読み出来そうな気がしないでもありません。昨年末に出た原作最終巻に対する、荒川センセなりの回答ではないでしょうか。田中センセの作品のコミカライズの中でも荒川センセの手による本作は飛び抜けて高いクオリティを誇っているのですから、あの結末に対する多少の異論反論オブジェクションは許されるのではないかと思います。実際、今月号は今までの中でも屈指のクオリティでしたので。そんな今回のポイントは3つ。

 

 

1.クバード「せやろか?」

 

聖堂騎士団員A「少し前に悪さをして、ザーブル城を追い出された奴らは上手くやったな」

聖堂騎士団員B「今頃、美味い酒を飲んでおるのだろうなぁ」

 

言動の善悪は兎も角、篤い信仰心と熱心な勤労意欲に溢れる聖堂騎士団の中にも存在した不良軍団。如何なる組織にもパレートの法則(或いは働き蟻の法則)でいうところの怠け者が常に二割いる訳で、聖堂騎士団も人間社会の法則性からは逃れられない模様です。彼らが羨ましがっている『上手く追い出された奴ら』は、この戦いが始まる前にクバードが退治した連中のことでしょう。彼らの末路を考えると『知らぬが仏』ですね。尤も、クバードの退屈凌ぎで殺されるまで、彼らが虐殺と略奪をエンジョイしていたのも事実です。今回、ザーブル城に籠る聖堂騎士団の半数以上は戦死の憂き目に遭っているので、多少、あの世に逝くのが早まったとはいえ、途中経過を楽しんだ追放組のほうが人生の勝ち組といえるかも知れません。勿論、パルスの民にはいい迷惑ですが。

 

 

2.ニーガン「釘バットはいいぞ」

 

ヒルメス「俺は……退かぬ! 我に続けぇ!」

 

キャーヒルメスサンカッコイー!

 

地下水路に油を流し込み、炎と共に潜入するという、ヒルメスの火に対するトラウマがシレッと【なかったこと】にされていたとしか思えない原作でのザーブル城攻略戦ですが、コミカライズに際しては、過去の呪縛を乗り越えようとするヒルメスの成長が窺えるシーンに昇華されていました。この場面といい、勝鬨をあげるシーンといい、今月号から読んだ読者はヒルメスが主人公といわれても納得できるレベル。原作の穴を綺麗に塞ぐアレンジを見せた荒川センセ、グッジョブ!

そして、炎にたじろぐ様子を見せたヒルメスを気遣うザンデもグッジョブ。今回から武器を大剣から棍棒に持ち替えましたが、愛すべき脳筋というザンデのキャラクターを思うと、棍棒というよりはヤンキーの釘バットに近いものがあります。まぁ、本人が自覚していたように彼の膂力を十二分に活かすには、このチョイスは正解でしょう。柱の陰に隠れていた聖堂騎士団員を柱ごと吹き飛ばしていましたからね。アヌビス神のスタンドでもないかぎり、剣ではムリな攻撃です。しかし、城を占領したあともすぐに水路を使うために火と油を用いたのですから、肝心の地下水路を支える柱をボコボコに圧し折ったザンデさんの戦い方もどうかと思います。サームに知れたら御説教でしょう。

 

 

3.ボリス・コーネフ「せやな」

 

ヒルメス「お前たちの神は試さないことには信徒の忠誠心を確かめることもできぬのか」

 

何かと面倒臭い出自&性格の所為で、読者の共感を得にくいヒルメスですが、この台詞には大いに賛同したものです。同じ田中センセの作品だとロイエンタールがいいそうな台詞。まぁ、現在の私は神というのは信じる・信じないという相対的な思考ではなく、そのうえに絶対的な存在として君臨するものと承知していますが、それでも、神はお前たちの信仰心を試しているなどと軽々しく唱える宗教は胡散臭いと思ってしまいます。この台詞も漏らさず描いてくれた荒川センセ、改めてグッジョブ。しかし、本当の凄味は、

 

サーム「信仰に殉ずるのと王家の血に殉ずるのと何が違うのか……と、おぬしなら笑うだろうか、クバードよ」

 

