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徒然十四周年日記

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これまでの14回の中で三番目くらいに色々とヤバい開設記念日。理由の第一は仕事量の圧倒的増加と今まで上にいたアレな先輩が自分の直属に配されたことかな。アレな上役とアレな部下、どちらが尾籠味の咖哩でどちらが咖哩味の尾籠なのか、自問自答を繰り返す毎日です。体調も寄る年波には勝てず、身体のアチコチにガタが来ているのを実感する日々。先日も健診の一環でMRIを受けましたが、あれほどの稼働音を発する機械の中で危うく爆睡しかけるという、健康なのかそうでないのか俄に判断がつきかねる体験に見舞われました。

今現在はほぼ隔週更新のペースも今後はもう少し頻度を落とす予定。月1~2回くらいになるかな。大河ドラマも向こう2年は推し題材ではないので、更新は今まで以上にユルユルと……というか、何とかして@1本UPしたいネタがあるのですが、これもなかなか進捗しない。誰かが先に手をつける前に形にしたいなぁ。取り敢えず、毎日少しずつやるしかないか。

そんな訳で来週はほぼ確実に休むことが決まっている分、今回の更新は多めの内容。まずは大河ドラマの寸感から。

 

 

 

今までの大河ドラマの中でも飛び抜けて衣装代がヤバそうな『光る君へ』。或いは戦国大河で毎週登場人物全員が甲冑を来て撮影するくらいのリソースが掛かっているんじゃあないかと推測してみます。衣装への拘りが予算を圧迫していると指摘されていますが、題材的にはやむを得ないでしょう。それこそ、戦国大河で予算がないからと武将が平服で合戦シーンに臨んだらサマにならないのと同じですね。本作を契機に大河ドラマで平安貴族劇の需要が高まれば、供給も充足してコストが下がるのかも知れませんが、この辺は先駆者の苦しみという奴でしょうか。

さて、前回今回次回と本格的にまひろが『紫式部』というクリエイターに開花する過程が結構な尺を費やして描かれる模様。本作、色々と不満点が多い……というか、ぶっちゃけると不満点のほうが多い本作ですが、クリエイターパートは結構好き……というか、何気に衣装よりもメインストーリーよりも楽しみにしております。特に前回、三郎の依頼で一遍書き上げて献上したあとも、

 

まひろ「やべえ、創作の脳汁ドバドバ出て止まらねぇわ」

 

誰に見せるでもない自作をあれこれと添削・推敲するまひろの『創作の養分を得たクリエイターズハイ』はモノカキの経験のある方は誰でも共感出来るのではないでしょうか。或いは三郎の持ってきた創作の養分があまりにも極上過ぎたのも、まひろがトリップした理由の一つかも知れません。ただ、三郎が帝の個人情報をダダ漏れにするの、コンプラとか不敬とかいう話じゃないけど、主上の宸襟を勝手に推察して勝手に垂れ流すとか、些か歴史劇の登場人物としての節度に欠けていると思う。

そして、今週のラストで遂に出仕の決まったまひろを、今まで『お前が男であればなあ』と史実準拠の愚痴をこぼしていた為時パッパが『お前が女でよかった』『お前ほどの才があれば内裏も恐れることはない』と送り出すシーンはよかったのですが、そのまひろさんは、

 

出仕早々『教養を鼻にかけた女』と陰口を叩かれてメンタルを病んで自宅療養を経て復帰後は『あたしィー、漢字も読めないからァー』と不思議ちゃんキャラを演じて周りの軋轢を回避して何とか働けるようになる

 

という次回以降の展開を知っていると、今回の感動的なシチュエーションも次回の開幕早々出鼻を挫かれる訳で、話のリズムが悪くならないかと心配。来週のまひろの挫折シーンを見た視聴者、意気揚々と海外視察に出掛けた筈の一蔵サァが『メンゴメンゴ、委任状を忘れていたわ』とこっそり一時帰国するのを見た吉之助サァのような気分に浸れるのではないかと思います、思えない?

 

次はこれ。

 

 

 

先週『トトロ』で今週『ラピュタ』とジブリ祭りの金ロー。『トトロ』が公開時に『火垂るの墓』とかいうトラウマ作品と二本立てで公開されたのはあまりにも有名な話ですが、鈴Pによると宮さんが『火垂るの墓』の高畑監督に対抗して『全体の尺を伸ばしたいから主人公の女の子を姉妹に変えて話を膨らまそう』と言い出したのはあまり知られていない話です。尤も、当初の企画書の時点で既にサツキとメイの二人が主人公に設定されているという説もあり、鈴Pの発言もどこまで信用出来るか微妙なところ。昨年放送されたNHKのドキュメンタリーで鈴Pは『宮さんの語る高畑さんの思い出は多分に願望や齟齬が混じっていて正確ではない。でも、宮さんの中では真実』みたいなことを述べていましたが、本人も似たようなモノなのかも知れません。

