今回のアバンタイトルで摺上原の戦いの映像が流れました。実に懐かしかったですが、よくよく考てみると、政宗の成人以降でまともな合戦シーンが描かれたのって、八百人斬りのアレと人取橋の戦いと摺上原の戦いくらいですよね。いや、別に文句をいっているのではなく、その逆。合戦に至る経緯と、合戦がもたらしたものを丁寧に描いているからこそ、合戦シーンが殆どなくても本作には満足できるのだと改めて認識した次第。そんな『独眼竜政宗』も遂に次回で最終回。@2回ということで今回こそは消化試合だと思っていましたが、これも逆。日常パートの連続にも拘わらず、抜群に面白かった。やはり、本作は以前述べたように王道のホームドラマ大河なんだよなぁ。今回のポイントは4つ。
1.diary lives of dqnganryu-masamune
ナレーション「政宗の日常生活を克明に記した記録を参考にして、この年の十月十日を再現してみよう!」
どう見ても『ヒストリア』です。
本当にありがとうございました。
これ、ガチでジェームス三木さんの発案なの? 現場の監督や演出の判断なの? 何れにせよ、遊び過ぎにも程がある。いや、面白かったからいいんですが。
実際、巧いんですよ。五十五歳になった政宗の性格が台詞なしで随所で表現されている。まず、とっくに目が覚めているのに、宿直の近習が起こしに来るまでは自分で起きない。これは近習の面目を気遣う政宗の意外な優しさ。一方で『早く起こしにこないかなぁ』といわんばかりに寝所をウロつく姿は、じっとしていられないせっかちな為人の表現。書斎ともいうべき閑所に開いている手窓から外を覗いたりするのも、大身になっても、善くも悪くも落ち着くことのなかった政宗らしさでしょう。見ていて実に微笑ましい。そんなヤンチャさと裏腹に自分で自分の食事の献立を立案したり、相伴衆をキチンと指名する姿は、ナレーションで語られていたように政宗の細かさでもあります。しかし、大事なことは、それらが視聴者に意外と思われないことでしょうね。落ち着きのないヤンチャさと気配りの細やかさ。一見すると相反する要素が渾然一体となって政宗の中にあり、破綻を来さない。これこそ、キャラクターの言動の積み重ねが成せる業でしょうね。政宗の五十五年の人生の集大成……というと大袈裟ですが、彼が如何なる人物に成り遂せたかを見事に描ききった場面といえるでしょう。しかも、本編と全く関係のない内容でね。それが一番凄い。
2.劇中劇
そんなヒストリア風に進行していた劇が、いつの間にか政宗の夢の中に移行するという展開。今回のフリーダムっぷりは異常……といいたいですが、よく考えると後述するエピソードに代表されるようにこの時期の政宗の言動も今回の内容に負けず劣らずフリーダムなので、それに負けない構成を考えた結果なのかも知れません。いや、十中八九、ラスト1話ということでジェームス三木さんがやりたい放題やった所為だと思いますが。
子供の頃は『幾ら何でも唐突過ぎだろ』と思った政宗ドリームにおける劇中劇ですが、今見ると結構簡単に『これは現実じゃねーわ』と思えました。逢瀬の場が能舞台という段階で『あぁ、嘘っこの話なのね』というのが判りますし、忠輝と五郎八姫の台詞回しが『胸がキリキリと痛む』とか『妻が夫を恋い慕うのは草木が水を求めるのと同じこと』とか、いちいち芝居がかっているんですよ。いや、本作は元より重厚な台詞回しが魅力なんですが、それともちょっと違う……如何にもな舞台劇の台詞なんですね。固有名詞を入れ替えたら『ロミオとジュリエット』でも使えそうな台詞ばかり。まぁ、その前に忠輝が出てきた段階で気づけという話かも知れませんが、何せ、捨て童子なので、これっくらいは簡単にやってのけたかも知れないからなぁ。現実世界では舅殿にいいようにあしらわれ続けた忠輝ですが、流石に夢の中では鬼っ子の本領発揮。隆慶一郎氏の作品による脳内補完余裕でした。
