大河ドラマ『独眼竜政宗』の再放送が終了しました。
当時のスタッフや出演者、そして、再放送を決定したNHKBSの御英断に心からの感謝を贈りたいと思います。
さて、通常の大河ドラマの総評は毎年、九月半ば過ぎから着手して、十二月の後半にUPしています。歴史記事ほどではないにせよ、手間がかかる記事の一つですね。そして、この『独眼竜政宗』は当初は総評記事は書かない予定でした。本作は私如きが何処が如何素晴らしいかを述べるまでもなく、万人に面白さが通じる傑作ですので、取りたてて総評記事を書く必要性がないと思ったからですが、しかし、いざ、完結を迎えると何らかの形で感想記事全体を締めくくりたいという欲求が出てきたのも確か。そんなワケで今回は総評の代わりに印象に残った場面やキャラクターを通して本作を振り返ってみたいと思います。上記のように三か月近くを費やす通常の総評ほどに時間がなかったので、大分駆け足になる&今までの感想記事と被る点も多々ありますが、御容赦下さい。
まずは名場面で振り返る『独眼竜政宗』の魅力からいきましょう。予め弁明しておくと選出した回が結構重複してしまっていますが、キチンと本編を見た&自分の感想記事を読み返した結果ですので、こちらも御了承下さい。
第五位……『不動明王』
梵天丸「ぼんてんまるもかくありたい」
伊達輝宗「梵天丸が? しかとそのように申したのか?」
喜多「はい、何度も申されました。『人の上に立つ者は不動明王のようでなくてはならぬ』と」
![主人公ですから]()
本作は脚本家が頭を絞って考え出している台詞に溢れていました。現在絶賛放送中の『ダウントン・アビー』と同様、台詞に輝かしい知性の煌めきがあると、筋書は平凡でも物語は断然面白くなるものです。尤も『ダウントン・アビー』は意地でもレトリックに欠けた言葉を使うものかという貴族の矜持、言い換えると知性と教養に富んだ台詞であるのに対して、本作の台詞はいい意味で生臭い台詞といえるでしょう。
上記の喜多の台詞が典型ですね。梵天丸本人が聞いたら『そういう意味で申しあげたのではない』と否定しそうな上記の輝宗と喜多の遣り取り。喜多は梵天丸の思いを斟酌して、輝宗の喜びそうな言葉に翻訳して話しているんですよ。完璧なる嘘ではないが、どう贔屓目に見ても純然たる真実ではない。しかし、それで誰かが損をするかというとそんなことはなく、喜多の斟酌&翻訳で全てが丸く収まっている。こうした好意的な情報の改竄、即ち、その場の雰囲気や相手に応じて、自分の言葉にベクトルやバイアスを加えた経験は、誰もが一度ならず覚えがあるのではないでしょうか。勿論、それは悪いことでも何でもない。ごく普通の常識であり、処世術です。それに伝言ゲームでも判るように情報が人間を媒介に伝達する際に全く変容しないほうが不自然なんですよ。その意味でも上記の場面は非常に現実味がある。こうした誰もが経験のある情報操作&変容を盛り込むことで生じる台詞の生臭さ=リアリティ。これが『独眼竜政宗』の魅力の一つでしょう。
第四位……『黄金の十字架』①
伊達政宗「それがしの目を御覧下され。左は真物、右は偽物でござる!」ドヤァッ
伊達政宗「俺は潔白だ。謀叛を企てたことはない」ヒシッ
![主人公ですから]()
前項の喜多とは違った意味で主人公が殆ど嘘しかいわなかった回がこれ。何せ、この回で主人公が虚心坦懐に接した相手は宗匠一人でしたからね。どんだけ嘘が好きなんだ、この物語。
『鶺鴒の眼の穴』や『黄金の十字架』といった外連味のあるアイテムが目立つ当該回ですが、私個人は後述する宗匠との逸話を除くと、ラストで描かれた主人公と愛姫の遣り取りが最も印象に残りました。鶺鴒の眼のトリックで無罪放免になってから、上洛するまでの間に主人公と愛姫の回想シーンが挿入されるんですけれども、これは一見するとあんまり意味がないように思える。でも、回想シーンで己の野心を語る=真実を口にした時の政宗は愛姫を己の左目の側で抱擁するんですよ。そして、今回のラストでは右側で抱き寄せる。そこに上記の『右目は偽物、左目は真物』というレオンに向けた言葉を当て嵌めると、この場面の意図がハッキリする。つまり、政宗は口にはしない(立場上もできない)けれども、嘘をついたことを認めているし、愛姫も普段と逆方向の抱擁ということで亭主の虚言を察しているのでしょう。この左右の抱擁の書き分けを御指摘下さったのはdaisuke5513さんで、私は『嘘をついた政宗は嫁の目を真っ直ぐに見られないから抱き寄せたんだな』という解釈に留まっていましたが、これに気づかされてからは本作屈指の名場面になりましたよ。感想記事を書いてよかったと改めて思えたエピソードでした。
第三位……『天下人』①
伊達小次郎「兄上……兄上……兄上……」ヒュードロドロドロドロ
伊達政宗「小次郎……神妙に成仏致せ! おまえが憎うて斬ったのではない……伊達家安堵のため、致し方なく斬ったのだ!」(((((((( ;゚Д゚)))))))ガクガクブルブルガタガタブルガタガクガク
見ているほうが『何もそこまでビビらんでも』とドンびきするレベルの主人公の狼狽っぷりが印象に残る小次郎の亡霊登場シーン。私も昔は何でこんなシーンが挿入されたのか、全く判りませんでした。実際、このシーンを抜いてもフツーにストーリーは繋がりますからね。リアリティを損なうシーンだなぁとか考えていたものです。