さて、その『トトロ』と『ラピュタ』では圧倒的に後者推しの私。理由は単純で『ラピュタ』はほぼほぼキャストの吹き替えの技量に満足しているから。ジャンルは異なれども、ストーリーのクオリティが同レベルなら、あとは芝居の質が作品の善し悪しを決めるのは理の当然。サツキとメイの父親のような『今日あま』の頃のメルト君を思わせる芝居は好きではありません。まぁ、宮さんは『俺はキャラの演技を全部画で表現出来ているから、そこに他人の芝居を上書きされるのはイヤなので、吹替はなるべく無個性なほうがいい』と考える天才アニメーター(個人的見解)であり、鈴Pは『独特のキャスティングと引き換えに製作費と興行収益を保証する異能力者』(客観的推論)と頭では理解していますが、芝居の質と世界観の相性の善し悪しは観客の作品への没入度に正比例するのも確か。その鈴Pがジブリ作品ではないとはいえ、キャスティングで自身の意見を通せなかったと言われるのが、

 

 

 

 

既に前作で終身名誉草薙素子のポジションが確定していた田中敦子さんの代わりに別の有名女優のキャスティングを試みたものの、現場の反対で断念したという有名な逸話、冒頭で触れたサツキとメイの誕生秘話のように異説があるのかも知れませんが、重要なのは、

 

『あの』鈴Pがキャスティングの横車を押せなかった

 

というエピソードが広く信じられているほどに田中さんの力量がファンの間で認知されていたことでしょう。『信長が最も恐れた戦国武将』というキャッチコピーに近いことをリアルに体現していたと言えます。クリエイターであろうと一読者であろうと『田中さんに演じて欲しかったキャラクターが必ずいる』というのが私の持論。私は『修羅の門』がアニメ化されたら羽生つばさを演じて欲しかった。『硬質のエロス』と『タフでインテレクチュアル』。この相反する二つの要素を矛盾なく表現する第一人者……というか、この方の凄さは『〇〇の役は田中敦子さんに!』という以前に『このキャラはどんな奴?』という質問に『CV:田中敦子』という返答が成立することなんだよなぁ。キャラに合わせたCVではなく、CVから逆算したキャラの造型が成立する。それほどの存在感と美声と演技力と個性と実績を兼ね備えた稀有な存在でした。慎んで哀悼の意を表します。

 

 

次はこれ。

 

 

 

 

先週封切られた野木亜紀子作品クロスオーバーですが、残念ながら未見です。多分、円盤レンタルが始まるまでは見ないでしょう。このブログで何度か指摘しているように作風も評者も『題材の生々しさが社会派作品』と誤認しているところがあり、その辺が劇場に足を運ぶのをためらう理由の一つ。時事ネタを扱う=社会派という認識はトマトを使った料理は全部イタリアンという発想に近いと思います。先日、地元深夜に再放送された『MIU404』の『夢の島』と『リフレイン』を見た時も改めて同じことを思いまして、まず、前者の『夢の島』では技能実習生制度の闇を描く際の、

 

「朝5時にコンビニ弁当を並べるために実習生をコキ使っている」

 

という作中の台詞。成程、表面的な現象を描くとマコトに御尤もですが、朝5時のコンビニ弁当を買う層&売る層はヒマとカネに飽いたブルジョア階級ではなく、朝5時にコンビニ弁当を食べる行為を贅沢として嗜んでいる訳でもありません。極端な話、朝5時にコンビニに弁当を並べない社会になっても、それで救われる人間が出る訳ではないのです。マクロ経済という人が罪悪感から逃れるために相手の顔を見ずに済むよう発明されたグローバルな搾取構造の問題点を、ゼータクは敵という前近代的儒教的善悪論とスリ替える手法はナチュラルにアンフェアでしょう。同じ問題を扱った作品に『相棒』の『右京の同級生』がありまして、犯罪者をハイエナのように執拗に追い詰めて毒蛇のようにジワジワと仕留めることに定評がある杉下が事件の黒幕を逮捕出来なかった(2024年8月現在)数少ないケースでしたが、あの作品は『使う側も人件費の確保にカツカツで首が回らない』というもっと笑えない社会情勢を抉り取っていたのに加えて『MIU404』よりも数年早く発表されていることを考えると、どちらがより広く深く社会を観察しているかは論ずるまでもないと思われます。

そして、後者の『リフレイン』は志摩の『相棒殺し』という二つ名の真相が明かされる回でしたが、フタを開けてみると『やる気だけは一丁前の元相棒が容疑者に手玉に取られた腹いせにニセの証拠を捏造して逮捕を試みるも志摩にバレて厳しく叱責されたうえ、その容疑者は実は真犯人でも何でもなく、元相棒は完全な自業自得で進退窮まった挙句、自殺と思しき状況で死んだ』というだけのことで、ぶっちゃけると志摩は何一つ悪くないよねの一言。いや、正確には志摩は元相棒の死に対する責任よりも、