勿論、全部が全部、ジェームス三木さんの遊び心の賜というワケではありません。八百人斬り直後の悪夢、小田原参陣直後の小次郎の亡霊と同じように、人間がありもしないモノを見るのにはキチンとした理由がある。今回は小次郎の亡霊のほうに近いでしょうか。直前の場面で五郎八姫に自重を促していた政宗ですが、やはり、深層心理では息女や婿殿に対するウシロメタサがある。そして、これも小次郎の亡霊の時と同じように、そうした深層心理が顕在化するのは緊張が解れた時です。実際、前項で紹介したように現在の政宗は平穏な日常の中にいる。家康の死の直後に謀叛の嫌疑をかけられた時、要するに現実と対峙している間は夢や亡霊を見る暇なんてないんですね。その危機を脱した現在であるからこそ、緩んだ気の隙間から深層心理が顔を出す。そういう原理なんじゃないかと思います。
もう一つ、この夢で描かれた大事なのは、本作の政宗が無意識の世界でも徳川家への臣従を誓っている(誓ってしまっている)ということでしょう。五郎八姫との駆け落ちを見咎められた忠輝に『舅殿には迷惑はかけない』といわれた際の返答は、
伊達政宗「将軍家に御迷惑が掛かりまする!」
でした。どんなに荒唐無稽な設定でも、夢は己のインナースペースの出来事なので、そこでは本音が優先されると思うんですよね。そういう世界で伊達家の迷惑ではなく、将軍家の迷惑が口をついたというのは、政宗が心底、天下への野心を諦めている傍証といえるのではないでしょうか。
あ、それと、演出的にも重要な場面でした。開始時から既に老境メイクの主人公でしたが、夢を見た翌日の容貌が更に老け込んでいるのな。こうしたイベントを通して、主人公のメイクを自然に移行させてゆくのも狙いの一つと見ました。
3.三河衆より面倒くせぇ①
伊達政宗「黙らっしゃい! 御膳に毒を盛るは二十年も昔の在りようじゃ! 政宗に逆心あらば弓矢を以て致すわ! 天下泰平の世に毒など仕込む政宗ではない!」(`・ω・´)
内藤外記(コイツ、面倒くせぇ……)
政宗老境期の有名な逸話ですね。『天下が欲しかったら地力で奪っていたわ! 見損なうな!』とか、他の大名が口にしたら一発改易モンでしょう。似たような逸話として、家光の微行を諌める時の『一人歩きはマジで危険だわ。俺も家康のタマを狙っていた時期があったわ』というのもあります。DQNな逸話が数多伝わる政宗ですが、相対的には他人に対する愛嬌があり、憎めない為人であったのだと思われます。上記の台詞も実際に一服盛られた(証拠はない)政宗の言葉と考えると説得力高し。
しかし、当然、単なる愛嬌のみで渡っていけるほどに世の中は甘くありません。上記の台詞もわざわざ秀忠に聞かせるための大音声に決まっています。秀忠が『また政宗か。面倒臭いことになる前に通せ』的な流れになるのを見越してのことですね。それに、表現方法に問題があるとはいえ、将軍家への忠節を誓う言葉を聞かされた秀忠が悪い気分になるワケがない。寧ろ、機智に富んだ物言いは聞く人間を愉快にします。そして、ダメ押しに『全ては俺なりに天下を思ってのこと! 近年の譜代大名の高慢っぷりは目に余る!』と将軍家に対する無礼な言動を、他人の所為にして有耶無耶にしてしまう。
完全にペテン師の言動です。
更にいうと、ここでは政宗も見事ですが、聞く側の秀忠の器量の大きさが光りますね。『政宗の料理は忠節の味がする』とか、こちらもうまいこといっていますが、秀忠が政宗に全く心を許していないのは先回描かれた通りです。『外様と譜代は車の両輪の如し』という政宗の諫言についても、
徳川秀忠「あいわかった。政宗の助言は、しかとこの胸に留め置く(実行するとはいっていない)」
