於大「人を思いやれるところが其方の取柄と思うておったがの……おなごは男の駆け引きの道具ではない!( -`д-´)キリッ
徳川家康「母上らしくない物言いですな。御自身こそ散々、そのような目に……」
於大「だからこそ、せめて蔑ろにされる者を思いやれる心だけは失うなと申しておる!( -`д-´)キリッ
今回、最もドラマティックなシーンでしたが、今は亡きオカジュン信長をも凌ぐ本作で最も頭がアレな於大の方が急にマトモなこと言い出したため、シリアスな場面なのに笑いを堪えるのに必死になってしまいました。いや、いいシーンだとは思いますけど、今までに『家臣と国のためならば、己の妻や子如き、平気で打ち捨てなされ』とか『そなたがもうおなごとして、しまいじゃということじゃ。だってそうじゃろう? 子を産むのは妻の務め』とか平気で宣ってきたママンから唐突に『おなごは男の道具ではない!』とか言われて、
とブチギレなかった松潤家康、マジ東照大権現。ネット界隈では『於大が今までと言っていることが違う』とか『キャラがブレた』とかいう意見が散見しましたが、本作の於大の方は松嶋菜々子の皮を被った真田昌幸なので、その場その場の雰囲気で一番イケると思ったことを言う&やるタイプなのでしょう。キャラがブレたのではなく、ブレるのが於大の方のキャラということです。判るかな? 俺もよう判らん。でも、面白かったから許す。
来週はラグビーワールドカップの放送で一週お休みとなる『どうする家康』。生中継に出演するオカジュンには今週の『紀行』のあとで『頑張れニッポン! 心・配・御・無・用!』と言って欲しかった。そんな訳でうちのブログも来週の更新は大手を振って休みます。
今回のポイントは4つ。
ナレーション「天正13年11月29日夜半、日ノ本を巨大地震が襲いました。所謂『天正地震』でございます」
関東大震災から100年目の節目に語られる天正地震。近年の大河ドラマでは『功名が辻』や『真田丸』で大きく取りあげられました。地震を気合で鎮めた藤岡平八郎パネェ。劇中でも描かれていたように秀吉に家康討伐を断念させた天災であり、その後の展開を鑑みると歴史の分岐点と評してよい事件ですが、裏切り者の名を受けて家康のために戦う男を自認していた数正には些か間の悪い地震であったでしょう。『あれ? 俺、出奔しなくてもよかったんじゃね?』と後悔の臍を噛む数正のシーンがあってもよかったと思います。
一方、家康を裏切った後悔どころか120%の主観的善意を胸に説得に現れたのがコイツ。
織田信雄「其方にとっては天の助けじゃ。関白はまさに兵を差し向ける寸前であった。其方は命拾いしたんじゃ。上洛なされ。今しかない。もう負けを認めるべきじゃろう。天下は関白のものじゃ。数正は賢かったと思うぞ」
登場人物も視聴者も『どのツラ下げて』という言葉が喉まで出かかったのぶおの物言い。言っていることがそこそこ正論な分、逆に聞く者の感情を逆撫でしますね。特に最後の一言は蛇足&地雷の極み。この一言で、のぶおの残念さが際立ったと思います。ムカつくけど、いい台詞。
本多正信「正室とはいえ、形ばかりのこと。貰えるものは貰っておけばよろしいのでは?秀吉の妹ならば、利用する値打ちは大いにありましょう。上洛するか否かは別のこと」
信濃のデラスズムシが聞いたら満腔の賛意を示したであろう正信の進言。貰えるものは病気以外、何でも貰っておけばいいんだというジャイロ・ツェペリ精神ですね。『智者は時に同じ橋を渡る』とはラインハルトの言葉ですが、鼻つまみ者……じゃない、食わせ者も同様の模様。尤も、サルの妹を娶るのは自分であって正信ではない訳で、家康としては『他人事と思って気軽に言ってくれる……お前も何処の馬の骨とも判らん年増女と娶わせてやろうか』との思いは禁じ得ないでしょう。