 

元相棒が証拠の捏造による違法捜査で無辜の市民を冤罪に落としかけた警察の不祥事を『アイツの母親が不憫だから……』という情実で上司が揉み消すのを黙認している

 

ことを気に病めよと言いたい。ついでに揉み消しをした上司は現在も直属の上司で、ケーサツのタテ社会に抗うアテクシカコイイ的ポジションなのですが、こんなことを特命係に嗅ぎつけたら、

 

杉下右京「君が悔やむべきは……そこじゃないだろぉぉぉぉ!」

 

とダークカイト事件並みにプルプルプルプルされるのは確定的に明らかで、まずは不祥事隠蔽のオトシマエをつけてから社会派ドラマの主人公ヅラしましょーねという思いを禁じ得ません。

尤も、ここまでボロクソに貶しておきながら言うのもアレですが、ストーリー自体は非常によく出来ていて、毎回楽しく鑑賞しております、マジで。上記の元相棒の死の真相も8月8日はタコの日という序盤の伊吹のKYトークが志摩の心の荷を下ろす契機になって、そのうえ、それ自体がハムちゃんの危機の呼び水になるとか、構成や展開の上手さは折り紙つき。取ってつけたような社会派の要素さえ削ぎ落してくれれば、もうちょい視聴のハードルは下がるし、劇場にも足を運ぶ気になれるのですが、それは前項の宮さんや鈴Pと同じく、それも含めてクリエイターの『色』という奴なのでしょう。それこそ、トマト嫌いが『イタリア料理はトマトが入っているからニガテ』といったところで、料理の本質が自分向けに変わる訳でも味が向上する訳でもないのですから。

 

最後はこれ。

 

 

恐らくは最後の技巧派日本人プロレスラーという称号が相応しい軽量級の偉人の引退。長らくの現役生活、お疲れさまでした。今でこそ、渕、カシン、ジョニー・スミスと並ぶ私的推しレスラー四天王の一角を占める小川ですが、初生観戦時(93年チャンカン富山大会)のジュニアは赤鬼・渕の存在があまりにも大きく、菊池とワンセットでなかなか目の出ない神酒徳利コンビとして、あまり印象に残らなかった。ただ、数年後、新潟大会の観戦後に駐車場の車内で出口の順番を待っている時に、選手バスの中から私だけにウィンク&手を振ってくれたのが契機で大ファンになりました。あとにも先にも男のウィンクに落ちたのはこの時だけ。ホンマやぞ。

小川良成というレスラーの凄みはプロレスを知らない人に伝えるのが非常に難しいのですが、ファイプロを買ってプレイすると一発で判ります(ハードル激高)。ファイプロには大技・中技・小技のボタンがあって、殆どのレスラーは大技で試合を決める、或いは選手の個性を出すのですが、小川の場合は試合の組み立てがサミング、チンクラッシャー、抱え式バックドロップとほぼほぼ小技~中技で構成されているのですよ。同じタイプの日本人レスラーは蝶野正洋くらいでしょうか。普通、そのテのレスラーはどうしても見栄えがせず、試合も単調になりがちですが、小川の場合は天性の色気と長年培った技術と抜群の受けで観客を飽きさせないんだよなぁ。それが最も光ったのが99年1月の垣原賢人とのジュニアヘビー王座戦。カッキーらしい気持ちの入った直線的な攻撃を受けていなして適度に散らせてレフェリーすらも巻き込んで、最後はUの象徴・腕ひしぎ逆十字を丸め込んでの3カウント。個人的に小川のベストバウトに挙げたい一戦。あとはダニー・クロファットとのジュニアヘビー戦も印象に残っています。あのプロレス巧者のクロファットが野暮なグーパンを使わざるを得ないほどに食い下がったからね。

冒頭で『最後の技巧派』と評したように小川タイプのレスラーは今後、なかなか現れないでしょう。川田利明が『無骨なファイトスタイルは素の自分とは乖離していた』と(少なくとも本人は)述べているように、レスラーの個性とは個人のセンスの問題ではなく、団体内のポジションやファンや時代のニーズに応じて決まるものだからです。ただ、クイック(丸め込み)主体の小川とは異なる複合ストレッチを得意としながらも、彼に師事した技巧派レスラーが、

 

 

 

 

他団体、それも業界最大手のシリーズで優勝の栄冠に輝き、師に対する感謝の念を言葉にしてくれたことは出藍の誉れという他ありません。サンキューザック、フォーエヴァーアンタッチャブル。ブレイク前に推し団体で地道に活躍していたレスラーが他団体のトップに登り詰める感慨の深さを思うと、プロレスとは競馬と並ぶ大河ドラマなんだなぁとシミジミします。

 

 

 

 

 

 

 

 


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