まひろ「えー? ここ(宮中)で書くんですか?」
赤染衛門「紙も用意してある。自由に使ってくれ。筆、硯、墨、全て女官を通じて注文してくれ。経費は宮廷で持つ。身の回りの世話は宮中の女官が担当する。何でも言ってくれ」
まひろ「うーむ、あまり恵まれた環境だと書きにくいな……餅茶でも飲んで気分を落ち着けないと……」
赤染衛門「おい、餅茶だ!」
宮宣旨「(カチッ)はい、餅茶です!」
藤原道長「どうだ、新作は出たか?」
まひろ「そんなすぐ出る筈がないでしょう!」
藤原道長「これだけの贅沢をしてどこが不服だ! 新作を出すんだ!」
まひろ「う〇こじゃあるまいし、毎日出ませんよ!」
藤原道長「お前の作品には彰子と帝のうまぴ〇いがかかっているんだ! いいものを書くんだ!」
赤染衛門「そうとも、早く新作を出さんか!」
まひろ「やだぁ! カンヅメはいやだ!」
藤原惟規「環境が変わったせいか、作品の進みが遅いみたいだよ」
いと「家で家事をサボりながら書いていたほうが調子いいようね」
旧Twitterの実況では『ブラックジャック創作秘話』の手塚治虫センセとの共通点を挙げる方が多かった今週のまひろさんですが、個人的には『こち亀』の『文豪・両津勘吉先生』を思い出しました。手塚センセが『ケーキが食べたい!』『六本木のコンソメスープが飲みたい!』『開明墨汁買ってきて!』『メガネがない!』『スリッパがないと描けない!』『メロンー!』などと凡そ創作と無関係なワガママを並べ立てるのは、一秒でも締め切りを引き延ばすための巧妙な作戦の意味合いが強かったと思われます(仕事量半端なかったからね、仕方ないね)が、まひろの場合は純粋に環境の変化への戸惑いと『好き』が『仕事』に変わったプレッシャーが、創作の筆を遅らせたのではないでしょうか。生半可に環境が整ってしまうと逆に創作に集中出来ないとか、まさに、
クリエイターあるあるネタ
ですね。勿論、環境が整っているに若くはありませんが、環境を整えさえすれば、創作が捗る訳ではありません。クリエイターとはカネを入れてスイッチを押せばアイデアが出てくる機械ではないのですから。ただ、実際問題、プロともなるとカネに応じたアイデアを出さねばならないのも確かで、今回中盤の、
三郎「おう、新刊あく出せよ」
まひろ「既刊のリメイクで許してクレメンス」
という言い訳が通用するのはアマチュアまで。最終的には三郎に依頼された分を極道入稿することなく、キチンと書き上げたまひろは『創作環境は自分に一任して欲しいが、頼まれた仕事は責任を持って請け負う』というプロとしての姿勢を明確に示し、クリエイターとして一皮剝けたことを如実に表していたと言えるでしょう。
それにしても、出仕早々、教養を鼻にかけた女と陰口を叩かれて、メンタルを病んで自宅療養を経て、復帰後は『あたしィー、漢字も読めないからァー』と不思議ちゃんキャラを演じて周りの軋轢を回避して何とか働けるようになったという史実の紫式部の宿下がりエピソードをクリエイターと創作環境というテーマに置き換えてくるとは思わなかった。史実通りのストーリーを見たくなかったといえば嘘になるけど、これはこれでアリかなとも思います。本作は紫式部という『クリエイター』が主人公の大河ドラマである以上、創作に関するストーリーを膨らませるのは理の当然。ただ、動機が職場のストレスであれ、創作環境の改善であれ、先週、あれだけ家族から感動的に送り出されたまひろが、フツーに自宅に帰って来るのに拍子抜けしたのも否めないので、この辺は構成の課題として認識して欲しいところ。
構成の課題といえば、まひろの新作に対する三郎の、二人の馴れ初めを描いた『褒美』は何もかもが美しくて、思わず胸キュン(死語)でしたけど、それだけに二人の爛れた焼け木杭な関係にはそぐわない印象を受けました。ああいうのって、お互いのためを思ってプラトニックな関係を貫いたカップルか、或いは艱難辛苦を共に過ごした熟年夫婦だからこそ、その純粋さが際立つのであって、夫公認とはいえ不義の子をこさえて未だにベタベタとくっついたり離れたりを繰り返す使い古した湿布みたいな二人には似合わないのよね。それこそ、先述した『新刊出せ』『すんません、既刊のリメイクです』辺りのワガママ作家に苦労する編集者みたいな、知りたくもない相手の欠点を知り尽くした者同士のやり取りのほうが『元カレ元カノ』らしい雰囲気が出ていて、似合っていたと思うのよね。どうにも本作って、まひろと三郎を純愛にしたいのか、ドロドロ愛憎劇にしたいのか、全体の構成はハッキリしないのよ。
あと、今回の平惟衡の任官問題をほぼほぼ台詞で説明したのが象徴しているように、本作は政治劇パートの貧弱さは勿論のこと、三郎のキャラクターが致命的に弱いのよ。三郎って下半身がだらしない以外は仕事でもプライベートでもマトモなことしか言わないキャラクターだから、タダでさえ、視聴者への押しが弱いうえに正論家という点で実資とキャラが被っているので、見た目のインパクトが強い実資のほうが圧倒的に上に見えるのよね。もっと三郎個人の欲望や展望を見たいのに気の抜けた炭酸飲料みたいなベタッとした甘さや人間関係くらいしか印象に残らないキャラクターになってしまっているのが惜しい。結局、本作の最大の長所と最大の短所って、
男性では実資、女性ではききょう
と各々のライバルのほうが遥かにキャラクターの出来がいいことで、しかも、そのライバルとはあまり多く絡まないことなのよね。『キャラクター』と『対立構造』という物語の王道要素がズッポリ抜け落ちているのは致命的。流石にココまで来るとテコ入れや修正は難しいだろうなぁ。
ただ、今週は先週の記事で更新を休むと宣言しておきながら、何だかんだで感想を書きたくなるレベルで面白かったのも事実。まひろの『式部化』でクリエイターパートがストーリーを主導することで、三郎の政治パートの貧弱さを補いつつ、フィニッシュに辿る点けるか否かが後半戦のポイントになりそうです。