Quantcast
Channel: ~ Literacy Bar ~
Viewing all articles
Browse latest Browse all 909

開設13周年記念日記&『どうする家康』第33回『裏切り者』感想&『沈黙の艦隊』雑感(ネタバレ有

$
0
0

今までで一番ユルユルの心境で迎えたブログの開設記念日。

一つには毎年恒例の大河ドラマの総評記事を書かなくてもいいという腑抜けた姿勢が影響しているのかも知れません。毎年、開設記念日を過ぎると『ヤバい、今年もまたアレをやるのか』という、誰に頼まれたわけでもない強烈な焦燥感に苛まれていたのですが、現在は『あー、今年は年末調整に集中出来るんだー』というちょっとした燃え尽き症候群に近い安堵感に首まで浸かっています。尚、下半期ベスト10記事は【越年してもいいや】

ともあれ、ヤン艦隊のナンバーに並ぶ13周年を迎えた拙ブログ。今後ともゆるゆるとおつきあい頂けると幸いです。身も心もだらけきった今年の開設記念日に送る話題は2つ。少ない。しかも一つは大河ドラマ感想。少しは時事ネタにも頭を使え、俺。

 

 

 

 

 

羽柴秀吉「わしはこの世の幸せはおなごだと思うとる。おなごが綺麗なベベ着て白粉塗って甘ぇもん食って笑っとる。それが幸せな世だわ」

 

現代社会では一発でコンプライアンス的にOUTな台詞を堂々と宣うサッル。流石はラスボス&大河ドラマ。現代とは異なる価値観を堂々と描けるのも創作や歴史劇の強みですね。前回の『所詮、人の悪口書いて面白がっとるような奴は、己の品性こそが下劣なんだと白状しているようなもんだわ』という台詞と同じく、一定の視聴者層を挑発するが如き物言いを意図的にやるところが、善かれ悪しかれ本作の特徴でしょう。挑発といえば、

 

寧々「もう、皆、いくさはこりごりでございますでな」

 

という台詞もアンチスィーツ大河視聴者の神経を逆撫でするような台詞ですが、あれは秀吉と寧々が数正を口説き落とすための役割分担を事前に決めていたうえでのお芝居の一部と推察します。所謂良い警官・悪い警官メソッドという奴ですね。流石は人たらしの名人。このテの交渉術もオテノモノのようです。

今回は石川数正出奔に至る描写がメイン。徹底抗戦を唱える家中で孤立してゆく数正のパートは完璧でしたが、彼が秀吉のバケモノぶりを思い知る描写は不足していたように思います。ここはド派手な画面で視聴者にも目で判る秀吉と家康の差を見せつけて欲しかった。芝居や脚本でなく、映像的課題。或いは次回以降に上洛した家康たちが自分たちの目で秀吉のバケモノぶりを実感して、漸く数正の真意を知るシーンの前フリなのかも知れませんが、今回の視聴者は数正に感情移入しなければならないのですから、その視点が欠けていたのは大きな減点材料。他は概ね及第点。今回のポイントは3つ。

 

 

織田信雄「まことに我が所領を安堵するのじゃな?」

 

開始一分足らずで秀吉に寝返るのぶお。期待を裏切らないクズ。信頼のおけるクズです。そんなのぶおを調略した秀吉もつらいです……織田家が好きだから……と心にもないそら涙を浮かべながら『家康から人質を取ってこい』と要求するなかなかのクズっぷり。『喜んで信雄殿と戦う訳ではない』『本能寺の変なんてなかったらよかったのに』『僕のことをサルと野次る連中よりも僕の方が織田家を愛している』とか言い出しても違和感ありませんでした。

一方、のぶおの寝返りを知って激高する家康陣営。実際の戦場では快勝しているので、和睦に納得がいかないのも道理ですが、総大将が和睦した以上、戦う大義はないという忠次の言には渋々納得せざるを得ません。家康から数えて十五代目の将軍も同じような理屈で部下を尻尾切りするからね。逆方向の因果応報だね。仕方ないね。

