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憎みきれないろくでなしと名優への哀惜を込めて

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憎めない奴という言葉を聞いて、私が思い浮かべるのは長州の井上聞多(1836~1915)である。

無論、異なる解釈も存在するであろう。聞多、維新を経て井上馨と名乗るこの男は、明治政府の汚職の代名詞でもあった。尾去沢銅山事件や藤田組贋札事件といった銅臭紛々たる疑獄には、必ず聞多が絡んでいた。聞多のために弁護をしておくと、彼が育てた財閥は何れも日本の経済を牽引する存在となり、彼らなくして近代化は成立し得なかったのは間違いない。聞多が財閥を育て、財閥が聞多の懐を潤し、その金銭でのしあがった聞多が財閥を更なる高みへひきあげる。その循環運動が日本の近代化の動力源となった。ただし、聞多個人も相当、金銭に意地汚い男であったのも確かである。囲っていた愛人にプレゼントした筈の邸宅を、その女性に飽きると、当人に何の断りもなしに売っ払うといったセコいマネを仕出かしている。それも何度も。呆れた桂太郎が調停に入ると、

井上聞多「それじゃあ、家も手切れ金も呉れてやる。その代わり、一生他の男と寝るな」

といって、桂と女性を閉口させた。これは古稀を過ぎてからの逸話であるから、聞多の金銭欲と独占欲の尋常ならざる様子が窺えるというものだ。しかし、それでも、私個人には聞多に悪い感情を抱くことはできない。同じ長州藩出身で、山城屋事件という明治政府屈指の汚職を引き起こし、大した人望もないくせに有朋などと名乗った山縣狂介には、何を気取っていやがるんだという思いを禁じ得ないにも拘わらず、同じ汚職でも聞多がやると、

与力「聞多がやるならしゃーない」

と思えてしまうのだ。

そもそも、現代の私にかぎった話ではなく、聞多は幕末の頃から周囲の人間に好かれていた。主君・毛利敬親の覚えも愛でたく(聞多という通称は敬親直々の命名である)、周布政之助や来島又兵衛といった藩の重役連中にも顔が効き、高杉や久坂といった同輩とも違和感なく打ち解けたうえ、伊藤俊輔という年少者とも気があった。一つには聞多が金策の名人であったゆえであろう。高杉や久坂が騒動を計画する時、その資金源を調達するのは大抵、聞多の仕事であった。ただし、聞多のポケットマネーで賄ったワケではない。高杉や久坂の仕出かす騒ぎは数百、数千両の金銭が入用であり、個人で用意できる額ではないのは自明である。金銭は聞多が重役の御機嫌を伺い、藩の工作費から捻出、アリテイにいうとチョロまかしてくるのだ。
尤も、聞多は単なる金を生み出す打ち出の小槌のイエスマンではなかった。ある時、高杉と久坂が尊王攘夷の〒□を起こすという、毎度のことながら、ロクでもない計画を思いついた。しかし、金銭がない。一説には計画の資金不足どころか、遊郭の借金で〒□に向かおうにも店から一歩も出して貰えない状況であったという。これも毎度のことながら、聞多が資金繰りに奔走した。まぁ、上記の借金には間違いなく、聞多も絡んでいたであろうから、聞多個人に対する同情は無用であるが、今回は僅かな金銭しか得られなかった。恐らくは来島又兵衛が藩の金庫の当番であったと思われる。借金の利息にもならない金銭を胸に、仲間に如何に言い繕おうかと悩みながら遊郭に戻った聞多が見たのは、当の高杉と久坂が声を荒げて、お互いを斬ると息巻く姿であった。長州名物の内ゲバである。

