海堂晃「空手の『空』とは、因果を読み、受け入れ、呑み込み、崩し……一撃を放つ。ただ、それだけの事」
遂に炸裂した海堂の『瞬』の空手! そのインパクトの瞬間といい、九十九のブッ飛び方といい、第弐門で初となる九十九のダウンといい、いまだに谷山が現れないことといい、結構な衝撃でしたが、しかし、今回は本編よりもラストページの、
『修羅の門 第弐門』最終話まで残すところ二話。
というアオリのほうが遥かに驚いたよ! @二話て! 54話ということは単行本に直すと全18巻で〆という計算になります。正直、19巻になると予想していたのですよ。第壱門(?)の31巻とあわせると丁度50巻でキリがいいですしね。そういう点からも今年後半の終了と踏んでいたので吃驚。今の私はマウントを悉く九十九に返されたボルト並みに動揺しています。山田さんの本名の読み方とか、九十九と山田さんの関係とか、山田さんと羽生社長の関係とか、姜子牙のリハビリの具合とか、ケンシン・マエダの消息とか、来日したイグナシオの動向とか、陸奥VS海堂の仕合を取材し損ねた谷山が編集長の座を守り切れるのかとか、この辺は描かれないままで終わりそう……あれ、実際に書いてみると意外とどうでもいいことばかりだな。そもそも、本作がキチンと完結すること自体が嬉しいっちゃあ嬉しいので、あまり高望みはしないが吉かも知れません。尤も、川原センセの筆のノリ具合では『修羅の門 第参門』とかあるかも。
今回のポイントは一つ。勿論、
『瞬』の空手とは何か?
これしかありません。この分析に今回の記事全てを費やしてみましょう。
冒頭の海堂の言葉が表現する『瞬』の空手の極意。これを翻訳すると『誘って、避けて、崩して、反撃』。極めてシンプルですね。もっと露骨な表現を用いるとそれができれば苦労しないよという話です。まぁ、空手にかぎらず、極意というのはそういうものではあります。株取引で例えると『安い時に買って高い時に売る』のが極意なのと同じ。誰もが判っちゃいるけれども、現実には実行できないのが極意といえるでしょう。
でも、海堂はその境地に達したワケですな。
如何なる修行や経緯でその境地に達したかを見たかったという欲求があるかも知れませんが、私個人は気にしていません。九十九のラストバトルの相手として登場するのが海堂であり、そのファイトスタイルは龍造寺徹心の理想の空手、即ち、一撃必殺であることは第壱門(?)の頃から確定していたからです。それゆえ、海堂の修行の内容も悟った契機も然したる問題ではない。そもそも、マッイイツォが口にしたゼンモンドーなどで語られる悟りの契機なんか、闇夜でカラスがカァーと鳴いたのを聞いて頓悟したとか、ドアに足を挟まれて骨折した瞬間に悟ったとか、シロートが聞いてもワケが判らないものばかりですからね。悟りというのは理屈じゃないんですよ。
ただし、これはバトル漫画的には非常にリスキーな設定でもあります。理屈で説明できないということは、それを理屈で破ることもできないということに他なりません。例えば九十九による『菩薩掌』破り。『菩薩掌』は『雷』や『獅子吼』と異なり、漫画の中の理屈でしか成立し得ない技ですが、それでも、理屈があるからこそ、そのロジックを覆すことで技を破ることができる。しかし、海堂の『瞬』の空手は存在そのものが理屈から一番遠い悟りの境地にあるので、こうこうこういうやり方をすれば勝てるという流れが見えないんじゃないかと思うのですよ。これを@2回で……というか、後日談もやるとしたら、1回半で覆せるのかどうか。結構不安です。
それでも、無理矢理に『瞬』の空手に理屈をつけるとしたら、鍵になるのは、
片山右京「(気が)膨れ上がっているのは陸奥の方だけで、むしろ、海堂はその『気』を吸い込んでいる?」
という台詞。