と考えているのは容易の想像がつく。それでも、敢えて政宗の意図に乗ることで己の器量を示すと同時に、政宗の不満を和らげようとしている。政宗が秀忠をコントロールしているようでもあり、秀忠が政宗を懐柔しているようでもある。結局、世の中を動かしているのは『嘘』なんですね。上手な嘘をつく者と上手に嘘に乗る者。双方がいてこそ、世の中は平穏に丸く回るということなのでしょう。この辺、実はドラマの有様とも通じると思うのですが、掘り下げようとすると現在の大河批判になってしまうのでやめましょう。
4.三河衆より面倒くせぇ②
保春院「母を思う心が真実であれば、まず、将軍を説き伏せ、最上家の改易を差し止めるのが筋ではないのか?」
伊達成実(コイツ、面倒くせぇ……)
前項の場面で内藤外記に『テメェのツラが気に入らん! 怨むなら自分の親を怨め!』といいたい放題のマー君でしたが、番組終盤で壮大なブーメランが返ってきてしまいました。全く、誰がどう見ても似た者親子の確執。内藤外記が見たら、ザマァ&プゲラとばかりに手を打って笑ったことでしょう。他人様の親子のアリヨウを迂闊に批判するべきではありませんね。
さて、ママ上の久しぶりの登場。主題は単純に母子の和解でしょうが、前項の『嘘』の効用とも密接にリンクしています。極端な話、綺麗な嘘がつければ天下を獲ることはできなくもない。実際、作中の政宗は成長に成長を繰り返して、天下は掴めずとも、天下に触れるところまでは至った。しかし、人生最期の難関として立ちはだかったのは嘘が通じない相手でした。保春院は心の底から最上家を憂いている。その一方で口には出さずとも息子の赦しを求めている。実に激烈な真心のカタマリなんですね。これは嘘で丸め込めない。
伊達政宗「天下を獲るのは難しい……だが、人の心を掴むのは、尚、難しい」
という主人公の嘆息は、そういう意味あいなのでしょう。これまでの人生で培ってきたものが通用しない相手との戦い。それは最終回で主人公は向きあう最期の戦となる模様。うん、やっぱり、生半可な戦のシーンよりも厳しいわ。先回も書いたように、終盤は『ほのぼのホームドラマ大河』と思っていたのはどういうことなのか、自分で自分に問い質したい。
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1.diary lives of dqnganryu-masamune
ナレーション「政宗の日常生活を克明に記した記録を参考にして、この年の十月十日を再現してみよう!」
どう見ても『ヒストリア』です。
本当にありがとうございました。
これ、ガチでジェームス三木さんの発案なの? 現場の監督や演出の判断なの? 何れにせよ、遊び過ぎにも程がある。いや、面白かったからいいんですが。
実際、巧いんですよ。五十五歳になった政宗の性格が台詞なしで随所で表現されている。まず、とっくに目が覚めているのに、宿直の近習が起こしに来るまでは自分で起きない。これは近習の面目を気遣う政宗の意外な優しさ。一方で『早く起こしにこないかなぁ』といわんばかりに寝所をウロつく姿は、じっとしていられないせっかちな為人の表現。書斎ともいうべき閑所に開いている手窓から外を覗いたりするのも、大身になっても、善くも悪くも落ち着くことのなかった政宗らしさでしょう。見ていて実に微笑ましい。そんなヤンチャさと裏腹に自分で自分の食事の献立を立案したり、相伴衆をキチンと指名する姿は、ナレーションで語られていたように政宗の細かさでもあります。しかし、大事なことは、それらが視聴者に意外と思われないことでしょうね。落ち着きのないヤンチャさと気配りの細やかさ。一見すると相反する要素が渾然一体となって政宗の中にあり、破綻を来さない。これこそ、キャラクターの言動の積み重ねが成せる業でしょうね。政宗の五十五年の人生の集大成……というと大袈裟ですが、彼が如何なる人物に成り遂せたかを見事に描ききった場面といえるでしょう。しかも、本編と全く関係のない内容でね。それが一番凄い。