しかし、実は非常にリアリティに溢れた場面でした。いや、亡霊の存在がリアリティというワケじゃないですよ。人は如何なる時に幽霊を見るのか。それは張りつめていた緊張が緩んだ時に他なりません。心の隙間に巣食った闇を抑え込む気力がなくなった瞬間、人は己のウシロメタサを幻影として認識する。この場合の政宗は秀吉との対面を首尾よく成功させて、己が生命と所領を安堵されたことで気が緩み、実弟斬殺の罪を心の奥底で再認識してしまったんですね。亡霊が現れたということは、オドロオドロしい雰囲気とは真逆に、主人公が窮地を脱したことを表現している。これは人間が幽霊を見る心理的メカニズムをキチンと理解していないと描けないシーン。何より、主人公は実弟の犠牲なくして、今回の虎口を脱することはできなかったワケですから、ここで小次郎斬殺を思い出さないようでは、主人公の人間性に疑問符がつくというもの。幽霊というファンタジー要素をリアリティを描くためのツールに用いるのみならず、実弟を斬殺するという非情さを見せた主人公は、実は人間味に溢れる為人であることを表現した、実にテクニカルな場面。本作では他にも、夢や寝言や勘違いで登場人物の本音を語らせる場面が多いですが、これは礼儀や建前や気遣いや嘘で塗り固められた台詞(褒め言葉です)が横行する本作ならではの技法といえるでしょう。
第2位……『黄金の十字架』②
千利休「利休にございまする。今日の日を心待ちにしておりました。常々、懇切なる御書状を頂いている所為か、初対面とは思えませぬ。お懐かしゅうございまする」
伊達政宗「身に余る御言葉、嬉しゅうございまする」
上記の三件は脚本の妙とでも評すべき内容ですが、これは演出の凄味を感じた名場面。茶席における主人公主従と宗匠の所作には凛呼とした美意識が感じられました。茶席とは何か、千利休とは何者かを垣間見た思いでした(あくまでも垣間見たです、念のため)。本作では事実上、二話しか出番がないのに、他の凡百の歴史劇よりも印象に残った宗匠。まぁ、近年では茶と一緒に自分の切腹フラグをたてる人間ミキサーに過ぎないか、そうでなければ、
![無双]()
こういう宗匠のイメージが強過ぎたというのもあるでしょうけれども、本作では何よりも茶席の演出表現が飛び抜けていたからではないでしょうか。
演出とは何かを一言で表現するのは不可能ですが、登場人物の才能を描くのは脚本の役割で、雰囲気を表現するのが演出家の仕事だと思います。些かヲタっぽい表現を用いるとパラメータ化できない能力を描くのが演出といえるでしょう。それこそ、某コーエーゲームでも大抵はイベントキャラであったり、隠しキャラであったりするように、宗匠は武力や知力や魅力といった単純なパラメータで表現できない存在なんですよ。教養や美意識といった数値化しにくい要素が宗匠の本質であり、そこを見事に表現した本作の凄味を感じました。宗匠本人も彼岸で、
![語源]()
と感嘆しているのではないでしょうか。
第一位……『天下人』②
豊臣秀吉「運のよい奴よの」ビシッ
伊達政宗「」ビクンッ
豊臣秀吉「……小田原城が落ちた後ならば、そのほうの首級はなかったぞ」トントン
伊達政宗「」カッハァーッ
もう、こればかりは仕方ない。誰が何といおうと政宗とラスボスの初対峙こそが、本作の白眉と評すべき名場面中の名場面。異論は認めない。第三位で記した政宗が小次郎の亡霊を見る場面や、帯刀したままで御前に侍ろうとする政宗を家康が無言で制する仕草とか、他にも見所は山ほどあるとはいえ、ここはもう、素直に勝新の存在感にひれ伏すしかありません。第五~三位が脚本家の、第二位が演出家の凄味とすると、第一位は文句なしで俳優の凄味。
大河ドラマの特集番組で何度も紹介されているので、結構広く知られている当該場面。ここだけを切り取られると勝新が秀吉を演じるという、ある意味で出落ち感が半端ないように見えるかも知れませんが、絶対にそうではないことは他の場面での勝新の演技を見れば判ります。鶴松逝去から唐入りに至る流れを演じる勝新、本当に凄かったからね。あれ、台詞を書き起こすと言っていることはメチャクチャで支離滅裂なのに、演技として観賞すると全く違和感ない。寧ろ、当然の帰結にさえ思えてしまう。
今回の再放送時にナベケンがUPしたツイッターでも述べられていたように、これ、当時の現場の負担が相当なものであったのは容易に想像できます。でも、視聴者はそういうのを見たいんですよ。扱いやすいアイドルやタレントの当り障りのない演技ではなく、見ている側が圧倒される存在感を持った俳優を楽しみたい。まぁ、勝新のような俳優は二度と出てこないでしょうけれども……そして、そんな勝新と渡りあった若きナベケンも素晴らしい。第一位は小理屈を捏ねることなく、純粋に俳優の力量に恐れ入る内容でした。
さて、キャラクターベスト10に入る前に軽くストーリー面の総評をしてみましょう。今回、改めて本作を振り返った時に、ふと思い至ったのは、
『独眼竜政宗』に主題はない
という結論でした。まさに本作は伊達政宗の一代記であり、それ以上でもそれ以下でもないんですね。本作の再放送に際しては『凶暴なまでの激しさと御仏の慈悲を併せ持つ男。知恵と才覚を駆使して苦境を乗り越え、一代で仙台62万石の基礎を築いた伊達政宗の波乱の生涯をダイナミックに描きます』というキャッチコピーが掲げられていましたが、凶暴さは兎も角、主人公が御仏の慈悲を示した場面は全く思い出すことができません。つまり、上記のキャッチコピーそのものが『あってなきが如きシロモノであった』ということです。誤解のないように申しあげると、これらは全て褒め言葉です。表現を変えると、
純粋なるエンターテインメント
と呼ぶこともできる。明確な主題がないのに物語の面白さがブレないというのは、極端な比喩を用いると背骨が折れた人間がアクロバット体操を披露しているようなもの。余程、基礎体力がしっかりしていないとできません。いや、実際は基礎体力があっても、背骨が折れた段階で動けませんが、要するに本作は物語を構成する基礎が半端なくしっかりしているということです。