ぷっつん。

井上聞多「くぁwせdrftgyふじこlp!!」

俺が死ぬ思いで金策に走り回っている間、おまえらは仲間同士で殺しあいをしようとしていたのか! もしも、どちらかが死んだら、俺が集めてきた金銭はムダになったじゃないか! このロクでなし共が! 恥を知れ、恥を!
まぁ、このようなことをいっていたのであろうが、実際は叫んでいる内容よりも聞多のあまりの剣幕に、流石の高杉と久坂もドンびきして、聞多を宥めるのに必死にならざるを得なかった。こうして聞多の金策の失敗はウヤムヤのうちに葬り去られた。こういう男である。後日、世にいう『長州ファイブ』の一員としてロンドン留学に赴く際にも、聞多と愉快な仲間たちは出航前に全ての準備金を遊郭で使い果たすという、如何にも長州の書生らしい不始末を仕出かしたが、その時も藩の重役を丸め込んで更なる金銭をチョロまかしたのも聞多であった。繰り返す。こういう男である。
維新後、聞多が大蔵大輔として、明治政府の財政を委託されたのも、一つには上記のような事例があったゆえであろう。要するに聞多は何処からか金銭を掻き集めてくるという印象を持たれていたのだ。しかし、これも上記の逸話から判るように、聞多の金策とは上役の懐から予算をチョロまかしてくることであって、自分自身が上役になった時には、その才能を十全に活かすことはできなかった。極端な表現をすると、聞多の才能とは借金の才能であったかも知れない。恒産がなくても恒心を保ち得るという点で、確かに聞多はユリウス・カエサルにも匹敵する世にも稀なる傑物であった。カエサルとの違いは、幕末の混迷時、刺客に襲われて全身数十カ所をメッタ斬りにされたにも拘わらず、大正まで長命して、七十九歳の天寿を全うしたことである。尤も、歴史作家の海音寺潮五郎氏と司馬遼太郎氏の御両名に『襲われた時に死ねばよかった=汚職政治家として名を残すこともなかった』と評されてしまうのが聞多の聞多たる所以であろう。

一応、この記事は井上聞多の魅力を語るつもりであったが、いざ読み直してみると聞多の名誉にならない逸話ばかりを紹介してしまったようでもある。尤も、憎めない奴として紹介しているので、いい人系の逸話を書くのも筋違いかも知れない。これらのどーしょーもない逸話を以てしても憎めないのが井上聞多という人物なのである。
一つには聞多という人物が私の中で明確に映像化されているからではないかと思う。よき作家が描くキャラクターが生きて動いて見えるように、よき俳優が演じる役柄も、実在の有無や時代の隔たりを越えて、私たちの中で生きた存在と成り得るのは緒形拳氏の羽柴秀吉、渡辺謙氏の伊達政宗を見れば一目瞭然であろう。この御両名に匹敵するハマリ役&名演として私の記憶に残っているのが日テレ年末時代劇『奇兵隊』で萩原流行氏が演じた井上聞多である。気忙しく金策に駆けずり回り、何かというとすぐにキレ、女にだらしがなく、そのくせ、与えられた仕事はソツなくこなす井上聞多というキャラクターを、萩原氏は見事に演じておられた。惜しむらくは上記した聞多襲撃事件以降は物語から姿を消してしまったことであるが、それでも、あの作品で一番印象に残ったのは『萩原聞多』であった。マツケンの高杉&永島さんの久坂の違和感が半端なかった分、余計にである。私の中で井上聞多という歴史上の人物がイキイキと生きて動いて魅力的に感じられるのは、偏に萩原氏の名演のおかげと評しても過言ではない。

先日、その萩原流行さんの訃報に接した。私の中では萩原さん=聞多という公式が成立していたため、司馬さんが『死んでも死なぬ』と評した聞多の訃報に接したような気分に陥った。近年はバラエティへの出演や、モノマネ芸人の対象として知られていたが、間違いなく、アクの強い名優と評される方であったと思う。萩原さんのファンとして、そして、聞多好きとして、明治の元勲となっても女の手切れ金でブチブチと文句を垂れる大人気ない聞多を萩原さんに演じて欲しかった。

慎んで哀悼の意を表します。

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