Quantcast
Channel: ~ Literacy Bar ~
Viewing all articles
Browse latest Browse all 909

究極のサインは『相手の名前を絶対に忘れないこと』by陸奥九十九

$
0
0

久しぶりに全く意味も意図もないことを描き綴ろうと思う。
過日、いきつけの店で客と店員のトラブルに遭遇した。下世話な野次馬根性で耳を欹てて様子を窺ってみる。どうやら、会計の際に提示されたクレジットカードにサインが書かれていなかったのが発端らしい。店員曰く、

「サインのないカードは御利用頂けないのですよ」

正論である。本人のサインがないカードは第三者による不正利用の可能性がある以上、店舗には取引を拒む義務と権利がある。本人確認が取れないクレジットカードは何処の国が発行したかも判らない紙幣も同然で、その価値はジンバブエドルの足元にも及ばない。私が若い頃に勤めていた書店でも『サインのないクレジットカードの決済はお断りするように』と指導された覚えがある。しかし、客のほうは余程の論理的飛躍と不屈の精神に富んだ為人であったようで、

「ここにサインがあったとして、それが本人のものか、無記名のカードを拾った人間が書いたものか、その区別が君にはつくのか?」

と切り返していた。成程、これも正論である。確かにカードには押し並べて所有者の名前がローマ字で刻印されており、無記名のカードを拾った人間が本人に成りすますのは赤子の関節を極めるほどに造作もない。記名のあるカードでも、筆跡を模倣するのは必ずしも不可能ではない。カードのサインの信憑性はその程度の薄っぺらい存在であり、そんなものの有無で決済を拒むのはナンセンスだ、サインなどはあろうとなかろうと無意味ではないか、というのが客の論旨である。しかし、人間社会とは概ね薄っぺらい信頼を幾万、幾億と積み重ねた果てに成立する分厚い堆積層のようなものであり、大して意味があるとは思えないことに基準点を置くことで世の中がコンパスのように滑らかな円を描いている事例は、一定の年齢を越えた人間であれば、一度は経験していることであろう。
結局、客はレジのボールペンでカードにサインをすると、そのカードで清算を済ませた。勝負は勝っていたのに試合に負けたと言いたげな表情が印象的であった。一方の店員は人好きのする笑みを絶やさなかった。これがプロというものかと感心したが、或いはもっと深い笑みであったかも知れない。童話に登場する狐の母子でさえ、手袋を購う時には真物の銀貨を用意するのに、条件を満たさない抵当で金品を得ようとする人間の姿は万物の霊長とは何かと問い掛ける寓話のようであり、それを絵本の中ではなく、現実社会で体験した店員が世間の面白さに満悦していた可能性もなくはない。


サインは日本では花押(かおう)とも呼ばれている。日本では平安貴族の頃に始まる風習であるが、好んで用いたのは武士のほうであった。自然、武士の黄金期ともいうべき戦国時代には花押に纏わる逸話が多い。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の頃の話である。在韓諸将が本国にいる秀吉に宛てた連盟の報告書を送ることになった。居並ぶ諸将がサラサラと花押を記す中、加藤清正一人が念入りに時間をかけて、自らの花押をしたためた。それをからかったのが同じ秀吉子飼いの市松である。

福島正則「花押如きにテレテレと時間を掛けるなよ。それじゃあ、遺言書を書く時に花押を書ききらないうちに死んでしまうぜ(藁

戦国SLGでは押し並べて知力が低目に設定されている市松に馬鹿にされるという、なかなかの恥辱を蒙った清正は、しかし、落ち着き払って返答した。

加藤清正「え? 市松さんは武士のくせに畳の上で死ぬつもりなの? 俺は戦場に斃れる覚悟で生きているから、そんな心配したことなかったよ? いやぁ、市松さんは実に太平楽な御仁ですなぁ(藁

この意識高い系の返答に正則は一言もなかったという。尤も、正則のみならず、清正本人も(暗殺説が囁かれているとはいえ)畳の上で亡くなったばかりか、彼の孫が余興で諸大名の花押を偽造した謀叛の連判状を作成するというホームラン級の馬鹿か、或いは幕府によるミエミエのデッチあげか、何れにせよ、実にしまらない理由で加藤家は改易されてしまった。あの世で市松と再会した清正は一言もなかったであろう。