第五位は台詞のリアリティ。
第四位は台詞に頼らない作劇。
第三位は人間心理の深い理解。
第二位は卓絶した演出力。
そして、第一位は物語を演じる俳優の力量。
それこそ、本作は大河ドラマの王道であると同時に、厨二病患者とヤンデレママの半世紀に及ぶ確執を描いたホームドラマであり、諸勢力の思惑が交錯するサスペンスであり、主人公の『おまえがいうな』という言動を楽しむコメディでもあるのですが、上記のベスト5で記したような基礎がしっかりしているから、これといった主題がないくせに様々なジャンルを内包するという矛盾したドラマ構成でも物語がトっ散らからないんですね。全ての基本がハイレベルで安定している。それが『独眼竜政宗』の本質といえるのではないでしょうか。昨今、迷走を続ける大河ドラマに関して『独眼竜政宗』のリメイクでもやっておけという意見を見かけたことがありますが、それは不可能というものでしょう。製作者の基礎能力が違い過ぎる。そんなもんは一般人に『トリプルアクセルを連発すれば金メダルを取れるよ』というくらいに意味のないアドバイスです。
しかし、それでも、全く現代の大河ドラマの参考にならないかといえば、実はそうでもないと思います。結構意外な話ですが、本作は『大河ドラマの黄金期を築いた作品』ではあっても、決して『大河ドラマの黄金期に作られた作品』ではないんですね。『独眼竜政宗』の前作品は三回連続で近現代を舞台にしたオリジナルの創作劇でした。これは『徳川家康』が終盤アレな結末というのが影響したのかどうか、当時の私は乳飲み子同然でしたので記憶にないんですけれども、この時期の大河ドラマが迷走とはいかなくても新しい方向性を模索していたのは確かだと思います。結局、大河ドラマは史実を踏まえた歴史劇に回帰したワケですが、戻ってきた大河ドラマに視聴者が求めていたものは王道であり、基本に忠実な作品であったのだと思います。何よりも本作の大ヒットがそれを証明している。
迷った時は基本から鍛え直す。
これが如何なる言葉よりも現在の大河ドラマに必要なのではないでしょうか。勿論、いいモノが必ずウケると思うほどに、私もナイーヴな感性の持ち主ではありませんが、しかし、いいモノをつくろうとしないコンテンツは必ず衰退するのも事実です。本作の再放送で、その辺のコトに関係者が思いを巡らす契機になってくれれば、史実のマー君宜しく、味方を背後から狙撃するが如き本作の再放送にも意味が出てくるんじゃないかと思います。
では、ラストはキャラクターベスト10の発表で締め括りましょう。コメントでも頂いたようにベスト30くらいは枠が欲しかったですが、流石にそこまでやると全員紹介したほうがいっそ潔く思えるので、泣く泣く諦めました。ちなみに次点は芦名義広。政宗をキヨに比したアバンタイトルといい、本作のスタッフには予言者でもいたんじゃないのか。『俺はまだ本気出してないだけ』とかいっているうちに滅ぼされた芦名の当主に相応しいキャスティングでした。
第10位 豊臣秀次
本作では勝新とナベケンの序列を秀吉と政宗のそれとシンクロさせる演出が取られていた所為で、この両名の関係性が特に注目されますが、私個人はナベケンよりも陣内さんのほうが身の縮む思いであったのではないかと考えます。だって、ナベケンは全身全霊で芝居をするという一点に集中できますが、陣内さんは勝新の隣でコメディをやらなきゃいけないのですぜ。こっちのほうがプレッシャーでしょう。そこを考慮してのランクイン。
第9位 鬼庭左月&遠藤基信
純粋な順位というよりも、本作の最優秀タッグチームを選ぶとしたら、誰と誰になるかを考えた結果が上記の二人。墓前と戦場、場所こそ違えども輝宗に殉ずるというシリアスな場面から、喜多・小十郎・綱元のヤヤコシイ親戚関係をコメディタッチで描くシーンまで、あのカンナム・エクスプレスを彷彿とさせるシチュエーションを問わない使い勝手のよさが魅力でした。この二人の活躍をもっと見たかった……。
第8位 徳川秀忠
今回の再放送で株をあげたキャラクター。多少融通は利かないものの、堅実で有能な二代目という秀忠のキャラクターが、出番の少なさの割にキチンとたっているのよ。私の中では秀忠=勝野洋さんという公式があるのですが、斯くも少ない出番でそういう印象を受けていたとは思わなかった。小粒……というと失礼ですが、出番控え目でもピリリと辛い。柳生宗矩を間に挟んで繰り広げられる政宗とのこやつめハハハ劇場は本作終盤の欠かせないスパイスでした。
第7位 御佐子
本来はラスボスたるお東の方をランクインさせるべきなのでしょうが、今回の再放送ではおちゃこさんのほうが印象に残ったので、彼女を選出。お東の方は意外と彼女一人では成立しにくいキャラクターだと思います。立場上&年齢上、うかとしたことは口に出せないキャラクターなので、目の前で起きている事象が当時の価値観からして、正しいのかそうでないのかを窺い知るのは結構難しい。そういう時、傍に控えるおちゃこさんのリアクションを見れば、それが判るようにできている。最終回近辺で登場した際のやり過ぎ感が否めない老け芝居も、お東の方は美しいままですが、これくらいの時間が流れているんですよというフォローでもあるワケで……。身を以て主に尽くしたおちゃこさんなくして、お東の方は語れず。お東の方なくして、本作は語れない。つまり、おちゃこさんなくして『独眼竜政宗』は成立しないんだよ!(ナ、ナンダッテー
第6位 千利休
こちらも秀忠同様、今回の再放送で株をあげた一人。政宗との茶席の場面は静謐なる美に溢れていました。ザッツ・ティー・セレモニー。こうした魅力も子供の頃は気づかない類ですからねぇ。詳細は先述したので、ここでは省きます。