他人事といえば、本作の本多正信は中盤までの徳川家臣団にいなかったタイプの存在として、非常に重宝なキャラクターではあるのですが、時に台詞も雰囲気も当事者性がなさ過ぎる印象を受けることも。物事に当事者として知恵を絞っているというよりも、後世視点に基づく状況分析の役回りになっているシーンが多々あります。キャラクターというよりも第二のナレーションになってしまっているんだよなぁ。まぁ、本家ナレーションが東照大権現大本営発表スタイルなので、バランスが取れているといえなくもないのですが。
旭「徳川様が鬼瓦みたいな御方だったらどうしよまいとビクビクしとりましたが、お顔を拝すりゃあ何だしゃん、優しそうな色男で……まっ、ホッとしましたがね、ハハハッ。もっとも殿はこんな年増を押しつけられて往生こいてまうでしょ~がね~。ハハハッ」
徳川家康「うーん、チェンジ!」
言葉にせずとも伝わる松潤家康の心境。いい表情、いいリアクションです。本作の松潤ってストーリーをグイグイ牽引する訳じゃないけど、周囲のキャラクターの思いや自身の内面を綺麗に反映する透明な存在感が魅力ですね。
一方、花婿が松潤と判ってテンション爆超の旭姫。私も無理矢理娶わせられた相手がケイト・ベッキンセールと判ったら、反動でこれくらい浮かれる自信がある。床入りのシーンも『形ばかり! 形ばかり!』と言いながら、ササッと布団に潜り込むとかやる気ムンムンやん……と思っていたら、於大の方や於愛の方が見抜いたように気丈に明るく振る舞う嫁を演じていた模様。泣かせるやん。エエ話やん。ここは『結婚相手が松潤なら誰だって浮かれるよね』というコメディ路線と思わせてからの、実は無理矢理別れさせられた先夫を想い、兄の無茶振りに泣く泣く従い、母までが人質に出されることに涙する健気な女性というギャップが活きたキャラクターでした。歴代の大河ドラマの旭姫の中でも好感度ベスト3に入れたくなる。尤も、家康と心を通じ合わせた旭姫は鬼作左の手で大政所と共にキャンプファイヤーに処されかけるんですけどね……そういや、次回予告にも該当するシーンはなさそうだったなぁ。滝田版『徳川家康』では主人公を食うレベルの存在感を出し過ぎた反動か、鬼作左は出番そのものがないのかも。それこそ、前回チラッと触れた『いい警官・悪い警官メソッド』でいうと万千代=いい警官、作左=悪い警官で大政所を篭絡するシーンとか見たかったのになぁ。
本多正信「何とも……不器用な御方じゃな」
酒井忠次「それが石川数正よ」
思っていたよりも早く数正の真意に気づいた徳川家臣団。てっきり、上洛して秀吉や大坂のデカさにド肝を抜かれるまで取っておくか、或いは永遠に気づかないかと思っていました。数正の息子がガッツリと改易されとるからね。やはり、史実では徳川家中の石川家への怨みは相当なものであったと思われます。
勿論、本作は創作なので如何なるアレンジを行おうとも面白ければOK。実際、今回の内容も地震で出奔した意味がなくなった数正の皮肉な立場が描かれなかった点に不満が残るくらいで、他は概ね想定内で丸く収まっていました。予想を越えはしなかったもののこういうのでいいんだよ、こういうのでと思えるのが嬉しい。ただ、今までレビューで何度も『あまり捻り過ぎるな! 素直に真下に落とせ!』と書いてきた私が言うのも何ですが、今回は、
「数正と家康が対立して見えたのは全て芝居で、実は両者の合意の元で出奔した」
という本作前半で好んで用いられた古沢流後出しジャンケンストーリーになっても、それはそれで滝田版『徳川家康』リスペクトで面白かったと思うの。つーか、あの手法を最も効果的に使うとしたら、ココしかなかったんじゃないかな。