の台詞ですね。これ、原作にない荒川版のオリジナルなのですが、普通に田中センセが書いてもおかしくない。そして、新旧の王家の血の板挟みになって苦しんでいるサームがいいそうな台詞というのも凄い。どこまでキャラを掘り下げているのか、荒川センセ。まぁ、荒川センセはサームみたいな渋いオッサンが好きそうなので、贔屓とはいかないまでも、積極的に内面を描こうとしているのでしょう。それでいて、同じコマで処刑した聖堂騎士団員の死体を埋める穴を同じ聖堂騎士団員に穴を掘らせるというエグイ描写もサラッとしている辺り、本当に荒川センセは凄い。そんな場面、原作にはないうえ、別に描かなくても問題ないのに、そういうところでキチンとリアリティを追求するんだよなぁ。

 

 

 

 

『西郷どん』第二十三話『寺田屋騒動』感想(ネタバレ有)

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ウナギの蒲焼は串打ち三年割き五年焼き一生と言われます。詳細は各自でググッて頂くとして、一人前のウナギ職人になるには十年単位の修行&道を極めるのは一生ものの精進が必要ということです。それほどにウナギは扱いが難しい。その労力が相応する美味を生み出すのでしょう、ウナギの蒲焼はバブル経済期とかいう飽食の時代を経た現在でも、日本人の人気メニューのトップクラスに君臨しています。一方でウナギに毒があることを知る人は意外と少ない。血液や体表を覆う粘膜に含まれる毒素は、目や傷口に入ると激しい炎症を起こすそうです。

その扱いの難しさ。高い人気と深い味わい。そして、隠し持つ毒気。ウナギという食材は何気に西郷隆盛に通じるものがあるように思えます。毎回毎回、ゴリ押し気味に挿入される本作のウナギノルマも、或いは西郷のメタファーのつもりなのかも知れません。毎年恒例の大河ドラマを食べ物に喩える企画ですが、今年は『真田丸』以来、二年振り二度目のウナギ関連の料理になる可能性大。尤も、一昨年の『真田丸』は本物のウナギを用いずに蒲焼の味を再現しようとする小技や小ネタを効かせた精進ウナギ大河であったのに対して、今年の『西郷どん』は最高級・最難関の食材であるウナギを歴史劇に不慣れな料理人が雑に扱っているため、

 

 

になってしまっているのですね。そんな訳で今年の大河ドラマを食べ物に喩える企画、現時点での最有力候補は未熟な職人が都市ガスで焼いた作り置きのウナギの蒲焼大河です。長い。『激レアさんを連れてきた』のサブタイのようだ。他にも有力候補は幾つかありますが、具体的な名前を出すのはリスキーなので、もう少し様子を見ることにしましょう。ヒントはセシリア・オルコット。兎も角、年末総評記事の足掛かりを得た今回のポイントは3つ。

 

 

1.『今の私は大島吉右衛門だ。それ以上でも以下でもない』

 

大久保一蔵「西郷吉之助という男が、此処に泊まっておらぬか?」

 

前回の西田さんによる『吉之助は死んだ筈の存在。生きていることを幕府に知られたら大変なことになる』というナレーションをガン無視して、平然と吉之助サァの本名を口にする一蔵サァ。一蔵サァがド低能なのか、制作陣が一話前の内容も覚えていないのか。全てのドラマが作中の時系列通りに撮影されていると思い込むほどにウブではありませんが、それでも、誰か途中で辻褄が合わないと気づくスタッフはいなかったのか……それとも、気づいていても止められない状況にあるのでしょうか。そちらのほうが遥かに深刻な話ですね。何れにせよ、ドラマの緊張感台なし。

直後の吉之助サァと諸藩の代表との会合もお寒いの一言。具体的な政略や方針の擦り合わせの描写が一切なく、只管飲んで騒ぐのみ。久坂や吉村が何を目的にして此処に集っているのかを描かずに寺田屋事件を描くなんて、オムレツを作るのに卵を割らないといっているに等しいと思うのですが……後年、不倶戴天の犬猿の仲になった薩摩と長州ですが、この時点で京都にいる過激派志士の関係は決して険悪ではありませんでした。むしろ、尊王倒幕という目標のために一時共闘する姿勢でした。しかし、あくまでも幕政改革路線を主眼とする三郎は彼らの行動を掣肘する側に回った。このことで久坂は『薩摩は信用できない』という不信感を抱き、後年の対立に至るのです。寺田屋事件とは精忠組がMAXスピードで運転するダンプカーのサイドブレーキを後部座席にいた三郎が強引に引いたために起きた不幸な事故と評することが出来ると思うのですが、この辺の思惑の齟齬が全然描かれていないから、久坂も吉村も有馬も、そして、誰よりも吉之助サァ本人がただいるだけの存在になってしまっているのよね。

