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一番美味しいのは道産の鹿肉だと確信しています

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父の話から始めたい。
父が幼い頃というから、戦後間もない頃の出来事であろう。近くの川で捕まえた数匹のエビをバケツに入れて、夢中で眺めていた。今日のアクアリウムを例にするまでもなく、水棲生物には独特の美しさがある。また、人間が暮らすことのできない水の中を自在に動き回る魚やエビは、子供の頃、泳ぎが苦手であった父にとって、一種の憧憬の対象になり得た。成人した女性が宝石箱のフタを開いて、自らのコレクションに陶然とするように、父は飽きもせずにバケツの中を泳ぎ回る生きた宝石を眺めていたという。
そこに近所の職人さんが現れた。子供がしげしげと何を眺めているのかが気になった職人さんは、バケツの中に目をやった。半透明のエビが数匹、陽光を浴びてキラキラと輝いている。父と共に暫くの間、エビを眺めていた職人さんは、徐にバケツの中に手を突っ込むと摘みあげたエビをパクリと食べた。

「ごちそうさん」

といい残して、職人さんはたち去った。父は言葉もなかったという。エビが可哀想とかいうのではなく、単純に驚いたらしい。川エビは当時の貴重な蛋白源であり、父も自宅の食卓に並べるために捕獲に向かったことは何度かあったと思われる。職人さんも『ほんのツマミ食い』程度の発想で、悪意も害意もなかったのは間違いない。ただ、その時、そのシチュエーションで食べられるとは思わなかったのであろう。余程、記憶に残っているのか、今でも父は酔う度に同じ話を聞かせてくれる。そのことのほうが息子として気になっている。ともあれ、同じ地域に住まう者同士の間でも、或る生物を食材と見做すか、愛玩品と考えるかは時と状況次第で大きく隔たるという話である。


話は大きく変わる。
歴代の中華帝国で最も幸運な皇帝は誰かとの問いに司馬炎と応える人は決して少数派ではないと思う。高名な三国志の時代に終止符を打った晋王朝の初代皇帝ではあるが、事実上の開祖が祖父・司馬懿、伯父・司馬師、父・司馬昭の三人であったことは、恐らくは司馬炎本人が誰よりも自覚していたであろう。彼は上記三名が敷いたレールの上を踏み外さずに歩めばよかった。尤も、天下統一を目前にした北周を僅か三年で滅亡させた宇文贇のような存在を思えば、座して他人がついた餅を待つような感覚で玉座の主になったワケではないのは確かである。
ただし、孫呉を滅ぼして天下を統一して以降、司馬炎が統治者としての責任を疎かにしたのは、後世の歴史家の多くが等しく批判する通りである。自分好みの女性を選り抜いて後宮に入れるために庶民に婚姻を禁じたり、辺境異民族の侵入の危機が叫ばれているにも拘わらず、大規模な軍縮に着手したり、臣下一同誰もが『ソイツだけはやめておけ』と反対したあかんたれを後継者に指名したりと、凡そ、亡国の皇帝がやりそうなことは全てやった。実際、彼の悪政が遠因で晋王朝は中原を逐われることになるのだが、司馬炎本人は国が亡ぶより先にベッドの上で天寿を全うしていた。司馬炎は死ぬタイミングまでも幸運児であった。
さて、やりたい放題の後半生で、司馬炎はグルメにも目覚めた。芸と食に対する執着において、中国人を凌駕する民族は多くはない。御多分に漏れず、司馬炎も美食のかぎりを尽くした。或る時、臣下である王斉の邸宅で蒸豚を食した。今までに食べたこともない、稀なる美味であったため、司馬炎は秘訣を問い質した。

王斉「人の母乳で育てた豚でございます」
司馬炎「……………気持ち悪い」


食事もそこそこに司馬炎は邸宅を去ったという。他人の迷惑を顧みず、やりたいことは全部やって死んだ司馬炎の放埓さを以てしても、人の母乳で育てた豚を食することには抵抗があったらしい。司馬炎が食したのはあくまでも家畜の豚に過ぎず、人の母乳を与えて育てた豚が人になるという話も聞いたことがないが、そこにカ的な倫理上の忌避が発生するというのは面白い話である。人間と動物を隔てる倫理の境界線は我々が日常生活で認識しているよりも、遥かに柔軟でいい加減なものであるようだ。私なんぞは倫理上の忌避よりも母乳を与えた女性の容貌とプロポーションのほうが重要だなどと不埒なことを考えてしまうのだが。


「オレだったら、戦って敗れたい」

千年不敗の神話を誇る古武術・陸奥圓明流の後継者、陸奥九十九はフローレンス・ヒューズに向かって、そう言い放った。漫画の中での話である。地上最強、世界最強を証明するために『陸奥圓明流でボクシングに勝つ』ことを志しながらも、組織とルールの壁に目標を遮られ続ける九十九の血を吐くような心境が伝わってくる台詞だ。ボクシング編は戦闘そのものは地味ながらも(ボクシングをハデに描くことに成功した漫画家は車田正美くらいであるが)、陸奥圓明流とは何か、陸奥九十九とは何者かを描いた点で、作中屈指の重要パートであるといえよう。
助けた……というか、食事を驕った相手のフローレンスに『クジラやイルカを食う日本人は吐き気を催す人類の恥』と批判された九十九は、

「どうせ人間に喰われるんだったら、クジラになりたいね。喰われるために育てられ、何もわからないまま友達だと思っていた人間に殺される。ブタや牛に対してしてる事のほうが残酷だと思うぜ、俺はね。クジラやイルカは食われたとしても、それまでは自由に大海を泳いでいたんだ。つかまったのは運と力がなかったからさ」

と説き、冒頭の台詞を挟むと、

「ブタや牛とクジラやイルカとの間に決定的に違うことが一つある。戦うチャンスすら与えられない者と戦って敗れることができる者。オレにはこの差はでかいと思うぜ」

と続ける。一見、捕鯨論争をしているようで、完全に自分の都合しか語っていない点で実に陸奥九十九らしい台詞だが、意外と事態の本質を射抜いているようでもある。次回で最終回を迎える『修羅の門』が今日の我々に残してくれたモノは意外と大きいのではないか。


しかし、実はそうでもないかも知れない。
今日の捕鯨論争ではアニマル・ライツという思想が一翼を担っている。アリテイにいうと動物にも人間と同等の権利を認めるという概念で、私のような保守的な人間にしてみれば、

「アイツら未来に生きてんな」

という言葉しか浮かんでこない。特定の種族ではなく、動物全体の権利を擁護するという主張の前には、九十九の理論も沈黙せざるを得ないであろう。勿論、そのことで九十九が恥じる必要も全くない。しかし、私のように競馬を見、馬券を買い、乗馬を志しながら馬刺しを食える類の人間には、色々とやりにくい世の中になっているようである。全くもって、

「この世に価値観が一つなら、キャンベルのチキン・ヌードルしか食べ物がなくても、誰も文句は言わないよ。そいつが良いか悪いかは別としても、とりあえず世界は平和だ」

とラグーン商会の機材担当員が語った世界は心底ぞっとしない。

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