これ、今回の本編でも語られていた徹心VS北斗の戦いを思い出して頂けると嬉しいのですが、あの時、徹心はノーガードの構えを取ることで北斗の攻撃を限定化していたんですよね。結果として、北斗の攻撃を捌ききれずに片目を抉られてしまったんですけれども、一撃必殺の拳を繰り出す方法としては間違っていない。相手の攻撃を限定化すれば、それを躱すことも容易になる。そして、自分が攻撃していると思い込んでいる時が、最もカウンターを喰らいやすいというのは、沢村の解説と宮田の戦いが実証している。所謂『意識の外からの攻撃』って奴です。
つまり、海堂の『瞬』の空手とはフェイントや視線誘導で攻撃を限定化して、相手を誘い込んだうえで躱して、カウンターを叩き込むというものではないでしょうか。海堂が九十九の『気』を吸い込んでいるように見えたのは、九十九の攻撃を海堂が吸い込んでいる地点に限定化しているからかも知れません。限定化した攻撃は海堂のスピードであれば必ず躱せる。躱せる攻撃は『実』とは呼べない。そこにあるのは『空』のみ。まぁ、理屈でいうと単純なカラクリですけれども、この推察が正しいとしたら、真に恐ろしいのは海堂の精神力でしょう。海堂のやっていることは、ある種の博打なんですよ。読み通りの攻撃であればこそ、寸前で回避できるワケで、フェイントによる誘導に失敗していたら、マトモに相手の攻撃を喰らうワケじゃないですか。仕合開始時から九十九が海堂を『恐ろしい』と評していますが、それは単なるフィジカルやテクニックの凄さではなく、誘いとはいえ、これ見よがしの隙を九十九に晒しながら、海堂は戦い続けているからではないかと推察してみます。
こういうリスキーな技は嵌ったら強いですが、当然、弱点も存在する。まず、相手の攻撃を限定化するという特質上、自分からは攻撃できない。ローマンの『神のディフェンス』と同じように、オフェンスと同時並行で相手の動きを読むのは難しいと思われます。この辺、相手を捻じ伏せてナンボという闘争の本質から逸れているように見えなくもないですが、活人剣や護身術を目指した格闘技もあるので、一概には言えないか。それに相手は誰あろう陸奥九十九ですから、ディフェンスベースの格闘スタイルでも何の問題もありませんよね。本編で山田さんが評したように九十九は常に挑戦者の姿勢であり、必ず自分から仕掛けてくるワケですから、対九十九用のハメ技としては悪くないかも。
次に如何に必殺の拳とはいえ、今回描かれたように『四門』に代表される人間の限界を超えた動きを捕えるのは難しいということ。如何に世界のスピードを加速させても、自分の体力の限界を超えた動きができないプッチ神父と同じですね。いや、違うか。まぁ、いいや。しかし、一度躱されたことで海堂もタイミングを体に刻み込んでいるでしょうから、次は『四門』の動きにもカッチリと合わせてくる可能性大。姜子牙のようにガチで『四門』についていかなくても、拳を当てるタイミングさえ判ればいいというのが海堂の考えかと思われます。
そして、必殺の拳を当てた瞬間は海堂といえども無防備になるであろうこと。今回は『四門』で跳んだ九十九ですが、相討ち覚悟で踏みとどまった場合、海堂に二の手三の手はあるのでしょうか。いや、それをいっちゃあ、空手の理想である『一撃必殺』の意味がなくなるので、意味のない問答かも知れませんが……あ、意味がないといえば、海堂も相手の攻撃を誘導できても、意味のない技を読み切れるかどうかは微妙ですね。勿論、山田さんが九十九に託した足技。あれが何らかの形で突破口になってくれると嬉しいです。陸奥の千年、不破の四百年を背負った修羅王の戦いで、ああいう殺気を感じない技が鍵になるという展開は面白そう。
そんなワケで中盤以降は殆ど私の妄想大爆発となった『瞬』の空手の分析。取り敢えず、
① 最終奥義
② 喰らった相手がブッ飛ぶ
③ カウンター発動系
という諸条件を鑑みるに、
『天地魔闘の構え』
と捉えておけば間違いないんじゃないでしょうか(違