 

 

2.ピストル大河メニュー

 

西郷吉之助「喧嘩は腹が減ったでじゃ! 鰻取りで決着を着けっど!」

 

『ウナギを獲れば何でも出来る! 迷わず獲れよ! 獲れば判るさ!』みたいなノリで京都でもウナギ獲りに精を出す吉之助サァと愉快な仲間たち。京の都で他藩の志士と意見を交わすでもなく、朝廷工作に勤しむでもなく、反対派の幕臣を斬り捨てるでもなく、コイツらは一体何をやっているのでしょうか。これだけ頭数が揃っていれば、誰か一人くらいは『この人たち、頭おかしい』と気づきそうなものですが、全員が全員、吉之助サァの言葉に猛烈に感動しているのを見ると吉之助サァのウナギまつの味噌汁美和のおにぎりに匹敵するクソ大河ドラマ恒例の魔法の料理なのでしょう。吉之助サァからのウナギの差し入れでヒー様が大政奉還を決意するという展開になっても驚きません。呆れるけど。

尚、この場面は三郎の怒りを買った吉之助サァが十中八九、処刑されるというシチュエーションなのですが、これも誰一人、政治工作で三郎を宥めようとするキャラクターが描かれない(宥めたのはポッと出のナヨゴロー)ので、テストの前に漫画が読みたくなる類の現実逃避にしか見えません。案の定、ノープランで三郎の前に引き出された吉之助サァの口から垂れ流されるのは、論点をズラした詭弁にしか聞こえない始末……これも、西郷、大久保、三郎、有馬の各々の立場や思想を描いてこなかったツケですね。唯一の見どころは三郎のブチギレシーン。

 

 

三郎が視聴者の気持ちを代弁した!

 

恐らく、製作者は三郎を憎々し気に描きたかったのだと思いますが、豈図らんや、視聴者の多くは三郎の言い分を支持したでしょう。近年、三郎を再評価する動きが顕著になっておりますが、結果的に本作もその流れを後押ししたことになるのかしら。三郎贔屓の私は本作に感謝するべきなのかも知れません。

 

 

3.落ちろカトンボ

 

西郷信吾「ないごて……ないごてこんなこつに……(泣

 

うるさい、黙れ。

戦う気がないなら下がっていろ。

 

上記のように寺田屋事件に至る描写は完全に欠落していたものの、殺陣自体は血飛沫も飛びまくりで結構緊迫感ありました。騒乱を収めた大山サァが敵味方の血を拭った懐紙を一蔵サァの懐に捻じ込む場面もGOOD。血を流すことなく、綺麗事で全てが収まると思うなという大山サァの無言の抗議ですね。

しかし、そんな場面もチャンチャンバラバラの修羅場をオロオロとウロつく信吾の醜態で台なし。何なの、コイツ。そもそも、信吾はのちのGTOと一緒に二階にいた筈ですけれども……いや、史実通りにやれということではなく、信吾を一階に下げたことで物語に生じたデメリットが明らかにメリットを上回っているのよね。邪魔。単純に邪魔。明らかに場面の空気を損なっている。Gディフェンサーから分離したコアファイターで戦場をうろつくカツと同じ種類のウザさ。先週に続き、今週も醜態を晒した本作の信吾。この物語の制作陣って、本当は西郷一族のことを好きではないんじゃあないかとさえ思えてきました。

 

次回、誰も望んでいない第二次島編へ突入!

 

海江田信義「やっと島から帰ってきたち思ったら、また島送りとはのう……笑うしかなか」

 

俊斎が視聴者の気持ちを代弁した!