第5位 伊達成実
子供の頃に見ていた時には好きになれなかった成実が堂々のベスト5入り。やっぱり、見ている側の年齢で、その時々の贔屓キャラって変わるよね。子供の頃はフリーダムに過ごせるので、成実のように周囲との軋轢を怖れずに自分の考えを主張するキャラクターには存外、感情移入できないんですけれども、社会に出て、年齢を重ねて、何もかも自分の思い通りに進まないことを学ぶと、逆に成実が羨ましくなってくる。政宗は覇気と同じレベルで梟雄らしい狡猾さを持ちあわせていたことを思うと、序盤の一本気な為人から、終盤で忠輝や忠宗を宥め賺すまでの器量を有するに至った成実こそが、本作で一番成長した人物といえるでしょう。私の中で主人公の両腕とも評すべき、成実と小十郎の順位は完全に入れ替わってしまいました。まぁ、小十郎は嫁と子供に対する態度がアレ過ぎたのも原因なんですが。
第4位 鈴木重信
一方、こちらは子供の頃に一番応援していたキャラクター。ベスト3は逃したとはいえ、上位三名はあらゆる意味で規格外の面々なので、鈴木重信が事実上のトップと考えてよいでしょう。武勇や智略の描写が持て囃される歴史劇で、経理と補給の概念を視聴者に叩き込んだ功績は大きい。『銀英伝』でいうとキャゼさんですね。補給なくして如何なる名将も戦うことはできないのだということを体現したキャラクターでした。
それ以外で今回気づいたのは、重信は実は癒し系のキャラクターなんですね。色々と生臭い策略を巡らす伊達陣営ですが、彼が登場する場面ではマトモな行政に関する話題がメインで、ショッキングな出来事が起こることは滅多にない。重信が出ているパートは視聴者は気軽に物語を楽しめるという意図があるのかもと思いました。『ビバップ』でいうとエドとアインの役割。
第3位 伊達政宗
大河ドラマ史上でも三指に入るハマり役・当たり役として知られるナベケン政宗が第三位。当時二十代とは思えない後半~終盤にかけての老成した政宗の演技はどうよ? 大河ドラマは一年かけて主人公と共に主演俳優を育てるものだと思いますが、キャラクターは兎も角、中の人が最も伸びたのは政宗以外に有り得ないでしょう。勿論、キャラクターとしても充分に満足。現在の日本で政宗といえば、大抵の人は本作の主人公が脳裏に浮かぶに違いありません。『概念』としての『伊達政宗』を構築した本作の功績は極めて大きい。この辺も近年の大河ドラマは参考にして欲しいものです。このキャラクターといえばこの人という定理を広めてこその大河ドラマではないでしょうか。まぁ、ナベケンも政宗のイメージを覆すのに結構難儀をしたという話もあるので、一概に正しいことかどうかは決められないんですが。
第2位 松平忠輝
今回の再放送で一番株をあげたのは誰あろう、ウチの鬼っ子さま。いや、正直な話、本作の終盤はモッサリしたホームドラマのイメージがあったんですよ。キンキンもモガミンも勝新も退場して、家康と政宗の二人で何とか物語を支えていると思い込んでいました。しかし、改めて見返すと忠輝の存在感が半端ないのな。序盤から前半にかけてのDQN丸出しの主人公の生き写しとしか思えないヤンチャな言動とか、血が繋がっていないのが不思議に思えるほどの似た者親子。家康―忠輝の確執が自然とお東の方―政宗の確執にシンクロする様子は見ていて鳥肌モノでしたよ。終盤の本編を支えたのは間違いなく、松平忠輝。異論は認めない。
中の人の演技も光っていました。上記したナベケンの政宗老成バージョンが際立って見えたのも、一つには忠輝のヤンチャな演技のおかげでしょう。何よりも、この人が数年後に同じ枠で足利尊氏を演じたというのが改めて凄いと思った。全く正反対な人間ですからね、忠輝と尊氏。寧ろ、忠輝は直冬のイメージに近いかも。その意味で真田さんも本作の政宗と同じく、自分が主人公の大河ドラマでは若気の至りで蒔いた種に悩まされたワケで、この辺も奇妙なシンクロを感じてしまいます。
第1位 豊臣秀吉
正直、上位三名のランキングは本当に悩みました。それこそ、上記した『独眼竜政宗』のリメイクでもやれという意見を目にした時には『この三人は誰が演じればいいんだよ』と突っ込んだものですが、しかし、政宗も忠輝も将来有望な若手を発掘する&箔をつけるという名目があれば、何とか選べなくはないと思います……それが成功を保障するものではありませんが。
しかし、秀吉のキャスティングは絶対ムリ。
理由は頗る単純で、政宗や忠輝のように将来性という口実で若手を選出できないからです。日吉丸や藤吉郎の時代の秀吉ではない、天下を思うが儘に操るラスボス時代の秀吉を若手に任せられるワケがない。必定、中堅以上のヴェテラン陣からチョイスするしかないのですが、勝新の代わりを演じられる俳優が存在するワケがない。これは能力というよりもキャラクターの問題かも知れませんが、何れにせよ、ムリ。敢えて選ぶとするとナベケンにお願いするという類のセルフオマージュしか思い浮かびません。このようにリメイクの泣き所になるワン&オンリーのキャラクターを創造したという点で、やはり、本作のベストキャラクターは勝新秀吉以外にあり得ないでしょう。お東の方は……おちゃこさん次第ですね、うん(目逸らし
以上で『独眼竜政宗』簡易総評を終わります。流石に通常は三か月近くかけるものを一週間でまとめるのはキツかったし、内容的にもアラが目立つ記事になってしまいましたが、その辺は本編の出来のよさに甘えさせて頂きました。兎に角、見れば判る&面白い。今回の再放送を見逃した&今まで大河ドラマを見たことがない方は是非、ご覧になって下さい。