 

 

真田昌幸(沼田を)力ずくで取り戻そうかと越後の上杉と手を組み申したが……なかなか役には……」

 

予想していた以上に『長命した上総広常』か『三國連太郎感』溢れるスズムシ。ちなみに家康よりも4歳年下です……が、真のツッコミどころは『家康に上田城の建築費をせがんでおきながら、肝心のところで徳川を離反して上杉に鞍替えし、残りの資材を景勝に請求したうえ、多少、援軍が遅れたくらいで抗議と称して越後に攻め入り、国境地帯を焼野原にする』という外道ムーブをかました昌幸が『上杉は使えん』と評した点でしょう。シレッと語りやがって、ブッすぞスズムシ! 見た目の違和感以上にツッコミどころのある台詞を吐いて、ヴァジュアル面の問題点から視聴者の目を逸らす高度な演出かと思われます。思われない?

さて、二年連続で佐藤浩市の大河投入という中三日でバウアー連投に匹敵する豪華なカードを切ってきた本作ですが、肝心の第一次上田合戦はほぼほぼナレスルーというオチ。勿論、今後も真田と徳川の切りたいけど切れない因縁は続くとはいえ、折角、豪華なキャスティングを配したからには、もうちょい詳しくやってくれてもよかったと思います。この第一次上田合戦で、源三郎信幸の伏兵は染谷台地の丘陵の陰に隠れながら進軍して、徳川軍の後背を衝いたとの説がありまして、遮蔽物が人工か自然かの違いこそあれ、本作の家康が小牧・長久手の戦いで秀吉軍を撃破したのと近い戦術が用いられたのですから、小牧・長久手の際には本国守備に回されていた鳥居元忠が、それと知らずに敗れるというのも面白味のあるストーリーになったのではないでしょうか。あ、でも、真田兄弟は源三郎のほうがクレジットが上というのは嬉しかった。スタッフ、判っているじゃん。

 

 

本多忠勝「聞いたか? 百姓出のサルが関白とは……朝廷もどうかしておる!」

井伊直政「カネで朝廷を抱き込んだのでしょう」

 

序盤にカネで徳川の家名を買ったことを棚に上げて、秀吉の朝廷工作を批判する平八郎と万千代。ついでに万千代は家康に抱き込まれている(意味深)な訳で、色々な意味でブーメランな発言です。『人の悪口書いて面白がっとるような奴は、己の品性こそが下劣なんだと白状しているようなもんだわ』という前回の秀吉の発言がブッ刺さっている家康家臣団の若手衆。加えて、彼らが徹底抗戦を唱える台詞の多くは『〜かも知れん』『〜とは思えん』という語尾で、多分に希望的観測で動いていることが判ります。これはいい表現。

そして、そんな家中から出奔する数正。恐らく、数正は『殿が頼みにしている自分が秀吉陣営に奔れば、きっと全面対決も思い留まってくれる筈』と自分一人が悪人になることで主君を救おうとしたと思われます。これは次回以降に描かれるでしょう。先日記事にした松本でのトークショーで、平山センセが仰っていた『数正の出奔は取次を務めていた小笠原の不始末が一因』説は今回はお預けかな。メインの動機は数正の自己犠牲精神で異論はありませんが、それでも、チョロッとドラマの中で触れて貰えると嬉しい。

 

次の話題はこれ。

 

 

 

 

 