 

 

 

 

 

『~literacy Bar~』特選・2018年上半期ベスト5+α(ネタバレ有)

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今年、管理人が触れた諸々の作品の中で特に印象に残ったものを列挙する年末恒例企画……であるが、今年も昨年同様に上半期で一度、ランキングをまとめてみたいと思う。理由も昨年と同じく、単純に今年の上半期も印象に残る作品に触れる機会が沢山あったため&8月に発売されるファイプロ最新作に全てのエナジーをぶつけるべく、今のうちにランキングを整理して、年末の記事に備えるため。その場飛びカンクーントルネードと剛腕スリーパーとリバースゴッチ式パイルドライバーとネック&アームブリッジとスウィングスリーパーとローリング式トライアングルランサーとリバースネルソンデスロックと【以下略】が入っていないのが少し物足りないが、立ち技Aボタンに強ローキックがあるのが地味に嬉しい。これで皇帝ミカエル・ビーゴルストを作れるやん!

尤も、上半期と下半期で全ての作品が総入れ替えとなった昨年と異なり、今年のランキングは、

 

梅ちゃん「抜けた実力馬二頭が長手綱で先頭走っとるんやで! もう、どっちかが勝つのは決まったみたいなものやないか!」

 

という大穴狙いの馬券職人の嘆きが聞こえてきそうなほどに強力な二作品がレース開始早々、三位以下を六~七馬身くらい引き離している状況。オッズに換算すると1.0倍くらい。菊花賞のディープインパクトか。余程のダークホースが現れないかぎり、この二作品のワンツーフィニッシュを覆すのは難しいかも。

尚、6位から10位は順不同で以下の通り。

 

『岸辺露伴は動かない ザ・ラン』(漫画)

『慶喜のカリスマ』(書籍)

『室町幕府将軍列伝』(書籍)

『やけに弁の立つ弁護士が学校で吠える』(TVドラマ)

『二人の女王 血の争い~メアリーとエリザベス~』(ドキュメンタリー)

 

『慶喜のカリスマ』は不遜な表現が許されるとしたら私の別人格が書いたんじゃあないかと思えるレベルの完全同意内容で、頁を捲る度に『そうそう! そうなんだよー!』と声をあげながら読んでしまった。『西郷どん』もやったことだし、今度は本作準拠で徳川慶喜の大河をやらないかなぁ。『室町幕府将軍列伝』は何気に足利義政が一番読み応えあった。井沢元彦氏に懶惰の帝王と評された義政であるが、少なくとも前半生においては非常に政務や軍事に積極的であったことが驚き。義政と共に無責任な文化人系指導者と同一視される傾向が強い北宋の徽宗も、実は官僚主導の政治体制から皇帝親政の社会を目指していたそうで、その意味で両名は一周回って似た者同士といえるかも知れない。この両著をお貸し下さった装鉄城さんと江馬さんに厚く御礼申しあげます。ちなみに次点は『ひそまそ』。ストーリーは面白いけれども、ひそねのクズッぷりが自分の欠点を見ているようで辛過ぎるのよ……。

それではランキングの発表に移りたい。

 

 

第5位 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』(TVアニメ)

 

ヴァイオレット「知りたいのです……『愛してる』を知りたいのです」

 

のっけから管理人のイメージとかけ離れた台詞で始まったランキング第5位。キモイ。自分のキャラを考えろ、俺。

それはさて置き、無垢なるキリングマシーンが人間の愛情を学ぶ過程で、自らの犯してきた所業に煩悶しながらも、それを乗り越えてゆくというストーリー自体は非常にスタンダードで、逆刃刀をタイプライターに置き換えた『るろうに剣心』(或いは黒歴史に苦しむもこっち)と評せなくもないが、本作は兎に角、映像的なクオリティがズバ抜けていた。繊細で緻密なデザインと背景、直接・間接を問わない比喩表現、キャラクターの演技力……アニメとは何よりもアニメーターの表現力・演技力が試されるジャンルであることを再認識させられた作品。特に第五話のラスト、他国に嫁ぐシャルロット姫の髪にヘッドドレスを添える侍女アルベルタの節くれだった手と、その手を押し頂き、深い感謝の念を表すシャルロット姫の繊細な手の描写はまっさんの『秋桜』が流れてもおかしくないレベルの、双方の立場と心情を台詞なしで表現した場面であったように思う。また、10話の冒頭でアンが母親の部屋に入った瞬間に親戚の女性が浮かべた微妙な表情も、この回の不吉さと不安さをコンマ何秒のレベルの演技で描いていた。10話の内容は簡単にいうと天国からのビデオレターなのだが、それをメインに据えるかと思いきや、ヴァイオレットの人間的成長を描くための素材として使ったのも巧かったなぁ。