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当時のスタッフや出演者、そして、再放送を決定したNHKBSの御英断に心からの感謝を贈りたいと思います。
さて、通常の大河ドラマの総評は毎年、九月半ば過ぎから着手して、十二月の後半にUPしています。歴史記事ほどではないにせよ、手間がかかる記事の一つですね。そして、この『独眼竜政宗』は当初は総評記事は書かない予定でした。本作は私如きが何処が如何素晴らしいかを述べるまでもなく、万人に面白さが通じる傑作ですので、取りたてて総評記事を書く必要性がないと思ったからですが、しかし、いざ、完結を迎えると何らかの形で感想記事全体を締めくくりたいという欲求が出てきたのも確か。そんなワケで今回は総評の代わりに印象に残った場面やキャラクターを通して本作を振り返ってみたいと思います。上記のように三か月近くを費やす通常の総評ほどに時間がなかったので、大分駆け足になる&今までの感想記事と被る点も多々ありますが、御容赦下さい。
まずは名場面で振り返る『独眼竜政宗』の魅力からいきましょう。予め弁明しておくと選出した回が結構重複してしまっていますが、キチンと本編を見た&自分の感想記事を読み返した結果ですので、こちらも御了承下さい。
第五位……『不動明王』
梵天丸「ぼんてんまるもかくありたい」
伊達輝宗「梵天丸が? しかとそのように申したのか?」
喜多「はい、何度も申されました。『人の上に立つ者は不動明王のようでなくてはならぬ』と」

本作は脚本家が頭を絞って考え出している台詞に溢れていました。現在絶賛放送中の『ダウントン・アビー』と同様、台詞に輝かしい知性の煌めきがあると、筋書は平凡でも物語は断然面白くなるものです。尤も『ダウントン・アビー』は意地でもレトリックに欠けた言葉を使うものかという貴族の矜持、言い換えると知性と教養に富んだ台詞であるのに対して、本作の台詞はいい意味で生臭い台詞といえるでしょう。
上記の喜多の台詞が典型ですね。梵天丸本人が聞いたら『そういう意味で申しあげたのではない』と否定しそうな上記の輝宗と喜多の遣り取り。喜多は梵天丸の思いを斟酌して、輝宗の喜びそうな言葉に翻訳して話しているんですよ。完璧なる嘘ではないが、どう贔屓目に見ても純然たる真実ではない。しかし、それで誰かが損をするかというとそんなことはなく、喜多の斟酌&翻訳で全てが丸く収まっている。こうした好意的な情報の改竄、即ち、その場の雰囲気や相手に応じて、自分の言葉にベクトルやバイアスを加えた経験は、誰もが一度ならず覚えがあるのではないでしょうか。勿論、それは悪いことでも何でもない。ごく普通の常識であり、処世術です。それに伝言ゲームでも判るように情報が人間を媒介に伝達する際に全く変容しないほうが不自然なんですよ。その意味でも上記の場面は非常に現実味がある。こうした誰もが経験のある情報操作&変容を盛り込むことで生じる台詞の生臭さ=リアリティ。これが『独眼竜政宗』の魅力の一つでしょう。
第四位……『黄金の十字架』①
伊達政宗「それがしの目を御覧下され。左は真物、右は偽物でござる!」ドヤァッ
伊達政宗「俺は潔白だ。謀叛を企てたことはない」ヒシッ

前項の喜多とは違った意味で主人公が殆ど嘘しかいわなかった回がこれ。何せ、この回で主人公が虚心坦懐に接した相手は宗匠一人でしたからね。どんだけ嘘が好きなんだ、この物語。
『鶺鴒の眼の穴』や『黄金の十字架』といった外連味のあるアイテムが目立つ当該回ですが、私個人は後述する宗匠との逸話を除くと、ラストで描かれた主人公と愛姫の遣り取りが最も印象に残りました。鶺鴒の眼のトリックで無罪放免になってから、上洛するまでの間に主人公と愛姫の回想シーンが挿入されるんですけれども、これは一見するとあんまり意味がないように思える。でも、回想シーンで己の野心を語る=真実を口にした時の政宗は愛姫を己の左目の側で抱擁するんですよ。そして、今回のラストでは右側で抱き寄せる。そこに上記の『右目は偽物、左目は真物』というレオンに向けた言葉を当て嵌めると、この場面の意図がハッキリする。つまり、政宗は口にはしない(立場上もできない)けれども、嘘をついたことを認めているし、愛姫も普段と逆方向の抱擁ということで亭主の虚言を察しているのでしょう。この左右の抱擁の書き分けを御指摘下さったのはdaisuke5513さんで、私は『嘘をついた政宗は嫁の目を真っ直ぐに見られないから抱き寄せたんだな』という解釈に留まっていましたが、これに気づかされてからは本作屈指の名場面になりましたよ。感想記事を書いてよかったと改めて思えたエピソードでした。
第三位……『天下人』①
伊達小次郎「兄上……兄上……兄上……」ヒュードロドロドロドロ
伊達政宗「小次郎……神妙に成仏致せ! おまえが憎うて斬ったのではない……伊達家安堵のため、致し方なく斬ったのだ!」(((((((( ;゚Д゚)))))))ガクガクブルブルガタガタブルガタガクガク
見ているほうが『何もそこまでビビらんでも』とドンびきするレベルの主人公の狼狽っぷりが印象に残る小次郎の亡霊登場シーン。私も昔は何でこんなシーンが挿入されたのか、全く判りませんでした。実際、このシーンを抜いてもフツーにストーリーは繋がりますからね。リアリティを損なうシーンだなぁとか考えていたものです。