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遂に炸裂した海堂の『瞬』の空手! そのインパクトの瞬間といい、九十九のブッ飛び方といい、第弐門で初となる九十九のダウンといい、いまだに谷山が現れないことといい、結構な衝撃でしたが、しかし、今回は本編よりもラストページの、
『修羅の門 第弐門』最終話まで残すところ二話。
というアオリのほうが遥かに驚いたよ! @二話て! 54話ということは単行本に直すと全18巻で〆という計算になります。正直、19巻になると予想していたのですよ。第壱門(?)の31巻とあわせると丁度50巻でキリがいいですしね。そういう点からも今年後半の終了と踏んでいたので吃驚。今の私はマウントを悉く九十九に返されたボルト並みに動揺しています。山田さんの本名の読み方とか、九十九と山田さんの関係とか、山田さんと羽生社長の関係とか、姜子牙のリハビリの具合とか、ケンシン・マエダの消息とか、来日したイグナシオの動向とか、陸奥VS海堂の仕合を取材し損ねた谷山が編集長の座を守り切れるのかとか、この辺は描かれないままで終わりそう……あれ、実際に書いてみると意外とどうでもいいことばかりだな。そもそも、本作がキチンと完結すること自体が嬉しいっちゃあ嬉しいので、あまり高望みはしないが吉かも知れません。尤も、川原センセの筆のノリ具合では『修羅の門 第参門』とかあるかも。
今回のポイントは一つ。勿論、
『瞬』の空手とは何か?
これしかありません。この分析に今回の記事全てを費やしてみましょう。
冒頭の海堂の言葉が表現する『瞬』の空手の極意。これを翻訳すると『誘って、避けて、崩して、反撃』。極めてシンプルですね。もっと露骨な表現を用いるとそれができれば苦労しないよという話です。まぁ、空手にかぎらず、極意というのはそういうものではあります。株取引で例えると『安い時に買って高い時に売る』のが極意なのと同じ。誰もが判っちゃいるけれども、現実には実行できないのが極意といえるでしょう。
でも、海堂はその境地に達したワケですな。
如何なる修行や経緯でその境地に達したかを見たかったという欲求があるかも知れませんが、私個人は気にしていません。九十九のラストバトルの相手として登場するのが海堂であり、そのファイトスタイルは龍造寺徹心の理想の空手、即ち、一撃必殺であることは第壱門(?)の頃から確定していたからです。それゆえ、海堂の修行の内容も悟った契機も然したる問題ではない。そもそも、マッイイツォが口にしたゼンモンドーなどで語られる悟りの契機なんか、闇夜でカラスがカァーと鳴いたのを聞いて頓悟したとか、ドアに足を挟まれて骨折した瞬間に悟ったとか、シロートが聞いてもワケが判らないものばかりですからね。悟りというのは理屈じゃないんですよ。
ただし、これはバトル漫画的には非常にリスキーな設定でもあります。理屈で説明できないということは、それを理屈で破ることもできないということに他なりません。例えば九十九による『菩薩掌』破り。『菩薩掌』は『雷』や『獅子吼』と異なり、漫画の中の理屈でしか成立し得ない技ですが、それでも、理屈があるからこそ、そのロジックを覆すことで技を破ることができる。しかし、海堂の『瞬』の空手は存在そのものが理屈から一番遠い悟りの境地にあるので、こうこうこういうやり方をすれば勝てるという流れが見えないんじゃないかと思うのですよ。これを@2回で……というか、後日談もやるとしたら、1回半で覆せるのかどうか。結構不安です。
それでも、無理矢理に『瞬』の空手に理屈をつけるとしたら、鍵になるのは、
片山右京「(気が)膨れ上がっているのは陸奥の方だけで、むしろ、海堂はその『気』を吸い込んでいる?」
という台詞。