惜しむらくはストーリー面でのクオリティの落差が激しかったこと。後述するツートップ作品は一発勝負で100点を取った作品毎週毎週コンスタントに90点を取り続けた作品であったのに対して、本作は1話&5話&10話で150点をマークする一方、他の回は30点といった具合に平均値で伸び悩んだ作品といえる。逆にいうと1話&5話&10話の出来栄えは半端なかった。特に10話の、

 

 

の瞬間は涙と鼻水が手元のマグカップに滴るのをとめられなかったよ……。

 

 

 

第4位 『SAOオルタナティブ ガンゲイル・オンライン』(TVアニメ)

 

SJ参加者「抵抗出来ない相手をいたぶって楽しいか? ぁあ?」

ピトフーイ「三十人で六人をいたぶるって楽しいぃ?」

SJ参加者「……ぐっ」

ピトフーイ「YES! 答えは『両方共楽しい!』 アナタも私の立場にいたら、きっと同じことしているわよ!」

 

アニメ版ではバトルシーンとデス・ガンの謎解き描写を除いて、地味で微妙な出来となった『SAO2』前半の舞台『ガンゲイル・オンライン』の世界をフィーチャーしたスピンオフ作品。ガンマニアの作家・時雨沢恵一&ガンダムビルドファイターズの監督・黒田洋介という原作の面白さを抽出することに特化した最強タッグがガッチリと噛み合ったのか、善かれ悪しかれ、何らかのテーマ性を絡めて描かなければいけない縛りがあるSAO本編よりも、VRMMOの魅力が純粋に伝わる内容になっている。

 

『自分は女だからという理由で男同士の休戦協定を一方的に破棄&虐殺』

『仲間を救うために身動きが取れない相手をジワジワと嬲り殺す』

『撃ち抜いた敵の手を勝手に操作して、ストレージから予備の弾倉を奪う(未遂)

『味方を殺して破壊不能オブジェクト化してから、ライフルの銃座にする』

 

といった現実のゲームやスポーツでは物理的&倫理的に許されないことも、VRMMOでは(誰もリアルで困らないから)許されるという姿勢を貫く本作の価値観は理屈抜きで見ていて楽しい。ヘタに説教臭いストーリーに流れることなく、このテンションを最終回まで維持して欲しい。『登場人物がイキり過ぎてイタイ』との批判もあるがゲームの中でイキらなくて何処でイキるのかと某ネトゲで猫耳♀キャラで語尾に『にゃ』をつけて会話していた黒歴史を持つ私が弁護してみる。尚、ヲタクの割にアニメキャラクターに色気を覚えることの少ない私が久しぶりにエロスを感じたのがピトさん。対魔忍アサギといい、ピッチリ全身スーツがツボにハマるのかも。

 

 

 

第3位 『宝塚版ルパン三世~王妃の首飾りを追え!』(舞台)

 

マリー「籠の中に閉じ込めておいて『何にも知らない』と批判するのは酷いわ。もっと色んなことを知っていれば、こんなに嫌われることもなかったかも知れない」

ルパン「被害者ぶるのはみっともないぜ。その気になれば、何だって知ることは出来た筈だ」

 

以前も記事にしたようにただのルパンTVSPかという最大級の賛辞の言葉しか思い浮かばなかった宝塚版ルパン三世が第3位。この脚本で金ロー枠のルパンTVSPを作って欲しいと何度思ったことか……というか、今でも切望している。あ、ゲストキャラの中の人は同じでお願いします。しかし、今回、ランキングの作業のために改めて見直したけれども、抜群に面白ぇな。これも以前書いたように、

 

銭形のとっつぁんがロベスピエールとラインダンスを踊る

 

場面はいい意味で頭おかしい。それでいて、上記のルパンとマリーの台詞のように、マリーアントワネットの心情に沿う従来的な宝塚の価値観とは一線を画す、冷徹な歴史観もしっかり入っていたりするのが凄い。最後の最後のコーラスで主題歌のサビのキーを下げなければ、こちらも『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』と同じく、充分に一位二位の作品を脅かす存在になったと思う。惜しい。