思春期に影響を受けた漫画作品のトップ10に入るであろう本作。この度、目出度く実写映画化となりましたが、見に行くことは210%ないでしょう。2時間強の尺では海江田が独立戦闘国家『やまと』を名乗り、地球を一つの国家とすると宣言した真意も結果も描き切ることは出来ないと判っているからです。シンプルに尺の問題。或いは今後も続編を制作していくのかも知れませんが、物語の後半は舞台がアメリカに移り、先進国首脳陣がウダウダと管を巻いた挙句、竹上首相が『これ以上、やまとをいじめないで!』とベネットにDOGEZAするサミット編を中心に、世界各国の外国人キャラクターがストーリーを主導するパートを日本の実写映画でやれますかって話です。多分、本作はアニメのほうが映像化に適した媒体でしょう。私もリアタイで読んでいた頃は登場人物全員の声優妄想キャスティングに熱中したものです。天津航一郎は広中雅志、ピエール・モルガンは緒方賢一、セシル・デミルはキートン山田、アンディ・リードは安原義人、大滝淳は水島裕、室岡プロデューサーは羽佐間道夫、海渡一郎は内海賢二、河之内英樹は鈴置洋孝、ジュリアス・ロードンは井上真樹夫、ミハエル・マレンコフは小林清志。この10人の配役は絶対に譲れん。

また、世界情勢が連載当時と様変わりしているのも大きな不安要素の一つですね。この30年で日本は国家予算の30%を『やまと保険』にブチ込めるほどの経済大国ではなくなり、アメリカが日本を再占領するメリットは激減し、SNSの普及でマスコミはとっくの昔にミニコミ化しているなど、本作の世界観を支える要素が現代では存在しない、乃至は本作が掲げた未来図が既存の存在になってしまっている以上、現実との齟齬や遊離感は避けられないでしょう。或いは私がそうであるように本作をキャラクターに重点を置いた人間ドラマ、群像劇として捕える方法もないではありませんが、唯一、カイエダの顔を『なにぃー!』とひん曲げたジョン・A・ベイツや、NY最後の防衛線を指揮するアレックス・P・ナガブチが体現する、

 

「俺に流れている血は誇り高いベイツ家のものじゃない。でも、俺はアメリカ人は皆、アメリカって国の『養子』だと思っているんだ。『養子』が社会で成功する鍵はひとつ。誰かの役に立つ人間であることだ」

 

「アメリカ人以上のアメリカンになって、初めて皆がそれを認めてくれる……だが、それをハンデと思ってはならぬ。非アメリカ的なものがアメリカ的になろうとすること……それがアメリカなのだ」

 

という本作(≒現実)のアメリカの定義も『養子』がアメリカを非アメリカ的なものに染めあげることに躍起になっている現在のアメリカの価値観とは(善い悪いは措くとして)かけ離れたものになりつつあることを鑑みると、キャラクターの設定や心情もなかなかに理解されにくくなっているのではないでしょうか。

別にポリコレ界隈のように『現実の世界や理想の社会と異なる創作は最新の価値観で上書きしろ』などと宣う気は毛頭ありませんが、上記の要素を違和感なく落とし込む力量が本作の成功の鍵の一つであると申しあげておきましょう。まぁ、ベイツ兄弟やナガブチが登場するまで映画の制作が続くのかという根本的な疑問もありますが、海江田を国連総会の壇上に立たせないかぎり、彼の独立宣言の真意を描くことは不可能に近いので、そこまで描かれない場合は原作と別物の創作として割り切るのが吉と思われます。これに比べたら、キャスティング発表の際に一部ネット界隈で取り沙汰された、

 

速水副長の女体化

 

など芥子粒ほどの問題に過ぎません。ぶっちゃけ、女性キャラクターをブチ込むとしたらアイツしかいねーからな。ただ、本作が順調にヒットして続編が制作されたら大滝か河之内が女体化される可能性はありそう。河之内は兎も角、大滝は作中世界の坂本龍馬的ポジションでオトコノコの夢の結晶のような人物なので、それは避けて欲しいなぁ。ちなみに総選挙編で4党首が問われた極限状態での選択は河之内推し。政治とはルールを定めてそれを守るということだと私も思います。

 

 

 

 

 

 

 

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 909

Trending Articles