しかし、実は非常にリアリティに溢れた場面でした。いや、亡霊の存在がリアリティというワケじゃないですよ。人は如何なる時に幽霊を見るのか。それは張りつめていた緊張が緩んだ時に他なりません。心の隙間に巣食った闇を抑え込む気力がなくなった瞬間、人は己のウシロメタサを幻影として認識する。この場合の政宗は秀吉との対面を首尾よく成功させて、己が生命と所領を安堵されたことで気が緩み、実弟斬殺の罪を心の奥底で再認識してしまったんですね。亡霊が現れたということは、オドロオドロしい雰囲気とは真逆に、主人公が窮地を脱したことを表現している。これは人間が幽霊を見る心理的メカニズムをキチンと理解していないと描けないシーン。何より、主人公は実弟の犠牲なくして、今回の虎口を脱することはできなかったワケですから、ここで小次郎斬殺を思い出さないようでは、主人公の人間性に疑問符がつくというもの。幽霊というファンタジー要素をリアリティを描くためのツールに用いるのみならず、実弟を斬殺するという非情さを見せた主人公は、実は人間味に溢れる為人であることを表現した、実にテクニカルな場面。本作では他にも、夢や寝言や勘違いで登場人物の本音を語らせる場面が多いですが、これは礼儀や建前や気遣いや嘘で塗り固められた台詞(褒め言葉です)が横行する本作ならではの技法といえるでしょう。
第2位……『黄金の十字架』②
千利休「利休にございまする。今日の日を心待ちにしておりました。常々、懇切なる御書状を頂いている所為か、初対面とは思えませぬ。お懐かしゅうございまする」
伊達政宗「身に余る御言葉、嬉しゅうございまする」
上記の三件は脚本の妙とでも評すべき内容ですが、これは演出の凄味を感じた名場面。茶席における主人公主従と宗匠の所作には凛呼とした美意識が感じられました。茶席とは何か、千利休とは何者かを垣間見た思いでした(あくまでも垣間見たです、念のため)。本作では事実上、二話しか出番がないのに、他の凡百の歴史劇よりも印象に残った宗匠。まぁ、近年では茶と一緒に自分の切腹フラグをたてる人間ミキサーに過ぎないか、そうでなければ、

こういう宗匠のイメージが強過ぎたというのもあるでしょうけれども、本作では何よりも茶席の演出表現が飛び抜けていたからではないでしょうか。
演出とは何かを一言で表現するのは不可能ですが、登場人物の才能を描くのは脚本の役割で、雰囲気を表現するのが演出家の仕事だと思います。些かヲタっぽい表現を用いるとパラメータ化できない能力を描くのが演出といえるでしょう。それこそ、某コーエーゲームでも大抵はイベントキャラであったり、隠しキャラであったりするように、宗匠は武力や知力や魅力といった単純なパラメータで表現できない存在なんですよ。教養や美意識といった数値化しにくい要素が宗匠の本質であり、そこを見事に表現した本作の凄味を感じました。宗匠本人も彼岸で、

と感嘆しているのではないでしょうか。
第一位……『天下人』②
豊臣秀吉「運のよい奴よの」ビシッ
伊達政宗「」ビクンッ
豊臣秀吉「……小田原城が落ちた後ならば、そのほうの首級はなかったぞ」トントン
伊達政宗「」カッハァーッ
もう、こればかりは仕方ない。誰が何といおうと政宗とラスボスの初対峙こそが、本作の白眉と評すべき名場面中の名場面。異論は認めない。第三位で記した政宗が小次郎の亡霊を見る場面や、帯刀したままで御前に侍ろうとする政宗を家康が無言で制する仕草とか、他にも見所は山ほどあるとはいえ、ここはもう、素直に勝新の存在感にひれ伏すしかありません。第五~三位が脚本家の、第二位が演出家の凄味とすると、第一位は文句なしで俳優の凄味。
大河ドラマの特集番組で何度も紹介されているので、結構広く知られている当該場面。ここだけを切り取られると勝新が秀吉を演じるという、ある意味で出落ち感が半端ないように見えるかも知れませんが、絶対にそうではないことは他の場面での勝新の演技を見れば判ります。鶴松逝去から唐入りに至る流れを演じる勝新、本当に凄かったからね。あれ、台詞を書き起こすと言っていることはメチャクチャで支離滅裂なのに、演技として観賞すると全く違和感ない。寧ろ、当然の帰結にさえ思えてしまう。
今回の再放送時にナベケンがUPしたツイッターでも述べられていたように、これ、当時の現場の負担が相当なものであったのは容易に想像できます。でも、視聴者はそういうのを見たいんですよ。扱いやすいアイドルやタレントの当り障りのない演技ではなく、見ている側が圧倒される存在感を持った俳優を楽しみたい。まぁ、勝新のような俳優は二度と出てこないでしょうけれども……そして、そんな勝新と渡りあった若きナベケンも素晴らしい。第一位は小理屈を捏ねることなく、純粋に俳優の力量に恐れ入る内容でした。
さて、キャラクターベスト10に入る前に軽くストーリー面の総評をしてみましょう。今回、改めて本作を振り返った時に、ふと思い至ったのは、
『独眼竜政宗』に主題はない
という結論でした。まさに本作は伊達政宗の一代記であり、それ以上でもそれ以下でもないんですね。本作の再放送に際しては『凶暴なまでの激しさと御仏の慈悲を併せ持つ男。知恵と才覚を駆使して苦境を乗り越え、一代で仙台62万石の基礎を築いた伊達政宗の波乱の生涯をダイナミックに描きます』というキャッチコピーが掲げられていましたが、凶暴さは兎も角、主人公が御仏の慈悲を示した場面は全く思い出すことができません。つまり、上記のキャッチコピーそのものが『あってなきが如きシロモノであった』ということです。誤解のないように申しあげると、これらは全て褒め言葉です。表現を変えると、
純粋なるエンターテインメント
と呼ぶこともできる。明確な主題がないのに物語の面白さがブレないというのは、極端な比喩を用いると背骨が折れた人間がアクロバット体操を披露しているようなもの。余程、基礎体力がしっかりしていないとできません。いや、実際は基礎体力があっても、背骨が折れた段階で動けませんが、要するに本作は物語を構成する基礎が半端なくしっかりしているということです。