花押と遺言状という点では加賀の前田利家の逸話も秀逸である。
秀吉から豊家の将来を託された又左も病魔には勝てず、余命幾許もない状況にあった。そんな最中、利家が己の寿命を削るように取り組んだのが、松を巡る前田慶次とのボコボコの殴りあい……ではなく、何と未決済書類の整理であった。

前田利家「何時の時代も御家騒動は先代の不始末が原因になる。わしの死後、息子や役人があらぬ嫌疑をかけられては、御家の存続は危うい」

そう宣言した利家は、遺産の分配や遺品の管理といった無数の書類の山を相手に人生最期のガチバトルを展開した。病魔に冒されながらも、利家の経理判断は些かも曇ることなく、全ての書類にチェックの証となる花押をしたため終えると、慶長四年閏三月三日に世を去った。関ケ原の戦いの一年半前である。彼が長命していたら、豊臣政権の分裂が防げたか否かについては歴史家の意見が分かれるところであるが、利家の息女・豪が嫁した宇喜多秀家のように秀吉没後の御家騒動が滅亡の遠因となった実例を慮ると、加賀前田家が維新まで存続し得たのは利家の遺産整理が奏功したといえるかも知れない。花押で滅んだ加藤家と花押で家を守った前田家の対比として、実に興味深いエピソードである。

しかし、戦国武将と花押の逸話といえば、何といっても伊達政宗の鶺鴒の花押であろう。詳細は大河ドラマ『独眼竜政宗』でも描かれていたが、政宗は鶺鴒の花押に針の穴を開けたものと、そうでないものを使い分けることで秀吉の追及を逃れたという有名な逸話である。尤も、政宗も大崎・葛西一揆の扇動のみを目的に、斯くも煩雑な『保険』を掛けるほどに暇ではあるまい。第一、これが事実としたら、政宗の書状の花押には全て鶺鴒の目が開いていなければならない。これに矛盾を感じたのか、本作で豊臣秀吉を演じた勝新太郎氏は、

『本当に鶺鴒の目が開いているか否かは、秀吉と政宗しか知らない秘密にしよう』

という解釈で撮影を推し進めたという。もしかすると当時は『政宗の花押は信用できない』という共通認識があったのかも知れない。そうでなければ、このような創作じみた逸話が残る筈もなく、事実、政宗は生涯で二十種類もの花押を使い分けており、

伊達政宗「この手紙、ちょっと花押の書き方をしくじっちゃったけれども、間違いなく俺が書いたものだから(テヘペロ

という本末転倒も甚だしい手紙さえ残されている。花押を記した書状が信用されないから新しいデザインにする~相変わらずのロクでもない謀略を巡らす~現在の花押の信頼度が落ちる~仕方ないので新しいデザインを考案するという無限ループはインフレ国家が新規紙幣を大量に乱発する構図と何ら変わらない。政宗は軍事や行政、外交といった使途に応じて、異なる花押の使い分けていたともいわれるが、本質的に謀の多い為人であったのであろう。花押が江戸期に差し掛かると、主に庶民階級で印鑑に取って代わられることになったのも、戦国期に多くの偽の花押が用いられたためともいわれている。


尤も、現在でも花押が信を得ている世界がある。政権の中枢たる閣議である。内閣の意思決定を取り決める閣議は、閣僚の署名を集めるという形式で行われるが、その際に記される署名は花押を用いるのが慣習である。歴代内閣総理大臣の花押は首相官邸のHPで自由に閲覧可能で、圧倒されるほどの見事な筆跡(て)に『政治家よりも書家を志したほうがよかったのではないか』と思える方も幾人か存在するが、それは兎も角、如何に筆跡鑑定の技術が発展した現代とはいえ、印鑑のような物的存在と異なる花押が、内閣の意思決定の保証になるというのは実に頼もしい話である。厳密には同じ筆跡が存在し得ない花押に国政レベルの判断が託されているのは、政治機構が証拠に依存せずともいいほどの高い信頼に裏打ちされている証明といえる。皮肉や御世辞抜きで誠にありがたい話である。

冒頭で触れた騒動を目撃したあと、店を出た私は以上のようなことを考えながら帰宅の途に着いた。そして、自室に戻ると更新以来、無記名のままになっていたクレジットカードを取り出して、自分の名前を書いた。相変わらずの悪筆であった。


手ぶくろを買いに (日本の童話名作選)/偕成社

¥1,512
Amazon.co.jp


Viewing all articles
Browse latest Browse all 909

Trending Articles