2.劇中劇
そんなヒストリア風に進行していた劇が、いつの間にか政宗の夢の中に移行するという展開。今回のフリーダムっぷりは異常……といいたいですが、よく考えると後述するエピソードに代表されるようにこの時期の政宗の言動も今回の内容に負けず劣らずフリーダムなので、それに負けない構成を考えた結果なのかも知れません。いや、十中八九、ラスト1話ということでジェームス三木さんがやりたい放題やった所為だと思いますが。
子供の頃は『幾ら何でも唐突過ぎだろ』と思った政宗ドリームにおける劇中劇ですが、今見ると結構簡単に『これは現実じゃねーわ』と思えました。逢瀬の場が能舞台という段階で『あぁ、嘘っこの話なのね』というのが判りますし、忠輝と五郎八姫の台詞回しが『胸がキリキリと痛む』とか『妻が夫を恋い慕うのは草木が水を求めるのと同じこと』とか、いちいち芝居がかっているんですよ。いや、本作は元より重厚な台詞回しが魅力なんですが、それともちょっと違う……如何にもな舞台劇の台詞なんですね。固有名詞を入れ替えたら『ロミオとジュリエット』でも使えそうな台詞ばかり。まぁ、その前に忠輝が出てきた段階で気づけという話かも知れませんが、何せ、捨て童子なので、これっくらいは簡単にやってのけたかも知れないからなぁ。現実世界では舅殿にいいようにあしらわれ続けた忠輝ですが、流石に夢の中では鬼っ子の本領発揮。隆慶一郎氏の作品による脳内補完余裕でした。
勿論、全部が全部、ジェームス三木さんの遊び心の賜というワケではありません。八百人斬り直後の悪夢、小田原参陣直後の小次郎の亡霊と同じように、人間がありもしないモノを見るのにはキチンとした理由がある。今回は小次郎の亡霊のほうに近いでしょうか。直前の場面で五郎八姫に自重を促していた政宗ですが、やはり、深層心理では息女や婿殿に対するウシロメタサがある。そして、これも小次郎の亡霊の時と同じように、そうした深層心理が顕在化するのは緊張が解れた時です。実際、前項で紹介したように現在の政宗は平穏な日常の中にいる。家康の死の直後に謀叛の嫌疑をかけられた時、要するに現実と対峙している間は夢や亡霊を見る暇なんてないんですね。その危機を脱した現在であるからこそ、緩んだ気の隙間から深層心理が顔を出す。そういう原理なんじゃないかと思います。
もう一つ、この夢で描かれた大事なのは、本作の政宗が無意識の世界でも徳川家への臣従を誓っている(誓ってしまっている)ということでしょう。五郎八姫との駆け落ちを見咎められた忠輝に『舅殿には迷惑はかけない』といわれた際の返答は、
伊達政宗「将軍家に御迷惑が掛かりまする!」
でした。どんなに荒唐無稽な設定でも、夢は己のインナースペースの出来事なので、そこでは本音が優先されると思うんですよね。そういう世界で伊達家の迷惑ではなく、将軍家の迷惑が口をついたというのは、政宗が心底、天下への野心を諦めている傍証といえるのではないでしょうか。
あ、それと、演出的にも重要な場面でした。開始時から既に老境メイクの主人公でしたが、夢を見た翌日の容貌が更に老け込んでいるのな。こうしたイベントを通して、主人公のメイクを自然に移行させてゆくのも狙いの一つと見ました。
3.三河衆より面倒くせぇ①
伊達政宗「黙らっしゃい! 御膳に毒を盛るは二十年も昔の在りようじゃ! 政宗に逆心あらば弓矢を以て致すわ! 天下泰平の世に毒など仕込む政宗ではない!」(`・ω・´)
内藤外記(コイツ、面倒くせぇ……)