第五位は台詞のリアリティ。
第四位は台詞に頼らない作劇。
第三位は人間心理の深い理解。
第二位は卓絶した演出力。
そして、第一位は物語を演じる俳優の力量。
それこそ、本作は大河ドラマの王道であると同時に、厨二病患者とヤンデレママの半世紀に及ぶ確執を描いたホームドラマであり、諸勢力の思惑が交錯するサスペンスであり、主人公の『おまえがいうな』という言動を楽しむコメディでもあるのですが、上記のベスト5で記したような基礎がしっかりしているから、これといった主題がないくせに様々なジャンルを内包するという矛盾したドラマ構成でも物語がトっ散らからないんですね。全ての基本がハイレベルで安定している。それが『独眼竜政宗』の本質といえるのではないでしょうか。昨今、迷走を続ける大河ドラマに関して『独眼竜政宗』のリメイクでもやっておけという意見を見かけたことがありますが、それは不可能というものでしょう。製作者の基礎能力が違い過ぎる。そんなもんは一般人に『トリプルアクセルを連発すれば金メダルを取れるよ』というくらいに意味のないアドバイスです。
しかし、それでも、全く現代の大河ドラマの参考にならないかといえば、実はそうでもないと思います。結構意外な話ですが、本作は『大河ドラマの黄金期を築いた作品』ではあっても、決して『大河ドラマの黄金期に作られた作品』ではないんですね。『独眼竜政宗』の前作品は三回連続で近現代を舞台にしたオリジナルの創作劇でした。これは『徳川家康』が終盤アレな結末というのが影響したのかどうか、当時の私は乳飲み子同然でしたので記憶にないんですけれども、この時期の大河ドラマが迷走とはいかなくても新しい方向性を模索していたのは確かだと思います。結局、大河ドラマは史実を踏まえた歴史劇に回帰したワケですが、戻ってきた大河ドラマに視聴者が求めていたものは王道であり、基本に忠実な作品であったのだと思います。何よりも本作の大ヒットがそれを証明している。
迷った時は基本から鍛え直す。
これが如何なる言葉よりも現在の大河ドラマに必要なのではないでしょうか。勿論、いいモノが必ずウケると思うほどに、私もナイーヴな感性の持ち主ではありませんが、しかし、いいモノをつくろうとしないコンテンツは必ず衰退するのも事実です。本作の再放送で、その辺のコトに関係者が思いを巡らす契機になってくれれば、史実のマー君宜しく、味方を背後から狙撃するが如き本作の再放送にも意味が出てくるんじゃないかと思います。
では、ラストはキャラクターベスト10の発表で締め括りましょう。コメントでも頂いたようにベスト30くらいは枠が欲しかったですが、流石にそこまでやると全員紹介したほうがいっそ潔く思えるので、泣く泣く諦めました。ちなみに次点は芦名義広。政宗をキヨに比したアバンタイトルといい、本作のスタッフには予言者でもいたんじゃないのか。『俺はまだ本気出してないだけ』とかいっているうちに滅ぼされた芦名の当主に相応しいキャスティングでした。
第10位 豊臣秀次
本作では勝新とナベケンの序列を秀吉と政宗のそれとシンクロさせる演出が取られていた所為で、この両名の関係性が特に注目されますが、私個人はナベケンよりも陣内さんのほうが身の縮む思いであったのではないかと考えます。だって、ナベケンは全身全霊で芝居をするという一点に集中できますが、陣内さんは勝新の隣でコメディをやらなきゃいけないのですぜ。こっちのほうがプレッシャーでしょう。そこを考慮してのランクイン。
第9位 鬼庭左月&遠藤基信
純粋な順位というよりも、本作の最優秀タッグチームを選ぶとしたら、誰と誰になるかを考えた結果が上記の二人。墓前と戦場、場所こそ違えども輝宗に殉ずるというシリアスな場面から、喜多・小十郎・綱元のヤヤコシイ親戚関係をコメディタッチで描くシーンまで、あのカンナム・エクスプレスを彷彿とさせるシチュエーションを問わない使い勝手のよさが魅力でした。この二人の活躍をもっと見たかった……。
第8位 徳川秀忠
今回の再放送で株をあげたキャラクター。多少融通は利かないものの、堅実で有能な二代目という秀忠のキャラクターが、出番の少なさの割にキチンとたっているのよ。私の中では秀忠=勝野洋さんという公式があるのですが、斯くも少ない出番でそういう印象を受けていたとは思わなかった。小粒……というと失礼ですが、出番控え目でもピリリと辛い。柳生宗矩を間に挟んで繰り広げられる政宗とのこやつめハハハ劇場は本作終盤の欠かせないスパイスでした。
第7位 御佐子
本来はラスボスたるお東の方をランクインさせるべきなのでしょうが、今回の再放送ではおちゃこさんのほうが印象に残ったので、彼女を選出。お東の方は意外と彼女一人では成立しにくいキャラクターだと思います。立場上&年齢上、うかとしたことは口に出せないキャラクターなので、目の前で起きている事象が当時の価値観からして、正しいのかそうでないのかを窺い知るのは結構難しい。そういう時、傍に控えるおちゃこさんのリアクションを見れば、それが判るようにできている。最終回近辺で登場した際のやり過ぎ感が否めない老け芝居も、お東の方は美しいままですが、これくらいの時間が流れているんですよというフォローでもあるワケで……。身を以て主に尽くしたおちゃこさんなくして、お東の方は語れず。お東の方なくして、本作は語れない。つまり、おちゃこさんなくして『独眼竜政宗』は成立しないんだよ!(ナ、ナンダッテー
第6位 千利休
こちらも秀忠同様、今回の再放送で株をあげた一人。政宗との茶席の場面は静謐なる美に溢れていました。ザッツ・ティー・セレモニー。こうした魅力も子供の頃は気づかない類ですからねぇ。詳細は先述したので、ここでは省きます。