 

 

 

第2位 『宇宙よりも遠い場所』(TVアニメ)

 

小淵沢報瀬「七索ロンです。リー即純チャン三色ドラドラ……すいません、裏々で三倍満です」

 

シラセ、南極に降り立ったポンコツ。

 

味方にするとポンコツ極まりないが、敵に回すと恐ろしい女、小淵沢報瀬の真骨頂。この子はバイトなんかしなくても、雀荘に入り浸るだけでしゃくまんえん稼げたんじゃないかと思う。『スジを信じるな』というかなえさんの戒め、ほんとすこ。

さて、今季の圧倒的ツートップ作品の一つ目は『よりもい』。以前、記事にしたように本作は『南極料理人』の合わせ鏡であり、四人の主人公が死体探しの旅に出る『スタンドバイミー』のオマージュであり、ED二番の『サイコロの目のままに~』というフレーズや、目的地よりも道中のトラブルにスポットを当てる構成は『水曜どうでしょう』を彷彿とさせた。ストーリー的にも、親友の裏切り、南極まで追いかけてくるトラウマ、長年目を背け続けた悲しい現実との対峙……といった具合に、よくある『ゆる系アニメ』とは一線を画した作品といってよい(ゆる系アニメの否定ではありません、念のため)。

本作に対して、一部の視聴者から『彼女たちは自力で南極に行った訳ではない。他人の企画にタダ乗りしただけだ』との批判があがったが、それは南極の縦縞19と恐れられた藤堂隊長ばりの、マト外れのビーンボールであろう。本作はそうした『他人のやることを批判するばかりで、自分では何も行動を起こさない』傍観者(含む私)へ『何であれ、批判を恐れずに一歩踏み出した』実践者が叩きつけた三行半代わりのメッセージ作品なのである。報瀬の『ざまあみろ!』や『今更何よ! ざけんなよ!』という啖呵が、その証左であろう。到達点が何処か、その過程が如何なるものかは問題ではない。最初の一歩を踏み出したことが大事なのだ。更につけ加えると、誰かの力を借りて遠くに行くことも別に卑下されることではない。

 

リキエル「1969年7月、アポロ11号のアームストロングが人類初めて月面に立った歴史的事件……オレは今までそれのどこが偉いのかさっぱりわからなかった。なぜならロケットってのは科学者とか技術者が飛ばすものだろう? サルだって行けるわけだからな。だがオレはあそこにいる『ロッズ』たちを初めて見れたとき……その意味がわかったんだ……。月面に立ったのは人間の『精神』なんだってなッ! 人間はあの時、地球を超えて成長したんだッ! 価値のあるものは『精神の成長』なんだッ!」

 

というDIOの息子の台詞通りである。

あと、本作は一気見には向かないと評したが、繰り返しの視聴には向いていることが改めて鑑賞したことで理解できた。『ようこそドリアンショーへ』のCパート。藤堂&かなえの横に望遠鏡が置かれているんだけれども、これって貴子の代わりなんだよね。後から見返すことで色々と判る描写が多いのよ。飽きのこない、耐久値の高い作品である。ちなみに今夜が再放送の最終回です。皆で見てね!

 

 

 

第1位 『風雲児たち~蘭学革命篇~』(スペシャルドラマ)

 

平賀源内「あの者にとっては、きっと名を残すことなどどうでもよかったのです。畳に襖に障子……誰かが考えたには違いないが、その者の名前は残っておりませぬ。名とは虚しきもの」

田沼意次「そういった名もなき数多の者たちの手によって、時代は先に進むのだな」

 

『よりもい』と共に今季の圧倒的ツートップ作品の二つ目は『風雲児たち』。意外性がなさ過ぎるチョイスかも知れないが、正直、他に選びようがないのも事実である。寧ろ、これに食らいついている『よりもい』を褒めるべきであろう。現時点の順位はハナ差で『風雲児たち』が先行しているが、これは単純に『風雲児たち』が『よりもい』よりも一日放送が早かった分、私の一生の中で楽しめる時間が一日分多いという安直な計算の結果に過ぎない。今年は正月早々、いいものを見せて頂いたとの感謝の念で一杯である。来年の正月時代劇での続編を期待せずにはいられない。