政宗老境期の有名な逸話ですね。『天下が欲しかったら地力で奪っていたわ! 見損なうな!』とか、他の大名が口にしたら一発改易モンでしょう。似たような逸話として、家光の微行を諌める時の『一人歩きはマジで危険だわ。俺も家康のタマを狙っていた時期があったわ』というのもあります。DQNな逸話が数多伝わる政宗ですが、相対的には他人に対する愛嬌があり、憎めない為人であったのだと思われます。上記の台詞も実際に一服盛られた(証拠はない)政宗の言葉と考えると説得力高し。
しかし、当然、単なる愛嬌のみで渡っていけるほどに世の中は甘くありません。上記の台詞もわざわざ秀忠に聞かせるための大音声に決まっています。秀忠が『また政宗か。面倒臭いことになる前に通せ』的な流れになるのを見越してのことですね。それに、表現方法に問題があるとはいえ、将軍家への忠節を誓う言葉を聞かされた秀忠が悪い気分になるワケがない。寧ろ、機智に富んだ物言いは聞く人間を愉快にします。そして、ダメ押しに『全ては俺なりに天下を思ってのこと! 近年の譜代大名の高慢っぷりは目に余る!』と将軍家に対する無礼な言動を、他人の所為にして有耶無耶にしてしまう。
完全にペテン師の言動です。
更にいうと、ここでは政宗も見事ですが、聞く側の秀忠の器量の大きさが光りますね。『政宗の料理は忠節の味がする』とか、こちらもうまいこといっていますが、秀忠が政宗に全く心を許していないのは先回描かれた通りです。『外様と譜代は車の両輪の如し』という政宗の諫言についても、
徳川秀忠「あいわかった。政宗の助言は、しかとこの胸に留め置く(実行するとはいっていない)」
と考えているのは容易の想像がつく。それでも、敢えて政宗の意図に乗ることで己の器量を示すと同時に、政宗の不満を和らげようとしている。政宗が秀忠をコントロールしているようでもあり、秀忠が政宗を懐柔しているようでもある。結局、世の中を動かしているのは『嘘』なんですね。上手な嘘をつく者と上手に嘘に乗る者。双方がいてこそ、世の中は平穏に丸く回るということなのでしょう。この辺、実はドラマの有様とも通じると思うのですが、掘り下げようとすると現在の大河批判になってしまうのでやめましょう。
4.三河衆より面倒くせぇ②
保春院「母を思う心が真実であれば、まず、将軍を説き伏せ、最上家の改易を差し止めるのが筋ではないのか?」
伊達成実(コイツ、面倒くせぇ……)
前項の場面で内藤外記に『テメェのツラが気に入らん! 怨むなら自分の親を怨め!』といいたい放題のマー君でしたが、番組終盤で壮大なブーメランが返ってきてしまいました。全く、誰がどう見ても似た者親子の確執。内藤外記が見たら、ザマァ&プゲラとばかりに手を打って笑ったことでしょう。他人様の親子のアリヨウを迂闊に批判するべきではありませんね。
さて、ママ上の久しぶりの登場。主題は単純に母子の和解でしょうが、前項の『嘘』の効用とも密接にリンクしています。極端な話、綺麗な嘘がつければ天下を獲ることはできなくもない。実際、作中の政宗は成長に成長を繰り返して、天下は掴めずとも、天下に触れるところまでは至った。しかし、人生最期の難関として立ちはだかったのは嘘が通じない相手でした。保春院は心の底から最上家を憂いている。その一方で口には出さずとも息子の赦しを求めている。実に激烈な真心のカタマリなんですね。これは嘘で丸め込めない。
伊達政宗「天下を獲るのは難しい……だが、人の心を掴むのは、尚、難しい」
という主人公の嘆息は、そういう意味あいなのでしょう。これまでの人生で培ってきたものが通用しない相手との戦い。それは最終回で主人公は向きあう最期の戦となる模様。うん、やっぱり、生半可な戦のシーンよりも厳しいわ。先回も書いたように、終盤は『ほのぼのホームドラマ大河』と思っていたのはどういうことなのか、自分で自分に問い質したい。
歴史秘話ヒストリア オリジナル・サウンドトラック/SE

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