第5位 伊達成実
子供の頃に見ていた時には好きになれなかった成実が堂々のベスト5入り。やっぱり、見ている側の年齢で、その時々の贔屓キャラって変わるよね。子供の頃はフリーダムに過ごせるので、成実のように周囲との軋轢を怖れずに自分の考えを主張するキャラクターには存外、感情移入できないんですけれども、社会に出て、年齢を重ねて、何もかも自分の思い通りに進まないことを学ぶと、逆に成実が羨ましくなってくる。政宗は覇気と同じレベルで梟雄らしい狡猾さを持ちあわせていたことを思うと、序盤の一本気な為人から、終盤で忠輝や忠宗を宥め賺すまでの器量を有するに至った成実こそが、本作で一番成長した人物といえるでしょう。私の中で主人公の両腕とも評すべき、成実と小十郎の順位は完全に入れ替わってしまいました。まぁ、小十郎は嫁と子供に対する態度がアレ過ぎたのも原因なんですが。
第4位 鈴木重信
一方、こちらは子供の頃に一番応援していたキャラクター。ベスト3は逃したとはいえ、上位三名はあらゆる意味で規格外の面々なので、鈴木重信が事実上のトップと考えてよいでしょう。武勇や智略の描写が持て囃される歴史劇で、経理と補給の概念を視聴者に叩き込んだ功績は大きい。『銀英伝』でいうとキャゼさんですね。補給なくして如何なる名将も戦うことはできないのだということを体現したキャラクターでした。
それ以外で今回気づいたのは、重信は実は癒し系のキャラクターなんですね。色々と生臭い策略を巡らす伊達陣営ですが、彼が登場する場面ではマトモな行政に関する話題がメインで、ショッキングな出来事が起こることは滅多にない。重信が出ているパートは視聴者は気軽に物語を楽しめるという意図があるのかもと思いました。『ビバップ』でいうとエドとアインの役割。
第3位 伊達政宗
大河ドラマ史上でも三指に入るハマり役・当たり役として知られるナベケン政宗が第三位。当時二十代とは思えない後半~終盤にかけての老成した政宗の演技はどうよ? 大河ドラマは一年かけて主人公と共に主演俳優を育てるものだと思いますが、キャラクターは兎も角、中の人が最も伸びたのは政宗以外に有り得ないでしょう。勿論、キャラクターとしても充分に満足。現在の日本で政宗といえば、大抵の人は本作の主人公が脳裏に浮かぶに違いありません。『概念』としての『伊達政宗』を構築した本作の功績は極めて大きい。この辺も近年の大河ドラマは参考にして欲しいものです。このキャラクターといえばこの人という定理を広めてこその大河ドラマではないでしょうか。まぁ、ナベケンも政宗のイメージを覆すのに結構難儀をしたという話もあるので、一概に正しいことかどうかは決められないんですが。
第2位 松平忠輝
今回の再放送で一番株をあげたのは誰あろう、ウチの鬼っ子さま。いや、正直な話、本作の終盤はモッサリしたホームドラマのイメージがあったんですよ。キンキンもモガミンも勝新も退場して、家康と政宗の二人で何とか物語を支えていると思い込んでいました。しかし、改めて見返すと忠輝の存在感が半端ないのな。序盤から前半にかけてのDQN丸出しの主人公の生き写しとしか思えないヤンチャな言動とか、血が繋がっていないのが不思議に思えるほどの似た者親子。家康―忠輝の確執が自然とお東の方―政宗の確執にシンクロする様子は見ていて鳥肌モノでしたよ。終盤の本編を支えたのは間違いなく、松平忠輝。異論は認めない。
中の人の演技も光っていました。上記したナベケンの政宗老成バージョンが際立って見えたのも、一つには忠輝のヤンチャな演技のおかげでしょう。何よりも、この人が数年後に同じ枠で足利尊氏を演じたというのが改めて凄いと思った。全く正反対な人間ですからね、忠輝と尊氏。寧ろ、忠輝は直冬のイメージに近いかも。その意味で真田さんも本作の政宗と同じく、自分が主人公の大河ドラマでは若気の至りで蒔いた種に悩まされたワケで、この辺も奇妙なシンクロを感じてしまいます。
第1位 豊臣秀吉
正直、上位三名のランキングは本当に悩みました。それこそ、上記した『独眼竜政宗』のリメイクでもやれという意見を目にした時には『この三人は誰が演じればいいんだよ』と突っ込んだものですが、しかし、政宗も忠輝も将来有望な若手を発掘する&箔をつけるという名目があれば、何とか選べなくはないと思います……それが成功を保障するものではありませんが。
しかし、秀吉のキャスティングは絶対ムリ。
理由は頗る単純で、政宗や忠輝のように将来性という口実で若手を選出できないからです。日吉丸や藤吉郎の時代の秀吉ではない、天下を思うが儘に操るラスボス時代の秀吉を若手に任せられるワケがない。必定、中堅以上のヴェテラン陣からチョイスするしかないのですが、勝新の代わりを演じられる俳優が存在するワケがない。これは能力というよりもキャラクターの問題かも知れませんが、何れにせよ、ムリ。敢えて選ぶとするとナベケンにお願いするという類のセルフオマージュしか思い浮かびません。このようにリメイクの泣き所になるワン&オンリーのキャラクターを創造したという点で、やはり、本作のベストキャラクターは勝新秀吉以外にあり得ないでしょう。お東の方は……おちゃこさん次第ですね、うん(目逸らし
以上で『独眼竜政宗』簡易総評を終わります。流石に通常は三か月近くかけるものを一週間でまとめるのはキツかったし、内容的にもアラが目立つ記事になってしまいましたが、その辺は本編の出来のよさに甘えさせて頂きました。兎に角、見れば判る&面白い。今回の再放送を見逃した&今まで大河ドラマを見たことがない方は是非、ご覧になって下さい。
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