本作は拙劣な解説を読むよりも、実際に見て頂くに如くはないので、内容には触れないが、三谷さんは本当に原作が好きなのだなぁと思ったのが冒頭の台詞。これ、原作では源内が言われる側なのよね。ドラマには司馬江漢が登場しなかったのもあるんだけれども、有り余る才能を持ち過ぎたが故に一点突破の結果に恵まれなかった源内の口から言わせるのが、非常に皮肉が効いているというか。

 

 

 

さて、こちらも御馴染みのラジー賞。昨年は上半期に一つ、下半期に二つの合計三作品が選出されたが、今年は上半期で二作品がエントリーとなった。好意的な残念賞の意味合いもあれば、完全無欠の駄作もありという、図らずも両方のニーズに応える展開。尚、次点は『NHK未解決事件ファイル 赤報隊事件』。なかなかに胸糞な構成であった。怖いので詳細には触れません。

 

 

ラジー賞① 『陰謀の日本中世史』(書籍)

 

サラ・ヒューズ「人々は科学の最新の研究や発見と、オカルトや疑似科学が放つ根拠のない派手な話のどっちに興味を持つと思う? どっちを信じたいと思って、どっちにお金を払いたいと思う? 化学はたしかに疑似科学を叩く力を持っている。どこが間違ってるか、何が正しいかを証明する力をね。でも、人々の心を惹きつける言葉は……とっくに失くしてるのよ」(QED~証明終了~)

 

まず、申しあげておくと本作は名著である。素人が陥りがちな歴史の陰謀論の特徴を懇切丁寧に解説して、その矛盾を衝く姿勢は本当に素晴らしい。歴史好きであれば、一度は目を通しておくべき書籍であろう。ただ、唯一にして最大の難点は、

 

読んでいてもワクワクしない

 

ことである。いや、学術書にワクワクを求めるのは筋違いと承知しているけれども、それでは陰謀論には勝てない。陰謀論に勝つには説得力ではなく、陰謀論に勝るエンターテインメント性が必要になるケースが多い。『トンデモ本の世界』シリーズが好例であろう。あれは陰謀論を論破しつつ、それを笑いに転化するセンスが読者の心を掴み、疑似科学やインチキ予言書への一定の耐性を植えつけることに成功していたが、翻って、本作は『変死体の検死解剖の報告書の死因を全て心不全で済ませている感』が半端ない。そりゃあ、そうだけどさぁ。学術書としては極めて優良ではあるものの、本来の用途である筈の対陰謀論兵器としてはパンチ力不足が否めなかったのがラジー賞ノミネートの理由である。

 

 

 

ラジー賞② 『西郷どん』(大河ドラマ)

 

ナレーション「西郷どん、チェスト! 気張れ!」

 

扱いは難しいものの、巧く用いれば無双の存在感を示す西郷隆盛という人物を題材にしていながら、控え目に評してとしか言いようがない内容が繰り広げられる今年の大河ドラマがラジー賞第二作目。特に今週は酷かった。先週の寺田屋事件の直後なのに、吉之助サァが騒動の自己総括もせず、愛加那と南国イチャラブバケーションを楽しむ件は、魚津城陥落直後に嫁と乳くりあっていた『天地人』の直江兼続(勿論、イケボではないほう)を彷彿とさせるクズっぷり。こんな主人公が三郎を除く全登場人物にヨイショされるストーリーはカルト教団のPV的発想か、或いは三郎を再評価する近年の歴史研究に基づく演出かのどちらかに違いない。本作唯一の功績は、

 

私が第一話の感想で『そこそこいけるんじゃね?』と書いた大河ドラマは駄作になる説

 

を立証したことであろう。これ、マジで的中率高くて自分でも怖い。

 

 

 

さて、今年下半期の最有力候補は勿論、上記のファイプロ。十年以上も脳内妄想してきた自分の団体&エディットレスラーを再現するのに夢中になり過ぎて、ブログの更新が滞る可能性アリ。アニメは『SAO3』と最近発表になった『JOJO5部』が有望株。ガルパン最終章第二章が『風雲児たち』と『よりもい』の牙城を突き崩す期待値高いけれども、今年中に公開されるのかなぁ。

 

 

 

 

 

 

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