これ、今回の本編でも語られていた徹心VS北斗の戦いを思い出して頂けると嬉しいのですが、あの時、徹心はノーガードの構えを取ることで北斗の攻撃を限定化していたんですよね。結果として、北斗の攻撃を捌ききれずに片目を抉られてしまったんですけれども、一撃必殺の拳を繰り出す方法としては間違っていない。相手の攻撃を限定化すれば、それを躱すことも容易になる。そして、自分が攻撃していると思い込んでいる時が、最もカウンターを喰らいやすいというのは、沢村の解説と宮田の戦いが実証している。所謂『意識の外からの攻撃』って奴です。
つまり、海堂の『瞬』の空手とはフェイントや視線誘導で攻撃を限定化して、相手を誘い込んだうえで躱して、カウンターを叩き込むというものではないでしょうか。海堂が九十九の『気』を吸い込んでいるように見えたのは、九十九の攻撃を海堂が吸い込んでいる地点に限定化しているからかも知れません。限定化した攻撃は海堂のスピードであれば必ず躱せる。躱せる攻撃は『実』とは呼べない。そこにあるのは『空』のみ。まぁ、理屈でいうと単純なカラクリですけれども、この推察が正しいとしたら、真に恐ろしいのは海堂の精神力でしょう。海堂のやっていることは、ある種の博打なんですよ。読み通りの攻撃であればこそ、寸前で回避できるワケで、フェイントによる誘導に失敗していたら、マトモに相手の攻撃を喰らうワケじゃないですか。仕合開始時から九十九が海堂を『恐ろしい』と評していますが、それは単なるフィジカルやテクニックの凄さではなく、誘いとはいえ、これ見よがしの隙を九十九に晒しながら、海堂は戦い続けているからではないかと推察してみます。
こういうリスキーな技は嵌ったら強いですが、当然、弱点も存在する。まず、相手の攻撃を限定化するという特質上、自分からは攻撃できない。ローマンの『神のディフェンス』と同じように、オフェンスと同時並行で相手の動きを読むのは難しいと思われます。この辺、相手を捻じ伏せてナンボという闘争の本質から逸れているように見えなくもないですが、活人剣や護身術を目指した格闘技もあるので、一概には言えないか。それに相手は誰あろう陸奥九十九ですから、ディフェンスベースの格闘スタイルでも何の問題もありませんよね。本編で山田さんが評したように九十九は常に挑戦者の姿勢であり、必ず自分から仕掛けてくるワケですから、対九十九用のハメ技としては悪くないかも。
次に如何に必殺の拳とはいえ、今回描かれたように『四門』に代表される人間の限界を超えた動きを捕えるのは難しいということ。如何に世界のスピードを加速させても、自分の体力の限界を超えた動きができないプッチ神父と同じですね。いや、違うか。まぁ、いいや。しかし、一度躱されたことで海堂もタイミングを体に刻み込んでいるでしょうから、次は『四門』の動きにもカッチリと合わせてくる可能性大。姜子牙のようにガチで『四門』についていかなくても、拳を当てるタイミングさえ判ればいいというのが海堂の考えかと思われます。
そして、必殺の拳を当てた瞬間は海堂といえども無防備になるであろうこと。今回は『四門』で跳んだ九十九ですが、相討ち覚悟で踏みとどまった場合、海堂に二の手三の手はあるのでしょうか。いや、それをいっちゃあ、空手の理想である『一撃必殺』の意味がなくなるので、意味のない問答かも知れませんが……あ、意味がないといえば、海堂も相手の攻撃を誘導できても、意味のない技を読み切れるかどうかは微妙ですね。勿論、山田さんが九十九に託した足技。あれが何らかの形で突破口になってくれると嬉しいです。陸奥の千年、不破の四百年を背負った修羅王の戦いで、ああいう殺気を感じない技が鍵になるという展開は面白そう。
そんなワケで中盤以降は殆ど私の妄想大爆発となった『瞬』の空手の分析。取り敢えず、
① 最終奥義
② 喰らった相手がブッ飛ぶ
③ カウンター発動系
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と捉えておけば間違いないんじゃないでしょうか(違
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